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2023年3月31日 岩崎尚子

【風土と半島】半島らしい風土とは?

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「半島」とは、三方を海に囲まれた土地のこと。 海と山と里山が併存し、つけ根には、都市との交流圏としての役割があり、先端には、人と自然と伝統が共生した暮らしがあります。 半島の風土に着目し、そこから半島の未来を考えていく連載、第1回目は全国の半島愛にあふれ、「半島暮らし学会」の主任研究員でもある岩崎尚子さんが、半島風土の成り立ちや特徴についてご紹介します。

地球のいぶきを半島で感じる

日本列島は、何億年も前から続いてきた地殻変動によって今の姿に形づくられてきました。大陸からちぎれた破片に小さな破片がぶつかったりプレートが沈み込んだり、大小の爆発を繰り返したりしながら、今のような入り組んだ海岸線、凸凹、大小の島々ができたと言われています。

そして、日本列島の輪郭をふちどる半島たちは、こうした地球のいぶきをリアルに体感できる場所です。半島の先端に行くと、さまざまな奇岩、地層の重なり、千畳敷があり、柱状に仁王立ちした岩があったり、地表が隆起・陥没した痕跡、バウムクーヘンのような断崖絶壁などを見ることができます。噴火でできたくぼみや火口湖、鉱物資源が溶け込んだ温泉なども各地にあります。

三浦半島の「馬の背」

これら地球のいぶきの痕跡は、古くから名所・景観地として親しまれており、今日的には「ジオパーク」の見どころにもなっています。

出典:日本ジオパークネットワーク https://geopark.jp/geopark/

「風土」が「地域」をつくる

「風土」とは、その土地の気候・気象・地形・地質・景色(景観)などの総体をさす言葉ですが、文字通り地域の土台であるだけでなく、地域の固有性を育み、その地域を地域たらしめている根幹と言えます。

和辻哲郎著『風土』から短く引用すると、

〝たとえば着物、火鉢、炭焼き、家、花見、花の名所、堤防、排水路、風に対する家の構造というごときものは、もとより我々自身の自由により我々自身がつくり出したものである。しかし我々はそれを寒さや炎暑や湿気というごとき風土の諸現象とかかわることなくつくり出したのではない。我々は風土において我々自身を見、その自己了解において我々自身の自由なる形成に向かったのである。〟

〝我々はさらに風土の現象を文芸、美術、宗教、風習等あらゆる人間生活の表現のうちに見いだすことができる。〟

などなど、人間がつくり出すもの、表現するものに風土の影響が表れるとしており、さらには精神構造の奥深くにまで刻み込まれているとしています。

古代から近代までの間、日本では物資の往来は主に海運が担ってきました。気象・気候や潮流、地形的条件に影響されやすい地域、例えば離島や半島、山深い地域、豪雪地帯などでは、その土地にあるもの、四季折々の変化を通じて採れるものをやりくりして命をつなぎ、その土地の風雨に適応できる住まいをつくり、生業を成り立たせて来ました。

半島の各地にある棚田が典型例でしょう。急峻な地形のため平たく四角い田んぼがつくれず、斜面を開墾し土手をつくって、稲を育てた祖先たちの大いなる知恵の結晶です。稲作には水が必要ですが、水を溜める・上の田から下へと水を流すタイミングや量を調節するなど、水利が難しい中でもどうにかするやりくりする術、知恵を蓄積してきました。

丹後半島、上世屋集落の棚田

低気温や土地が痩せているなどの要因から稲作ではなく蕎麦を食べていた地域もありますし、潮流に乗って北上・南下する魚の漁獲を生業にした地域もあります。四季を通じて食べ物を確保するために、乾燥・発酵と言った土地の気候や菌とつきあう術も発達しました。さらに、潮流に乗って魚を追いかけて他の土地に移り住む中では、こうした技や知恵が他の土地へと伝播していきました。

雨が降らず川の水が涸れる、魚が捕れないなど、自然の変化とともに生きる中で、雨乞いをする・豊穣を祈る、必要以上に獲りすぎてはいけないなど戒めを言い伝える(伝説・伝承)文化を育んできました。祈りとともに、踊りや音楽、新しい季節の訪れをとらえることばなども紡いできました。

こんなふうに、地域は風土とつきあい、やりくりする中で紡がれてきています。風土は地域そのものと言えます。

そして、風土と地域のつながりが顕著に今も色濃く残っているのが、半島なのです。

風土がもたらす力を体感する場所

日本の地方都市、まちむらを訪れたとき、似たような風景だと感じることはありませんか。近代化・開発に伴って、暮らしやなりわいは自然に翻弄されにくくなりましたが、反面、風土とのつながりは体感しにくくなってきました。

農業を例にとると、肥料を使ったり、よりたくさん収穫できる品種を開発したり、温度管理をして年間を通じて採れるようになったり…と、安定した生産と収穫をコントロールできるようになりました。特産品の原料が不足しても他の地域から仕入れて生産し、地域の産業経済を維持できるようになりました。こうして私たちは、その土地ならではの暮らし、生活様式、季節の変化といった「風土」から距離を置きながら過ごすようになってきました。

他方、半島は、近現代における都市中心の開発があまり進まなかったことで、結果的に昔からの仕組み、これに伴う伝統技術や伝承・景観などがそのまま残ることになりました。半島に多数の棚田が残されているのは開発が進まなかった恩恵ですが、一方で、農地として維持することは大変な労力を必要とするため、地域の産業構造の変化、高齢化・過疎化とともに耕作放棄地になっているところも多数あります。

