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2016年3月3日 各務ゆか

飛騨里山移住Session in 飛騨古川イベントレポート

ITのスキルを生かして岐阜で起業したい人や、新しいワーキングスタイルを目指す人向けに、岐阜県への移住応援プロジェクトを手掛ける「GIFU×HUB」。約1年に渡り、プロジェクトを進行し、東京、大阪などでも岐阜の魅力を発信してきた。その集大成として企画されたのが「GIFU行こ。~岐阜で暮らす人に出逢う旅 Short Trip~」。移住先を決めるうえで、実際にその地域に住んでいる人に会って話を聞いてみようというイベントだ。

2016年1月15日、飛騨古川に建つ「里山オフィス」に移住を考える人たちが集い、既に飛騨地方に移り住んだ先人たちに話を聞く「飛騨高山移住Session in 飛騨古川」が行われた。

飛騨古川の貸民家「飛騨里山オフィス」でイベントを開催

masuya_▲会場となった「飛騨里山オフィス町屋・壱之町の家」

参加者は、東京や名古屋、隣の高山市からビジネス立ち上げのために参加されている方など様々。総勢約20名が、今回のイベントの拠点となる「飛騨里山オフィス 町屋・壱之町の家」に集まりました。この民家は、以前「『SATOYAMA EXPERIENCE』の、 「飛騨里山サイクリング」と「飛騨里山オフィス」(https://cocolococo.jp/1652)」でも紹介した株式会社柳組が運営する、貸し空き家です。こういった地元の人の生活スタイルがわかる場所でイベントを行うということで、参加者たちもとても興味深そうに家の中を見学していらっしゃいます。

masuya_▲「壱之町の家」について説明をする株式会社柳組の竹川さん

建物を管理していらっしゃる株式会社柳組の竹川さんから「飛騨里山オフィス」についての説明がありました。「飛騨里山オフィス」は、次々に増えていく飛騨古川の空き家の有効活用プロジェクトだとのこと。「壱之町の家」にも1ヵ月以上ロングステイされる外国人や、リモートオフィスとして利用される方も多いそう。

 

街歩きスタート!まずは、ほかの「飛騨里山オフィス」の見学から

一旦「壱之町の家」を後にし、飛騨古川のまちあるきに出掛けます。

竹川さんの誘導のもと、もう一つの「飛騨里山オフィス」、「末広の家」の見学をさせていただきました。釘を使用しない「継手(つぎて)・組木(くみき)」といった飛騨の職人の技が施されているとても立派な家屋でした!

masuya_▲竹川さん先導で飛騨古川の街歩きスタート

masuya_▲職人の技術の高さを見ることができる「末広の家」

 

飛騨移住者の先人「飛騨里山サイクリング」の方にもお会いしました!

続いてのナビゲーターは、飛騨市役所 企画商工観光部 企画課の井畑さん。株式会社美ら地球 「SATOYAMA EXPERIENCE」に立ち寄りました。こちらは、里山の原風景をサイクリングで体験できる「飛騨里山サイクリング」を行っている店です。店頭では、広報の白石さんが出迎えてくださいました。白石さんも飛騨古川に魅了され移住をした方の一人。アメリカでトレイルワーカーとして働いたり、世界各地を放浪するなどした後、飛騨古川へ来たそう。先人移住者の話を参加者の方たちは興味深く聞いていらっしゃいました。

masuya_▲「飛騨里山サイクリング」の前で株式会社美ら地球の白石さんとセッション

 

飛騨古川の新しい動きを発信する「FabCafeHIDA」!

「FabCafe HIDA」にも訪れました。こちらは、飛騨市と株式会社トビムシ、株式会社ロフトワークの3社でつくる官民共同の事業体「株式会社 飛騨の森でクマは踊る(通称「ヒダクマ」が2016年春に本格オープンさせる施設で、かつては酒蔵や木工アトリエとして栄えた古民家を改装して、デジタルモノ作りカフェとして活用するそう。今後、全国から集まったクリエーターやデザイナー達が飛騨の伝統工芸と様々なコラボ商品を生み出しそうな場所でした。

masuya_▲「FabCafe HIDA」が入る古民家の前で

masuya_▲3Dプリンターやレーザーカッターなどが設置されている店内

masuya_▲「FabCafe HIDA」にはカフェも併設予定。(現在リノベ中)

 

「飛騨古川三寺まいり」が開催されており、まちの情緒も味わえました!

