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2020年10月8日 EDIT LOCAL

福岡と東京を拠点にローカルを編集する「TISSUE Inc.」

空港が近い、家賃が安い、メシがうまい。地方移住や二拠点生活の候補地としてたびたび名前を聞く福岡に、東京で活躍していた編集者・桜井祐さんが移住したのは数年前。早々に自身の組織と出版レーベルを立ち上げ、多様な分野の編集とディレクションを行なっている。これまでの歩みと編集の仕事にかける思いを聞いた。

研究者は食えへん、ならば編集者に

身長182センチ。ダボッとした服装にパーマ頭。関西弁で、ズバズバと本質を言い当てる。移住して3年半だが、すでに福岡の街で確かな存在感を確立している。編集者の桜井祐さんのことだ。

兵庫県加古川市に生まれた彼は、小学生の時に一年間ニュージーランドに住み、初めて海外を知る。そして、自国・日本について何も説明できないことに、もどかしさを感じたという。その思いは大学まで続き、大阪外国語大学で比較文化を学んで、日本古代の服飾史を専攻。そのまま研究者になるつもりで大学院まで進んだものの、研究の世界にいては「食えへん」と悟った桜井さんは、改めて自分の適正に合う仕事を夢想してみた。それが、編集者という仕事だった。

桜井祐さん|写真:山中 慎太郎(Qsyum!)

「研究者になるには圧倒的に情熱が足りないと思ったんです。研究者になって食っていけるような人は、誰にせっつかれるでもなくあらゆる時間を研究に注いでいる。でも僕は研究にあてる時間とプライベートの時間を分けてた。じゃあ自分にとって同じくらい夢中になれることって何なのか考えたときに、やっぱ本なのかなと」(桜井さん)

そうと決めたら、すぐさま動いた。東京で人材系企業に就職し、ビジネス系雑誌の編集を手がける。その後、クリエイティブカンパニー・東京ピストル(現BAKERU)の代表・草彅洋平さんと知り合った桜井さんは、より自分の興味の赴く方へと、そのまま東京ピストルに転職。翌年には早々に取締役に就任し、ハイパーローカルなシティカルチャーガイド「TOmagazine」の編集や資生堂「花椿」の編集顧問、日本近代文学館の「BUNDAN COFFEE & BEER」の立ち上げなど、話題の企画を次々と手掛けた。

さて、そのまま東京にいても、魅力的な仕事は多かったはずだが、桜井さんは2016年の秋に福岡へと移住。その理由は何だったのだろうか。

「東京ピストルはやっぱり草彅さんの会社なんで、このままいても『草彅さんとこの桜井』から抜け出せへんなぁと思って。東京オリンピックが終わったら、クリエイティブ業界も不景気になるだろうし、一箇所に住むのも飽きてきた頃やったから、拠点を分けておくのも悪くないなと」(桜井さん)

兵庫から大阪、その後東京、そして福岡へ。少し前には、東京ピストル時代から気心の知れていたデザイナー・吉田朋史さんが福岡にUターンしていたこともあり、2016年に福岡へと移住。さらに、翌年には東京在住の編集者・安東嵩史さんと共同で、クリエイティブディレクションを中心とするTISSUE Inc./ 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。ここから、福岡を拠点に全国へと発信するクリエイティブワークを続けていく。

商業出版とZINEとの間にある、500〜1000部程度の中規模出版の可能性を追求する独立系出版レーベルTISSUE PAPERS。桜井さんと安東さんそれぞれが、良いと思える作家の作品集や写真集を出版している。|写真:山中 慎太郎(Qsyum!)

まずは前提を疑うこと

移住後に桜井さんが手掛けてきた仕事はどれも個性的だが、中でもローカルに眠る資産を拾い上げ、現代的な文脈に接続する手腕は際立っている。

例えば、福岡県八女市の仏壇仏具協同組合による仏壇リブランディングプロジェクト「ブツマプロジェクト」のクリエイティブディレクション。佐賀県が焼き物の里であることに着眼し、365日分の豆皿を製作・撮影して作った日めくりカレンダー「365 DAILY MAMEZARA CALENDAR」。新潟県長岡市が所蔵していた火焔土器の3Dデータを誰でも利活用できるようにした「縄文オープンソースプロジェクト」などなど。

八女福島仏壇仏具協同組合をクライアントに、「仏壇の新しいかたちを考える」をテーマにしたリブランディングを担当。現代的な仏壇のあり方とは何かを模索する展示「ブツマ展」も行なった。

佐賀県が県民向けに制作した日めくりカレンダーと、関連イベントの企画とディレクションを担当。365枚の豆皿を実際に制作し、それを撮影してカレンダーとした。2018年度グッドデザイン賞受賞。

