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2019年2月19日 西村祐子

半島フィールドワークレポート3:丹後半島(京都府宮津市・伊根町・京丹後市)編

房総半島、能登半島に続く半島フィールドワーク第3弾として、ココロココ編集部が丹後半島に行ってきました。
丹後半島は京都府北部の日本海に北東に突き出た半島。古墳時代からの古い歴史を持ち、江戸時代中期より絹織物産業が発達、丹後ちりめんとしてその名は全国的にも知られています。また半島南東部の付け根付近には日本三景のひとつ・天橋立があるなど、風光明媚な観光地としても有名です。
今回は山あいの集落「宮津市上世屋(かみせや)」と舟屋で有名な海沿いの町「伊根町」を中心に、さまざまな分野で活動するプレイヤーを訪ねました。

山あいの棚田が美しい、宮津市上世屋集落

参加者が集合したのは、丹後半島の付け根のあたり、玄関口にあたるJR宮津駅前。京都市内から高速道路で2時間程度、電車でも特急を使って2時間半で到着します。そこから車で山をのぼっていき、最初の目的地である上世屋集落に向かいました。到着するとそこで待っていたのは、これぞ日本の原風景と言いたくなるような里山の景色でした。

上世屋集落

山あいに広がる上世屋集落

上世屋は、丹後半島の山あいに、藁葺きやトタン葺き屋根が残り折り重なるように小さな棚田が広がる集落。米作りや冬場の狩猟、藤織りや紙漉きなどの手仕事を生業とする人たちが暮らしています。

上世屋集落 棚田

棚田は集落住民だけでなく多くの人の手で守られている

上世屋集落

広範囲に拡がる上世屋の棚田を説明する看板

移住体験施設「セヤハウス」で丹後半島講座

まず最初に、移住体験施設として元公民館の古民家を改修してつくった「セヤハウス」に集合し、『ひ・み・つの丹後本~丹後人が教える京都・丹後半島ローカルガイド』製作委員会・委員長の豊田玲子さんより、丹後半島全体の地理や歴史、移住の取り組みなどについてお話しいただきました。

丹後本製作委員会・委員長豊田玲子さん

丹後本製作委員会・委員長豊田玲子さん モニター内の説明に注目

豊田さんご自身も東京出身の移住者ですが、すでに丹後在住10年超。丹後に住むようになり、自分自身が満足できるガイドブックが無かったことから、仲間に声をかけて「丹後本」を製作したとのこと。
丹後半島をよく知る豊田さんのお話は多岐にわたり、「そもそも丹後とはどこなのか?」という地理や成り立ちから、織物や染めなどの伝統産業、漁業、農業などの産業構造をお話いただきました。一般的な統計だけでなく私的統計として、お子さんが通う小学校の両親の職業分布など、実際の暮らしを通じて分かる部分もデータ化として解説していただき、一同その臨場感あふれるお話に、楽しみつつも大いに学びを深めました。

上世屋地区

丹後半島の概略を学んだあとは、一度外に出て、上世屋地区を散策しました。集落に住む小山さんが先導し、棚田の畦道を通っていきます。

上世屋地区 半島フィールドワーク

小山さんの案内で集落内を散策するフィールドワーク参加者一同

こんなに山の中なのに、高台に上れば海が見えるというのが、海と山が近接した半島らしい風景といえます。旧世屋上分校の校舎を改修した丹後藤織り保存会の施設・藤織り伝承交流館などを見学したのち、セヤハウスに戻りました。

上世屋の手仕事暮らしを継承する小山有美恵さん

この地域に関わりはじめてもう10年以上になるという小山有美恵さん。2003年大学在学中にNGO日本国際ワークキャンプセンター(NICE)に関わったことがきっかけで上世屋地区に通い始め、結婚後の2014年に一家で移住してきました。

小山有美恵さん

小山有美恵さん 上世屋移住者のリーダー的存在として活躍中

現在は子育てをしながら、上世屋定住促進協議会(ドチャック会議)の運営を通してこの地に本気で移住したいと考える人へのコーディネート業務やECサイトの運営などに挑戦しています。また、無農薬での米作りを中心に、自然とともに暮らす手仕事を生業とし、集落の歴史と伝統を繋いでいく活動に取り組んでいます。
※小山さんの上世屋での暮らしを紹介するインタビュー記事も公開予定です

