島民の意識を変え、島に未来をもたらすーおぢかアイランドツーリズム

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長崎県の西、五島列島の北部にある小さな島。小値賀(おぢか)島。その昔遣唐使の中継地点として栄え、島には栄華の歴史を物語る名残があちらこちらに点在する。佐世保から船で2~3時間かかる小さな島にも関わらず、ここ近年移住者が増え定着率も高く、少子化のこの時代に出生率まで増え続けているという。この島の再興の立役者でもある「おぢかアイランドツーリズム」代表・高砂樹史さんにお話を伺った。

小値賀島の空気感に惹かれて

大阪出身の高砂さんが小値賀島に来たのは11年前。大学卒業後は劇団の仕事で全国を回っていたが、子どもが生まれたのをきっかけに、田舎暮らしがしたいと思い移住先を探していたのだという。島根県で自給農業の研修を夫婦で受けた後、九州の田舎を方々巡り、たどり着いたのが小値賀島だった。「着いて半日で決めた」という高砂さんがその後小値賀島にとって重要な人物となるのだから、高砂さん家族と小値賀島の間には運命のようなものがあったのかもしれない。

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小値賀島にはコンビニがない。だが商店街が残っている。住民は半農半漁の生活を送る人が多く、食料品に至っては物々交換が各家庭の食卓を支えている。「お肉くらいですね、外から買っているのは。」高砂さんに限らず、島の多くの人が口にしていた言葉だ。

野菜を作っている人は野菜を、魚釣りの得意な人は魚を。持っているものを他の人に差し出し、もらったものでさえ他の人に配る。そうしてみんなの食卓が豊かになっていくのだ。それも、ほとんどすべての品が、どこから来たものか説明が着く形で。この「古き良き日本が残っている」雰囲気に懐かしさを感じ、高砂さんは移住を決めた。

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平成の大合併に対峙したとき、住民が選んだ道

高砂さんが小値賀島に移住した頃、小値賀島は大きな岐路に立っていた。ちょうど平成の大合併の時で、佐世保市との合併が話し合われていたのだ。

そんな中、合併すれば自治も失われ、小値賀らしさも失われてしまうだろうと危惧した島民たちの後押しもあり、合併反対派の町長が当選。言わば住民投票で、合併にNOを突きつけた形だ。地方交付税に頼っていた自治体だから「合併するも地獄。しないも地獄だった。」移住当時を思い出し、高砂さんはこう続けた。「その状況の中で、なんとか自分たちで自立して行かなきゃいけない。そういう機運があったんです。」合併しないことを選んだものの、この直後は悲惨な状況だったという。「沈没しそうな船から人が逃げ出すように」島から転出する人が後を絶たなかったのだそう。毎年100~200人という人数が島から出て行ったというから、その当時の危機感は相当なものだったのだろう。

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この島を、この島のまま残すために

そこで生き残りの手段としてとったのが、観光だ。観光をひとつの手段として外貨を稼ぎ、島の経済を自立させていく。当時島の観光事業はほとんどなく、民宿や旅館は公共事業などで来島する人のためのもの。それすら廃業していく状況だった。元々行っていた春休みや夏休みにこどもキャンプを受け入れる事業から、平成18年には民泊を始め、平成19年にNPO法人おぢかアイランドツーリズム協会を設立、そして様々な地域で古民家再生やコンサルティング活動を行うアレックス・カー氏と共にボロボロだった古民家を改修し、古民家ステイ・レストラン事業を立ち上げた。

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L1020097_r▲古民家ステイ・一会庵

観光事業を行うにあたって心がけてきたこと、それは「この島を続けて行く」こと。持続可能な島の社会にするために、この島の環境を守りつつ、この島が存続できるための経済に貢献するという、一見相反するふたつの事柄を大切にし、高砂さん自身が魅了された「今ある島そのもの」の魅力を伝えていったのだ。「島の生活だったり、出会いだったり、自然だったり。古き良き日本が残されている、ということが貴重だと思うんです。それを味わってもらうための古民家だし、体験プログラムだし、民泊なんです。」

