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2021年2月25日 大川富美

「この風景を失いたくない」日本一短い定期航路の船頭を急募!古い町並みで新たな取組みが進む呉市音戸町

広島県呉市音戸町は瀬戸内海に浮かぶ倉橋島にある人口約11,000 人の町。呉市本土と島の間にある海峡は「音戸の瀬戸」と呼ばれ、その昔、平清盛が開いたとの伝説が残っています。人々は渡船でこの狭い海峡を行き来し、1961 年に第一音戸大橋が架かった後も渡船は通勤や通学客の足として欠かせない存在でした。しかし最盛期には何隻も競うように渡船を走らせていた船頭も今は一人となり、船も老朽化して存続が危ぶまれるようになりました。

この渡船を守ろうと、2020 年10 月、地元の有志がクラウドファンディングを募ったところ、全国から予想以上に大きな反響がありました。

また渡船の船着き場から一歩入った通りには、昔ながらの風情ある町並みの中に、新しいカフェや雑貨店、ゲストハウスができて注目を集めています。

江戸時代からの歴史がある音戸渡船

呉市中心部から車で約15 分。平清盛が宮島に参詣するために1 日で開いたと伝わる音戸の瀬戸は、古くから瀬戸内海の交通の要衝として知られ、音戸は港町として栄えました。本土と島をつなぐ渡船は江戸時代から始まったと言われます。

呉市本土側から望む音戸町。二つの赤い大橋でつながっている

呉市本土側から望む音戸町。二つの赤い大橋でつながっている

1961 年に第一音戸大橋が開通する以前は、桟橋には乗船を待つ人が列を作り、朝夕は学生や通勤客で船は満員になるほどでした。その後2013 年に第二音戸大橋も架かり、年々渡し舟の利用客は減っていきました。一方で、120 メートルの海峡を渡る「日本一短い定期航路」として親しまれ、最近ではサイクリストや外国人観光客が多く訪れるようになってきました。

現在、渡船を操るのは三代目船頭の花本智博さんただ一人。朝7 時~夜7 時まで、途中に2時間の昼休憩を挟み、一日運行します。

さっそく、約3 分の短い船旅を体験してみました。小さな船に乗り込み、片道大人100 円の乗船料を花本さんに手渡すと、ボンボンボンと音を立てて出航。潮風をいっぱいに受け、思いのほか強い流れに船体が揺れますが、花本さんが巧みに舵を切って海峡を横切っていきます。すれ違う船のモーターや波の音を楽しんだり、空の青に映える赤い橋を見上げていたりしているとあっという間に対岸に到着。

島で育ち、40 歳を前に父から船頭を受け継ぎ、20 年以上この航路を走っている花本さんが思い出を語ってくれました。

渡船を運行する花本さんは、祖父、父から船頭を受け継ぐ三代目

渡船を運行する花本さんは、祖父、父から船頭を受け継ぐ三代目

「わしが子どもの頃には、瀬戸を行き来する船も多かったし、桟橋もいくつもあって、渡船は何隻もいろんな航路を運行しとったもんよ。瀬戸を通る船が一番多かったのはバブル期。列になるくらい高速船やら貨物船やらが連なっておったけえ、その隙間を縫うようにして向こう岸まで渡さんといけんかったんじゃ。」

日本一短い定期航路、音戸渡船を守りたい

花本さんが運行する船は「つばめ」と「かもめ」の2 隻。共に70 年ほど使用していて、老朽化が目立ちます。2020 年は新型コロナウィルスの感染拡大で利用客は大幅に落ち込み、さらに夏には花本さんが骨折したため2 か月間の休業を余儀なくされました。

このままでは音戸渡船は立ちいかなくなってしまうのでは―。
そこで立ち上がったのが、地元の有志たちで作る「音戸魅力化推進協議会」でした。音戸で生まれ育ち、協議会のメンバーである数田祐一さんに話を伺いました。

クラウドファンディングを立ち上げた音戸魅力化推進協議会メンバー、数田祐一さん

クラウドファンディングを立ち上げた音戸魅力化推進協議会メンバー、数田祐一さん

数田さんは、中学高校生時代、毎日渡船に乗って広島市内の学校へ通っていたそうです。夕方、本土から船に乗るたびに「帰って来た」と感じさせてくれた海からの風景。

「渡船から眺める波のきらめき。そして行き交う船のエンジン音。何度乗っても、どんなに見ていても飽きないですね。これを失ってしまっていいのだろうか、失いたくない、と思うんです」