舟屋で知られる漁業と観光の町、伊根町伊根浦地区へ

山あいの集落・上世屋でのフィールドワークの後は、半島の海側へ。
伊根町は京都府北部、丹後半島の北端に位置する人口2000人ほどの町。古くから漁業農業で栄え、伊根浦地域にある海面ぎりぎりに建てられた「舟屋」の町並みは、重要伝統的建造物保存地区に指定されています。「海の京都」をPRするキャンペーン施策の効果もあり観光客も増えていますが、どこか懐かしい風情が残り、最近では遠方からの移住者も増えているまちです。

伊根の舟屋

穏やかな湾内を取り囲むように立つ「伊根の舟屋」

移住者がオープンするカフェにてトークイベントを開催

夕方からは、この舟屋の町並みの一角に移住者がオープンする「CAFE & BB guri」の場所をお借りして、ココロココ編集部も参画する「半島暮らし学会(http://hanto.live/)」のイベントを開催しました。

プレオープン中の店内は、もともと東京でカフェやホテルの設計や企画をしていたオーナー當間一弘さんのセンスが活かされた空間。特に2階の宿泊スペースは、バストイレだけでなく小さなキッチンがついており、インテリアや調度品ひとつひとつが凝っていてこだわりが感じられます。

CAFE & BB guri

guri2Fの宿泊スペース

「CAFE & BB guri」の當間一弘さんは半島暮らしのエキスパート!?

イベントは、場所を提供してくださった「CAFE & BB guri」のオーナーである當間一弘さんのトークからスタートしました。
當間さんは東京からここ丹後に至るまでに、何か所か別の拠点を経由しているのですが、なんと、その全てが半島に位置していたことが判明。もともとイタリアのソレント半島で行ったレストランの光景や体験が忘れられずにいたところ、巡り合ったのがこの伊根浦の景色なのだそうです。

CAFE & BB guri 當間一弘さん

房総・三浦からの丹後半島暮らしについてプレゼン

前職の仕事の縁でたまたま伊根に来る機会があった當間さん。ちょうど移住先を探していた時期で、伊根にすっかり惚れ込んでしまい、翌週にはプライベートで再訪していました。

CAFE & BB guri

CAFE & BB guri外観

この物件は、空き家バンクで偶然見つけて運良く手に入れられたとのことですが、人気が高くなかなか物件も出てこない地域なので、非常にラッキーかつ素早い行動が、この地での暮らしに繋がったといえそうです。出会ってから実際に移住が実現するまでには1年ほどかかりましたが、自身で設計し、資金を注ぎ込んだビジネスはまだはじまったばかり。

カフェはリーズナブルな価格でご近所の方も来られるように、二階の宿は、設備投資をしっかり行い、海外からのゲストにも対応し、きちんと採算が取れるように。そうすることで地元の人と旅人を繋ぐきっかけをつくれれば、と意気込みを語ってくださいました。

移住10年目『丹後本』製作委員会豊田さんの伊根暮らし

昼間に上世屋で丹後半島全体の話をしていただいた豊田さんは、実は伊根町在住。再度ご登壇いただき、今度はご自身の移住経験や現在の生活についてお伺いしました。

丹後本製作委員会・委員長豊田玲子さん

伊根町での暮らしについて語る豊田さん

伊根町の中でも海のそばではなく山側で暮らしている豊田さん。
東京や大阪で新聞記者として活躍していた時代と比較し、現在は自給自足ではないけれど、「あるものを活かす」暮らしができていると感じているそうです。野菜や魚が生産者さんから直に手に入れられる今の暮らしに満足していると話してくれました。
仕事については、「ここでは仕事は探すものではなくつくるもの」という話をしていたのが印象的でした。

CAFE & BB guri

地元のお酒「伊根満開」を持って乾杯!

お二人のお話で丹後半島への理解がより深まったところで、交流会スタート。
地元のお酒や各半島を代表する名産品をいただきつつ、半島トークが盛り上がりました。

人口2000人の町に、年間19名が移住!

