幼少から培われた自然と寄り添う暮らし
千葉出身の遼太さんと熊本出身の佳蓮さん。お二人が出会ったのはそれぞれの故郷から離れた長野県でした。遼太さんは幼少期から縁のあった長野でキャンプの野外活動のボランティアを行うなど、自然と親しむ暮らしを積極的に取り入れていました。現在の所属先である「ひとねるアカデミー」の佐藤陽平代表と知り合ったのも遼太さんがまだ高校生の頃でした。
遼太さんは大学卒業後「公教育に携わりたい」と、青森や埼玉で小・中学校教師として勤務していました。しかし、4年前に佐藤氏が出身地である大分県に拠点を構え、家庭での体験学習をスタートさせたのを機に、遼太さんもたびたび大分県へ通い、臼杵市とのつながりを深めていきました。
一方、大学時代に長野へ山村留学をした佳蓮さんは、“自分の手で暮らしをつくる”山村での暮らしに魅力を感じていました。そこで遼太さんと知り合い、大学卒業後に結婚。お二人で大分県臼杵市へやってきました。
移住のきっかけは自然教育と人材育成の恩師とのご縁
現在関わっている「ひとねるアカデミー」の主な活動は「体験」を通じた人材育成。教師として働いていた遼太さんが学校教育ではなかなかできない体験学習をもっとやっていきたいと考えている頃、佐藤さんが大分県臼杵市を拠点に本格的に活動を開始。遼太さんはそんな佐藤さんの考えに惹かれ、現地へ何度も通うように。すると、海と山が近い臼杵市の大自然に魅力を感じるようになり、結婚を機に移住を決断しました。
ただ、実際に臼杵市で新しい家を見つけて引っ越しを完了するまでには約1年の準備期間を要しました。市が提供している「空き家バンク」はタイミングを逃すと空いていないこともあり、自分たちの理想とする家がなかなか見つからなかったそうです。
ご夫婦が考える理想の家は、「海が近くて、畑があって、人が多く来ることを考えた部屋数の多さ、そして大きめの一軒家」でした。さらに、もっと大切にしていたのは“家庭の暮らしと体験を近づける“ということ。あえて不便だと思われる環境を選ぶことで、お湯や電気がいつでも使えるような普段の暮らしと、無人島のサバイバル体験のような暮らしとの距離感を近づけたいと考えたのです。
結果的にはインターネットの不動産サイトでこの物件を見つけたそう。
遼太さん「建物自体は古いけれど、敷地も広く薪風呂がある。畑がついていて駐車場も広い。立地は不便だけど、地域の人たちとの接点もたくさんあるというのが決め手でした。」
正確な築年数は不明ですが、確実に80年は経っているという現在の森家。普段は二間とキッチンしか使用していないそうですが、友人知人が多く訪れるときは空いた部屋を開放し、大人数で泊まれるようにしているそうです。
漁師しかいなかった集落に初めての若い移住家族
「ここに来てから魚は買わなくなりました(笑)」と笑う遼太さん。
貨幣経済に逆行した物々交換システムがここではまだ生きています。「交換というより、いただくほうが多いんですけど」と今はすっかり地域にも馴染んでいる様子。
泊ヶ内地区では、森さんご夫婦が越してくるまで、いわゆる“よそもの”が入った歴史がなかったといいます。30世帯全員がなんらかの血縁関係があり、名字も4つしかなく、全員が漁業関係の仕事に就いているという、ある種閉ざされていた地域でした。そのため、引っ越してきた当初はお二人の存在は心配されたといいます。
けれども、それはどちらかというと「あやしい」という感情ではなく「こんな不便な場所に居着いてくれるのか?すぐ出ていくのでは?」というあたたかい思いの方が大きかったのではないか、と遼太さんは話します。
「不便な立地の集落、リフォームされていない古民家で暮らすなんて今どきの若者が受け入れることはない」と考えていた地域のみなさんは、夏の間に次々と彼らの友人や仲間が泊まりにきて、嬉々としてつかの間の漁村生活を楽しんでいる姿を見て驚いたといいます。
さらに地元の新聞で遼太さんたちの活動が特集記事として紹介されたことで、活動内容が地域住民に広く知られるようになりました。
「そういう良いことをやっとったんやね」と、新聞記事でようやく彼らの活動の意味や想いを理解したという人も多く、掲載以後はより親近感を持って地域に受け入れられたという実感があったといいます。
裏の畑を案内してもらうため、細い坂道を歩いているとふらりと現れたのが近所の男性。佳蓮さんとすっかり仲良しで、ずいぶん長い時間立ち話をしていました。2018年春に引っ越してきてまだ1年未満。新聞記事の効果だけでなく、お二人の明るいキャラクターと不断の努力がこの地区に暮らす人たちの心配を少しずつ解いていったのだろうと感じました。
