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2015年10月21日 ココロココ編集部

「幸せ探し」の旅が運命を変えた!起業でも地域おこし協力隊でもない、私の移住スタイル

周囲約4.7キロメートル、人口約180人。115世帯が暮らす、平均年齢64.57歳の島 「男木島」。

そんな小さな島に2015年の春、ある一人の女性が移住しました。彼女の名前は齊藤美紀さん。
当時、大学4回生で就職先も決まっていた彼女の運命を変えたのは、ふとした想いから始まった「幸せ探し」の旅でした。

起業でも地域おこし協力隊でもない移住スタイル。「幸せ探し」の旅に待っていた結末とは!?

いざ、幸せ探しの旅へ!

美紀さんと男木島との出会いは2013年10月。当時美紀さんは、大学4回生で卒業後に重症心身障害者とよばれる重度の障害を持たれた方の生活介護施設への就職を控えていました。

「就職先も決まり、周りから見ると順風満帆の学生生活だったかもしれませんが、当時の私は、他人の人生や幸せにかかわることの意味について、悶々と考える日々が続いていました。なかなかその答えを見出すことができず息詰まりを感じていた時に、通学途中の電車で当時開催されていた瀬戸内国際芸術祭のポスターがふと目に入ってきました。『気分転換がてら島めぐりにでも出かけてみるのも良いかもしれないな、ついでに悩みのヒントを見つけることができるような何かができれば』そんなことをふと思い立ち、旅に出ることを決めました。」

こうして始まった旅に、美紀さんはあるテーマを掲げていました。それは「幸せ探し」。

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「島々でアートを鑑賞してまわる傍ら、旅先で出会った島の人や観光客の方などに「あなたの幸せとは何ですか?」と尋ねてその答えや対話内容、所感をスケッチブックに記録していくといった「幸せ探し」を行いました。」

そんな旅の最後に訪れた男木島が、美紀さんの運命を変えることになります。

「男木島に着港する際、山あいに段々に組まれた石垣の上に、密集して家屋が立ち並ぶ街並みを初めて目にして、『なんて素敵なところだろう!』と心が震えたのを今でもはっきりと覚えています。その情景もさることながら、その後滞在時間わずか半日足らずの間に「いつかここに住みたい!」と思うまでに男木島の魅力にすっかり取り憑かれてしまいました。」

しかし、「幸せ探し」の旅で訪れたいくつもの島の中から、男木島の何が、美紀さんをそこまで惹きつけたのでしょうか。

「それは男木島に生きる人の島への深い愛と、人情味あふれる人柄です。長年島暮らしを続けてこられたご年配のおじいちゃんやおばあちゃん、民宿やカフェを営むお父さんやお母さん、男木島に移住したりボランティアに足しげく通われている若者の方など、どなたにお尋ねしても必ず返ってきたのは『この島に居ることが幸せだ』という答えと、決して飾られたものでないありのままの笑顔。特別何かをせずとも、毎日をこの場所で過ごせることが幸せだと話す彼らの姿に、己の価値観を大きく揺さぶられたのと同時に、『私がずっと探していた答えがこの島にはあるような気がする』と直感的に感じました。
『男木島のことをもっと知りたい』という私に「またいつでも帰ってきてね」とあたたかく見送ってくれた彼らにまた会いに行こうと、それ以後まとまった時間ができる度に、男木島へ遊びに行くようになりました。」

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そうして男木島に通うようになって約1年がたった頃、美紀さんにある転機が訪れます。

「面識のあったIターン移住者の方の紹介で、移住希望者が長期滞在で利用できるゲストハウスがあることを知りました。この頃はすでに大学を卒業し、先述した施設で介助スタッフとして働いていましたが、夏季休暇を9日間いただけるということだったので、その連休を使って移住体験をしてみることにしました。

運動会などの島全体で盛り上がるイベントに参加したり、海で自分で釣った魚や山で採れた自生物を調理したものを食べたり、底引き網漁をされている漁師さんの船に乗せてもらって、漁業体験に出かけたり、台風が過ぎ去るまで1日避難生活を送ったり(笑)と色濃い日々を送りました。」

