ゆったりとした土地でストレスのない生活を送りたい
福岡県出身の梅木隆さんは、秋田県にある美術系の学校を卒業後、香川県や茨城県で主に美術関係の仕事をしていました。福岡県で出会った奥様と茨城県で暮らしていましたが、娘さんが2歳のときに八女市への移住を決めました。移住を考えるようになったのには、様々な理由がありました。ひとつ目は食べ物で、九州の味が恋しく、関東での食生活に馴染めなかったこと。ふたつ目は、競争原理の強い関東地方の雰囲気よりも、ゆったりとした土地で過ごしたいという気持ちが膨らんできたこと。そして、一番の理由は、娘さんをご両親に会わせられる場所に住みたかったことでした。
▲一緒に宅老所を支える奥様
「ふたりとも仕事の休みがあわせられなかったので、九州へ帰省するチャンスがありませんでした。両親のいる福岡の近くに住んで子どもの顔を見せたいなと思い始めた時、東日本大震災が起きたんです。それまではやりたいことをなかなか行動に移せなかったんですけど、『いつなにがあるか分からんけん、せっかくならやりたいことしよう』ってことで、福岡県に帰ることを決めました。」
福岡県へ帰るにあたり、まず職の目星をつけようと思った梅木さん。一度経験した介護の仕事が好きだったので、介護の仕事に就きたいと考えました。
「最初はどこかに勤めたいなと思っていたんですよ。それで色々調べていたら、若い人たちが全国のあちこちに宅老所を立ち上げていることを知ったんです。妻はずっと介護の仕事をしていたので、一緒にできるけんいいなと思っていて。」
▲穏やかな空気がながれる宅老所「はるさん家」
宅老所とは、デイサービスや訪問・宿泊サービスなどを提供する高齢者向けの様々な介護事業所の中でも、家庭的な雰囲気を持ち、個々の生活リズムやニーズに合わせた柔軟なケアを行う小規模施設のこと。認知症の方は大人数でガヤガヤしている場所が苦手なことが多く、大規模な施設ではなく落ち着いた宅老所のような規模の施設がよく利用されるのだそうです。
福島地区の歩きやすい街並みに魅了された
2011年の12月に、隆さんは初めて八女市をひとりで訪れました。福島地区の歩きやすい雰囲気が気に入った、と隆さんは言います。
「ほかの地域では車が生活の必需品になっていたり、都心でも電車を使って移動しますよね。でもここは散歩するのにとてもいい街なんです。八百屋があったり酒屋があったり。歩いていて退屈しない。今でも歩く文化が残っているんですよ。」
▲昔ながらの建物が残る八女市福島地区
訪れた町屋のカフェで、古い町屋を利用した宅老所を作りたいことを伝えると、その場にいた方が市役所の都市計画課に連絡を取ってくれ、そこからどんどん話が進んだそうです。そして現在宅老所として利用している町家に出会ったのです。
「契約までに1年かかったんですけど、都市計画課の方がその間、物件をキープしてくれていたんです。普通の不動産会社だったら契約を急ぐと思うんですけど、焦らせることせんで。この街で何かしたいっていう人を、損得なしに丁寧に案内してくれるんです。そういう人がいるから、人を信頼できるんですよね。」
その後、奥様と娘さんを連れて再度八女市を訪れました。その時はちょうどひな祭りの時期で、人力車が出ていたりと賑やかでした。ふたりも街並みや雰囲気のよさをすぐに気に入ったそうです。
▲リフォームを経て開業
2ヶ月に1回のペースで茨城県から八女市に通いながら、宅老所開業の準備をし、2013年1月についに移住。そして、その3ヶ月後には「はるさん家」のオープンを迎えました。
「知り合いもお客さんもいない中で宅老所を立ち上げたので、大変でした。でも、大変だったけど、楽しかったですね。運営のストレスはあるんだろうけど、移住前に感じていたようなストレスはなくなりました。質が違うんですよね。それに仕事よりも子育ての方が大変です(笑)。」
優しく穏やかな空気の流れる「はるさん家」
宅老所を運営するにあたり大切にしていることを伺って、この「はるさん家」の穏やかで心地いい雰囲気の理由が分かった気がしました。
「利用者さんもスタッフもそれぞれ考えがあって動くけん、細かいことを気にしない方がいいかなあと思っています。それぞれのよさがあるんですよね。もちろん私が『こういう場所にしたい』と思うイメージとはズレたことをする方もいます。でもみんなに任せるというか、考えや気持ちには余白の部分はを多めにとるようにしています。」 通常、デイサービスでは脳トレ・体操・口の運動・昼寝など決められたスケジュールに沿って行動することが多いそうですが、「はるさん家」では具体的なプログラムを作らず、何もしない時間もアリなのだと言います。
「室内で体操するのもいいけど、街を歩いた方がもっといいと思っているので、お出かけはほぼ毎日します。街の中に面白い所がいっぱいありますからね。でもそれも行かんでもいいし、行ってもいいよと言って、スタッフに任せているんです。」
▲利用者がいきいきとしている「はるさん家」
この日は、利用者の方がスタッフと一緒になって、昼食で食べる栗の皮むきをしていました。その前には、利用者が洗濯物のシワを伸ばしたり、干す姿も見られました。
「大きな施設だと各家庭で利用者さんの衣類を洗濯してもらうことが多いんですが、利用者さんのできる仕事を作るために、ここではできるだけ洗濯物をお預かりしています。」
生活の中で生まれる仕事や散歩で体を動かすのが一番と考えて始めたこのやり方。ゆったりとした雰囲気の中で談笑しながら手を動かす姿は、家庭のような温かい暮らしを感じさせるものでした。「よかよ~」「可愛いかね~」と、八女弁のイントネーションが優しく、穏やかで心地よい空気が流れています。
好きな土地で暮らした方がいい
▲梅木さんお気に入りの八女市の風景
隆さんはお話をしながら、八女で行われた行事やおすすめの場所のパンフレットを次々出して、ひとつずつ説明をしてくれました。茶畑に、灯籠人形のお祭り、久留米絣、その他様々なイベント。「八女市って印刷物が多いんですよね。街の人も、ここでの暮らしを楽しんでいる人が多いし。みんなこの街が好きで、面白いものがたくさんあるってことを伝えようと思っていて、モチベーションが高いんです。びっくりしたんですが、『お茶』や『提灯』を仕事にしている人がいっぱいいるんです。面白い仕事がたくさんあるから、宅老所がもしダメになっても提灯屋さんで働くのも楽しそうだなって思ってしまうくらい魅力的です。」
「移住したいと思ったら、あまり悩まずに行動してしまった方がいい」と隆さんは言います。「今はだいぶ時代が変わってきていて、求人もあちこちで出ているし、空き家もいっぱいあるけん、仕事も暮らしも全然心配せんでいいし。移住する人だったらモチベーションは高いと思うので、どこの地域でもありがたがられると思います。あれこれ考えると動けなくなるから、あんまり心配せずに。好きな土地で暮らした方がいいですよね。」
街の雰囲気、人との出会い。直感で八女市を選んだ隆さんは、街の雰囲気に溶け込みながら自分の居場所を作り、満ち足りた表情をしていました。「移住する前は、市外や県外から人を呼べるような、アートのイベントをできたらいいなと思っていたんです。外の人に、八女の魅力を含めて知ってもらいたくて。でも、今は宅老所の仕事にかかりきりなので、気持ちに余裕ができてから、次のことをしたらいいのかなと思っています。あんまり欲張らなくていいのかなって。」