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2015年3月27日 山本佳典

津島を歩く!長屋を巡る!「空村」ツアーで見えたローカルシフトの鍵

愛知県津島市の一隅で、築80年の共同住宅(長屋)群を新たなコミュニティとして再生させる「空村(そらむら)プロジェクト」が昨秋から動き出しました。2015(平成27)年2月28日〜3月1日には、東京をはじめ各地からの参加者が「空村」を訪れる「空村ツアー」が実施されました。参加者の数はなんと75人!ほとんどの人にとって、空村は初めてです。そんな大注目のツアーを通して得られた気づきを、参加者の視点からまとめてみました。

関東と地元から半々

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今回のツアー参加者は、東京を中心に関東圏からの方と、津島市や名古屋市、愛知県内、岐阜県、三重県など地元近隣の方がほぼ半々。ツアーの集合場所は津島市民の憩いの場所、天王川公園です。関東組は東京からバスをチャーターしてやってくるとのこと。私は(関東から参加ですが、訳あって)現地組として参加していたので、フェイスブックでアップされる東京組の動きを気にかけつつ、津島駅から町を巡りながら集合場所へ向かいました。

津島の町と天王川

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集合までのあいだに、津島市のプロフィールを簡単にご紹介します。

愛知県西部に位置する津島市は、2015(平成27)年現在の人口が約6.3万人。町の歴史はとても古く、その中心にある津島神社は創建が西暦540年、全国3000社の総社として知られています。

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市内には木曽川系の日光川が流れています。明治時代までは「天王川」という河川が「津島神社」のすぐそばを流れていました。土砂が堆積して流れが堰き止められて姿を消しまったのですが、この天王川は津島を語る上で外せません。

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天王川の名残は現在、津島市民の憩いの場である「天王川公園」の池となって残っています。鎌倉時代以来、尾張と伊勢を結ぶ重要な水路として活用され、津島はその港町として栄えたのでした。戦国時代には織田信長が津島を拠点に天下布武を成し遂げたことで知られます。

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ここが「空村ツアー」の集合場所「天王川公園」です。のんびりと園内を歩きながら、東京からのバスの到着を待ちましょう。
園内には、後述する地場産業の創始者の銅像が立っています。

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見学ツアー、毛織物工場

さて、午後2時ごろ、公園に一台の大型バスが入ってきました。
バスが駐車場に停まり、参加者が次々に降りてきます。そして、それまで何気なくまばらにうろついていた現地組の参加者もバスの周りに集まりました。気がつけば50人以上の人山。津島市のゆるキャラ「つし丸」も来てくれました。

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静かな公園に突如群れなした私たちでしたが、とにかく合流完了。主催者の「芸術家の村」代表、柚木理雄さん(集合写真の後列「つし丸」から右2番目)があいさつをして、ツアーはさっそく動き出しました。手際よく集合写真を撮ってから、まずは小グループに分かれて見学ツアーです。

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見学ツアーの目的は、まず津島という土地を知ることにありました。「空村」そのものを早く知りたいのは山々ですが、まずはその周りから!とても大切なことです。
コースはユニークなものばかり。坐禅コース、農業コース、和太鼓コース、毛織物コース、などなど。どれも気になりますよね。ツアー参加者はあらかじめ希望コースを申告していたので、それぞれ希望のグループに分かれて行動開始です。

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私が選んだのは毛織物コースでした。ところで、さっき天王川公園で見た銅像は、毛織物産業を津島に興した片岡春吉という人物です。明治時代の日本は殖産興業の一環として毛織物産業に力を注ぎました。その中で、片岡春吉氏は「縞セル地(着物地)」の製造技術を導入して津島を日本屈指の毛織物の産地にまで成長させたことから「毛織物の父」と呼ばれています。
そんな津島ですから、毛織物コースにはまこと興味津々でした。

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見学させていただいたのは「津島毛織工業協同組合」に加盟する有限会社SKデザインの工場です。工場好きにはたまらない現場です。なかなか言葉で説明するのも難しいので、工場内の様子を写真でご覧ください。

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専門的な技術なので、一度ではなかなかその仕組みを理解できません。それでも分かったことがあります。とても大きな機械にもかかわらず、目に見えないほど細い糸を一本ずつ組み合わせていくという緻密な作業が行われているということ。縦糸と横糸を組み合わせて全ての織物ができるわけですが、パターンを組み入れ、正確かつ迅速に織りなす作業を、人間の感覚と機械の能力を最大限に生かしながら進めていくという、まさに職人の世界!その技術の高さに感動しました。

SKデザインの皆様、どうもありがとうございました!