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この滞在期間のうちに、島の皆さんに少しずつ顔や名前を覚えてもらえるようになり、これまでの関係性以上に距離がぐっと縮まっていく中で、よそ者としての関わりを続けるのではなく島の一員になりたいという気持ちが次第に増してきたと、美紀さんは言います。

「この機会から親交のはじまったUターン・Iターンの若者移住者のゆるやかなコミュニティや暮らしぶりに触れるうちに、『時間や仕事に縛られない等身大で自由な生活がここにはある。わたし以上に男木島のことが大好きな仲間がいる』と移住への思いが一気に高まっていきました。移住を真剣に考えているのであればと、その後、若者移住者を中心にさまざまな方が仕事や住まいに関するサポートをして下さったおかげで、紆余曲折はあったものの、2014年の暮れには、ある程度の見通しが立ち、自分自身でも驚くほどのスピードで2015年4月の移住が実現しました。」

 

起業や地域おこし協力隊ではない、自分なりの移住

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晴れて男木島に移住した美紀さん。そんな美紀さんの男木島での仕事は、起業でも地域おこし協力隊でもありませんでした。移住に向けて準備していた彼女に起こったある出来事が、男木島での暮らし方の意味を考えさせられるきっかけとなります。

「移住に向けて島での仕事や住まいをちょうど探し始めた頃、突然、交流のあった島の方が亡くなられました。彼は大工職人で、自分の家の改修そっちのけで島民に頼まれた仕事を優先して次々にこなしていくような心やさしい方でした。『頼まれごとが落ち着いて自分の家を直せるようになったら、家の横の空き地に小屋でも立てて、みんながゆっくりできるような休憩所を作りたんや。島で採れたイノシシ肉なんか振る舞えたらいいなと思ってる』亡くなられる直前にたまたまそんな夢を語ってくれていた彼に『いつか一緒にやりましょう!』と答えると、大きな笑顔で頷いてくれたことを、今でも鮮明に覚えています。

それがもう叶わないと知った時に『いつかじゃだめなんだ。あまり考えたくないことだけど、今のままでは島に暮らす年配の方はどんどん亡くなり、数十年後には、もしかしたら私を支えてくれている大好きな人たちがいなくなってしまうかもしれない。そうなる前に、これまで島の人が大事にして来られたものや想いを引き継いで、男木島の未来につなげていかなくては』と強く感じました。」

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「ほかの若者移住者が、Webデザインなど場所を選ばずにできる仕事を持っている人が多い中で、社会人になってまだ間もなかった私には、手に職となるものや経験、何かを始めるにも資金がほとんどなく『まだ飛び込む時期ではないのかもしれないな』と正直ずっとくすぶっていたようなところがありました。しかし、この出来事を境に『この場所で、ここに暮らす人たちといまを生きたい』という気持ちが、それまで抱いていた不安を一気に押しのけ、移住への想いが固まりました。このときの勢いがとても大事だったと、今になって感じます。」

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「現在は、子どもを持つU・Iターン世帯が3世帯帰って来たことを契機に、2014年に再開を果たした「高松市立男木小・中学校」で給食配膳員として勤務しています。子どもたちや先生方と一緒に給食をいただけるので、童心に戻ったような気持ちで楽しみながら働かせていただけています。給食配膳員の勤務時間は基本平日お昼のみ(実働時間3時間)なので、その前後の時間や週末を利用してNPOの一員として所属している男木島図書館の拠点改修作業のお手伝いやブログ更新、若者移住者が中心となって立ち上がった男木島生活研究所のメンバーとともにおみやげ品の生産や開発、民宿のお手伝い、高松のカフェでのアルバイトなど形態も規模もさまざまに、島内外での活動に関わっています。

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会社員のように安定した仕事を島内で見つけることは難しいですが、思い切って移住してみると不思議と小さな頼まれごとや仕事が次々に舞い込んでくるので、大阪で勤務していた頃に比べると、ひと月あたりの収入はかなり落ち込みましたが、生活するには十分に事足りる分だけは安定して得ることができています。でも、個人的にお金をもらうことより嬉しいと感じるのは、「みきちゃんがおってくれて助かった」と笑顔で言ってもらえる一言。求められる場所がここにはあるような気がして、「よし、今日も頑張ろう!」と私もいつでも前向きに、笑顔で頑張れます。」

