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2017年5月7日 Furusato

素潜りのために移住!大山町で見つけた「やりたいこと」

鳥取県大山町(だいせんちょう)に住む中村隆行さんは埼玉県出身。地元の高校を卒業後に数多くの業種を経験して、26歳の時に鳥取県に移住しました。現在は自然豊かな大山で素潜り漁を中心に漁業を営んでいます。また、中村さんは大山町のIJU(いじゅう)ターン者を中心とした若手起業家による任意団体「築き会」のメンバーとして地域と人をつなぐ活動も積極的に行っています。移住し漁師を始めたエピソードや「築き会」の活動、そして鳥取県の魅力について中村さんにお話を伺いました。

多くの人との出会いが移住生活の自信につながる

「埼玉の高校を卒業し、その後は飲食業界で働いていました。小さい頃から、飲食業をしたいなって思っていたので。」

中村さんは、高校卒業後の約4年間、東京で飲食業や接客業をして働き、そして22歳の時に伊豆・熱海の旅館で働き始めました。

「高校を卒業した時のようにもう一回、知らない世界を経験したくて。変わっているんでしょうね(笑)。勤めたのは1年間でしたが、旅館で布団敷きや掃除の仕事をしていました。」

旅館の仕事を辞めた後も“知らない世界を見たい”との強い思いから、サービス業や農業など約30種類もの業種を経験したそうです。そしてその働いたお金で全国各地へ自転車旅行に行ったり、大学の社会人入試を受験したり、興味のあった環境問題を勉強しにフィリピンに行ったり。中村さんの好奇心と行動力には驚かされるばかりです。

「この時に私が出会った多くの人達や、経験した苦労が今の移住生活の自信につながっていると思います。」

当時を振り返る中村さん

 

「とっとり田舎暮らし体験事業」をきっかけに移住へ

そんなある日、電車の中で転職雑誌を見ていた中村さんに運命的な出来事が起こります。
「1年間鳥取で素潜り漁師をして田舎暮らし体験ができる『とっとり田舎暮らし体験事業』の募集をたまたま見つけました。これだ!と思いましたね。」さらに当時の心境をこう語ります。

「心のどこかで旅館で働いていた時の海の景色の美しさを忘れられなかったのだと思います。この“漁師”という仕事をずっと探していたような気がしました。」

海を見つめる中村さん

急遽電車を降り、すぐに公衆電話から応募の電話をしたと言います。

「一週間後面接に来てくれますか?とお返事を頂いて。当時26歳でお金も無く、『青春18きっぷ』を買い普通電車を乗り継いで、2日間かけて鳥取に向かいました。現地に着いたのは朝5時。疲労困憊で駅で寝てしまって、人の視線で目が覚めました。ここに来て最初に経験した忘れられない出来事です(笑)」

 

漁の厳しい現場に挫折を経験する日々

その後に無事採用されて素潜り漁師の後継者となった中村さん。厳しい修行を経て、県の漁業担い手育成研修を3年間受け独立し、晴れて素潜り漁師となりました。順風満帆の移住のように見えますが、知らない土地で全くの異業種への転職そして移住に不安はなかったのでしょうか。

「一人暮らしは慣れていましたが、いざ自分の知らない土地で全くの異業種の漁師を志すとなると、実はとても不安でした。知り合いからなんで鳥取なの?と聞かれてもはっきりと答えられませんでしたし。」

漁師という職業の厳しさを語る

そして実際に漁師となった中村さんに襲い掛かったのは、素潜り漁の厳しい現場でした。

「素潜り自体には自信があったのですが、実際に漁に出ると先輩との実力の差が歴然としていました。はっきり言って全くついていけなかったです。しかも当時はシュノーケルがうまく使えなくて、海水をばんばん飲んでしまったり、ウェットスーツの中に海水が入ってきたり。3ヶ月経った頃に思いっきり泣きました。埼玉に帰ろう、絶対無理だって何百回何千回も思い挫折を経験しました。」

悔しさを思い出す中村さん。しかし、そこで終わることはありませんでした。

「でも時には泣いてみるものですね。泣くと自分の悪いところが自然と見えてきました。ある日漁で収穫がなく、もう辞めよう、帰郷しよう…と心に決め海から上がろうと思ったら、見たこともない数のサザエの群れを見つけて、先輩以上に獲れてしまいました。嬉しかったですね。自信にもつながりましたし、自然って平等にできているんだなあって私なりに都合よく解釈しました(笑)。」