新潟県長岡市から「所蔵している火焔土器を使って何かしたい!」と相談を受けたことから始まった、縄文オープンソースプロジェクト。

課題に対して企画を立て、印刷物に限らず、さまざまなものを編集する。「広義の意味での編集」という言葉も、最近はよく耳にするようになったとはいえ、企画から印刷物、イベントまで一貫したディレクションができる人は少ない。そもそも、発注元からトータルにプロデュースして欲しい、とオーダーが来ること自体、なかなかないのではないか。

「こんなことをやりたいと、誰かが相談に来てくれる。でも何のためにそれをやるのか、よくよく掘り下げていくと、先方が選んでいた手段が必ずしもベストな方法ではないことがある。そういうとき、そもそもの目的を起点に、先方の考えていた『やりたいこと』をひっくり返して、手段から考え直すのが、僕の役割なのかもしれません」(桜井さん)

資料と蔵書に埋もれた事務所の一角にある、ハンモックスペース。ここで読書か昼寝をするのが好きとか。|写真:山中 慎太郎(Qsyum!)

例えば、JA阿蘇の仕事の場合は、こんな風だ。JA阿蘇は、ジャージー牛(一般的なホルスタイン種よりも、濃くて味わい深い牛乳がとれる品種)の酪農を始めて60周年を迎え、パッケージリニューアルとそれに合わせたwebサイトのリニューアルを行いたいと考えていた。そこで、webサイトのリニューアルを桜井さんに相談。すると桜井さんが提案したのは、福岡市内のカフェでのプロモーションだった。その仕組みはこうだ。

まず桜井さんが福岡市内でプロモーションに協力してくれそうなカフェに交渉。協力店舗が決定後、JA阿蘇はそのカフェに、阿蘇小国ジャージー4.5牛乳を無料で提供する。その代わりにカフェ側は、牛乳を使用するドリンクがオーダーされた際、通常の牛乳をジャージー牛乳に無料変更可能なことをお客様に提案。ジャージー牛乳を選んだお客様には、もれなく阿蘇小国ジャージー4.5牛乳の60周年記念パンフレットが手渡される。

JA阿蘇にとっては、トレンドに敏感な人々が集うカフェで、現物支給のみでこだわりの味を知ってもらうことができる。カフェにとっては、原価率を下げてドリンクを提供でき、話題作りにもなる。お客様にとっては、牛乳の種類を選ぶ選択肢が増え、通常の牛乳よりも値の張るジャージー牛乳で作ったドリンクがいつもと変わらぬ価格で飲める。三方よしのプロモーション企画となった。

阿蘇小国ジャージー4.5牛乳のwebサイト。福岡市内のカフェ manu coffeeと協力し、ジャージー牛乳で作ったドリンクの提供のほか、サイト内でもバリスタ監修のレシピを公開した。

下請ではない、対等なパートナーシップを

目的に対して、最適な手段をゼロから考え直す。しかし、当のクライアント側が、そのことを嫌がる場合もある。決めた前提を覆されるのは、担当者にとっては避けたいこと。自治体など、意思決定に時間がかかる組織なら、なおさらだ。

「やるべきことを決める前に、予算が決まってたりしますからね。印刷部数が決まる前から編集・デザイン・印刷・製本費込みの予算がすでに決まっていたりする。それでも預かった予算の中で何とかいいものにしようと思うと、どうしても印刷・製本コストが上がり、逆に自分の取り分は減る。適当な安もん作った方がこちらとしては儲かるわけで、いわば作り手としてのプライドと自分の取り分が天秤にかけられてるわけですよ。こういう状況は『それ違うんちゃいますか』と積極的に訴えて変えていかなきゃいけない」(桜井さん)

印刷や造本に対するフェティシズムを感じる、桜井さん編集の本。「Relight Project」というアートプロジェクトの活動をまとめた本は、2冊の冊子とチラシを組み合わせて構成されている。冊子1(黒)にチラシを糊付けし、上からシルクスクリーンでタイトルを刷り、さらに上に冊子2(白)を糊付けして完成という、狂気の仕様。|写真:山中 慎太郎(Qsyum!)