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そんな美紀さんが平日の午後や、週末を利用して取り組んでいる「男木島図書館」を始めるきっかけは何だったのでしょうか。

「「男木島図書館」のことを知ったのは、移住体験を期に親密に関わらせてもらうようになった若者移住者の中で出会った、福井順子さんがきっかけでした。「男木島に図書館を作りたい」と活動していた彼女は、出会った当初、現在稼働している移動図書館や拠点となる古民家の改修作業を行う前の構想段階で、これからNPO法人化して具体的に活動を展開していく段階でした。もともと私自身本が好きだったこと、人と人がゆるくつながる場づくりをしたいと思っていたこと、そして図書館づくりを通して子どもたちの学習環境と島内のコミュニケーションに関するさまざまな問題を解決したいという彼女の考えに共感し、NPO立ち上げメンバーの一員として活動に関わらせていただくことになりました。

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男木島図書館は現在セルフリノベーションによる改修作業の真っただ中で本とは無縁とも思える状況ではありますが、男木島図書館のメンバーや作業をお手伝いして下さるボランティアさん、完成を楽しみに応援して待って下さっている島内外のみなさんと場を育んでいけていることに大きな喜びを感じています。居心地の良い、男木島らしさ溢れる図書館にしたいと思っているので、完成した折にはぜひ遊びにいらして下さいね。」

 

前よりもずっと生き生きしている

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時間に追われる都会の生活から、自然豊かな男木島への移住。環境や仕事などの暮らしの変化は、美紀さん自身にも変化をもたらしました。

「男木島で暮らすようになってから、自然の変化にとても敏感になりました。空模様や海の色、木々のおりなすコントラストなど毎日ちがった表情が見られるので、ぼーっと景色を眺めているだけでも飽きることはありません。また、関西にいるときほど時間を気にしなくて良いようになったおかげで、気の赴くままに好きな時間に寝て起きて、夕日を眺めて「今日も一日が終わってくなぁ」と自然のサイクルを感じたりしながらのびのびとストレスのない生活を送ることができています。何より嬉しいのは移住後に会う友人から「前よりすごい生き生きして良い感じやん」と言ってもらえることですね。

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ただ、食べ物が美味しくてついつい食べ過ぎたり、島のみんなで集ってお酒を飲む機会が増えたり、日常行動圏内が徒歩10分以内に限られたりしているので、これからの寒くなる季節、いま以上に見た目は変化しないように十分気をつけていきたいと思います(笑)」

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また、都会と島の「人との距離感」についても、美紀さんは感じることがあったと言います。

「都会にいる時と最も違って感じることは、「人との距離感」です。都会にいると隣近所にどんな人が住んでいるかさえ分からないことが多いと思いますが、男木島はまるで島全体が気の知れた家族のよう。移住してまだ間もなかった頃から「島にはもう慣れた?」「食べるもんには困っとらんか」と道なりで顔をあわせる人たち皆が、声をかけて下さったり、畑で採れたての新鮮なお野菜や手作りのおかずをおすそ分けして下さったりと、よそ者だった私を受け入れ本物の娘を可愛がるかのように優しく接して下さいます。

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無縁社会という言葉が一般的になるほど他者とのつながりが希薄になっているとされる現代において、普段の生活の各場面に思いやり、支え合い、そして「ありがとう」に溢れている男木島に生きていることがほんとうに幸せだと思えます。こうした幸福感は、都会に、あり余るほどあるどんな”モノ”や”刺激”を以ってしても代えがたい、この島ならではの魅力のひとつだと思います。また、人口約180人の小さな島なので、一人ひとりが島を動かす担い手であることが、都会にいる時よりも目に見えてはっきりと分かるところも面白いと感じますね。」

 

さまざまな運命が引き寄せたパートナーとの出会い

自分の直感を信じ、一つひとつ階段を上っていった美紀さん。しかし、住む環境も仕事もいきなり変化してしまう「移住」において、人とのコミュニケーションや、住まいについて、漠然と不安を抱えてしまうもの。美紀さんはどのような準備や心がけをしていたのでしょうか。

