記事検索
HOME > ライフスタイル > コミュニティ >
2015年8月11日 山下亜希子

人を魅了する三好市の”マチ”と”ソラ”

四国の徳島県西部に広がる三好市は、2006年に6町村が合併して生まれました。

場所は、ちょうど四国の中心部あたり。総面積は721.42㎢と四国の市町村のなかでは一番大きな面積を誇る三好市には、切り立った山と谷が続く大歩危・祖谷地区と、大型スーパーがあり人口が集中している阿波池田地区といった、山間部と市街地が隣り合わせにあります。

大歩危・祖谷地区は、平家の落人が隠れ住んだ地として知られ、とくに東祖谷地区には平家にまつわる多くの伝承が残されています。大歩危・祖谷地区以外にも、昔から山の上に集落が点在しており、その一帯は「ソラ」と呼ばれていました。一方、「刻みたばこ」で栄えた阿波池田地区は「マチ」と呼ばれ、今も市の中心部として栄えています。

大きな面積のわりに人口はおよそ3万人と人口密度が極端に低いのは、高齢化により山間部に限界集落が増えたことも理由の一つ。しかし一方で、天空の世界のような場所に建つ昔ながらの日本家屋で暮らすことに魅了され移住をした若者もいます。

平家が落ち延びた「ソラ」の秘境

098A1825

大歩危・祖谷地区のなかでも一番奥まった場所にある東祖谷地区には、平家にまつわる数々の伝承が残っています。平国盛が幼い安徳天皇を連れてここに潜伏し土着したという話も。

平国盛の直系子孫と言われる阿佐家には、「八幡大菩薩」と書かれた大小2旗の赤旗をはじめとした平家ゆかりの品が残され、そのレプリカは、「東祖谷歴史民俗資料館」で観ることができます。

098A1825

平家が追っ手から逃れて身を潜めることができたほど深い山々に囲まれた環境では、古くから集落が点在。急勾配な斜面では今もそばやこんにゃく芋が作られ、人々が毎日を丁寧に暮らしています。

その一つ「落合集落」は、標高1,000m近い山の斜面に江戸中期から昭和初期に建てられた民家や石垣が広がり、遠くから眺めるとまるで天空に浮かんでいるかのよう。日本の原風景を思わせるのどかな光景に魅了された欧米人は多く、東洋文化研究者のアレックス・カー氏がこの地で古民家を再生させたことがきっかけで欧米人をはじめ日本人からも注目を集めました。

2005年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。昔ながらの茅葺き屋根の家を再建した宿には、「のんびりと過ごしたい」と都市部から多くの人が訪れています。



吉野川がもたらした自然美

098A1825

大歩危・祖谷地区では渓谷美にも心癒やされます。上流付近はその清らかな水でアユの養殖が行われていますが、少し下ると吉野川の激流に削られてできた「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)」という変わった名前の渓谷があり、V字に切り立った谷が約8kmにわたり続いています。ボコボコと突き出した奇石が連なる様子は、まさに自然の芸術。2014年に国指定の天然記念物になりました。

その渓谷を眺める川下りや吉野川の激流を下るラフティングは日本屈指といわれ、夏になると川のあちこちでラフティングツアー会社のボートが吉野川の激流を下っています。



うだつが上がる「マチ」

098A1825

一方、「マチ」の阿波池田地区は、幕末から明治にかけて葉たばこを刻んで作る「刻みたばこ」の生産で栄えた町。

ほとんどの家が、幕末〜明治時代にかけて刻みたばこの生産と販売を営んでいたそうで、全盛期には約100軒の民営たばこ工場がありました。たばこ商人が多く暮らした地域には、漆喰塗や土壁、瓦屋根、そして「うだつ」と呼ばれる袖壁がせり出した家々が並ぶ町並みが続いています。

この「うだつ」が上がる家は、「うだつが上がる」の語源にもなったとおり裕福な証とされていました。ずらりと並ぶ「うだつ」の一つひとつを眺めると、家ごとに違う装飾瓦を掲げており、なかなかの見ごたえです。

新と旧が共存するには

098A1825

しかし、築100年を超える家々が並ぶ「うだつの町並み」は、空き家が増えるばかり。

一方で、この古い町並みの良さを生かした地域活性の動きも起こりはじめています。

地域おこし協力隊はじめ若者が主体となって定期的に「うだつマルシェ」を開催。また、空き家をリノベーションした「スペースきせる」も誕生し、カフェをオープンしたりイベントを企画したりと、地域の人たちが集えるような場づくりがなされています。

098A1825

これに似た動きは、「マチ」と「ソラ」のあらゆる場所で起こっています。

例えば、市内の各所で行われる「青空ごはん会」は地域の老若男女が一品持ち寄り、青空の下、みんなで朝ご飯を食べるという催し。

移住者が野菜やハムが入ったオムレツを、地域の若者が収穫したてのスイカを、近所のおばさんが郷土に伝わるお総菜を。それぞれが持ち寄ったおかずが並んだテーブルを見るだけでその土地や集う人々の特色が見えて、とても楽しい気分になります。

広大で人口密度が低い土地での暮らしは人間関係の希薄さが心配ですが、三好市はそれを逆手にとって、「いろんな場所でいろんな人が集まる」動きがあり人と人が繋がる環境ができつつあり、それが多くの人を魅了させているのかもしれません。今日も「マチ」と「ソラ」で、地域の人々の様々な活動が展開されています。

山下亜希子
記事一覧へ
私が紹介しました

山下亜希子

山下亜希子香川県高松市在住。広告営業から転身して旅情報誌の制作に携わり、以来、四国をあっちこっち。現在はおもに瀬戸内の島を旅したり、移住者にインタビューしたりの日々。著書に、『瀬戸の島あるき』『瀬戸の島旅〜岡山・香川を島はしご』(共著・西日本出版社)など。雑誌『せとうち暮らし』で島の移住体験記を連載中。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む