リゾート施設を誘致した訳でもなく、環境に負荷をかける開発をした訳でもない。ここにはチェーンの飲食店やコンビニだってないのだ。島に降りてみて「本当になにもない島なんだ」と初めは思うかもしれない。それでも過ごすうちに「この島には何かがある」と思わせるのは、人による力が大きいのではないだろうか。歩いていれば、小さな子どもでさえ「こんにちは」と挨拶をしてくれる。出会う人は皆、時間と労力を割くことを厭わず、島のことを教えてくれる。都会暮らしに慣れ、隣人とすら挨拶をしなくなってしまった身には、内省とともに心地よさを覚える。島の人との交流によって得た温かい手触りが、島を離れてもじんわりとそして確実に残り続けているのだ。

L1020418_r▲出港時、船を見送ってくれた民泊「きよすみ」の山田さんご夫妻とアイランドツーリズムのスタッフの方たち

重要なのは、未来が見えるかどうか

高砂さんが小値賀に来てから11年。様々な取り組みに従い島を訪れる人も増えた。その中で、島の住民の意識も変わって来ていると言う。「以前は、ベルリンの壁があったときの東ベルリンのような、見捨てられ感があった。」とその当時を振り返る。島の生活も人も自然もまるごとを好きな島民でさえ、TVにうつる都会の生活を垣間みては、壁のようなものを感じていたそう。だから、島に戻りたい子がいても親族そろって大反対していた。島に未来を感じられなかったのだ。

「それが観光客が来て、島の生活や自然、人のよさを体験してくれて、そしてこの島まるごとを好きになったと言ってくれる。それを聞いた島の人たちも、自分が好きだったこの価値感は自分たちだけが感じるものではなくて、もっと普遍的なものなんだと気付いたんです。」

自分たちの島には未来があると気付き、意識が変わって行ったことで、Uターンも歓迎されどんどん増えて行った。小値賀を好きになったIターンの人も増え、人口約2600人のうちこの10年程で移住したUターンとIターンの人数は300人超。人口の1割を超えているのだ。中でも20代後半~30代の移住者が多いため、一時は1桁だった出生数も増加。去年は20人の赤ちゃんが誕生したのだそう。高砂さんは大きな手振りで人口構成のグラフを宙に描き、若年層の人口が増えたことを表しながら笑顔で言った。「この部分が未来なんです。少子化がストップしたっていう奇跡みたいなことが。」

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これから日本のヒントになれば

どこか別の場所にある憧れの街に近づこう真似しようとして、日本中至る所に見覚えのある風景が増えてしまった中、この小値賀の取り組みは大きなヒントになるのではないだろうか。

平成の大合併と格闘していた当時の小値賀は、日本の状況を50年先取りしていたと、高砂さんは話す。「2050年、日本の人口は9000万ににまで減って、高齢化率も40%を超え、子どもも減り続ける。職を海外に求め日本を出て行く人も増えるでしょう。これがまさに10年前の小値賀町ですよ。」

日本自体の人口が減り、マーケットが縮小して行く中、海外から人を呼ぶために本当に必要なのは何か。「それは日本らしさだ」と、はっきりとした口調で教えてくれた。「小値賀が小値賀らしさを大切にしたように、それぞれの地域に残っている宝のような街並みや風景だったり、街並みを支えてきた生活スタイルだったり。そういったものをすべての地域が大切にしていくことです。アレックス・カーがよく言うことなのですが、世界遺産とか重要文化財というのは必要ないんです。今自分が存在している場所を大事にして行くことがアイデンティティになっていくんだろうと思います。」

L1020088R_r▲小値賀島の飾らない、ありのままの魅力を丁寧に紹介した冊子「小さな島で」

今まさに日本はターニングポイントに立っていると思う、と語る高砂さん。小さな島から世界を見る、高砂さんは今や小値賀にとってなくてはならない存在だ。おぢかアイランドツーリズムの活動が、島民の意識を変え、島に未来をもたらしたように、日本の各地域で「その地域らしさ」が残る多様性のある日本であり続けることで、子どもたちに未来が渡すことができたらと願う。

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清水美由紀

清水美由紀SHIMIZU-Miyuki

長野県松本市出身。カメラマン。

ひとりひとりの暮らしの内側にある、その人らしさを作る要素に興味があります。生活を感じる旅、暮らしのあれこれ、健やかな食&住が興味の対象。ローカルの暮らしや民芸の奥深さに出会うため、日本各地を巡っています。

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