息詰まる東京の生活から、出身地「逗子」へ戻ったきっかけ
大人も子どもも遊べる場所として人気の「原っぱ大学」。真剣に遊べるこの場所は口コミを中心に評判となり、現在では神奈川県逗子市、千葉県佐倉市、大阪府茨木市の3ヶ所で運営しています。さらに京浜急行電鉄株式会社のサステナブルな社会に向けた三浦半島の「都市近郊社有林」を管理する「みうらの森林(もり)プロジェクト」にも参加するなど、活動の場を広げています。
今では、自然の中思いっきり遊べる場所を提供し、子どもや大人を引っ張る「ガクチョー」として原っぱ大学を率いていますが、意外にも発足のきっかけは、息詰まった自分自身の子育てからだったと言います。逗子で生まれ育ち、大学を卒業後、東京で会社員に。結婚後子宝にも恵まれ、順調に東京での生活をしていたかと思いきや‥
「東京での子育ては、苦しくて仕方なかったんです。平日思い切り働いていて、週末はゆっくりしたかったのですが、子どもを連れて公園に遊びに出かけたりと子育てもやることはたくさん。そして、子どもは同じことを永遠に繰り返すんですよね。例えば滑り台を何度も何度も繰り返す。それを見ているのがしんどくて、子どもとの時間が正直苦痛だったんです。そして僕はサーフィンが趣味だったのですが、もちろん東京ではできない。そんな子育てをしている時、ふと地元逗子で建つマンションの建設を知り、「子育てには海と山がある場所がいいよね」と、奥さんを半ば騙すように説得して、逗子へと移住したんです(笑)。」
そうして東京での生活から、自身の出身地である逗子へと戻った塚越さん。逗子で過ごすようになると、徐々に変化が訪れます。「逗子に帰ってきて、息子と一緒に海に入り、山を探検していると、子どもを通して自分が蘇ってくる感じというか、自分自身に立ち返っていく感じがあって。それが自分を蘇らせてくれたし、子どもとの関係が変わっていった。子どものために何かやらなければいけないという、ある種義務感だったことが、子どもを通して自分も幸せな経験を得る。ちょっと成熟したというか、子どもを仲間として見るというか、そんな風に自分が変わっていったんです。」
真剣に「遊ぶ」。三浦半島の自然の中で、感じるままに過ごす
塚越さんが「原っぱ大学」を立ち上げた大きな要因に、2011年3月11日に起きた東日本大震災がありました。「東北の大震災をきっかけに会社員であることが嫌になってしまって。それで何かを始めようと思ったのですが、自分に特にできることがなく、いろいろ模索していました。そして、僕のバックグラウンドには、生まれた地、逗子の野山で遊んでいた事が大きいのだと気づきました。」
自分自身何ができるのだろうと問い詰めて考えた結果、生まれ育った逗子という地を通し、いろんな遊びのバックグラウンドがあったことに気がついた塚越さん。「僕は、わりと気楽に自然にアクセスできたけど、生粋の東京育ちの人や、地方から出てきた東京暮らしの人は、そうした自然環境へのアクセスがないことに気がついたんです。」そうしたきっかけから、2012年に今の前身の「子ども原っぱ大学」の立ち上げを決意します。
今となっては都会ではできない泥んこ遊びも、ここでは大人も子どもも一緒になって思いっきりできます。ルールはなし、決められたスケジュールもない。都会の子どもは、何をやってもいいというのは逆に戸惑うのでは?そんな思いを聞いてみると、
「初めは、次何やるの?とか、どうしたらいいの?と言う声がありますが、遊んでいるうちに徐々に聞こえなくなってくる。例えば穴を掘りたかったら穴を掘ればいいし、焚き火をしたかったら焚き火をすればいい。木を切りたければ切る、ペンキを塗りたかったら塗る。最近はサッカーが流行っていて、でこぼこな山の中でサッカーをやっていたり。よく考えてみると、‟何をやってもいい”ということが、実は本当に珍しいんじゃないかなと。」
自分のできなさ加減もよくわかる自然との共有
海も山も近い逗子という立地。そんな自然を介して、いろんなことを発見していく塚越さん。「真剣に遊ぶということが、僕を立ち返らせてくれた。自分の出来なさ加減も伝わってくる。何というか、叶わなさや限界も知れるし、何せコントロールできない。火をつけようと思ってもうまくつかない、天気もそう。コントロールできないということは、いろんなことに気づかせてくれるんです。」
そんな中、ご自身のお子さんにも変化が表れていくことにも気が付きます。