この日はちょうど、毎年行われる「飛騨古川三寺まいり」の日であり、まちなかには、直径約1mの名物の雪像ろうそくや瀬戸川のほとりには、ぼんぼりが並べられ、雰囲気も抜群!本来ならこの時期、積雪ウン十センチということがほとんどらしいのですが、今年は暖冬で雪がありませんでした。「移住を考えるなら飛騨の雪を見た方がいい」とおっしゃる方も多いのですが、逆に雪がないことで、地元の方たちが祭り見学にたくさん来ており、参加者たちもたくさん交流をはかれたようです。

masuya_▲まちなかに並べられた三寺まいりのぼんぼり

masuya_▲夜になると趣が増す三寺まいり

masuya_▲縁結びが叶うお参りとして広く知られるようになった三寺まいり

まちなか歩きを終えた後、再び「壱之町の家」に集まり、今回のメインイベント“移住Session”に入ります。

コーディネーターは株式会社美ら地球CEO山田拓氏。スペシャルゲストは、(株)ゴーアヘッドワークス代表取締役の蒲優祐氏と、高山印刷(株) 取締役の住尚三氏。

 

簡単なプロフィール

masuya_山田氏、蒲氏、住氏(左より)

山田拓氏…奈良県出身。株式会社プライスウォーターハウス・コンサルタント(現:IBM)にて多くのグローバル企業の企業変革支援に従事した後、退職。その後、足掛け2年、世界放浪の旅に出発し、帰国後、地方部の原風景に受け継がれる日本文化の価値を再認識し、岐阜県の飛騨古川に移住。「クールな田舎をプロデュースする」をキーワードに、株式会社美ら地球を飛騨古川に設立し、農村集落を巡るガイドツアー「飛騨里山サイクリング」などを手掛ける。総務省 地域力創造アドバイザー/(財)都市農山漁村交流活性化機構 国際グリーンツーリズムアドバイザー/NPO法人 日本エコツーリズム協会 正会員/NPO法人 日本民家再生協会 友の会会員
株式会社 美ら地球(ちゅらぼし)http://www.chura-boshi.com/

蒲優祐氏…岐阜県高山市出身。高校卒業後は名古屋のデザイン学校へ。飲食店の経営や店舗プロデュースを得意とするデザイン事務所を経た後、独立。2012年、ゴーアヘッドワークス設立。東海地方から全国へ幅を広げ、グラフィックデザイン・アートディレクター及び、ローリングハイパーアーティストとして活動。名古屋、東京、大阪で仕事をこなしつつも、地元である高山を自分の学んできたデザインで盛り上げたいと、高山市内にもオフィスを登記。2014年法人化し、現在は名古屋や妻の実家がある三重県、自分の実家やオフィスがある高山を行き来する生活。
株式会社ゴーアヘッドワークスhttp://www.goaheadworks.com/

住尚三氏…岐阜県高山市出身。高校卒業後は大学進学で東京へ。卒業後は、東京の環境計測機器会社で勤務し営業職に従事。2012年、家業を継ぐため高山にUターン。現在は高山で100年以上続く高山印刷株式会社の取締役として飛騨地域を中心に印刷の受注するために東奔西走する。2015年、高校の同級生と一緒に、印刷屋の空きスペースを活用して、コワーキングスペース「co-ba飛騨高山」を開設。飛騨高山から新しいムーブメントを発信することを目的に様々な人が出会う場所作りにも取り組んでいる。
高山印刷株式会社https://www.takayama-dp.com/
co-ba飛騨高山http://tsukuruba.com/co-ba/hidatakayama/

 

飛騨地方に移住した理由&Uターンした理由

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蒲氏:僕が高山に戻ってこようと思ったのは、自分の出身地だから、この土地が好きだったので、デザインで高山に貢献したいなと思ったからです。例えば、高山の道の駅で売られているジャムなどはプロダクトとしてはすごく質の高いものなのにWordで適当に作ったラベルが貼ってあるだけで、その本当の良さが伝わっておらず、もったいないなというようなことがよくあるんです。僕が都会に出て学んできたことをデザインという形で地元に還元し、それで地元の産業を盛り上げていけたらいいなと思いました。あとは、長男であったこともあり、飛騨地域はやっぱり未だに長男は家を守るために戻って来なくてはならないという意識が強い場所なので、戻ることを考えたという部分もありますね。