そのためには、発注者と下請業者という関係ではなく、対等なパートナーシップを組むことが大切だ。仕事をして成果を出し、報酬をもらうという等価交換の世界なら、立場は対等なはず。それは、チームを組んで、一緒にものを作りあげるデザイナーやカメラマンも変わらない。下請けとして使うのでも使われるのでもなく、片手でがっちりと握手して、もう一方の手で殴り合うくらいの、本気の関係性が理想形という。

「クライアントの希望を優先するあまり、クライアントにおもねったり、自分の実現したかったビジョンを犠牲にするのは、違うと思うんですよ。一流の人は、自分のやりたいことをやりつつ、相手にも利益をもたらせるんちゃうかなと。ただ相手の求めるものをつくるだけなら、あとは価格の過当競争になるだけ。誰がやってもいいなら、僕はそこで勝負したくはないなと」(桜井さん)

編集とは、動物と人間を分かつ遊戯

編集者とはこうあるべきと固執せず、場所を移り、人に会い、広範な編集の仕事を続ける桜井さん。あらためて、この仕事の魅力について聞いてみた。

「例えば散歩していて『スナック・チェリー』という看板が目に入ったとします。その後、『井戸』という名前のバーがあったら、僕の頭は『これって、桜井のことやん!』と思う。情報と情報の間に、何かしらの関連性を勝手に見出して、楽しんでしまうわけです。これって、動物と人間を隔てる、すごい人間的な行為だと思いませんか。編集とは、文脈=コンテクストを演出する仕事。消費に依らずとも、生きる楽しみを提供できる仕事だと思ってます」(桜井さん)

福岡に拠点を移し、JAや自治体などローカルのパートナーとの仕事が増えたが、東京にいたときの仕事とどのような違いがあるだろうか、聞いてみた。

「こっちに来て思うのは、生産者との距離が近いこと。作り手とわかり合うことができればどんな企画も実現できるし、意思決定も早い。これが東京だと、生産者と消費者の間にいろんな人が入ってくる。作るものに対する責任のあり方も、違うんとちゃうかな。例えば僕が旅館の経営者に相談されて、『ここの絨毯は濃紺がええんちゃいます?』と言ったとすると、経営者は、何百万かかけて、絨毯を濃紺にしてしまう。リスクを背負う意思決定に、自分も大きく加担している。そういう関係性において、いい加減なことはできない」(桜井さん)

さて、折しも新型コロナウイルス感染症により、人が多い都会で生活することのリスクが顕在化している。では、自分が普段暮らしている足下のカルチャーをどう豊かなものにするか、悩んでいる人は多いだろう。そんなとき、強いリーダーシップとディレクション力でローカルの魅力を発信する桜井さんのような存在は貴重だ。彼のように地方に移住しカルチャーを生み出すクリエイターも少しづつ増えてきている。

「さっき話したみたいに、クライアントの意思決定にダイレクトに関われるのがローカルの面白いところ。ただ、その代わりやり始めたことは最後まで責任持ってやらないとダメ。当たり前ですけどね。『東京でやってこれたから地方なんて楽勝』みたいなヤツは、僕が一人ずつグーでシバいていきますから。東京で食っていけへんヤツは、地方でも食っていけへんからな。ってそう書いといてください」(桜井さん)

ローカルを本気で面白くしていくのは、きっとこういう人なのだ。

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ライタープロフィール
佐藤渉(Wataru Sato)
1980年、千葉県船橋市生まれ。横浜国立大学経営学部卒。都内制作会社にて、企業広報を軸に年間約100件の取材・ライティングを行い、2010年よりフリーランスに。翌年、拠点を福岡に移し、現在は東京と福岡を往復して活動。寄稿執筆の他、企業CI設計、webサイト制作、オウンドメディア編集制作などを手掛ける。

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EDIT LOCAL より転載(http://edit-local.jp/interview/sakurai//

取材先

TISSUE Inc. / TISSUE PAPERS

TISSUE Inc.は、編集者・桜井祐さんと東京在住の編集者・安東嵩史さんとの共同で2017年に設立された、クリエイティブディレクションを中心とする組織。また、TISSUE Inc.が運営するTISSUE PAPERSは“あなたのデリケートなところにタッチする”独立系出版レーベル。現在までに、石田真澄写真集『everything will flow』、熊谷直子写真集『赤い河』、NONCHELEEE 作品集『LIFE GOES ON』などを発表し、国内外の書店やアートフェア、ブックフェアなどに紹介している。

桜井祐(さくらい・ゆう)

1983年生まれ、兵庫県出身。出版社を経て、2012年に株式会社東京ピストルに入社。主な仕事に、『TOmagazine』編集(2014~2015年)、「BUNDAN COFFEE & BEER」プロジェクトリーダー(2012年)、世田谷文学館「植草甚一スクラップ・ブック展」展示・イベントディレクション(2015年)、資生堂『花椿(Web版・雑誌版)』編集顧問(2015~2017年)など。2016年秋より福岡に移住、2017年クリエイティブディレクションを中心とするTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。福岡デザイン専門学校非常勤講師。大阪芸術大学非常勤講師。

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