2日目の朝、伊根町役場企画観光課主事(※取材当時)の向井孝暢さんにお話を聞きました。

伊根町役場 向井孝暢さん

伊根町役場で移住支援を担当していた向井孝暢さん

伊根町では1年間の間に11世帯19人の移住者がありました。移住者の中には漁業を始める人もいるそうで、希望者向けの補助支援制度なども用意されています。人口2000人の町で役場で移住支援を担当していると、ほとんど知らない人はいないとのことで「プライバシーはないですね」と笑いながらも、地元に貢献できている充実感が感じられました。
※向井さんは現在、一時的に伊根町を離れ京都市で民間企業に勤務中。外に出て改めて、伊根町のコミュニティの強さを感じているとのこと。この経験を活かして、自分自身も伊根町もステップアップできればと話していました。

旧弥栄町(京丹後市)で無農薬農場を営む梅本修さん

伊根町を後にした一行は、丹後半島の中心部に向かい、旧弥栄町で農場を営む梅本さんを訪ねました。
梅本農場の梅本修さんは、もともと食品メーカーに勤めていましたが、お子さんの誕生を機会に、その仕事内容に疑問を持ち始めたといいます。

「自分の子供に加工食品を食べさせたくない」と感じた梅本さんは、ご自身の祖父が宮津市出身だったこともあり、丹後半島への移住を検討。農業支援の施策もある弥栄町に20年ほど前に移住しました。

梅本農園 梅本修さん

梅本農園 梅本修さん

現在梅本農園では、無農薬で野菜を作り、主に通信販売で京阪神の顧客に届けています。リピートも多い顧客のほとんどは口コミから。一度注文してくださった方に定期的に野菜をお届けする仕組みを構築しています。

無農薬農法は土作りに時間がかかり、流通の仕組みも独自にネットワークを築く必要があるため、ビジネスは手探りだったといいます。「経営が安定してきたのはここ数年」とのことですが、現在までに20名以上の研修生を受け入れ、この地域で新たに農業を志す人をサポートしています。

梅本農園 梅本修さん

新築した日本家屋に茅葺きを取り入れるなど素敵なご自宅の前で

SORA農園&キコリ谷テラス・大場亮太さん・稲鍵佐代子さん

続いて、梅本農場での研修経験もある大場亮太さん・稲鍵佐代子さん夫妻が経営する農産物販売所兼カフェ「キコリ谷テラス」へ。

キコリ谷テラス

キコリ谷テラス外観 居抜きで借りた物件をうまくアレンジ

大場さんが、主に無農薬・無化学肥料の野菜を栽培するSORA農園の活動を、妻の稲鍵さんがキコリ谷テラスの運営や広報などを担当し、活動の幅を広げています。SORA農園では多品目多種類の野菜を作付し夏のトマト、冬の人参を中心に40品目ほどの野菜を無農薬・無化学肥料で育てています。

SORA農園

SORA農園の野菜だけでなくオーガニックなセレクト食品も販売

彼らもまた、三浦半島を経て丹後半島に移住したということで、半島繋がりが続きます。

大場亮太さん・稲鍵佐代子さん

裏庭にあるテント前にて大場亮太さん・稲鍵佐代子さん夫妻

京丹後市で移住支援活動サポートを行う坂田真慶さん

最後は、地産地消を推進する食品店「いととめEAT店」を視察しつつ、現地で京丹後市の移住支援サポートに携わる坂田真慶さんに、京丹後市の現状や丹後半島全体の移住支援の状況などをお話ししていただきました。

坂田真慶さん 京丹後市

坂田真慶さん

森里海のバランスが良く、自分たちの暮らしや仕事にあった形で生活できるのが京丹後市での移住。フラットな人間関係をベースにした暮らしのコミュニティと、農業や漁業、起業、リモートワークや会社勤務など、多様な選択肢の中で、手段としての移住を模索できる場所だそう。
丹後半島全体としては、やはり京都との関係性が深く、1500年という歴史的な文脈が今も暮らしや仕事に息づいていること、食に対するこだわりが強いひとが多く、 そこを通じて繋がっていける強みがあることなどを話してくださいました。

いととめEAT店・梅本農場

地元に愛されるいととめEAT店・梅本農場の野菜も販売

2日間で、棚田のある山あいの集落から舟屋が連なる海辺の暮らし、里山での農的暮らしなど、丹後半島ならではの暮らしを営む方にたくさんお会いすることができました。いかがでしたでしょうか?
それぞれの方が、自分が選んだ土地で、その土地らしい暮らし方をしているのが印象的でした。ぜひみなさんも、丹後半島の多様な魅力と暮らしを感じる旅に出かけてみてください。

西村祐子
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西村祐子

西村祐子人とまちとの関係性を強めるあたらしい旅のかたちを紹介するメディア「Guesthouse Press」編集長。地域やコミュニティで活躍する人にインタビューする記事を多数執筆。著書『ゲストハウスプレスー日本の旅のあたらしいかたちをつくる人たち』共著『まちのゲストハウス考』。最近神奈川県大磯町に移住しほどよい里山暮らしを満喫中。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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