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2016年7月20日 木村 知子

茨城県出身の女性の人生を応援するメディア!「茨女」代表・川井 真裕美さん

茨城出身の女性を応援する「茨女(いばじょ)」の代表として、マガジンサイトとフリーペーパーを運営・制作している川井 真裕美さん。

川井さんは、美大進学とともに故郷の茨城県水戸市を離れ上京、IT企業のインハウスデザイナーなどを経て、現在はフリーランスのグラフィックデザイナー/イラストレーターとして東京都内で活動をしつつ、「茨女」を運営している。

川井さんが「茨女」の活動をするようになった経緯や、東京に暮らしながら故郷の茨城県と関わりを持つことについて、お話をうかがった。

祖母の死をきっかけに、故郷である茨城のことを考えるように

企業に勤めていた頃はなかなか茨城に帰る時間も取れず、お盆やお正月に帰るくらいでした。美大を受験させてもらって、進学して、自分の好きな仕事に就いて。刺激の多い東京という街で、故郷をゆっくり振り返るようなこともなく、好きなようにさせてもらっていました。

そのうち、茨城にいたころに同居していた母方の祖母が体調を崩してしまったんですね。両親が共働きだったので、祖母は私にとって育ての親といってもいいほどの大切な存在。何かできることがないかと、なるべく頻繁に茨城に帰るようにしていました。ですが、顔を出す度にだんだんと弱っていく祖母、そして面倒を見ているうちの母も会うたびに疲弊していて、私が会社勤めの合間になるべく帰省するようにしたところで、結局家族に対してできることはそれほど多くなかったんです。

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祖母が亡くなった頃から、茨城に帰ることを真剣に考えるようになりました。いずれ自分の両親にも同じようなときが必ず来る。私は一人っ子なので、その時にはそばにいて、両親を支えたいと思ったんです。

ただ、茨城に帰るといっても仕事はどうするのか。当時は、都内で今取り組んでいるような大きなデザインの仕事は茨城県内ではそうそう見つけられる状況ではありませんでした。せっかく美大まで出してもらってようやく独り立ちできたところなのに、茨城に帰ってもいいのだろうか…。たくさん悩んで、東京に住む茨城出身の女性たちに相談するようになりました。

 

たくさんの考えに触れることで気持ちが軽くなり、自分の目標が見えてきた

同世代から少し上の世代の方まで、「茨城県出身の女性」という軸でいろんな方にお話をうかがいました。茨城にいずれ帰りたい人、まったく戻る気はないという人。仕事はどうするのか、家庭や、故郷の家族たちとの関係はどうするのか。突き詰めて話をうかがっていくと、本当に人それぞれいろんな考え方があるんですね。たくさんの考えに触れることで、私自身が「こうでなくちゃいけない」と固執していた部分が柔軟になり、自分の気持ちがどんどん軽くなっていくことに気づいたんです。そして、いろいろな考え方に触れることで「じゃあ、自分はこうしよう」という目標が見えてくることも。

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10人くらいの方にお話をうかがったところで、「これはもったいない!」と(笑)。みんな普段は自分から言わないだけで、聞けば仕事やプライベートでさまざまな目標があって、それぞれの思いで頑張っている姿がとても素敵で。私自身が彼女たちの話を聞いて、自分の生き方や故郷との関係についてすごく学ばせてもらいましたし、仕事と生活の両面を含めた「地方での女性の生き方」を知りたいと感じている人は、私だけじゃなくきっとほかにもいるはずだと思いました。このことがきっかけとなって「茨女」の情報発信をFacebookページで始め、その後Webサイトやフリーペーパーへと展開していくようになりました。

 

東京で暮らしながら、茨城に関わるスタイルを確立

「茨女」のFacebookページやWebサイトを立ち上げたり、「地方ではまだ紙媒体のほうが年代を問わずリーチしやすい」とフリーペーパーを作ったりと、活動を広げていく中で取材やデザインなどでサポートをしてくれる人も増え、NHKなどメディアにも取り上げられるようになっていきました。

そして、私自身ももっと茨城の実家に関わったり、「茨女」の活動にも柔軟に取り組めるようにするため、2014年からフリーランスとして独立する選択をしました。私の今の仕事内容であれば、PCさえ持ち歩けばどこでも仕事ができますし、茨城と東京であれば距離的にもそれほど遠くはないので、月の3分の1くらいは茨城に滞在して家族と過ごしたり、茨城県内でのイベントや「茨女」の編集会議に参加したりしています。

iba_web ▲「茨女」Webサイト。多くの茨女を紹介している

夫も都内で会社勤めをしているため、今茨城に移住するというのは現実的に難しいのもあります。それに、私自身もやはり東京で得られる情報や刺激が好きな部分もあるので、東京と茨城を自由に行き来できる今の状態がとてもありがたく感じています。近い将来子どももほしいと考えてはいますが、その時はまたどういう形がいいのか、周りの人も納得がいくようにしながら「その時にしたいこと」を考えていくのがいいのかなと思っています。故郷との関係について本当にいろいろ迷いましたが、結局プライベートのことはあまり先を考えすぎないようになった感じですね(笑)。

 

茨城在住のレポーターと、東京に暮らす自分とのチームだからできること

「茨女」のレポーターとして活動してくれている人は現在22名ほどいますが、そのほとんどが茨城県内在住です。地元のリアルタイムな情報、次に話を聞いてみたい取材対象の人などの情報は彼女たちの力による部分が大きいですね。私は逆に、都内で仕事をしているからこそ得られる情報を集めてきます。

