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2015年12月3日 ココロココ編集部

「第2回 米子市についてもっと知ろう 移住セミナー&交流会」イベントレポート

2015年11月14日(土)、「新橋」駅から歩いてすぐの「とっとり・おかやま新橋館」を会場に、「第2回 米子市についてもっと知ろう 移住セミナー&交流会」が行われました。

2階のビストロカフェを貸し切り、前半は移住者による講演会、後半は地元産品を使った料理を食べながらの懇親会と、コンテンツが盛りだくさんです。

9月に行われた前回のイベント( https://cocolococo.jp/topics/yonagoevents_report )は大盛況のうちに幕を閉じましたが、今回はどのような方々が、どんな思いを持ち帰ったのでしょうか。

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雨がぽつぽつと降ったりやんだりする天気で、街にも人が少なかった土曜日の夕方。お客さんの足が遠のくのではという心配もありましたが、開場と同時に、続々と人が集まってきました。

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17時半の開始間際には席が埋まり、超満員。「人が来ないかも」なんていう心配は取り越し苦労だったようです。

前回はファミリーが多く見受けられましたが、今回は全体的に若い方々が多く、中には20歳前半の方も。米子市やその近郊出身で、移住を考えられている方と、友達に誘われて何となく来てみたという方が半々くらいでした。どの方も真剣に講演者の方のお話に耳を傾けていました。

米子市移住定住専任相談員 中上弘恵(ナカガミヒロエ)さん

最初のパネリストは、前回も登壇された中上弘恵さんです。中上さんは、米子市移住定住専任相談員をされています。言ってみれば、「米子移住のカウンセラー」のようなもの。2014年から現在まで、米子に移住を考えている人たちの不安や悩みに寄り添い続けています。

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はつらつとした中上さんですが、プライベートでは3人のお子さんを持つお母さん。今回のセミナーでは、「子育て」を1つの軸にして、米子の良さを語ってくれました。

移住にあたって気になることといえば、まずは「働き口」。しかも、子育てをしながら働くとなると、時間に融通が利くなど、色々な制約をクリアできるものでなくてはいけません。中上さんは、子どもがまだ小さかった頃は、土日は完全にお休みがもらえるパートタイムで働き、高校を卒業してからは、土日も含めてバリバリ働くようになったとのこと。「米子は田舎なようで都会的な部分もあるので、ライフスタイルに合った働き方を見つけることができますよ」と、多くの女性たちが希望を持てるような話をしてくださいました。

そのほか、米子の自然の素晴らしさについて語ってくれた中上さん。「都内に住んでいたときは1日かけてサマーランドに行って渋滞にはまって……という休日でしたが、米子では海で泳いで、山で遊んで、温泉に浸かって帰ってくるということが1日でできてしまうんです。人工的な施設は少ないけれど、素晴らしい休日だと思いませんか?」と米子の自然の魅力を日常にひきつけて説明してくださいました。

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質問タイムでは、人参が大きな袋、何個分も分けてもらえるという話に驚いた神奈川県出身の専門学校生からは「そんなにたくさんどこでもらえるんですか?」という素朴な質問が。

「マンション暮らしなので、地域との交流が盛んでないほうですが、近所の方が持ってきてくれたりするんですよ。でも必ずもらえるわけではないので期待しないでくださいね」と中上さんが返答。素朴な質問への柔らかい返しに、会場も和やかな雰囲気に包まれました。

▼中上さんのインタビューも載っている米子の紹介コラムはこちら

山陰随一の商業都市「米子」が移住先として注目される理由

https://cocolococo.jp/5146

皆生温泉 東光園勤務 原田応人(ハラダオウジン)さん

次のパネリストは、皆生温泉の東光園に勤める原田応人さん。赤いハッピに身を包み、会場を沸かせる話術の巧みさは、いかにも「地元旅館の人」という印象ですが、実は原田さんの実家は山口県宇部市のお寺さん。原田さん自身もお寺を継ぐ予定だったそうですが、色々なご縁があり定住することを決めたのだそう。

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今となっては「米子以外の選択肢が考えられない」と話す原田さんが米子に根付く理由として、「自分の生業を築いている魅力的な人の多さ」を挙げていました。また、そういった魅力的な方々がたくさんいる背景には、「地域資源が豊富で、やろうと思えば何でもできる環境が整っている」とも話されていました。

魅力的な方の例として紹介されたのは、天然酵母を使ったパンを作るパン屋さんと、自然栽培農家さん、そして、焼かれたパンとその思いを引き受けて販売するお店の方など、いろいろな業種の方でしたが、皆さん「パン」という1つの共通項で繋がっているというのが印象的でした。1人の人が事業を起こせば、化学反応が連鎖して、経済が回っていく。そんな米子ならではのカルチャーが垣間見えた気がします。

米子には生業を築いている方がたくさんいるとおっしゃっていた原田さんですが、ご自身も勤め先の旅館で、神楽を企画し演じるなど、米子の自由な風土を存分に味わっているようす。

質問タイムでは、「お寺を継がないことになって、ご実家のほうは大丈夫ですか?」と、やや踏み込んだ質問も投げかけられ、会場に笑いを起こしました。

白ネギ農家 木本 昌夫(キモトマサオ)さん

3人目のパネリストは、大阪出身の木本昌夫さん。現在は白ネギ農家をされています。米子への縁はおろか、農業の経験もなかった木本さんが「定年のない仕事がしたい」と、田舎で農業をして暮らそうと思い立ったのが34歳のとき。そこから、地方移住計画がスタートします。