ほかのコースの様子も気になりますね。ちょっとだけ写真で振り返ります。

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「空村」時間旅行

さあ、いよいよ「空村」に向かいます。

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「空村」への入り口は、津島らしい、レトロな街並みの片隅にあります。
何気ない路地から「空村」へ、時間旅行の始まりです。

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今から80年ほど前、津島の町が毛織物産業で栄えていたころ、この長屋群が生まれました。現在の所有者である水谷孝三さんのおじいさんが建てたそうです。毛織物工場で働く職工さんのために、17戸の長屋と、共同で使用する炊事場と、そしてみんなが集うための講堂を建てました。

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たんなる集合住宅ではなく共同スペースを作ることで、コミュニティとして、助け合いながら暮らしていく生活空間をデザインしたのです。決して生活水準が高くなかった工場員も、互いに助け合い、学びあいながら、いつかはそこから巣立っていってほしいという思いのもとに建てられた長屋なのです。
こうして訪れるだけでは知り得ない様々なストーリーが、この長屋の一軒ずつにあったのだろうと思います。でも、そういったことは、当たり前ですが、ほとんどが時間のなかに消えてしまいます。

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やがて時代は移りました。日本の主要産業が軽工業から重工業に移っていき、津島市の毛織物産業も規模を縮小していきました。
この長屋も今から20年ほど前から、空き部屋が増え、今では2戸を残して住人がいなくなってしまいました。
津島だけでなく、日本全土で空き家は増えています。総務省の調査によると、合計820万戸の空き家が存在するとのことです。

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そんな状況のなかで、所有者の水谷さんと「芸術家の村」の柚木さんが出会いました。そして、偶然というか、時勢の必然というか、柚木さんは一方で空き家を探している石渡のりおさん、ちふみさんのご夫妻と出会っていたのです。さらに、そこに木造建築を専門とする鳥羽真さん、名古屋の建築士米澤隆さんが加わって、「空村プロジェクト」は動き出したのです。2014(平成26)年の秋のことです。

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「空村」の名前はいたってシンプルです。「空」には、2つの意味が込められています。一つは、柚木さんたちが初めてここを訪れたとき、長屋の棟と棟のあいだから青空が見えたこと、そしてもう一つが、「空(から)」になった場所をもう一度人が集まる「村」にしたいという意味です。「村」というのは、柚木さんが描いたコミュニティの最適単位と言えるのかもしれません。これまで日本と世界の各地を見てきた柚木さんですが、これからの日本で新しいコミュニティ作りの基礎として立ち返る空間のサイズなのでしょう。

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さて、実際に「空村」に移住するには、もちろんこのままの状態では住めません。リノベーションが必要なわけですが、そこで米澤さんが考え出したのが、入居者がたとえ専門知識をもっていなくても、主体的にリノベーションの設計に参加できるように、過去の事例を分析して設計の手法を一つ一つのパターンとして作成することでした。つまり、入居者は自分のライフスタイルに応じて、予め用意されたリノベーションのパターンのいくつかを組み合わせることで、素人でも自分だけのオリジナルの空間が設計でき、それに基づいて自分で内装をつくり変えていくことができる工程がデザインされているということです。

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実際に今年4月から入居を開始する石渡さん夫妻の部屋の中。畳の部屋の床を張り替えるなど、リノベーションの真っ最中でした。不思議なもので、人間が出入りしていくと、他の長屋と同じだけ時間の経ったこの長屋が、どこか生き返ったように、本来持つ居住空間としての息吹を取り戻したような、ほのかな温かみが感じられました。ああ、人間が住むことで、長屋も喜んでいるんだなと思いました。