住氏:僕も長男で、小さいからの刷り込みで、「長男は戻ってくるもの」というのがあったので、家業の印刷会社を継ぐために戻ってきました。あと、東京で暮らしていたとき震災に遭い、交通網の麻痺で自宅に戻れない経験をしたときにふと「僕はなぜ都会で働いているんだろう?」と考えたんですよね。ちょうど子どもが出来たタイミングも重なっていたので、どうせなら水も空気も人もいい場所で子育てをしたいと思って、高山に戻る決意をした感じです。

山田氏:僕は末っ子だし、奈良の新興住宅街で育ったので、皆さんみたいに「家を守る」という意識はまったくなくて、世界を放浪したり、アメリカの会社で勤めていたりと自由にやってきたタチなんですよね。その後何となく「そうだ!日本の田舎に住もう!」と思いついて住む場所を探していました。ある人に飛騨古川に住んでいる人を紹介してもらい、その人を訪ねるという形で訪れたのがきっかけです。話せる人がいたというのは大きく、そのツテでここに残り、流れで会社も設立することになったという感じです。

 

【仕事】山田氏の考える地方での仕事“3つの切り口”

山田氏より、彼が考えた田舎で仕事をする上で考えられる3つの切り口についての説明があった。

①「地域住民のニーズに合わせた業務を行う」…住さんの印刷会社のような地元住民向けの仕事
②「都会の顧客向けの仕事を地方部で行う」…都会にクライアントを持つWEBデザイナーなど
③「ツーリズムで地域の外から顧客を呼び寄せる」…里山エクスペリエンスのような仕事

 

【仕事】上記を踏まえて、田舎には仕事がないと思うか?

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蒲氏:サラリーマン的な考えで「雇ってくれ」というスタンスでいるとなかなか探せないかもしれませんが、自分にはどういう能力があるかということを見極めて、「業務委託という形でいいので、あなたの会社にこういう貢献がしたい!」という思いを持って売り込んでいけば意外と仕事はあると思います。

住氏:印刷会社の営業で地元を回っていると、いいモノを作っているのに、それを“魅せる”とか“上手に売る”という部分について地方部はまだまだ弱いと思うことがありますね。なので、マーケティング部分をコーディネートできる能力があれば今後たくさん仕事を見出せるんじゃないかと思います。あと、コワーキングスペースを開設して思ったことは、飛騨には案外面白い能力を持った、いい意味でトガった人たちが多くいるということに気付いたんです。今は、その横のつながりがないだけ。都会から来た人がそういう人たちとたくさん繋がっていけば、面白い動きが起こってくるような予感はしていますね。

山田氏:「地方は仕事ないんじゃないの?」って声をよく聞くんですが、お二方がおっしゃったように、全然そんなことはないというのが僕の実感です。確かに、一般的な求人票を見ているだけでは仕事が見つけられないかもしれないけれど、自分で見出せば地方にはいくらでも仕事がある。②の「都会の顧客向けの仕事を地方部で行う」というのも、例えば飛騨古川には「里山オフィス」があるので、短期間滞在され仕事をされる都心部の人も多くいらっしゃいます。デザイナーやプログラマーなど物理的に場所に依存しない仕事は地方部で行うことも可能です。ノートパソコンひとつあれば仕事はできますし、意外と仕事の場所ってどこでもOKなんじゃないかと思うんですよね。

 

【仕事】山田氏の考える、地方で新規事業を立ち上げる際の種類

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①「新たにある程度の規模の事業を立ち上げる」
②「ゲストハウス、カフェなどのスモールビジネスを立ち上げる」
③「既存企業の新規立ち上げや、事業継承分野の一端を担う」

山田氏:美ら地球は①「新たにある程度の規模の事業を立ち上げる」という型にあてはまるのですが、ほぼ全ての社員が移住者で、長年やってくると、こちらに住みついて、結婚して子どもができたという者もでてきたので、地域への波及効果も大きかったのではないかと思います。そこまで大きな規模の事業を立ち上げたくないという人には②「ゲストハウス、カフェなどのスモールビジネスを立ち上げる」というのも比較的やりやすいのでおすすめですね。地方部の生き方にスモールビジネスは合っているんじゃないかなと思うんです。例えば、飛騨は夏は田んぼ作業をするけど、冬の農閑期には和紙をすいたり、伝統工芸品を作ったりして生計を立てるというスタイルが昔からある地域じゃないですか。一つの仕事で生計を立てている人は少ない。5年くらい前に、新規就農で都会からトマト農家になるために移って来られた方がいるんですが、冬に仕事がないため、山中和紙の仕事も始められ、飛騨市河合町の残り2人になってしまった職人の方が喜んでいるという話を聞きました。地方の仕事は決して1つに絞らなくてもいいんです。いくつかの組み合わせ技で仕事をしていくのもひとつの生き方なのかなと思います。