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最初は、地方の農業フェアなどに通うも、あまり制度が整っていない都道府県が多く、「資金を集めてから来なさい」と言われることもざらにあったそう。そんな中、鳥取県には「アグリスタート研修」と呼ばれる制度があったのだといいます。これは鳥取県農業農村担い手育成機構の職員として雇用されながら、農家さんの元で作りたい作物の作り方を学べるというもの。「制度があったから来たというわけではありませんが、農業経験がなかった私にはこの制度はありがたかったです」と木本さんは話していました。

また、実際に米子市に引っ越してきて一番感じるのは、米子市の人の心のあたたかさだと言う木本さん。「畑を耕していると、見ていられないのか、近所の人がやり方をそっと教えてくれるんです。黙ってキャベツを置いていってくれたりする人もいます。移住してきた当時は知り合いは1人もいませんでしたが、寂しいと思ったことはないですね」とハートフルなお話を聞かせてくれました。

質問タイムでは、島根県の山側の地区出身の方から「実際に暮らしてきて、島根は田舎で不便だという印象が強いのですが、大阪と比べて不便なことはありませんか?」と質問が。木本さんは「米子は駅まで行けば都会ですし、私にはちょうど良いです」と笑顔で住み心地の良さを話されていました。

クルマナオキ建築設計事務所 来間 直樹さん

最後のパネリストはクルマナオキ建築設計事務所の来間直樹さんです。米子市出身の来間さんは、19歳のときに大学進学のため上京し、卒業後に東京の建築事務所に就職。一級建築士としてのキャリアを築いて、2001年に独立した後も、東京でバリバリ働いていたといいます。

そんな来間さんが、Uターンするきっかけとなったのは、「米子建築塾」での現在の奥さんとの出会い。元々、米子に戻る気は全く無かったという来間さんでしたが、米子高専で建築を熱心に教えている奥さんの姿を見て、自分も米子に戻ろうという決心がついたのだとか。

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建築家ならではの視点から、東京近郊と米子の土地の坪単価や収支のバランスなど、リアルな数字についても教えてくれた来間さん。「仕事量が減った分、収入も減ったけれど、食費も安く、住居費は半分以下になったので、かえって豊かな生活ができています」と話していました。

「米子建築塾」でのまちづくり活動や、「鳥取藝住祭」でのアートプロジェクトの運営など、本業のほかにも活躍の場を広げている来間さん。

「本業以外の活動の割合は東京よりも増えましたか?」との質問に対し、「東京ではビジネスとしての本業だけをやってきましたが、今は半分の時間をその他の活動に使っている感じです。」と回答。「米子ではいろいろな人とのつながりから自然と自分に役割が廻ってくる。自分の役割があると実感でき幸せです。」と、都会でやりたいことが実現できずにいる方々へのエールの言葉を贈り、講演を締めくくりました。

▼来間さんのインタビューも載っている「米子建築塾」についてはこちら

https://cocolococo.jp/5492

参加者の方にもお話を伺ってみました。

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今回、参加した専門学校生の皆さん。最初から米子市に興味があって参加したわけではないようですが、グループの1人の女性は、「一軒家に住むのが夢だったので、米子はそういった夢が叶いやすい土地だと思いました。横浜出身なので、あまり田舎過ぎる場所には抵抗があるけれど、米子は都会的な要素もあるので、まずは遊びに行ってみたいです」と、前向きな意見をくれました。

また、地域活性化に興味があるという男性は、「自分の住む常総市も米子市のように地域資源を活かした活動をしていきたいです」と米子市の取り組みを自身の地元に還元する決意を新たにしたようです。

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米子市と鳥取市の間に位置する倉吉市出身の女性とパートナーの方にもお話を聞きました。お二人は、この夏に米子市を旅行した際、その魅力を感じて、今回のイベントへの参加を決めたのだそう。「昔から、米子市にはよく遊びに行っていたんです。でも、久しぶりに行ってみたら改めて住むのに良さそうだと感じました。来間さんの『米子には自分の役割がある』という話にも深く共感しています」と女性。

一方、パートナーである神奈川県出身の男性は最初、米子の田舎さに正直戸惑ったと言います。しかし、東京に比べ、時間の流れがはるかにゆっくり流れる米子で1泊を過ごしているうちに、「自分の心が整ってくる感じがした」と話してくれました。

今回のお話を聞いて、ますます米子への気持ちが高まったというお二人。移住する日も近いかもしれません。

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講演会が終わり、懇親会がスタート。地元産品を使った試食品を前に、皆さんどうやら打ち解けた様子。

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講演会中には質問できなかったことも、おいしいご飯のおかげもあってか、会話が弾みます。

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懇親会の途中では、パネリストの1人で、東光園に勤める原田さんがどじょうすくいを披露。

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そして、2名のお客さんが前に駆り出され、はっぴを着てどじょうすくいに参加するなど、会場を大いに沸かせました。

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参加者の皆さんもこの表情です。

17時半から始まった楽しい会もあっという間にお開きの時間に。連絡先を交換したり、挨拶をしたりと、この会が閉じるのを惜しむように皆さん、しばらく会場に残っていらっしゃいました。

年内の移住セミナーは終わってしまいましたが、米子市では来年以降も、移住したい人のサポートを続けていくとのこと。興味のある方は、以下をご確認ください!

【YONAGO Y-TURN PROJECT】

鳥取県米子市の移住定住 セミナー・ツアー参加者募集

http://www.sc-net.ne.jp/yturn/

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ココロココ編集部ココロココでは、「地方と都市をつなぐ・つたえる」をコンセプトに、移住や交流のきっかけとなるコミュニティや体験、実際に移住して活躍されている方などをご紹介しています! 移住・交流を考える「ローカルシフト」イベントも定期的に開催。 目指すのは、「モノとおカネの交換」ではなく、「ココロとココロの交換」により、豊かな関係性を増やしていくこと。 東京の編集部ではありますが、常に「ローカル」を考えています。

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