”吉賀のブータン”といわれる地で自分らしい暮らしを楽しむ石黒智絵さん

77

島根県南西部に位置する山あいの町、吉賀町。
町の総面積のうち、92.2%が森林、約6,500人の町人口のうち42.5%が65歳以上という町には、自然の中で共生する暮らしを求めて移り住んだ若者たちも少なくありません。
どんなきっかけで町を訪れ、そして何に魅了されて住み続けているのでしょうか。
3人の移住者にお話しを聞きました。

朝日より早く目覚める、吉賀町の「秘境」での暮らし

東京都出身の石黒さんが、吉賀町企画課で「よしか暮らし相談員」として働きはじめて3年目。現在は、山口県岩国市との県境にある全9戸の小さな集落の空き家を借りて暮らしています。朝は午前3時に起床し、畑仕事や犬の散歩などを終えてから役場に出勤する日々を送っている石黒さんのお宅に伺いました。

石黒さん犬の散歩

採ったばかりの玉ねぎが並べられた軒先にお邪魔すると、自宅近くの桑の葉を摘んで蒸して作った桑茶に、頂きものの夏みかんをシロップ漬けにしたゼリーを振る舞ってくれました。

「住み始める時に、会社の上司に『ここは吉賀のブータンだよ』と言われました。とにかく奥地だから、という意味だったようですが、暮らしてみたら、本当にブータンのようだな、と。みんなで助け合い、今ある暮らしを楽しんでいるんです。」

石黒さんは実際に、4日ほどブータンを訪れ、農家に泊めてもらったことがあるそうで、そこで見た農家の「他の畑と比較して羨むようなことをせず、あるものを楽しむ落ち着いた暮らし」に通じるものがあるといいます。

しかし、東京の下町で生まれ育った「江戸っ子」の石黒さんが、なぜ吉賀町にIターンしたのでしょうか。

パリのデザイナーに憧れた夢から一転、日本の農村へ

「実は私は小学生の時から、洋服のデザイナーになりたいと思ってたんですよ。大学生まで、パリコレにあこがれていましたし」と話し始めた石黒さんは、服飾デザインを学ぼうとパリまで行ったといいます。そして大学卒業後は百貨店で働き始めました。

「物を作るのは好きでした。でも同一デザインのものを大量生産をするという考えは、私には合わないな、と感じて、改めて『自分はどこでどう暮らしたいのか』と考えるようになりました。」

農村計画について学んだ学生時代や転職したNPOの仕事で、日本の農村をあちこちめぐり、タイ、マレーシアやボルネオなど、アジアの国の農村地帯も訪ねた石黒さん。なんとタイの村では、鎌を持った隣人に突然襲われたこともあったそうです。

「厳しさもあるけど、暮らしを自分の手で作りたい、という強く思いました。ただ、できれば安心、安全なところで。」と笑って振り返ります。

「縁があった土地でまず暮らしてみようかな。」と探していた時、人づてに吉賀町で「暮らし相談員」を募集していることを聞き、応募しました。

「あなたらしい、外からの視点を大事に」町の人たちの言葉に助けられた

2012年7月に働き始めた当初は、移住相談は月に電話とメールを合わせて4件ほど。そこで町の広報の取材でIターンの人に話を聞きに行ったり、行事に参加しながら、町について学んでいきました。仕事だけでなく、生活も初めてのことばかりでした。

「とにかく、町になじもうと私自身も必死でした。常に町内にいないといけないと思いこんで、最初の1年は町外に一度も出ませんでしたし。家の周りの手入れもしっかりしないと、と休日も一生懸命、草刈りをしたりしていました。せっかく友人が東京から遊びに来ても、もてなす余裕もないほどでしたね。」

そんな石黒さんを見かねたのか、知り合いのおじさんや近所の人が励ましの言葉をかけてくれました。

「飲み会に誘われて、一言、『何言われても気にせず、突き進め!』と。ずしんと胸に響きました。それから、『周りに合わせなくていい。あなたらしい、外からの視点を大事にしないとあなたが来た意味がない。』と言われ、私は私がやりたいことをやればいいんだ、と気持ちが楽になりました。」

