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2015年1月13日 三浦宏之

山口県周防大島「みかんの島の移住と就農」

山口県東部に位置する瀬戸内の島・周防大島は山口県産みかんの約8割を生産する「みかんの島」です。昭和30年代から田畑からみかんへの転作が盛んに行われ、昭和50年にみかん生産量のピークを迎えます。

この頃までにみかん栽培をはじめた人たちを第一世代とするならば、現在、島のみかん栽培を支えているのが第二世代、親が作った農園を引き継いだ人たち。高齢の方が多いです。そして、最近ポツリポツリと現れはじめたみかん第三世代は、非農家出身の若いIターン就農者たちです。

みかん畑1反(約1000㎡)でこどもが都会の大学に通えると言われた昭和とは状況も違えば、親が残した「やらなくてはならない」畑があるわけでも無い。彼らに共通するのは「みかんが好き」だから。そして、周防大島が「みかんの島」だから。

今回ご紹介する若きみかん農家は岩手県出身の25歳の男子。東北出身なのに、りんごじゃなくて、なぜみかん?というところからお話ははじまります。

 

東北のみかん大好きっ子が出会った瀬戸内の島のみかんの味

辻鼻さん

辻鼻俊介。1989年9月27日生まれ、岩手県野田村出身。岩手県立久慈東高等学校総合学科を卒業後、山口県立農業大学校で柑橘栽培について学ぶ。2010年4月、周防大島にIターン。農林水産省の青年就農給付金を受け、みかん栽培をはじめ、現在にいたる。ビジュアル的には平成生まれの若者に見えないけれど、町内のみんなが親しみを込めて「ツジハナ君」と呼ぶ。

東北地方で果樹といえば「りんご」に行き着きそうなところをなんでわざわざ東北から本州最南端で最西端の山口県までやって来て「みかん」をつくることになったのか?誰もが抱く素朴な疑問でしょう。「うち、みかんは段ボール買いだったんですよ。」こんな当たり前のような家族の風景も今は無し。20年前にも珍しいことだったのかも知れませんね。

ツジハナ君という人はあまり多くを語るタイプではありませんが、
「おばあちゃんが買ってくれる段ボールのみかんがおいしくて。」
「家族が心配するくらいずっとみかん食べてたみたいです。」
「おばあちゃんが冷凍庫に入れておいてくれたみかんが夏場のおやつでした。」など、
みかんに関するエピソードはポロポロと口をついて出る。みかん農家になりたいと思いはじめたのがいつごろだったのか?質問しても、
「全く思い出せないんで、物心つくずっと前から、みかんを作りたいって思ってたはずです。」とのお答え。そして、その思いはブレることなく抱き続けるツジハナ君の夢になります。
「自分がおいしいと思えるみかんをつくりたい。大好きなみかんに囲まれて、自分も好きなだけみかんを食べたい。」

ツジハナ君が通った岩手県立久慈東高等学校は、自分で学びたいものを学ぶ、自分の将来にあわせて勉強する内容を選択する総合学科高校で、そこではやはり農業的な選択をしました。高校3年生の夏、当時の恩師の伝手で訪れたのが山口県立農業大学校。ここはあくまで体験入学という形ではあるものの、北国生まれのツジハナ君と山口県との接点が生まれた瞬間です。

ツジハナ君のみかんへの熱い思いを知った農業大学校の担当者に「山口県でみかんなら周防大島です!行きましょう!」と周防大島を案内され、はじめて口にすることになったのが「ゆめほっぺ」山口県オリジナルの柑橘です。
「ビビッと来ました。甘い!食べたことのない食感。こんなにうまい柑橘を知らなかった。」というのがその時の感想、「自分もいつかこの柑橘をつくるんだ」と心に決めたそうです。みかんの島・周防大島を案内してくれた心やさしい担当者の「せっかくだから」とその時食べた「ゆめほっぺ」がツジハナ君の周防大島移住と就農を決定づけました。これも何かの縁である。