今まで、地元の人々が支えてきた渡船。島の船着き場の入口にある大きな看板には、寄付を寄せた人の名前が記されています。

渡船乗り場に立つ数田さん。奥の看板には寄付した人の名前が並ぶ

渡船乗り場に立つ数田さん。奥の看板には寄付した人の名前が並ぶ

「これまで地域の人が募金をしてきましたが、それも限界だと感じ、今回、クラウドファンディングに挑戦してみました。」

10 月、渡船の修繕費や維持費として目標額350 万円のクラウドファンディングをスタート。すると全国から多くの反応があり、わずか約1 か月半で目標額を突破したのです。

「こんなに全国から応援してもらえるとは。みなさんが渡船を守りたいと思ってくださっていてうれしかったです。」

求む、渡船の船頭の後継者

最終的に集まった約370 万円は、当初の目的だった「かもめ」の修繕費用に加え、クラウドファンディング開始後に故障した「つばめ」のエンジン修理に充てられる予定です。船の当面の修繕費用の目途はたったものの、心配されるのは、渡船の後継者探し。クラウドファンディングでは、渡船の未来も考えて「船頭の弟子入り」希望者も募集しました。協力を申し出てくれた町の人たちが応募してくれましたが、「後継者」となる人はまだ見つかっていません。「誰か来てくれれば」と花本さんも数田さんも口をそろえます。
⇒船頭後継者に興味のある方は「音戸渡船組合」にご連絡ください。

数田さん(左)が高校生の頃、花本さんが船頭に。渡船を未来に残したい気持ちは強い

数田さん(左)が高校生の頃、花本さんが船頭に。渡船を未来に残したい気持ちは強い

花本さんが舵を取り始めた20 数年前は、まだ他に船頭さんがいて、潮の流れを見ながらどうスピードを上げるかなど、操縦のこつを教えてくれたそうです。

「風の見方や潮の流れの読み方など、一人で船を動かせるようになるにはだいたい1 年かかる。1年通してというのが難しければ、春から夏にかけて3 か月集中して通ってもらえればなんとかなる」と花本さん。

島へ帰る便には、広島市内から自転車で来たサイクリストが渡船に乗り込んできました。サイクリストの間で音戸の渡船はよく知られており、SNS でアップされた写真を見て、やってきたのだそう。

自転車(150 円)も積んで、音戸へ。右手に見えるのが音戸側の桟橋

自転車(150 円)も積んで、音戸へ。右手に見えるのが音戸側の桟橋

例年なら、春は第一大橋を彩るつつじや桜も楽しめるベストシーズン。今年はコロナの影響で団体客は減りましたが、収束後には、また多くのサイクリストや観光客に、この渡船のある風景を楽しんでもらいたいというのが、町の人たちの願いです。

音戸の魅力を発信し未来へつなぐ「音戸魅力化推進協議会」

音戸魅力化推進協議会は、2019 年9 月に発足しました。町内の人口減少で、定員割れが続く町唯一の高校、音戸高校の存続を心配した同校OB が中心となり設立。渡船の保護や町の活性化など、町が直面しているさまざまな問題にも取り組むようになりました。数田さんの他、会社員や自治会長などさまざまな職種、幅広い年代の約20 名がメンバーとなっています。

協議会が核となって、島の観光や起業を始めたい人を支援するために「島まるごとユニバーシティ」も立ち上げ。

2019 年12 月に開催した7 日間のゲストハウス開業合宿コースには、全国から人が集まりました。島に宿泊し、フィールドワークも体験した参加者は、音戸の美しい風景やのどかな雰囲気を大いに満喫したそうです。

島まるごとユニバーシティの様子

島まるごとユニバーシティの様子

2020 年以降はコロナウィルスの影響で活動が思うようにいかないところもありますが、音戸で過ごしたり、暮らしたい人向けの動画を作成するなど、音戸の魅力発信に取り組んでいます。

歴史ある呉服店を新しい魅力を持つカフェへ

協議会で、音戸の町づくりや魅力発信に精力的に携わっている数田さんは、渡船乗り場近くにある呉服店の5 代目。呉服店を改装したカフェ&ギャラリー「天仁庵」は島外から訪れるお客さんも多く、音戸の人気スポットになっています。数田さんが、島でカフェを開業するきっかけは何だったのでしょうか?