石黒さん畑仕事

まわりを見回してみると、地元の人々は、それぞれ自分のやり方を大切に生活していることに気づきました。

「玉ねぎの干し方やたくわんの漬け方など、家によって異なるんですね。教えてくれるけど、こうやりなさい、と押し付けたり、干渉したりはしない。ちょっと離れたところから見守ってくれてる感じがします。」 そんな人々の懐の深さがとてもありがたいといいます。

顔見知りの高校生が、「泳ぎを教えてやるよ、川に行こうや。」と誘ってくれたり、地域のお年寄りからは「イノシシ猟に行かんか。」と声が掛かったり。気づくと地域の人みんなと知り合いになっていました。

「私もやっと生活を楽しむ余裕ができて、昨日は、『スイーツを食べる会』に誘われて、若い人たちで隣の町へドライブしてきたんですよ。」

移住者の気持ちに寄り添ったアドバイスとサポートを

今ではすっかり「吉賀の人」になった石黒さんの経験は、仕事にも生かされています。

現在、移住の問い合わせ件数は少しずつ増えており、昨年は約130件、直接、窓口を訪ねてこられる人も年に40人くらいいたそうです。30~40代の希望者が多く、実際に移住をした人もUターンを含めると、2005年から69世帯にのぼります。

石黒さん仕事

「相手の希望をじっくり聞くようにしています。どういう暮らしをしたいのか、それは吉賀でできるのか。ないものを提供することはできませんから、無理だなと思った時には、正直に伝えるようにしています。」

また、実際に移住した人へのケアにも、きめ細かい配慮を欠かしません。

男性からは仕事での悩み、女性からはがんばり過ぎて疲れて相談を受けることが多いとか。

「私の方が年下のことも多いので、どなたか信頼できる年長者の方にアドバイスをお願いしたり、希望の仕事をしている人を紹介したりしています。元気がないな、と感じたら、自宅でのごはんパーティに招いたりしますね。」

自分の身の回りのことを大事に、「自分の好きなものを少しだけ」

「吉賀町の野菜作りと一緒です。自分がいいと思うものを少しだけ、というライフスタイルがここにはある。」と話す石黒さんは、スカートなど衣服も手作りするそうです。

静かな里での生活は、「たまに孤独を感じることもありますけどね」と本音もちらり。けれど、「猟犬のシロを譲ってもらってからは、一緒に旬の食べ物を楽しんでます。シロの好物は、春は筍、初夏を迎えてからは桑の実なんですよ。」と優しい目で愛犬を見つめます。

最近うれしかったのは、畑で玉ねぎが大きく育ったこと。農薬は一切使わず、雑草をとにかく手で小まめに抜いて育てたそうです。少量ですが、広島市内のスーパーに出荷しており、

「吉賀の野菜のおいしさを知ってもらって、吉賀町を知ってほしい。私の役目は人と人、人と地域のつなぐこと。吉賀町とつながる人の輪を広げていきたい」

吉賀町で手応えのある暮らしを見つけた石黒さんの笑顔は、本当にまぶしく、輝いて見えました。

石黒智絵さん

石黒さんからのメッセージ
まず、自分がどう生きたいか、考えてみてください。
その根っこを大事にしながら、仕事や家などは少々違ってもいい、それくらいの気持ちで地域に飛び込んでみて下さい。

この記事をシェアする

このエントリーをはてなブックマークに追加

取材先

吉賀町企画課 よしか暮らし相談員 石黒智絵さん

東京都葛飾区出身。30歳。
大学で農村計画を学び、卒業後はいったん百貨店に勤務するが、国際協力と農村支援のNPOに転職。2012年に募集していた吉賀町の暮らし相談員に応募して、町に移住した。
町への移住相談の窓口として働き、自らの体験も基に、Iターンした人たちの相談にも乗っている。

大川富美

大川富美OKAWA-Fumi

東京都出身。大学卒業後、広島市の新聞社で記者として働く。 呉市、竹原市、山口県岩国市などで暮らし、現在は、広島市在住。 市内の小学校で英語を教えている。もちろんカープ&サンフレッチェのファン。趣味はほかに犬の散歩と道の駅めぐり。

RELATED関連記事

NEW
NEW
NEW

POPULAR ARTICLE人気の記事