移住のきっかけとなった大山町の海
▲移住のきっかけとなった大山町の海

漁師としての苦労は数え切れないほどのようですが、それ以外にも生活の中で驚くことが多かったそうです。標準語と方言では互いの言いたいことを理解できなかったり、慣れない農道で車の運転トラブルが起き立往生してしまったり。しかし、同時に地域の人の優しさに触れながら、知らなかったことをたくさん経験した貴重な時間になったそうです。当時“よそ者”の中村さんに対して厳しくも親身になって教えてくれる漁師の先輩方や町の人達の協力は大きかった、といいます。

「駅で寝るような変わり者の私を採用してくれて、町の人は温かく迎え入れてくれて、とても感謝しています!」

 

大事なことは積極的なコミュニケーションと田舎を楽しむこと

「思ったことや感じたことを自分の中に溜め込まずに、すぐに地域の人たちに相談することは移住者にとって重要だと思います。みんなに『中村は気持ちにストレートだ』って言われますから(笑)。私がそんな性格ですから地域の人とコミュニケーションが取れたのだと思います。他人よりも近い存在だったのでしょうね。」

お世話になった人と仲良くなって、田舎の良さを楽しむことが、移住生活をスムーズにする秘訣だと中村さんは語ります。移住者には、その土地のしきたりなどを体得しながら、地域の人たちと積極的に関わって行くことが求められるのかもしれません。

現在ではプロの素潜り漁師として忙しい日々を送る中村さん。今後は、水深30メートルでも悠々自適に潜れるように稽古を重ねて、海底の様子などを伝えていく活動も視野に入れているそうです。

「18歳まで埼玉で海を見たことがなかったのに、今は鳥取で漁師をしているなんて不思議ですよね。」

そう話す中村さんの表情は、数々の経験により自信に満ち溢れていました。

 

異業種のメンバーが力を合わせて活動する「築き会」が地域を活性化

中村さんの素潜りは主に午前中。午後は大山町のIJUターン者を中心とした若手起業家による任意団体「築き会」のメンバーとして、そして移住交流のサテライトセンターの責任者としてコミュニティー・スペース「まぶや」で働いています。2013年から活動する「築き会」は、古民家の再生・保存、移住定住の促進、地域資源の活用と地域活性化を図ることを目指し、様々な展開をしています。

築き会

メンバーには、宮大工、漁師、理学療法士、農業経営者、ダンス講師、シンガーソングライター、アーティスト、デザイナー、カフェオーナー、地域おこし協力隊と、さまざまな職種から頼もしい仲間が集っているのが特徴です。

「現在、ワカメの天日干しの商品を製造・販売する『株式会社漁師中村』を経営しているのですが、設立当時は同じく起業を志すもの同士が集まって事業を始めるにあたりわからないことを話し合っていました。定例会議を重ねるうちに、地域の課題についても話すようになって。」

そんな時、中村さんたちをサポートしてくれていた行政の方が「“会”を起こして異業種交流の場を作ってみては?」とアドバイスしたのがきっかけで「築き会」を設立。宮大工の北村さんが代表を務め空き家の保持を担当を、移住者の中村さんは移住交流を担当することになりました。中村さんと北村さんが二人三脚で始めた「築き会」は、今では40人ほどのメンバーが活動する規模にまでに成長しています。

異業種のメンバーによる「築き会」の活動は、食に関するイベントの企画運営から子育て支援活動、婚活イベントまで多岐に渡ります。毎月一回、大山町の旧保育所で開催される「冒険遊び場きち基地」もその活動の一つ。「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに、季節の遊びや火おこし、木工遊びなど普段できない遊びにも挑戦できる場作りをしています。子どもからお年寄りまで世代や性別、立場を問わず「遊び」を中心にみんなが繋がれる場を目指しているそうです。

 

「やりたいこと」ができる『まぶや』のカタチ

「築き会」が運営するコミュニティー・スペース「まぶや」は、昭和3年に大山町上市(旧中山町)に建てられ代々医院を開業していた馬淵邸を改装して生まれました。ひとりひとりの『やりたい』をカタチにする場所、「地域」と「ひと」をつなぐ活動拠点として多くの人に親しまれています。

まぶや

その「まぶや」誕生のきっかけは、2012年秋頃に、ある女性アーティストから「アート・イン・レジデンス」のプロジェクトの主催を持ちかけられたことでした。「アート・イン・レジデンス」とはアーティストが一定期間地域に滞在して、地域の中で創作活動をするプログラムのこと。