学生時代には、「音戸には何もない、早く島外に出たい」と考えていたという数田さん。念願通り東京の大学に進学し、卒業後はアメリカのボストンへ。シンガーソングライターを目指し1 年音楽の勉強をしましたが、その後、家業を手伝うために島に戻りました。

しかし時代の流れで、着物を着る人も少なくなりました。100 年以上もこの地で営んできた呉服店をどうするか。数田さんの頭には80 歳を過ぎても元気に店先に立ち続けた祖母の姿、呉服店を大切にしていた祖父の姿がありました。

古い町並みの残る旧道にある「天仁庵」。向かいにはケーキ屋さんも。

古い町並みの残る旧道にある「天仁庵」。向かいにはケーキ屋さんも。

一方で、料理が好きな数田さんには、自分が「おしゃれでいいな」と思うカフェを音戸に作りたいという想いも。全国のカフェを訪ねて研究を積み、家族での話し合いも重ねて、2012年にカフェ「天仁庵」をオープンしました。店内では器や雑貨が販売されているほか、ブティックも併設。また着物も展示販売を続ける形で呉服店の伝統も守っています。

天仁庵のランチ。数田家の「母の味」がベースに

天仁庵のランチ。数田家の「母の味」がベースに

古い街並みに溶け込んだ白壁がおしゃれなカフェは、音戸産の牡蠣や広島県産の米、じゃがいもなどを使って丁寧に作られた「家庭の味」のランチが評判を呼んでいます。
「こんなに来てもらえるとは思いませんでした」と驚く数田さんですが、天仁庵のオープンが旧道の活性化の呼び水となり、新たな店舗も増えているようです。

カフェを中心に活性化しつつある古い町並み

数田さんが、天仁庵からすぐの2店並んだ雑貨店を案内してくれました。
フランス語で「輪」を意味する「anneau(アノー)」で迎えてくれたのは、音戸町出身で、呉市の本土側に暮らす山本馨さん。お店を始めるきっかけは、天仁庵のスタッフとして6 年働いたことでした。

「天仁庵で働いている時に、お客さんに『近くに寄れるお勧めのお店はないですか』とよく聞かれたので、それなら自分が店を開こうと思って。音戸には20,30 代が楽しめる場所がなかったけど、天仁庵がその場所を作ってくれたんです。そして数田さんが空いている家があるよ、と紹介してくれました。」

土日のオープン時には二人の子どもと一緒にお店で過ごす山本さん

土日のオープン時には二人の子どもと一緒にお店で過ごす山本さん

山本さんは専門学校で雑貨の勉強をした経験があり、店内には、ジャムやアクセサリー、センスのよい雑貨が並んでいます。小さな子ども2 人を連れて、週末を中心に無理のない範囲で開いています。

山本さんのお店の隣には、文具や手作り雑貨を扱う「猫とツメキリ」が2019 年にオープン。
音戸と早瀬大橋でつながる江田島町に住む女性二人が経営し、土日を中心に開店しています。店番をしていた沖元さんは、数田さんも参加している地域の集まりで「空き家がある」と聞いて、興味を持ったそうです。もともと旧道の雰囲気に魅かれていたことに加えて、「お小遣い程度の」家賃と、近くに「天仁庵」と「anneau」という心強い相談相手がいたことが決め手となりました。

文房具や手作り雑貨を中心にしたお店を開いている猫好きの沖元さん

文房具や手作り雑貨を中心にしたお店を開いている猫好きの沖元さん

「周りの景色も本当に良くて。音戸第二大橋の高台から音戸の瀬戸を見下ろしてのんびりするのが気持ちいいんですよ」と教えてくれました。

さらに旧道の古民家を改修したゲストハウスが2020 年にオープン。別のゲストハウスの計画もあり、空家をアトリエとして借りている人などもいて、10 人ほどがこの地区で新しく活動を始めているそうです。

第二音戸大橋から眺める音戸の瀬戸は、数田さんや沖元さんのお気に入りの風景

第二音戸大橋から眺める音戸の瀬戸は、数田さんや沖元さんのお気に入りの風景

最後に、音戸の町に興味を持ってくれた方に対して、数田さんからメッセージをいただきました。

「多くの人にぜひ一度、音戸に足を運んでほしいですね。渡船に乗ったり町並みを散策したり海を眺めたり。そしてこの島を好きになって、ぜひ住みたい、店を開きたいという方がいれば、相談に乗ったり、紹介したりします。音戸魅力化推進協議会のメンバーとしても歓迎しますよ。そして渡船についても、船頭志望の方のほか、観光資源として一緒に活用法を考えるなど、新しいアイディアをお持ちの方に、ぜひ加わってほしいです。」

取材先

音戸渡船

日本一短い120mの航路を約3分かけて行き来する渡し船。
江戸時代に始まったとされ、昭和36年の音戸大橋開通まで、なくてはならない重要な交通手段として、親しまれてきた。現在は利用者の減少により存続が危ぶまれているが、地元の人たちの活動によって維持されている。

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大川富美

大川富美東京都出身。大学卒業後、広島市の新聞社で記者として働く。 呉市、竹原市、山口県岩国市などで暮らし、現在は、広島市在住。 市内の小学校で英語を教えている。もちろんカープ&サンフレッチェのファン。趣味はほかに犬の散歩と道の駅めぐり。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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