高野山で生まれ育ったオーナー高井良知さん
西村 :良知さんは高野山で生まれ育っておられるんですよね?ご実家はやはりお寺関係だったのでしょうか?
高井良知さん(以下良知): 祖父・親父と兄が僧侶です。兄が後を継ぐ予定だったし、自分はやっぱり若い頃はこの雰囲気が窮屈で、ここから出たいと思っていました。一応ここは高野町っていうまちですけど、人口は3,000人弱で、気分としては高野「村」ですよね。日常生活するためのお店も少ないし、山の上で不便ですしね。
高井有里さん(以下有里):買い物とかも、大きなスーパーは高野山にはなくて、車で30分くらい山を下りないといけないので、半日がかりなんですよね。
良知 :小学校のときは、奥の院(空海が眠る聖地)でサッカーやかくれんぼをして遊んでいました。奥の院でかくれんぼしたら見つかりません、広すぎて。まあそんなノリで遊んでいたので。僕のなかでは高野山というのは当たり前にそこにあって、染みつき過ぎて全然その価値がわからなかった。なので、海外に行って外から見て初めて、改めて「高野山っていいところだな」と気づきました。
長旅中のインドでひらめいたゲストハウス開業
西村 :大学をご卒業されてその後イギリスに留学されたんですよね?
良知 :はい。大学を出たあとアパレルの企業に3年くらい勤めていました。その後退職して、音楽好きで特にイギリスの音楽が好きだったのでやっぱりロンドンと思って。当時はゲストハウスをやりたいなんて考えてもいなかったです。
西村 :そんな良知さんが帰国後、ゲストハウスを開業したのはどういう流れだったのでしょうか?
良知 :また会社に入るのが嫌だったというのはありますね(笑)。年齢的に20代後半で、もう人に使われるのはいやだな、と思って。キャリアとしては、アパレル以外にも小さな商社のような会社のネットショップで働いていました。自分でオリジナルのコーヒーカップを企画して、タイの工場と提携して作らせて売ったりして。僕も英語が活かせると思っていたので、そこで海外の担当として出張したりもして、仕事はそれなりに楽しかったのですが、そこも一区切りしたあと、海外に長めの旅に出たんですね。
旅から帰ってきてからどうするかは全然決めてなかったんですが、たまたまインドのバラナシというところで安宿に泊まっているときに、直感で「ゲストハウス」っていうキーワードが下りてきたんです。「そういえばこういう宿、高野山にないな、あったらいけるんじゃないか」と。
本能に従って調べてみたら、ある程度事業的にも見通しが立てられると判断しました。それが2010年のことです。ただ、その後東日本大震災が3月にあって、その年じゅうに開業したかったんですが、その年の高野山の観光客の客数が8~9割減ってしまって。最初から、ゲストハウスは外国人観光客向けにやろうとしていたので、最初はそれで考えが揺らぎました。
有里 :開業前に同業の方にお話を聞くと、「外国人ターゲットで絞るのはやめておいたほうがいい。日本人も半々くらいがベスト」とも言われていて。
良知 :ただもう頭の中は「ゲストハウスやるしかない」と思っていたので、夏頃のオープンを目処に話を進めることにしたのですが、2011年は震災の影響で工期がめちゃくちゃ遅くなってしまって。2012年の夏にも間に合わず、結局秋のオープンになりました。
宗教都市高野山で異彩を放つ、スタイリッシュな新築ゲストハウス
西村 :このゲストハウスが建つ場所はどうやって見つけられたのですか?
良知 :高野山って土地もほとんどがお寺の所有で、私有地というものがほとんどないという特殊な事情がありまして。
ただ、親族が高野山にお寺を持っていて、そこをユースホステルとして知人に運営を任せていました。そのペアレントさんが2010年でやめると言うのを聞いてたんです。それで経営状況も含めて中を見せてもらったら、「何の宣伝もせずにこれだけの数字なら、ネットの宣伝を駆使したらいける」と思って。
最初はそこでゲストハウスをやろうかなと思っていたんですが、諸事情によりそこが使えず。「じゃあ違うところを」となったときに、母が「自宅の前の空き家を使えないか一度聞いてみたら?」とアドバイスしてくれて。調べてみたらラッキーにもそこは私有地だったんです。
西村 :この場所はご自宅の前でしたか!さらに金剛峯寺の所有じゃないから、取得さえすれば自由に使える、と。
良知 :はい。それでも金剛峯寺にはきちんと話を通しています。高野町の役場にも顔が利く方が僕の親父と仲がよかったので、その方に仲介をお願いしたらスムーズに事態が進んでいきました。
あえての新築、建築家に依頼し設計・施工
西村 :この宿は新築で建てられて、外はグレーでシック、対して内部は真っ白な空間が印象的ですが、これらはどのように決めていったのですか?
良知 :全体の構想は、いろいろ調べて好みが近い京都の建築ユニット・アルファヴィル一級建築所さんにお願いして進めていきました。そもそも高野山は歴史が古い建物があって当たり前。もともとこの場所には昭和の普通の家が建っていましたが、そこを改装するよりは、ぐっと新しいものを作りたいと考えました。
僕らは予算も限られていたのでそれを前提に考えていただきました。もともと柱が見える2×4の工法ってセルフビルドでできるくらいの簡単な構造なんです。アルファヴィルさんは、コクウより小さい規模で震災があった東北の人でもセルフビルドでつくれるという建築を考えておられて、コクウのデザインはそれの発展形でもあります。
西村 :廊下を真ん中に入れて、左右をカプセルタイプにするというのも先方のアイデアだったのですか?