蒲氏:③「既存事業の新規立ち上げや、事業継承分野の一端を担う」という分野も可能性があるんじゃないかと思います。飛騨地方は跡取りがいなくて困っているところが多いんです。外から来た誰かが、継承の一旦を担ってくれるのであれば、ぜひお任せしたいと考えている人も多いと思います。最近は外から来た人の方が、元々住んでいる人よりも飛騨古川の魅力を見出してくれる方が多いように思いますね。僕もそうでしたが、都会に出てはじめて、高山の古い町並みがすばらしいものだったんだということに気付きました。

住氏:あと、都会では「○○会社の住です」という感じで、会社名ありきで自分のことを覚えられることが多かったのですが、こちらでは会社名よりも名前で呼ばれることの方が多いんですよね。「住尚三さんは印刷会社の者やったかな?」という感じで。地方だと、商売と個人がより近い感じがします。なので、個人が信用されれば仕事はどれだけでももらえる。パーソナリティを生かして仕事をするなら地方部の方が面白いのかなと思ったりしますね。

 

【生活】地方部に移り住んで、やはり都会の方が良かったと思うことはあるか。

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住氏:以前は、映画館とかの娯楽施設が圧倒的に少ないので、たまにやっぱり都会っていいなと思う事はありましたが、戻ってきて4年も経つと、こっちにも色々刺激があるなということが分かってきたんです。例えば、友達が「おれ、狩猟免許取ったよ。イノシシ獲ったから食べにこない?」とか。最近はそういう方が面白いかなと思うようになってきました。

山田氏:僕は、ずっと飛騨古川だけにいる訳ではなく、仕事で都会と田舎を行ったり来たりの生活をしており、それぞれの刺激を受けることができるので、精神的に維持できているのかもしれません。基本的にあきっぽい性格なので。

蒲氏:世の中の新しい動きについていけなくなると思うので、ずっとこっちにいるだけはデザイナーとしてダメになると思います。なので、都会とこっちを行ったり来たりの生活にしていますが、数年前にこちらにベース拠点を移したことによって、精神的な落ち着きは生まれたと思います。やっぱり、生まれたところが高山なので、ここが肌に合うというのはありますね。山々の風景を見ると心が落ち着くというか。

 

【生活】飛騨地方に住んでみて “正直ここは面倒くさい”というところは?

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山田氏:人間関係が濃厚過ぎることはときにやっかいなこともありますね。所属しなければならない組織がとても多く、商店街の会、町内会、40代以下の町内会、PTA会などなど。結構スケジュール的に大変です。

住氏:より近い人間関係を築く地域なので、干渉されることも多々あります。子どもを地域の人が叱ってくれるのはありがたいんですが、自分の家と教育方針が違う場合もあるので、そういう時にどう対処するかは面倒かもしれないですね。

蒲氏:僕の奥さんは大阪の集合住宅で育った人で、僕は、高山で生まれた長男。こちらには、結納したり、結婚式を上げたり、子どもが生まれたりするといろいろなしきたりを重んじる面があるのですが、外の地域の人には理解されない部分もあるので、互いにどう折り合いをつけるかは難しいなと感じることはありますね。

 

【生活】逆に飛騨古川に住むメリットは?

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山田氏:飛騨古川の中心市街地はとても便利だと思います。徒歩圏内に駅や買い物場所や酒蔵も2軒もあります!去年まで我が家は車1台で過ごしていましたから。あと、食料自給率は高いと思います。サイクリングツアーの途中で出会った農家の方にネギをもらって、ドリンクホルダーに挿して帰ってくることも多々あります(笑)

住氏:飛騨古川はポストにネギが刺さっていることが多いって聞きますよね(笑)。あと僕は、こちらで子育てをしていて環境の良さを感じます。自分が子どもの頃はうっとうしいと思っていた近所のおじさんやおばさんの声掛けって都会ではなかなかないですからね。こちらの子どもは簡単に学校をサボって、街をウロウロすることはできないですからね。

蒲氏:飛騨古川は明らかに人口が減っている町なので、外から来てくれる人に対してウェルカムなんじゃないでしょうか。「米10俵プロジェクト」というのがあり、移住したら、10年分の米をもらえるそうです。それに、野菜の頂き物も多いので、とりあえず、食べるのには困りませんよ!あと、都会ではとれたての野菜を食べる事なんてめったにないと思いますが、こっちではそれが普通。トマトの味も全然違うから味わってほしいですね。

 

【参加者からの質疑応答】都会と行き来するときに時間がかかると思うが、その辺りに不便は感じていないですか?