「大山町で何かをしたい!たのしいことしたい!」とそれぞれに思っていた「築き会」のメンバーたちは、「アート・イン・レジデンス」の開催に乗り気だったそうですが、実際にアーティストが滞在・制作できる場所がありませんでした。そこで、代表の北村さん(宮大工)が思いついたのが“馬淵邸”だったのです。20年ほど空き家だったため、北村さんは「あの家を後世に残したい」と数年前から、馬淵さんご本人にコンタクトをとっていたそう。そのアイディアと大山町の行政のバックアップも後押しとなり、交渉の末、「築き会」の熱意と未来への想いを理解いただき、馬淵邸を大山町へ寄付していただいたそうです。そして改修工事を施してコミュニティー・スペース「まぶや」として生まれ変わり2014年秋にオープンしました。現在は、イベントや展示スペース、アーティストのレジデンススペースとして貸し出され多くの人に利用されています。また、敷地内にあるカフェスペース「まぶカフェ」は、憩いの場として親しまれています。

まぶカフェ

「2014年4月からは、まちづくり組織『やらいや逢坂』が運営に加わって、『まぶや』の土台はより厚みをまし、さらに地域と密着した活動拠点になっています。メンバーのやりたいことが合わさって、『まぶや』のカタチが徐々に作られてきていますね。」

目を輝かせて話す中村さんが印象的でした。また、「まぶや」から派生して2015年に完成したのが、田舎暮らし入門のシェアハウス「のまど間」です。「のまど間」は大山町の地域おこし協力隊が中心となって作ったものです。

移住のきっかけとなった大山町の海
▲「のまど間」で食事を囲み交流

「『のまど間』は大山町の暮らしを体験したい単身者が一定期間滞在できるシェアハウスです。土間のキッチンに薪ストーブ、離れにはコワーキングスペースも完備されていますので、仕事場や交流の場として気軽に利用できますよ。」築き会は「のまど間」を作るにあたってのサポートだけでなく、地域おこし協力隊のサポート業務なども積極的に行っています。

 

自然いっぱいの鳥取で、思う存分遊んで体験してほしい!

素潜り漁師として、「築き会」のメンバーとして日々奮闘する中村さんですが、休日はどのように過ごされているのでしょうか。
「定休日は無いですが、自分でスケジュールを組み立てられるので、仕事の合間の数時間を有効活用しています。もちろん仕事のストレスもありません!」中村さんは仕事も休日も充実した毎日を送っているようです。

「どこを見渡しても自然がいっぱいですので、仕事の合間や休みの日に愛犬を散歩させたり、運動をしたり、大好きな温泉に入りに行ったりしてリフレッシュしています。」

美しい景色が広がる大山町
▲美しい景色が広がる大山町

最後に鳥取県の魅力について中村さんに伺いました。

「鳥取県は気軽に海と山の自然を楽しむことができる素晴らしい所です。例えば1年間のうち東京で8ヶ月間一生懸命がんばって、残りの4ヶ月は鳥取に来る。そうしたらリフレッシュできて、また次の8ヶ月間がんばるための活力を十分に得られると思います。のんびりとしていてとても癒される場所ですからね。仕事も、自分から積極的に行動すればどんどん稼ぐことができるフィールドがありますし、オンリーワンになって活躍することができると思います。」

自分のやりたいことと向き合い、活動してきた中村さんだからこそ伝えられる鳥取の魅力なのかもしれません。

「移住で大事なのは物事に対して前のめりになれるかどうかではないでしょうか。何事も待っているだけではダメですね!まずは鳥取県に来ていただいて、思う存分遊んで体験して欲しいです。また、都会の人にしか分からない鳥取の良さもたくさんあると思います。是非、鳥取県にお越しください!」

まぶやの中村さん

取材先

「株式会社 漁師中村」/コミュニティー・スペース「まぶや」/ 中村 隆行(なかむらたかゆき)

1974年埼玉県生まれ。地元の高校を卒業後、飲食・接客業等を経験し26歳の時に「とっとり田舎暮らし体験事業」をきっかけに鳥取県大山町に移住。素潜り漁の漁師として活動する一方で、大山町のIJUターン者を中心に活動する若手起業家による任意団体「築き会」のメンバーとして活動。移住交流のサテライトセンターの責任者としてコミュニティー・スペース「まぶや」をオープンさせた。

株式会社漁師中村
http://www.ryoshinakamura.com

コミュニティー・スペースまぶや
http://mabuya.weebly.com

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