有里 :カプセルに関しては、いろいろこちらから提案しました。ゲストハウスなど他の宿泊施設を見に行ったときに、カプセルホテルは日本独特の発想でおもしろいし、プライバシーが保てるという点がいいなということで採用してもらいました。
良知 :あともうひとつ、山小屋っぽくしたいというのがありました。長野のほうに燕岳(つばくろだけ)っていう山があって、そこに燕山荘という有名な山小屋があるんです。山小屋もベッドが二段になっていてそこで寝るんですけど、そのイメージもありました。でもそんなガッチガチの山小屋よりはもう少しシュッとしたスタイリッシュなものが好きなので…。
西村 :カプセルでシンプルで、山小屋テイスト。確かにここはそうなっている!
良知 :よく北欧から来たゲストが、「北欧の家みたい」と言われるんですが、全くそんなことは考えてなくて。白くて木造建築っていうのがそういうイメージなんでしょうか。
常にお大師さん(空海)の存在を感じる
西村 :高野山でゲストハウスをやっていて日々感じることはありますか?
有里 :高野山で宿ができているっていう贅沢さを感じます。宗教都市という言われ方もしますが、もっとここでは神聖なものが生活に接していて、思想や生き方というものの奥深さを常に感じます。聖地で生活をさせていただいている感覚がありますね。
良知 :ここに住んでいるとお大師さんのことを意識せざるを得ないんです。
有名な言葉で「ありがたや たかのの山の 岩かげに 大師はいまだ おわしますなる」というのがあって、意味はお大師さんはずっと見てくれてますよ、ということなんですが、実際高野山ってすごく守られている感じがします。
ゲストの方で走って日本一周した人がいて。高野山からスタートして高野山に帰ってこられたんですが、「やっぱり高野山みたいなとこは日本中どこを探してもなかったです」って言っていたのが印象的でした。
西村 :確かに想像以上に高野山の雰囲気ってちょっと特殊だなとわたしも感じます。
良知 :ここは聖と俗が混在しているんです。例えば比叡山も宗教都市と言われていますが、山の上にお寺があって、山の下が町になっていますが分在している。でも高野山は町とお寺が一体化していて、しかも奥の院には、普通の人から江戸時代の誰もが知っているような豊臣秀吉のような人のお墓もあって、それらがすべてが平等にある。そういうのが密教らしくておもしろいな、と思いますね。
高野山の良さを伝える現代の高野聖でありたい
良知 :昔は「高野聖(ひじり)」と呼ばれる人がいました。彼らはお坊さんではなく、全国行脚して高野山のことを広めるっていう宣教師みたいな人でした。だから全国どこ行ってもお大師さんの話があって、ここはお大師さんが掘った井戸だとか温泉とか、そういうのが全国にあるんですよね。
1200年間、信仰が途切れることなくあるのは、高野聖のおかげでもあるんですけど、僕らも世界の人に、「高野山よかった」って言ってもらえるよう伝えることをしていて。宗教としての仏教をどうこうしたいとは思ってないですし、僕らは坊さんではないので、まさに現代の高野聖だな、って思ったんです。
西村 :確かに!しかも世界中の人にだからスケールも大きくなっている。
良知 :今まで、高野山に来て日帰りで帰っていく人も多かったんですが、ここが出来たことで「君らがいるから泊まりで滞在できる」と言われることもあります。まずはコクウに泊まってみようと来られて、そこから高野山のおすすめをお教えしたり、高野山自体じゃなく、ハイキングがきっかけで高野山に興味を持ってくれる人が出てきたり、高野山への間口を広げられているのはうれしいですね。
西村 :高野山といえばお寺が運営している宿坊がありますが、そちらはもう少し顧客の年齢層が上がるイメージがあります。お2人のような30代のご夫婦がやるゲストハウスは、まったく違うアプローチなので、選択肢も増えてとてもよいですよね。
良知 :宿坊もいろいろですが、旅館のようにテレビがあったりして豪華なところも多いです。ここのほうがよっぽどお寺っぽいというか、シンプルですよね。お坊さんもたまに「気分を変えたい」といってここに泊まることもあったりします。最初は宿坊の存在は意識していたんですけど、運営しているうちに仲間も増えて共存関係になりました。
西村 :お寺も代替わりなどあって、きっと新しい考えを持った人も増えていますよね。
良知 :はい、もちろん。一緒に仲良くさせてもらっている恵光院(えこういん)さんは、夜の高野山を巡るナイトツアーというのをやっていて、お客さんに案内することもあります。恵光院さんもわりとやんちゃな坊さんばっかりなんです(笑)。でも「高野山をよかったと思ってもらいたい」というのがすごく強い。表現の仕方は違うけれど、僕らも思いは一緒なんですよね。
コクウでも、例えば朝に奥の院の聖域を案内したり、金剛峯寺のまわり方や阿字観をおすすめするなど、高野山の魅力をより広くいろんな方に知ってもらえるよう工夫をしています。これからも広く深く高野山とその周辺地域の魅力を知ってもらえるよう、さらに活動の幅も広げていけたらと考えています。
聞き手:西村祐子(ゲストハウスプレス編集長)—ゲストハウスプレスより記事編集・転載