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2015年9月18日 ココロココ編集部

米子屈指の老舗「長田茶店」に東京から嫁いだ若女将、長田碧さんが米子で見つけた宝物

米子市内でもひときわ古い街並みがきれいに残る岩倉町地区。その一角で老舗の風格をたたえる「長田茶店」(ながたちゃみせ)は、地元では誰もが知っている名店。庶民的な茶葉から、茶席で使われる高級な抹茶や茶器、釜、花器、掛け軸に至るまで、茶道に関するあらゆるものを揃えているお茶と茶道用品の専門店だ。こちらで7代目当主を務めているのは、1979年生まれ、現在35歳になるという長田吉太郎さん。老舗に生まれ育った跡取り息子の彼のもとに、東京から嫁いできたのが碧(みどり)さんだ。
米子の魅力を訪ねたら、「一生の宝物が必ず見つかる地域」と答えてくれた碧さんに、米子に来たきっかけやお二人の馴れ初めから現在に至るまでのお話を伺った。

米子は第2希望の街だった

碧さんが初めて米子に来たのは3年ほど前。東京で募集されていた「田舎で働き隊」に応募し、米子市内の高島屋に入っていた南部町のアンテナショップスタッフとして、半年間の契約で働き始めた。最初は「半年働いたらまた別のところで働こう」という軽い気持ちで来ていたという。

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「実はこれ以外にも、別の場所で酒蔵を復興するという仕事があって、私、お酒が大好きなので本当はそっちが第1希望だったんです。でもそっちはほかの方になってしまって…。第2希望が米子のこのお店でした。私、『梨、イチジク、柿』の3つがすごく大好きで、南部町はそのすべてが特産品だったので『行ったら幸せな毎日だろうな』と軽い気持ちで応募したら、見事に当たってしまって(笑)。」

 

いろんな場所にちょっとずつ…のつもりが米子に永住!

こうした不思議な運命の導きで、一度も行ったことが無かった米子で、アンテナショップのスタッフとして半年間働くことになった碧さん。最初の頃は豊かな自然と美しい風景に、心を揺さぶられる毎日だったという。

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「何もかもが新鮮でした。中でも、雲の輪郭がきれいなことに感動しましたね。今までも母の実家がある福島とか、長野の蓼科なんかには、家族でよく行っていたんですけれど、その時よりももっと鮮明な感動でした。『空気がきれいって、こういうことなんだ』って思いましたね。」

碧さんは生まれも育ちも東京都世田谷区。三軒茶屋や渋谷が徒歩圏内だったという、生粋の都会っ子だ。学校を出てからは出版関連の仕事を志望し、さまざまな本作りなどにも携わってきた。

「自分の中では、一生結婚しないのかなって思っていたんです。編集者になるのが夢だったので、地域の魅力を、その場所にちょっとずつ住みながら発信して、いろんな場所に行きたいと思ってました。その一番最初が米子だったんですが、来てみたら、なんと、一生のものになってしまった。そんな感じですね(笑)。」

 

運命の出会い。そしてスピード婚約

碧さんが吉太郎さんと出会ったのは、米子に来て間もなくの頃。最初は仕事上の悩みを相談しながら、徐々に仲を深めていったそう。
半年経って、碧さんの契約が切れる頃にはお互いに結婚を意識していたため、碧さんは、もう半年間、アルバイトとしてアンテナショップの仕事を続けることを決めた。

「この笑顔にコロっときてしまった」と笑うご主人の吉太郎さん。老舗に生まれ育った7代目当主に、「長田茶店」についても聞いてみた。

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「うちの創業は1801年ですから、2015(平成27)年で213年目になります。昔は旅籠(はたご)も一緒にしとって、もっと前は質屋も、酒蔵も、金貸し、貸し倉庫もしとったそうです。最後に残って、一番長いのがお茶屋ということなんですね。いまお茶屋で7代やっていますけど、商売自体を始めてからは私で12代目になるので、もう500年近く経っているのかもしれません。」

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吉太郎さんによれば、米子の街並みが本格的にでき始めたのは関ヶ原の合戦の後からとのこと。長田家はそれよりもさらに数十年前から、この場所で代々暮らし、商売をしてきたというわけだ。そんな名家の跡取りとのお付き合い。結婚までのハードルはさぞ高かったのかと思いきや…。