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蒲氏:名古屋に出るにしても2時間で出られるので、意外に家でダラダラとテレビを見ていてもそのくらいの時間が過ぎてしまうことはあるし、電車の中の時間の方がよっぽど、時間を有効活用している事が多いと思います。僕は、2時間の間に、落語を聞いたり、講演会のテープを丸ごと一本聞いたりしています。

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山田氏:僕も移動が多く、ワイドビューひだでの移動を名づけて「オフィスワイドビュー」と勝手に呼んで時間を有効活用させてもらっています(笑)。移動って実は、一人になれる貴重な機会だったりするんですよね。オフィスにいるときは電話対応などに追われている場合もあるし、家で家族と一緒にいると仕事に100%集中できるわけではないので。なので、電車の中は意外と集中して事務作業や企画を考えたりできる時間だったりするのです。乗鞍の山を見ているときに、ポッとアイディアが浮かんできたりすることも多いんですよ。ただ、ワイドビューは揺れが激しいので、ポジショニングにはコツがいりますけどね(笑)。

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蒲氏:5~6年くらい前までは高速道路も飛騨清見ICまでしか来ていなかったので大変でしたが、今は高山まで楽々来れるようになりました。高速バスでの移動になっても、最近は高速バスにもWi-Fiがあるので便利ですよ。

山田氏:あとは、北陸新幹線が開通したことにより、飛行機代がずいぶん安くなった気がします。東京へ行くのに富山空港から飛行機を使えば合計3時間くらいでいけるし、片道1万円ちょっとくらいです。一日6便あるし、結構便利です。

 

最後に

蒲氏:高山は、人がよく、水と空気と山がキレイなので、本当にいい場所だと思います。そこに雪があっても、それがマイナスではなくプラスに働いているのが高山や飛騨の地域の特徴です。そこをもっと肌で感じてもらえればなと思います。あと、高山市って市町村面積は全国で一番広いのに、人口比率がすごく低い場所みたいです。それと、飛騨ナンバーの車ってとてもレアというか一番車の台数が少ないナンバーらしいんですよ。六本木に飛騨ナンバーの車で行って道に迷っていたら「どうしたんですか?飛騨から何のために六本木にこられたんですか?」って警察に職質されたくらいです(笑)。それくらい注目度はあって、レアもので、面白い街なので機会があったら来てください。

住氏:僕がやっているコワーキングスペースっていうのが、皆さんみたいに、IターンやUターンの方がこちらに戻ってくるのを考えているときに利用してもらうととてもいいと思うので、ぜひ一度来ていただければと思います。ちょっと変わった仲間がいるので、その人を紹介したりして、仕事が見つかったり、ということがあると思うので。

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このあと、参加者とパネリストで名刺交換が行われ、セッションは終了となりました。「地方で暮らしたいという漠然とした考えはあったが、実際にイベントに参加して、トークセッションに参加することで、地方で暮らすということが明確になった。」「完全に飛騨地方に移住するスタイルを選ばなくても、蒲さんのように行ったり来たりをする移住スタイルもありなんだなと思った。いろんな移住のスタイルがあっていいんだと分かって心強かった」などとお話になっている参加者もいらっしゃいました。

実際に飛騨地方にお住まいになり、これまでになかった道を切り開いているお三方の姿勢はとてもアグレッシブで、刺激を受けた参加者も多かったようです。どこに住もうが、自分次第でいくらでも仕事は見つけられ、豊かな生活を送ることができる。今回のトークセッションを聞いて、そんなメッセージをパネリストから受け取った気持ちがしました。

参加者のみなさま、取材にご協力くださいまして、本当にありがとうございました!

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各務ゆか

各務ゆか1981年、岐阜県生まれ。東京・大阪・名古屋それぞれのエリアの出版社にて情報誌の編集・ライテイングに携わり、旅・食を中心に、常に新しい情報にアンテナを張ってきた。 現在は独立して岐阜県に戻り、大好きな「食」を中心に取材を続けている。地方に住みながらも首都圏の方とお仕事をする事が多く、手軽にリモートオフィス環境を揃える、在宅でも様々な人と繋がり仕事をしていくことなど、場所にとらわれない働き方を模索中。地方の面白いコト・モノを全国とつなげる発信役としてライターをしている。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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