▲激しい流れを下る観光筏。現在の乗船場「オトノリ」は、かつては「弟乗り」と呼ばれ、家の跡継ぎである長男は乗らない危険な場所とされていたそうだ。
筏師の勇壮さに心を奪われ、転職と移住を決意
若き筏師(いかだし)、所和宏さんはもともと岐阜県の出身だという。まず、所さんが筏師を目指したきっかけを伺った。
「僕は岐阜で生まれ育って、妻とは岐阜で知り合いました。妻の実家は和歌山県の新宮市、おばあちゃんの家がこの北山村というご縁もあり、3年前の結婚と同時に移住してきました。結婚を決めて以前の職場よりもいい仕事をと考えていたときに、妻のお父さんが教えてくれたのが北山村での筏師募集という情報だったんです。」
所さんはそれまで筏(いかだ)を見たこともなかったそうだが、筏師という仕事に不安はあまり感じなかったそうだ。
「もちろん筏師の経験はなかったのですが、伝統ある筏師の技を引き継いでいくという意義のある仕事だと思えたし、日本でも筏下りはココしかないということ聞き興味が湧きました。何といっても川を下る筏が面白い、かっこいい!と思えたことが一番の決断理由でしたね。」
奥様の容子さんにも転職と移住の決断についてお話を伺ってみた。
「反対はしませんでしたが、おばあちゃんの家には遊びに来ていて村の様子も知っていたので、主人から移住の話を聞いたときには、ホントにいいの?コンビニもパチンコもないよ!?って何度も聞き直しました(笑)。それでも、『大丈夫』って言うので、それなら行こう、ということになって移住してきたんです。」
▲公営住宅で、奥様の容子さんと娘さんの家族3人暮らし。
筏師は株式会社の社員として、村の公共事業にも携わる
勇壮な筏流しの様子に心を動かされた所さんだが、決断にいたった理由はそれ以外にもあったようだ。
公営住宅への入居や子育てサポートなど村からの移住支援があることや、雇用形態といった条件面も背中を押してくれることにつながっている。
北山村の筏師たち、実は北山振興株式会社の社員でもある。この会社は北山村が全額出資する民間会社で、筏師後継者育成のために設立されたもの。
観光筏以外にも村の仕事の一部を受託するかたちで会社は運営され、筏師たちもオフシーズンや筏の仕事がない時には、「じゃばら農園」や「じゃばら加工工場」、森林整備、ごみ収集、温泉運営などさまざまな仕事に携わっている。
「筏師は十数名いますが、僕たちは北山振興株式会社の社員で観光筏の運航がないオフシーズンは別の仕事をもっています。僕の場合は『おくとろ温泉』のバイオマスボイラー業務を中心に担当しています。薪を割ってボイラーを湧かし、温泉の湯温をコントロールする仕事です。筏師たちも会社の中ではそれぞれ担当が分かれていますが、他の部門のサポートにまわることもあります。僕もじゃばら農園や、じゃばら加工工場へも手伝いにいくこともあります。筏のシーズンオフも仕事は結構大変ですが、いろんな知識や技術を覚えることもできて、やりがいがありますね。」
▲三角屋根の新しい建物が「道の駅おくとろ」。「おくとろ温泉やまのやど」もこの一角にあり、宿泊やキャンプも可能。画面に下に並んでいるのが公営住宅で、職場までもすぐだ。
筏師としての暮らしはハードなもの、昨シーズンは7kgもやせた
一方、「観光筏下り」は5月から9月までが運行シーズンで、シーズン中は筏師がメインの仕事となる。8本の杉の丸太で組まれた筏はひとつひとつが「床」と呼ばれ、7つの「床」が連なった観光筏は全長30mにもなる大きなもの。北山村は急斜面と急流の川に挟まれているので、毎日筏を川に上げ下ろして組み立てるという仕事もある。
所さんに、筏師の仕事を詳しく教えてもらった。