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空村ツアーの時にはまだ入居前でしたが、この記事がウェブ上に登場する頃には、もう石渡さん夫妻の空村生活が始まっていることでしょう。ぜひ、人間の暮らしによって変わっていく空き家の姿を確かめに戻ってきたいと思いました。

懇親会の盛り上がり

空村見学のあと、ツアーの一行は宿泊先に移動するなどして、夜7時から名古屋市のレストランで懇親会を行いました。

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懇親会の冒頭、柚木さんが「空村プロジェクト」の紹介を行いました。そのなかで印象に残ったのは、柚木さん自身のご実家がかつて手がけていた工場が、今では荒廃してしまっているということでした。
一旦荒廃してしまった不動産というのは、資産として価値を回復させるにも、取り壊して更地にするにも、大きな費用がかかります。その負担を背負うことが困難なため、固定資産税だけを支払い続けている空き家が日本全国で増加の一途にあります。この「空村プロジェクト」を動かしている柚木さん自身が、そうした問題に直面しているということは、とても大切な事だと思いました。そこにこそ、目に見えない「空村」の求心力があるのだ、と。

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懇親会は活気に溢れていました。
テーブルごとに小グループに分かれて、津島と「空村」を盛り上げるために必要なことを皆で考えました。それぞれ異なる立場で抱く思いを共有するよい場になったと思います。

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このツアーを実施しようと考えついた当初「参加者がこれほど多くなるとは想像していなかった」と柚木さんは語っていました。とくに驚いたのが、地元の津島市や愛知県内、近隣県から参加する人が半数もいたという事実だったといいます。つまり、東京にいて地方への移住を考える人が増えつつある一方、地方でも自分たちのコミュニティが抱える空き家問題をどうにかしたい、自分たちの町にもう一度息吹を取り戻したいと思っている人がとても多いということが分かったのです。
ローカルシフトという移住や2拠点活動の動きを捉える上でも、空き家に対する地元の問題意識というのは大きな鍵になると思いました。

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「空村」見学に同行された長屋の所有者の水谷さんは、柚木さんたちの「空村プロジェクト」を一任して見守るなかで、こんな思いも語っていました。
「凝り固まった常識では、何も変えられない。日本人離れした感覚でないと不可能です。でも、「空村」にはそれがある。何かを実現出来ると感じています。」
たしかに、築80年以上の長屋群を蘇らせることは、そう簡単ではありません。ここで行われていることは、先進的で、実験的な取り組みであり、乗り越えなければならない課題はこれから見えてくるでしょう。
その上で、ここに集まった人の多さが何かを物語っている、訴えていることは動かしようのない事実。不可能を可能にするためのパワーが、「空村」ツアーを通して目の前に現れたと考えていいと思います。
政治や経済以上に、こうしたパワーが、これからの日本を突き動かしていくのではないかと感じられた夜でした。

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雨降りの「空村」も

翌日は静かに雨が降りました。ツアー参加者は再び「空村」に集まり、長屋や講堂の中を見学して回りました。建物のなかに雨漏りする箇所のないことが、この偶然の雨で証明されました。

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お昼頃、現地組と東京組は「空村」で解散。東京組はバスが停まっている津島神社の駐車場に移動しました。上の写真は4月から入居する石渡のりおさん。最後まで新居の後片付けに残っていました。
あっという間の二日間。可能性を大いに感じた「空村ツアー」が幕を閉じました。
東京組のバスは帰路で馬籠に寄って、古くからの宿場町の情緒を楽しんで帰ったそうです。

「また帰ってこよう…」と思いつつ、津島の町をあとにしたのでした。

山本佳典
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私が紹介しました

山本佳典

山本佳典文筆家。広島県生まれ。2003年、上智大学外国語学部を中退し、1年間の米国滞在を経て渡英。キングストン大学で映画・芸術史を専攻しながら、芸術、哲学など多分野にわたって知識を深める。大学卒業後に帰国。日本国内で職を転々としつつ、文筆家として活動を開始。国内外で幅広く取材・執筆し、小説執筆など創作活動も行う。現在は成田市に拠点を構え、日本の近世から現代までの歴史的変遷を取材中。お酒、料理、本、音楽、能楽、旅などを好む。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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