昨年9月、岐阜県郡上市の長良川へ出かけた。
水の湧き出る上流域にあたる山深い地域だった。
その時の取材テープを聞き返すと、のっけからゴウゴウと川の音が入っている。
到着するなり案内されたのが、長良川の支流だったのだ。
川縁の大きな岩の上に立つと川は目の前に勢いよく流れ、青や黄に光り水しぶきをあげている。美しいというよりあまりに神々しくて、圧倒された。
同行していた川の専門家、原田守啓先生が教えてくれる。
「ここは山から湧き出た清水が全部集まってくる所で、里の人たちにはとても神聖な場所だったんだと思います。ここの下流から、田んぼをつくれる場所になっていくわけです」
神聖な場所という言葉のとおり、川べりには古そうな神社が建っていた。
この日は「長良川カンパニー」という、長良川源流域を遊びながら守る組織の取材だったのだけれど、代表の岡野春樹さんが、まずここへ案内してくれた理由が今ならわかる。土地の本当の魅力は言葉にならない。五感で感じるしかない。長良川流域の暮らしの原点を、まず見せてもらったのだった。
流れの感覚ですべてを感じ取る、神様みたいな人間に
後日調べてみると、長良川は昔から日本で有数の清流と呼ばれ、川とともに生きる知恵の宝庫だった。いまもアマゴやアユなどの魚が豊富に生息し、多くの釣り人や自然家を魅了している。
「長良川カンパニー」では、流域に受け継がれてきたそうした文化を伝えながら川を守る活動をしている。
環境保全の話以上に興味を惹かれたのは、この土地の人たちがいかに川とかかわりあって生きてきたかという話だった。支流ごとに違う文化があって、そんな暮らしが今も残っている。上流にいくほど誇り高き“川の民”が暮らしていること。
夜、みんなで酒席を囲む時間があって、その時の話がたいへん面白かった。
由留木(ゆるき)正之さんは長良川流域の自然ガイド歴30年ほどのベテランで、長良川流域で川の達人ともいえる“地元のおっちゃんたち”に出会って魅了され、移住してきた一人だ。
長良川は下流から上流にかけてイワナやアユが生息する“魚影の濃い”最高の漁場だという。でも釣り人が多いぶん魚も“スレて”いて、簡単には人間に釣られない。そんな魚と人の攻防戦が繰り広げられるなかで「釣り竿一本で子どもを大学までやった」なんてツワモノもざらにいたという。
「たとえばアユだけでも、下流から上流まで川の場所によって漁の仕方が何十種類もあります。僕らの師匠は子どもの頃から川に飛び込んだり、天然の魚を捕ったりして体で川と付き合ってきた人たち。そうした子どもらが成長すると、とんでもない大人になるんですよ。
あそこの川底はどうなっているか、この季節ならどこにどんな魚がいるか、自分の能力はどれくらいかってことまで全部わかった上で、川を通して自然をよーく見ている。肌の上を流れる水の感覚ですべて感じ取れる、神様みたいな人間になるんです」
由留木さんの話を、ほぉ〜とその場にいた皆が聞き入る。
「それも、子どもの頃から魚を捕ったらちゃんと稼げる文化があって。捕ったアユは漁協や周囲の旅館や民宿が買ってくれる。
子どもでも捕った魚を売って、自分の自転車を買ったり。だから川の資源を使って生きるってことが体に染みついてるんですね。川で遊んでいても、魚を持って帰れば家で叱られない。遊びと趣味と実益、自分も家を支えているって自負が渾然一体となって、その感覚のまま大人になる」
そんな風に育った人たちだから、地元の大人の多くは季節になると本業そっちのけで釣りに勤しむ。アユの採れる時期には、川べりに郵便局のバイクが停まっていて、配達途中の局員のおじさんが「今日の仕事帰りはどこで釣ろうか」と懸命に川の様子をうかがっていたりするという。
「上流の民」への憧れ
そんな風土のなかで暮らしているとおのずと「上流の民」に憧れるようになると話すのは“膳さん”こと、興膳健太さん。九州の出身だが、岐阜大学に入ったのがきっかけで、やはり流域の民の暮らしに魅せられた一人だ。里山保全組織「猪鹿庁」の立ち上げ人でもある。