たとえば、都内では大小さまざまな規模とテーマで日々イベントが行われていますが、それに参加しながらイベントそのものの工夫やマーケティングなど裏側の仕組みも含めてチェックしてきたり。都内には最先端の技術や情報が集まりますし、それらを駆使して活動されている方もたくさんおられます。私がそういったものに積極的に触れることで、それを「茨女」の活動を通じて茨城に還元できる部分もあると思うので、その意味でも東京に暮らして茨城の活動に関わるメリットは大きいと感じます。

 

「茨女」読者や「茨女」に興味を持ってくれる人たちと接点を増やしていきたい

この秋には「茨女」のWebサイトをリニューアルし、まずはInstagramを利用したフォトコンテストを開催したいと考えています。参加型のコンテンツを作ることで、サイトを見てくれる人たちをさらに巻き込んでいきたいですし、Instagramでフォトコンテスト用のタグを目にした人たちが「茨女」の活動を知ってくれるきっかけにもなればいいなと思います。

何より、「茨城のいいところ」というテーマでたくさんの写真が集まったら、それだけでとても素敵ですよね! 茨城県内にはひたち海浜公園や袋田の滝など、いい写真が撮れるスポットがたくさんあります。茨城の魅力をみんなの力で再発見して、さらにコンテストの写真がメディアにも注目されて茨城県や「茨女」の活動が注目をあつめたり、茨城県から有名インスタグラマーが誕生したり…そんな風に、みんなの力を借りてミラクルを起こしたいです(笑)。

また、最近は「茨女」の制作をサポートしてくれる人たちも増えて、だんだんと私が直接手をかけなければならない部分がなくなってきているので、その分イベントに積極的に取り組んでいきたいです。パーティや女子会など、PRとともに読者と作り手が交流できる機会を増やして、読者のリアルな声を聞いたり、直接的に縁を繋いでいったり。今年の9月にはフリーペーパーのvol.4が発行されるので、そのタイミングでいろいろ仕掛けていきたいですね。

 

東京からみることで改めて気づいた、茨城県の魅力

こうして今、改めて東京から茨城を見て感じるのは、茨城には海も山も川もあって自然が豊かですし、農作物や海の幸もとても美味しい、とにかく環境が素晴らしい県だなと。父方の祖父が住む高萩の方にはジブリに出てきそうな場所がたくさんあって、ジブリ好きの私の夫は東京生まれ・東京育ちなのですが、その景色や動物たちの鳴き声が新鮮みたいで、高萩へ行くたびに楽しんでいます(笑)。

また、取材を通じて茨城県民の県民性も見えてきました。茨城県民は穏やかで温か、そして勤勉な人が多い印象です。東京に比べると刺激がないとも言えますが、その分穏やかな時間の中で、仕事なりプライベートなり、自分が大切にしたい何かに集中して取り組んでいる人が多いですね。

私の知る限りですが、終電のような遅い時間まで働く人は聞いたことがなくて、遅くても20〜21時くらいまで。都内であれば、むしろそのくらいの時間まで働いていることが一般的なくらいですよね。飲み会が始まる時間も、終わる時間もそれぞれ東京より1時間ずつ早いような感じです。それは、あくまで茨城と東京での生活スタイルの違いであって、どちらが良い悪いということではないんですよね。それぞれに良さがあって、私はその両方が楽しめる今のデュアルライフ(2地域居住)がちょうどいいなと感じます。

 

知ること、触れてみることで、茨城にどう関わりたいかが見えてくるはず

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私がこういうデュアルライフを決断したのは、「茨女」で取材したある人の言葉がきっかけです。「どこにいるかではなくて、誰と何をするかがすごく大事」と語った彼女の言葉がとても印象的で、自分に当てはめて考えたときに、私は家族や身近な存在を幸せにしたいなと思いました。それが私なりに実現できるのが、今のデュアルライフだったんです。

今、茨城にUターンやIターンを考えている人がいれば、あまり不安にはとらわれず、住みたいと思ったところへ行く方がいいと思います。茨城に関するセミナーもいろいろ開催されていますから、そういったものから茨城を知るのも有効です。まずは茨城のことを知る、そして週末だけ茨城に行ってみる、帰省のタイミングを増やす、など接点を増やして「今」の茨城に触れてほしいです。

 

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取材先

「茨女(いばじょ)」代表・川井 真裕美さん

茨城県水戸市出身、1986年10月1日生まれ。フリーグラフィックデザイナー/イラストレーター/「茨女」代表。

多摩美術大学情報デザイン学科卒業後、デザイン制作会社のDTPデザイナーとして勤務。その後、IT企業のインハウスデザイナーへ転職。2013年11月茨女(いばじょ)の活動を開始。2014年に独立。

・茨女 
http://www.ibajyo.com/

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木村知子

木村 知子愛知県出身。雑誌編集・ライター業やWebディレクション業を経てフリーランスに。NPO法人農音代表・田中の移住を当初は生暖かく見守っていたが、愛媛県松山市・中島産みかんの「幸せになれる味」や中島の人々の人柄に惚れ込み、農音に参画。広報宣伝部長・アートディレクターという肩書きながら、基本的には飛んできた来た球を打ち返す地味な係。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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