ゆめほっぺ

11月上旬、ツジハナ君が栽培する「ゆめほっぺ(品種名はせとみ)」の農園。11月中旬には1個ずつ袋掛けされ収穫まで大切に育てられます。清見と吉浦ポンカンを交配した山口県オリジナルの柑橘で、糖度13.5度以上、酸度1.35%以下の特においしい「せとみ」を『ゆめほっぺ』の商品名で販売しています。販売時期は3月上旬から4月中旬ごろ。主な特徴は①とても甘い②プチプチしたイクラのような独特の食感③内袋ごと食べられる。

追いつづける夢はみかん

「自分がおいしいと思えるみかんをつくりたい。大好きなみかんに囲まれて、自分も好きなだけみかんを食べたい。」物心つく前にいだきはじめたその夢をブレることなく追い続ける辻鼻俊介25歳。

現在管理している農地は約1.5ヘクタール(約1万5000㎡)、6品種、約1000本の柑橘を栽培しています。すでに夢を叶えたと言っても良さそうなところですが、今いだいている夢を聞いてみると、「もっといろんな品種の柑橘を植えたい。もっとおいしい品種を見つけたい。」その夢はやっぱり、みかんのことです。

周防大島での生活で楽しい時、嬉しい時はどんな時?という質問に対しても
「みかんがおいしいとき(自分で食べた感想として)。」
「自分のみかんをおいしいと言ってもらえたとき。」
「特にこどもが喜んでくれたとき。」
といった具合で会話の中身はほとんどみかん以外にありません。身も心も脳内も細胞のひとつひとつも、幼少期からたくさん食べているみかんで出来ているんじゃないかと思わせるほど。

そんなみかん大好きツジハナ君だから、栽培や出荷の方法についてもいろいろとこだわるところが多くあります。
「除草剤は使わない。どんなに大変でも草を刈る。」
「使用を避けられない農薬以外は使わない。」
「見た目においしそうなものを選んで収穫、いわゆる樹上完熟に近い状態を目指す。」
「収穫したみかんを投げない、転がさない。」
みかんへの愛情がそうさせるのかもしれませんが、みかんについた傷が傷みのもとになるからというお客様の手元に届けてからの賞味期限を長くするための品質管理でもあります。

いろいろとこだわりの多いみかんなのに、ツジハナ君が個人販売しているみかんは1キロ300円。一般にスーパーで売られているみかんと同じくらいか、もっと安いくらいです。
「もっと高く売ってもいいんじゃない?」という提案にも、「みかんは庶民のものと思っているので、あんまり高く売りたくないですね。」とキッパリ。
大好きなみかんが高価なものになってしまっては「好きなだけ食べる」という夢がくずれてしまいますよね。どこまでもみかん好き、こだわりのみかん農家、辻鼻俊介のみかん、食べてみたくなりませんか?気になった方はこちらのメールアドレスまでお問い合わせください。oshima.acoustic@gmail.com
価格や販売方法、季節の品種など詳しくお答えします。

ぽんかん収穫

みかん農家の一年で一番忙しい季節は冬の収穫・出荷シーズン。1月に出荷のピークを迎えるポンカンの収穫作業中にお邪魔しました。

やっぱりみかんが好きだから。

ツジハナ君が教えてくれたもうひとつの夢をご紹介します。
「こどもが大きくなってから、あのとき食べたみかんがおいしかった!と思い出してもらえるようなみかんを作る。」
ツジハナ君にとっては、おばあちゃんが作ってくれた冷凍みかん。記録ではなく、記憶に残るみかんをツジハナ君がつくる。そして、そのみかんの記憶が未来のみかん農家を育てるのかもしれません。

全国各地のみかんの名産地で担い手不足が問題となり、労働力不足の解消が課題となる中、町外から移住し周防大島で柑橘栽培をはじめる第三世代の登場は、島の未来への明るい兆しといってよいでしょう。「やっぱり、みかんが好きだから」その気持ち、応援したい。

みかんを差し出す辻鼻さん

話ながらも手元にあるみかんを食べてるツジハナ君。「あ、おいしい」とこぼれんばかりの笑顔です。「食べます?」とむいたみかんを差し出してくれることもあります。

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三浦宏之

三浦宏之前職は東京のラジオ局J-WAVEでの番組制作。 2013年2月より山口県・周防大島町地域おこし協力隊として活動を開始。定住促進PRを主な課題としながら、任期終了後の自身の定住について模索中。ブログ「島くらしはじめました。」

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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