今は畑で自分たちで食べる野菜を細々と作っている程度とのことですが、近くにはしいたけの原木が置かれていたり、別の場所ではみかんなどの柑橘類が植わっていたりと、田舎暮らしのスタートは順調です。
幅広い世代に向けた体験教育で「生きるための情報」を育む
遼太さんが現在行っている活動のひとつは、子ども向けの体験学習です。テントを張って、魚をとり、食べて寝るというシンプルな暮らしを体験することで、普段都会に暮らす子どもたちが電気やガスといったライフラインのありがたみに気づくきっかけにもなりました。
遼太さんは都会に暮らす子どもたちの体験の少なさを危惧しているといいます。
「オール電化の住宅で育った子どもは火を見たことがないという子も多いんです。そうすると、火は熱いという経験をしていない。だから、直火は熱いから触っちゃいけないと注意しても、本当に熱いどうかを触って確かめようとする。危険の認識が出来ない状態なんです。そんな子どもたちが小学校低学年の時点で実はかなりの割合でいるんです。」
安全が確保されているとは言えない環境の中で、何が本当に危険なことなのかを実際に経験していくことこそ、子どもたちに必要なことだと遼太さんは考えています。
体験によって得られるのは「生きるための情報」です。自分自身は何が好きで、何が得意なのかを発見する機会にもなり、その体験は脳の発達にも大きな影響を与えるといいます。
青年向けの無人島合宿で、社会で生きる術を強化
遼太さんの友人知人の中には都会で教師として勤務されている方も多くいますが、やはりそんな方々も子どもたちと同様、都会生活ゆえに体験不足であることを否めません。
そこで、2018年夏には、都市部から10〜20代の若者17名を集め、近くの津久見島で若者向けの「無人島合宿」を開催しました。
2泊3日の合宿では、島に行く前に与えられた予算内で水や食料などの買い出しを行い、テントや調理器具も持ち込んで共同生活を行います。足りない食材は釣りでまかない、トイレも自分たちで設置し、ゴミは当然全て持ち帰ります。電気も水道もない無人島では、たった3日間でも他人と意見を交わし、協調し合わなければ、命に関わることすらあります。小さな共同体での生活は、社会で生きるための自信や自尊心の強化にもつながるのです。
参加者にとって深く印象に残った「無人島合宿」。中学校教諭の参加者がその強烈な体験を授業の冒頭にちらりと話したところ、「生徒の反応がものすごく良くて目の色を変えて聞いてきた」という感想も多く聞いたそうです。
遼太さんは子どもたちや若者に対して、さまざまなジャンルの体験の機会を設けることで、本物の経験を豊富に持つ人材を育成したいと考えています。佳蓮さんは現在、隣接する津久見市内の建設会社で働きながらこの活動にも積極的に関わっており、今後は教育研修の分野でさらに活躍したいと話してくれました。
YouTubeページ「家庭でたいけん教育やってみよう!」青年のための無人島合宿 大分県臼杵 https://youtu.be/-bG_N_EwuL8
「家庭での体験」を日常化させていきたい
森さんご夫婦が移住を決めた大きな理由が、“家庭での体験の日常化”をご自身が実践したいということでした。それは、日々の暮らしに“ひと手間かけた体験”を取り入れるということ。
これまで数多く開催した体験教育活動の中で感じていたのは、キャンプのような非日常体験は、普段の暮らしとあまりにも違いすぎて一過性のイベントごととなってしまい、一時的な効果があっても本来の能力開発には結びつかないというジレンマです。
不便とされる古民家に住んで、薪で風呂を焚いたり、畑仕事や釣りを日常にする暮らしを送ることで、自分たち自身も普段の暮らしと体験の境界線をなくしていきたいと考えたのです。
また、そのあり方をこれからの社会や家庭の中心となって活躍する青年達に伝えていくことで、「体験の暮らしもいいな」と感じるきっかけになってほしいといいます。
人が育つ環境によってその人に必要な体験は異なっていきます。都会であれば自然、田舎であれば都会的な利便性。両方の価値をわかってこそ、自分なりの価値観が作られていく。「自然体験」ではなく「体験」という言葉を多く使うのは、このことが前提にあるからだと遼太さんは話してくれました。
移住・古民家暮らし歴半年ですっかりベテラン感のある森さんご夫婦。きっとこれからもポジティブにどんな困難も「家庭の体験学習」として楽しんでいくに違いありません。