「朝は7時前に家を出て、筏を組み立てる作業から始めます。一日に2回運行していますので、まず11時すぎに一回目が出発。船着き場に到着後は筏をクレーンでつり上げて、再び午後の運行に備えるという体制で、体力的にもくたくたになりますね。筏の操縦は肉体的にもとても疲れるし、お客さんの安全にも責任を負っていますので精神的にも厳しい仕事です。昨シーズンは体重が7kgもやせたくらいです。例年は雨で運休があったりしましたが、昨年は天候が良くてほとんどフル回転したんです。営業的にはありがたいのですが、体力的にはきつかったですね。ただ、体重は2ヶ月で元に戻りましたけど(笑)。」
▲仲間の筏師たちとの記念撮影
流れの穏やかな川であれば操船も難しくないようだが、北山川は急流なため、筏師にも特別の技能が要求されるそうだ。
「筏には3人の筏師が乗り込みます。『先乗り』、『舵』、『後乗り』と分かれていて、先乗りはナビゲーター役として川の水路(みと)を探し、櫂を使いながら筏の進路を決める役割、舵は車でいうとハンドルの役割、後乗りが後輪の役割です。先乗りが一番難しいといわれていますが、一人前の筏師になるためには少なくとも3年間の修行が必要で、それまでは『舵』や『先乗り』の役は先輩たちが担当します。僕もちょうど今年で4年目、早く一人前として認めてもらえるようになりたいです。これまでは師匠と呼べる大先輩がいて、ずっと教えてもらっていました。現在では師匠は引退したけれど、ハイシーズンだけサポートに入ってくれます。僕は年齢では2番目の若さ、経験では一番のルーキーなので、はやく後輩が欲しいですね。」
▲先頭で櫂を操るのが「先乗り」、2人目に乗るのは太い丸太を使って筏の方向を操作する「舵」
北山川の上流にはダムがあって放水量はコントロールされているが、それでも川の様子は毎日変化を見せるそうだ。
「水量が少しでも変わると、筏のコースも変える必要がありますから、筏はいつまでたっても勉強です。だから筏は面白いのかもしれません。シーズンが終わると筏が恋しくなりますね!」
筏師の育成を含めて、若い世代の定住をサポートする体制も充実
北山での暮らしはどんなものなのか、休日の過ごし方も伺ってみた。
「お休みの日は、新宮の実家に行ったり、買い物に出かけたりしています。仕事がアウトドアなので、休みの日は家でゆっくりしていますね。釣りやバイク、サーフィンを趣味にしている同僚の筏師もいますが、僕は子どもが一番可愛いですね。子どもの成長を見守りながら、この村で10年後に笑っていられたらいいなと思います。」
確かに、筏師の同僚の方の中にはアウトドアの趣味を楽しんでいる人もいる。自然環境は恵まれているだけに、人それぞれに自分にあった楽しみ方ができるのだろう。(ココロ×マチ「和歌山県北山村」の記事へ)
過疎の村での日常生活に不便はないのだろうか? 奥様にも聞いてみた。
「いろいろと不安や不満に感じることもあると思いますが大丈夫。困ったことがあっても、近所の人たちやお年寄りの方たちにも助けてもらうことがたくさんありました。私たちは子育てを始めたばかりですが、医療費や保育園は無料なんです。近所の子どもたちもすごくのびのびしていて、みんな外で元気に遊んでいます。畑で野菜をとってそのまま小川で洗って食べている姿を見たときには、少し驚きましたけどね(笑)。自然の中でのびのびと子育てをしたいという人にはいいと思いますよ!」
医療や教育、買い物支援に関しても村が中心となってサポートを行っている。若い夫婦が、元気に子育てをすることができる、そんな環境を整えることにも北山村では力を入れているのだ。
筏師の育成は、現在も村の大きな課題として位置づけられている。北山村に興味をもたれた方は、まず「観光筏下り」に参加してみてはどうだろうか。筏のシーズンは、5月からスタートする。