「郡上に来て、もう何というか、これほど楽しそうに本気で遊んでる大人はほかにいないなって思ったんです」
自らも一緒に川で遊ぶうちに、この川をどう守っていくか?という使命感のようなものが芽生えていったのだそう。
「長良川って本流に注ぐ支流にもさらに細かな支流があって、毛細血管みたいに山一帯に川が張り巡らされてるんです。そうすると、じゃあ自分はどの川を守ろう?みたいな感覚になっていく。どこの山守になるか?ってのと同じで。自分にとっては、水が湧いている域が上流域。上流であるほどそのあたり一帯の自然に及ぼす影響が大きいので“上流の民”への憧れじゃないけど、川の上のほうに住むのが夢だったんです。
今、願いがかなって小間見川(こまみがわ)の上から3軒目に住んでます。オオサンショウウオの生息地でもある、すごくいい川です」
この、山守や川守の感覚は、たとえば全国で小さな田んぼを続けている人たちもみな同じなのではないかと、膳さんはいう。
「今どき米をつくるのは大変だし、買う方が安かったりしますよね。でも先祖代々大事にされてきた田んぼだから続けようって感覚でみんなやっていると思うんです。代々つないできたものを自分も背負う。その背負ってるものが生きがいにもなるというか」
暮らす場所を豊かに保とうとすることで、山や川、田畑が健やかに保たれてきた。たとえば粥川谷(かゆかわだに)という集落には、江戸時代から400年続く林家がいて、今もしっかり山を手入れしているおかげで、粥川は大雨が降っても濁らないのだという。
「管理されていない山では、水と一緒に土砂が流れるので川が濁ります。大雨の翌日、ほかではコーヒー牛乳みたいな泥水が流れていても、粥川の水だけはちゃんと青いんです。大木の下にはちゃんと中木、下草が生えているので、雨が降っても地表が削られない。合流するところまで青くて鏡みたいなんですよ。
それを見て奥山でもちゃんと手入れさえしていれば、水源として通用するって気付いたんです。山も間伐してあって光が入るし神々しい。そんな山を自分もつくりたいなって」
この粥川谷には、矢納ヶ渕(やどがふち)というコバルトブルーの美しい滝壺があって、「昔、鬼退治に来たお侍さんを鬼の場所までウナギが案内した」という伝説が残っているのだそう。
「だからこの集落の人たちは今もウナギを神聖なものとして一切食べない。いまだにですよ。それくらいプライドをもって生きている人たち。そんな風にね、支流ごとにまったく違う文化があるんです」
見ている時間が違う
翌日、由留木さんはいくつもの気のいい森や源流を案内してくれた。途中、ふと立ち止まって、小さな溝のような小川を覗き込んで言った。
「たとえばこれって、川をよくわかった人による仕事だと思うんですね」
覗き込むと、その小川の底や壁面には大きな岩が積んで置かれていて、川の水がゆるやかに流れていた。
「今はコンクリートのU字溝で塞いでしまう方が、断然安いし楽です。でもこの治水の方法なら、岩陰が魚や生き物の棲み家になって、水が一気に流れない工夫がある。川の役割をよく知っている上の世代の人だからできたんだと思います」
きっとその人たちは、見ている時間の流れが大きいのだろうと思った。
川を大事にすることが、そのまま自分たちの暮らしを大事にすることになる。
「昔からのやり方を受け継いできたから、長良川流域には今も多くの自然が残っているんだと思います。僕らの釣りの師匠たちは、山吹の花が咲くまでは、竿を出さない。魚が痩せ細って、何でも食いついちゃう時期に捕ると魚の子孫が残せないからです。
水温が上がって餌が豊富になって魚に警戒心が戻ってくるまでは、捕らない。熊撃ち猟師もそうだし、川漁師も、みんなこれ以上捕ったらだめというバランス感覚をちゃんともっている」
由留木さんは、取材の間じゅう、そんな話をいくつも楽しそうにしてくれた。由留木さんのような大人が何人もいることが、この土地の風土かもしれない。
話を聞きながら想像した光景は、いつまでも心に残った。