「移住後も変わらずに心がけていることですが、挨拶は欠かさずに、自分から積極的に行うようにしていました。その挨拶から「今日は良いお天気ですね」など自然と会話が広がっていくことも多く、遊びに行く度に知り合いがどんどん増えていきました。時を重ねるごとに島の方から声をかけて下さるようになったり、移住前に若者移住者が私の誕生日会を企画してくれたりするほどに交流が深まっていく中で、第二のふるさととしての認識も自ずと高まっていきましたね。

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また、聞かれてもいないのに話す人話す人に「いつか男木島に住みたいんです!」と宣言していたことが幸いして、移住前から男木島にまつわる昔話や島の方の生活実態、ちょっとした人間関係などを教えてもらうことができていたので、移住に際して大きく不安に感じたことはほとんどなかったように思います。」

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「住む場所については、なかなかすぐに貸してもらえる家が見つかりませんでした。現在、島内の空き家率は約46%とほぼ半数の家が空き家という状態ですが、理由には、仏壇や家具、寝具など大量の物がそのまま残っているなど、帰省時の利用がある点でした。そんなときに、移住体験の際にお世話になっていたゲストハウスのオーナーさんが「うちのゲストハウス、一室使ってもらって構いませんよ」と救いのお声がけを下さり、お言葉に甘えてそのまま入居させていただくことになりました。集落の上手の方に位置する4部屋ある立派な一軒家で、オール電化、ネット環境が整っているので不便に感じる点もなく快適に過ごせています。」

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ちなみに移住当初からともにシェアして暮らしている岡山出身の男性移住者がお一人いらっしゃるのですが、この場所が紡いでくれたご縁で、彼はいま私の大切なパートナーにもなっています。将来的には彼が借りている古民家を修繕・改修して、そちらに移り住む予定です。

 

この島の未来を担う一員として

最後に「美紀さんが考える自分自身の未来」について聞きました。

「とくにいつ結婚して出産したいというこだわりのようなものはありませんが、その時が来たとしても、今と変わらず、パートナーとゆるやかに、笑い合って過ごしていられると良いなと思います。まずは図書館の改修作業がひと段落した後で、実地で学んだセルフリノベーションのノウハウを駆使しながら、彼とふたりで住む古民家の修繕・改修を一緒に頑張っていきたいと思います。

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今後、個人的に取り組めたらいいなと思っていることは、男木島に生きる人の生き様や記憶をアーカイブとして残していくことです。普段のふとした会話の中で「昔は山のてっぺんまで段々畑があってね」「旦那さんが生きてるときは夫婦船で一緒に漁に出かけとったんよ」と、島の方を介在して私の知らない男木島の姿に出会うことができます。過去は今と繋がり、未来にも繋がっている。だからこそ、これからこの島の未来を担っていく一員としての役目がそこにあるのかもしれないと感じています。

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同時に、移住希望者の方のサポートにも仲間とともに取り組んでいけたらと思います。男木島と関わり出した当初から私自身本当にたくさんの方に支えていただいて、いまの幸せな生活を手にすることができました。あるとき、お世話になった方に「何かお礼させてください」と言ったときに、「うちは大丈夫やから、だれか困ってる人がいたときに今度はみきちゃんがその人に優しくしてあげたら良いんよ」というお返事をいただきました。恩返しではなく恩送り、こうした人々の自然で愛に溢れた心が私を虜にしたのだろうと実感しました。

男木島のことを同じように好きになり、守っていきたいと思ってくれるあらたな仲間との出会いを楽しみに、これからもこの島で生きる幸せに感謝しながら暮らしていきたいと思います。」

今日もまた一人、また一人と、「男木島」の魅力を伝え続ける美紀さん。幸せとは何だろうか。自分にとって最も大切なものは何だろうか。
次に「幸せ探し」のバトンを受け取るのは、あなたかもしれません。

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ココロココ編集部

ココロココ編集部ココロココでは、「地方と都市をつなぐ・つたえる」をコンセプトに、移住や交流のきっかけとなるコミュニティや体験、実際に移住して活躍されている方などをご紹介しています! 移住・交流を考える「ローカルシフト」イベントも定期的に開催。 目指すのは、「モノとおカネの交換」ではなく、「ココロとココロの交換」により、豊かな関係性を増やしていくこと。 東京の編集部ではありますが、常に「ローカル」を考えています。

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