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2016年3月9日 ベリーマッチとちぎ

誰かが一歩を踏み出すきっかけになる場を。CICACU女将 辻井 まゆ子さん

栃木県の西部、宇都宮と日光に隣接する鹿沼市は、かつて日光例幣使街道の宿場町として栄えた。また、日光東照宮がつくられたころから職人が移り住み、今でも木工の街として知られている。

この鹿沼の地に、16年前「CAFE饗茶庵」という一軒のカフェがオープンした。それを機に、雑貨店や古着屋、花屋など、若い人たちが営むお店が次々と誕生。毎月、「ネコヤド商店街」というマルシェも開催されている。

京都出身の辻井まゆ子さんは、旅の途中、鹿沼に立ち寄ったことをきっかけに移住を決意。現在、もと旅館だった築約100年の建物を改装し、「CICACU(シカク)」という名のゲストハウスを開こうと奮闘中だ。

「CICACUを、地域の人と旅行者がつながる拠点にしたい」と願う辻井さん。 この場所から今、鹿沼の新たな物語が始まろうとしている。

鹿沼の魅力的な人たちにひかれ、4日で移住を決意

「時間があるなら、ぜひ鹿沼へ行ってみたら!」

そうすすめてくれたのは、日光にあるゲストハウス「巣み家」のオーナー夫妻だった。旅行で日光を訪れていた辻井さんは、その言葉をきっかけに鹿沼へ立ち寄 ることに。ちょうどその日は、ネコヤド商店街というマルシェの開催日。鹿沼にお店を構える若いオーナーや作り手たちが出店し、街は多くのお客さんで賑わっ ていた。

「じつは、初めて足を運ぶまで、鹿沼のことはまったく知りませんでした。鹿沼は観光地などではない、いわば普通の街。けれど、魅力的な人がたくさんいることに驚いたんです」

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魅力的な人とは、マルシェに出店していた若い人たちだけではない。この日、辻井さんは、鹿沼で16年続く「CAFE 饗茶庵」のオーナー・風間教司さんと知り合い、街を案内してもらった。すると「どこから来たんだい?」と、街の人たちが気さくに声をかけてくれた。

「この街で商売を続けている方や、地元の祭りに登場する彫刻屋台(山車)を手がける職人さんなど、長年鹿沼に住んでいる人のなかにも魅力的な人がた くさんいて。風間さんをはじめ若い人たちと一緒に、街を盛り上げようとしている様子が伝わってきました。そんな温かい人のつながりや、何か楽しいことが起 こりそうな街の雰囲気に強くひかれたんです」

その後、京都に戻った辻井さんは、仕事で奈良に来ていた風間さんと再会。「鹿沼に移り住みたい」という決意を伝えた。なんと、初めて鹿沼を訪れてから4日後のことだった。

 

誰かが一歩を踏み出す、きっかけになる場所を

神戸の大学を卒業後、辻井さんは2年ほど京都・大阪にあるカフェやパン屋で働いてきた。けれど、「将来こうなりたい」という明確な目標はなかったという。それが、鹿沼を訪れたことで「ゲストハウスを開く」という目標が見えてきた。

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「初めて鹿沼を訪れた日、楽しかったこともあり、あっという間に夕方に。鹿沼に泊まろうとしたのですが、宿泊施設がほとんどなくて、そのとき『ゲス トハウスがあったらいいのに』『ゲストハウスを開いて、自分がひかれた鹿沼の人たちのことを多くの人に紹介したい』と思ったんです」

また、日光の『巣み家』に宿泊したことも、大きなきっかけとなった。

「私は、『巣み家』の女将さんに鹿沼のことを教えてもらったから、ここへ来ることができた。そんな、誰かが一歩を踏み出すきっかけになるような、ゲストハウスをつくりたいなって思ったんです」

 

オープン前から広がった、つながりの輪

2013年5月から2カ月間、「巣み家」で修業をした辻井さんは、鹿沼市観光物産協会の臨時職員を経て、風間さんのもとで働き始めた。その間も1年にわたり物件を探し続け、ようやく旅館だったこの物件と出会った。

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「大家さんは、江戸時代から続いていた旅館をやむなく閉めた経験から、『ここで宿をやるのは、なかなか難しいよ』と首を縦にふってくれませんでし た。それでも諦めきれずに何度もお願いにいくと、『そこまで決意が固いなら』と大家さんが了承してくれて、1年越しで貸していただけることになったんで す」