東京から移住して、家族にも徐々に変化が表れてきました。最初は裸足で砂浜を歩けなかったという塚越さんの息子さん。「長男は幼稚園に入るタイミングで、下の子は逗子で生まれています。最初長男は砂浜を裸足で歩けなかったんです。慣れていない感触が気持ち悪いと言って。そうした感覚を持つ子どもがいることは知っていましたが、サーフィンをする僕からするとショックに感じました。」
しかしその後も自然の中で遊んでいるうちに、砂浜も歩けるように。「自然の中でいろんな仲間と過ごしていくうちに、海と山でのびのび育ってくれて、それは本当によかったと思います。だからといって野生児になったということでもないですよ。長男は高校生になりましたけど、普通に育っています。」
ないものは作ればいい、それぞれが好きに過ごせる場所
地図で見れば最寄りの逗子葉山駅からは約700mですが、この場所に来るまでに山道を10分歩きます。「ここへ来て遊んでいる子は、どんどんと体の使い方を覚えて、山の中でも自在に動けるようになってきます。2歳くらいからこの山で遊びだして2年も通うと、ベースがしっかりできてくると感じますね。単純に生き物として強くなれるというか。」と笑う塚越さん。どうやら塚越さんにかかっては、この急な山道も楽しんでいるように見えます。
原っぱ大学はいま流行りのグランピングのように快適な場所ではありません。「ここは水道がなかったり、簡易トイレだったり、ガスもない、屋根もない、完璧に管理されたものではない。ないものだらけなんです。でも、好きに過ごせる。何にもないけど、何でもある場所で、ないものは作ればいいと。それぞれが思って好きに過ごせる場所です。」
駅から徒歩圏内で、海にも山にも行けるコンパクトな逗子の魅力
駅から徒歩20分で「原っぱ大学」のベースキャンプに到着。ここで泥だらけで遊んで、海までそのままお散歩、その後海へ入ってまた遊ぶ。都会ではなかなかできない体験も原っぱ大学では見慣れた光景です。それは逗子ならではの地形の良さだと語ります。
「逗子の魅力といえば、やっぱり海と山、それは間違いないです。半島の素晴らしさって、そういうところなんです。まずはアクセスの良さ。駅から20分でこのような山に行ける、川もある、海も、そして街がある。歩いて全て完結できるというのは大きな魅力だと思います。」
三浦半島、とりわけ逗子の魅力はちょうど良いスケール感だと話してくれました。「東京から小一時間のところで、こんなにも自然に身近にアクセスできる場所はなかなかない。山には猪はいますが、熊はいない。山遊び、野遊びする上で、究極のリスクを回避できています。自由に遊べる場所が、目の前にあるということが凄いと思います。」
自然のフィールドの中、親子で遊べるコンテンツを開発中
東京での生活を経て地元逗子に戻り、原っぱ大学を開校した塚越さん。今年で発足から12年を迎えました。活動はさらに快活となり、京浜急行電鉄株式会社のサステナブルな社会に向けた三浦半島の「都市近郊社有林」を管理する、「みうらの森林(もり)プロジェクト」に参加するまでに。伐採木材を再生可能資源として活用するこの取り組みの中で、都市近郊社有林を自然のフィールドとして、親子で遊べるコンテンツの開発を行っています。
「三浦半島の大きなインフラを作っている鉄道会社が、誰も意識してなかった山に目を向けて、地域の人たちと一緒に、その山を未来に受け継いでいくための活動を、事業性を持たせてやっていこうと言う取り組みは、とても最先端だと思ったんです。」と参加を決めた理由を話してくれました。
「実際リリースが出た時に、僕の周りの人たちは、とても反響がすごかったです。」と語る塚越さん。現在この場で‟親と子が遊べる場づくり”というコンテンツ開発をおこなっています。今のフェーズは開拓で、すごく面白いと身を輝かせながら話してくれました。
最後に逗子にこれから住む人へのメッセージをもらいました。
「逗子や葉山、三浦もさまざま違います。僕は地元根性が強く、自分のアイデンティティは逗子にあると思っていましたが、いろいろな人たちと触れ合う中で、三浦半島民だと思うようになりました。」
そしてやはり、いちばんのおすすめはほどよいコンパクトさだと話します。
「なんて豊かな場所なんだろうと。東京生活圏でありながら、海と山、街がギュッとあるという。三浦半島の最大の魅力は起伏だと。いろんな角度から楽しめる。棚田や花が咲く様子に四季が身近に感じられる。コンパクトな中に全てが詰まっている、それは本当に魅力だなと思います。」