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「主人とはこっちに来て1か月2か月くらいで出会って、すぐに付き合い始めたんですけれど、結婚については本当に自然に、最初の頃からお互い意識していましたね。一緒に友達の披露宴に出た帰り道で、『僕らが子育てするならどうしようか』なんて会話もしていたりして。『こんな話をするなら、私達結婚するよね』みたいな感じで。」

 

趣味の飲み歩きで、すぐに街に溶け込んだ

運命に導かれてゴールインし、盛大な結婚式を挙げたという二人。仕事で1年住んだ街とはいえ、故郷から遠く離れた地で、慣れない田舎生活と結婚生活、老舗の若女将という重役を一度に背負うのは、大変ではなかったのだろうか。

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「それが全然大変じゃなかったんですよ。米子は意外と店もありますし、便利で暮らしやすい街なんです。それに人がとても優しくて。結婚する前はよく一人で居酒屋さんに行っていたんですけれど、すぐにお店の人と仲良くなって、時々一緒に遊びに行ったりもしていましたね。一度、閉店した後に間違って居酒屋さんに入っちゃった時もありましたけど、その時も、いいよいいよって、入れてくださって、一緒に飲んだり。本当にすごく優しい方ばかりなんです。」

 

老舗女将としての修行と子育ての日々

2015(平成27)年の1月に出産し、米子で子育てをすることになった碧さんに、米子の子育て環境についても聞いてみた。

「子育てもすごくしやすい街ですね。子どもを連れて食べに行けるお店もけっこう多いですし、コンビニさんに行っても、店員さんが『かわいいね』って気さくに話しかけてくれたり、私の手がふさがっているのを見て、ちょっと怖そうに見えるお兄さんが、扉を開けてくれたりして。」

子育てに加えて、今は、お茶屋の女将として覚えることもたくさんあるという。

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まずはお茶の知識を深め、女将としての仕事をこなせるようになるのが当面の目標だが、いずれは、自分の米子暮らしの様子やお茶のこと、伝統文化などを“発信”する活動もこれから始めていきたいという碧さん。
「地域の皆さんに楽しく読んでもらえるような何かを発信できたら、と思っています」と笑顔で語っていた。

 

米子へ移住するなら、地元の人とどっぷり交わる覚悟を持って

最後に、米子への移住を考えている方に向けて、おふたりからアドバイスを頂いた。

碧さん:「米子は海や山や街並みなど、いろいろな魅力があるんですけれど、“人の優しさ”がすごい際立っていて、魅力だな、と思っています。すっと溶け込みやすい、と言うんでしょうか。たとえば買い物に行った時に、店員さんが話しやすいとか、そういうちょっとしたことが移住してきた人は嬉しいと感じるんですね。そういうところが、米子の暮らしやすさなのかな、と思いますね。」

吉太郎さん:「“溶け込みやすい”という意味であれば、新しい街よりも、むしろできるだけ昔からある地区に住んでもらうのがいいと思います。もちろん自治会に入って、しっかり活動にも参加するっていうのが条件になりますが、そういったところに行って一旦溶け込んでしまえば、それこそ昔のような、醤油が切れたら貸してもらったり、子どもの面倒を見てもらったりといった関係に、たやすくなれると思いますよ。」

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最近、吉太郎さんのまわりでも、男友達が次々と結婚しているそうだが、お相手の方は大阪出身だったり、県外から来た女性が多いのだという。田舎で暮らしてみたいという未婚女性の方は、一度米子を訪れてみてはいかがだろう。ひょっとしたら碧さんのように、運命を変えるお相手と出会えるのかもしれない。

 

■長田茶店 岩倉町本店(別名しょうじき村店) 茶道具専門店
住所:米子市岩倉町76(しょうじき村役場前)
電話番号:0859-22-7602
URL:http://www.nagatachamise.jp/

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ココロココ編集部ココロココでは、「地方と都市をつなぐ・つたえる」をコンセプトに、移住や交流のきっかけとなるコミュニティや体験、実際に移住して活躍されている方などをご紹介しています! 移住・交流を考える「ローカルシフト」イベントも定期的に開催。 目指すのは、「モノとおカネの交換」ではなく、「ココロとココロの交換」により、豊かな関係性を増やしていくこと。 東京の編集部ではありますが、常に「ローカル」を考えています。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

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