2015年3月、作業が始まった建物には、多くの人たちの賑やかな声があふれていた。この日、現地では鹿沼に事務所を構える一級建築士の渡辺貴明さんに協力してもらいながら、平面図をつくるワークショップが開催された。

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辻井さんは準備段階から多くの人に参加してもらおうと、風間さんとともに「日光例幣使街道・鹿沼宿旅館再生プロジェクト」を立ち上げ、掃除や壁紙はがし、 ペンキ塗りなど、さまざまなワークショップを開催。街の人たちや鹿沼を出て首都圏で働いている人など、たくさんの人たちが協力してくれた。

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「いつもお世話になっている鹿沼のおじちゃんやおばちゃんが差し入れを持ってきてくれたり、『巣み家』をはじめ、県内や秩父のゲストハウスの方が応援に来 てくれたり、人の輪がどんどん広がっていくのが本当に嬉しかった。消防法の申請などの高いハードルも、なんとしても乗り越えなければと思ったんです」

 

目標は、鹿沼のファンを増やすこと

開店準備が佳境に差しかかったころ、ゲストハウスの名を「CICACU(シカク)」と決めた。“CI”は“Civic”で鹿沼の人たちを、“CA”は “Cabin”でゲストハウスに泊まる旅行者を、“CU”は“Culture”(文化)や“Curation”(共有・編集)を意味している。

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「私はCICACUを、単なる宿泊施設ではなく、地元の人や旅行者が集まれる場所にしていきたい。いろいろ人たちが集い交流するなかで、鹿沼の伝統や文化が受け継がれつつ、新たな文化が生まれ発信されていくような場所に」

そこで、CICACUの2階にある大広間をレンタルペースとして開放。オープン前から、すでにヨガ教室や料理教室、音楽ライブなどが開催されている。

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「これからも珈琲ドリップ教室や映画上映会など、さまざまなコンテンツを増やしていく予定です。ときには鹿沼の人が先生になったり、旅行者が主催者になったり、学びやイベントを通じて多くの人が集い、つながる拠点にできたらと思っています」

さらに、鹿沼で自転車の卸を手がける大倉ホンダ販売に協力してもらい、CICACUのオープンに合わせて「レンタサイクル」も始める予定だ。

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「ぜひ自転車に乗って、鹿沼の郊外へも出かけてほしい。郊外には豊かな自然や田園風景が広がり、農業を頑張っている若い方や田舎暮らしを楽しんでい る移住者がいます。一方で、鹿沼の街中にも魅力的な方がたくさんいる。CICACUに2泊、3泊しながら、ゆっくり両方の魅力に触れてもらえたらと考えて います」

さらに、辻井さんは続ける。

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「鹿沼のいちばんの魅力は、街の人たちの温かさ。新しい何かを始めようとする人を、たくさんの人が応援してくれます。CICACUに宿泊したり、教 室に参加したり、街の人とふれ合ったりするなかで、鹿沼に移り住んでみたい、ここで新しいお店や仕事を始めたいという人が増えていったら、何よりも嬉し い!」

春の足音が近づくころ、鹿沼の街にCICACUはオープンする。鹿沼に旅へ出かけたときはもちろん、カフェを訪れたとき、「ネコヤド商店街」に遊びにきたときなどに、ぜひ気軽に立ち寄ってみてほしい。新たな出会いや発見に満ちた、その場所に。

 

栃木県はこの春、県内各地にある「多様な働き方・暮らし方」「様々な形で地域に関われる選択肢の広さ」「魅力的なヒト・モノ・コト」を紹介するサイトとして『ベリーマッチとちぎ』をオープンさせました。

取材先

CICACU女将・辻井まゆ子さん

京都府出身。旅の途中、鹿沼に立ち寄り、魅力的な街の人たちにひかれ移住を決意。ゲストハウスを開くため、鹿沼で「CAFE饗茶庵」を営む風間さんのもとで働きながら物件を探し、築約100年のもと旅館だった建物と出会う。2015年3月から「日光例幣使街道・鹿沼宿旅館再生プロジェクト」を始動。多くの人にプロジェクトに参加してもらいたいと、壁塗りなどのワークショップやイベントを企画。「CICACU(シカク)」と名づけたゲストハウスは、2016年3月オープン予定。
●日光例幣使街道・鹿沼宿旅館再生プロジェクト
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