ところで、国際連合食糧農業機関(FAO)が認定する「世界農業遺産(GIAHS)」という制度があります。これは、「社会や環境に適応しながら何世代にもわたり継承されてきた独自性のある伝統的な農林水産業と、それに密接に関わって育まれた文化、ランドスケープ及びシースケープ、農業生物多様性などが相互に関連して一体となった、世界的に重要な伝統的農林水産業を営む地域(農林水産業システム)」(農林水産省HPから引用)のことで、2023年3月現在、日本で認定されている13地域のうち4地域が半島内にあります(能登、伊豆、紀伊、国東)。

出典:農林水産省世界農業遺産 https://www.maff.go.jp/j/nousin/kantai/giahs_1_1.html

それぞれの取組の詳細を見ると、各地の地形・地質、気候と、ここから育まれる植生や生物多様性をふまえた資源循環の仕組みができあがっており、日常生活の中に溶け込んでいることがわかります。

半島には、人々が自然、地形を巧みに操り、どうにかやりくりしながら生きてきた証があります。世界農業遺産やジオパークは、その典型的なものです。日本の津々浦々がなんとなく均質化しつつある中で、半島に行けば、日々の暮らしや歴史が風土と不可分であること、表裏の関係であることを体感できるでしょう。

日本の多様性を支える半島

日本各地にある半島の風土、四季折々の変化の中で生まれ育まれてきたコトモノたちは、半島が日本列島の輪郭をくっきりとかたどっているのと同じように、日本の文化の多様性を支えている。そんなふうに思っています。

半島のコトモノの多様性にふれ、これを評価することは日本の多様性を引き継ぐことだと、断言します。

加えて、北前船の寄港地にみるとおり、半島同士が海路でつながることによって文化・技術が海づたえに伝播し、その土地の文化と混じって定着してきたことも注目点です。

例えば、伝統芸能である「ハイヤ節」は、熊本県牛深(天草半島)を起点に、長崎、関西へと広がり、日本海から北海道へと航路上の港に伝わって、各地域でさまざまなアレンジが加わったそうです。

出典:牛深ハイヤ節実行委員会 http://www.ushibuka-haiya.com/

半島は海に突き出した地形から、古くから航海上のランドマークにもなり、内湾は風待ち・潮待ちの港として栄えてきました。そのことが、物資の交易にとどまらず、各地の人が交わり、各地の風土に根ざした知恵や文化を交換する場としての役割を担ってきたと言えます。

つながり:連携と循環

世界農業遺産でみると、紀伊半島(和歌山県)の「みなべ・田辺の梅システム」は、養分に乏しい斜面の梅林周辺に薪炭林を残すことで、里にある農地のための水源を守るとともに、斜面の崩落を防ぎ、また、特産品である梅の受粉をニホンミツバチが行うことで生物多様性を維持する仕組みです。能登半島の「能登の里山里海」は、風土にあわせた伝統的な農業・漁業が現存するとともに、田の神様に一年の感謝を伝える「あえのこと」という祭礼が有名で、風土と暮らし、文化がすべてつながっていることがわかります。

能登半島穴水町の伝統漁「ボラ待ちやぐら漁」

少し見方を変えると、人が介在することで、自然・風土と地域の暮らしのつながり、循環する仕組み(エコシステム)が保たれているケースもあります。

佐賀県の東松浦半島の付け根にある景勝地「虹の松原」は、長さ4.5㎞、幅500m前後、面積は214haにも及ぶ広大な面積を有する松林です。江戸時代の初期に防風・防砂・防潮の目的で松が植林され、落ちた松葉や枝を人々が燃料として拾い集めることで白砂青松の景観が保たれていましたが、近代化の中で燃料として使うことがなくなったため松葉や枝を拾い集めることがなくなり、長い期間、松原は荒れた状態にありました。かつての虹の松原の美しい景観を再生しようと、現在は地域の関係者が連携し、松原の清掃活動や落ち枝の活用などに取り組んでいます。

佐賀県の東松浦半島の「虹の松原」

鹿児島県の大隅半島とつながる桜島では、たびたびの噴火に見舞われながらも、火山灰に強い農作物はないものかと50年ほど前に椿を植栽しました。実が採れるようになったものの地域では高齢化・過疎化が進み、椿の実を産業に育てることが難しくなっていましたが、Iターンでやってきた若者たちと地域の人々が協力して100%桜島産の椿油を商品化し、今では全国で売られる定番商品に育っています。

半島から未来を考える

私たちのライフスタイルが変化する中で、風土と地域とのつながり・距離感は、1,000年前、100年前とは違ったものに変わっています。これからも変化しつづけるでしょう。

一方で、風土を土台に培ってきた技や知恵は、実は今日の科学的な見地からも理にかなっていることが多くあります。このため、風土に育まれた地域のコトモノは、昔からの伝統、宝として維持・継承するだけでなく、その中にある真理、普遍性を紐解くことで、今日の暮らしにあわせた価値を見直し、アップデートしていけるのではないかと思います。虹の松原や桜島の取組に見るとおり、かつての暮らしの知恵と、今日の持続可能な社会をつくるための試行錯誤を組み合わせて、新しい時代に向かって帆を広げている人たちが半島の各地にいるのです。

この「半島と風土」では、半島各地の風土とともにある暮らし、半島の豊かさと、未来に向けた取組を掘り下げ、風土がもたらす価値を解き明かしていきます。

どんな出逢い、知恵の発見があるか、一緒に半島の未来を旅しましょう!

岩崎尚子
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岩崎尚子

岩崎尚子東京生まれ・東京育ち・東京都在住。条件不利地域の振興をテーマにしつつ、ヒト・コト・モノ・シクミに関するプランニング、マネジメント支援を行っている。半島暮らし学会、主任研究員。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む