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2015年10月16日 ココロココ編集部

ご当地キャラのプロデュースからポータルサイト運営までを手掛ける鎌田さんが語る米子の魅力

米子の中心市街地の一角に事務所を構え、ポータルサイト「REALZ」(リアルズ)の運営やウェブページ制作のかたわら、ご当地キャラ「梨男」(なしお)をプロデュースするなど、ユニークな取り組みを行っているクリエイター集団「REALZ」。その代表を務めている鎌田秀一さんは、米子に生まれ育ち、大阪で働いたのち帰郷した、いわゆる「Uターン組」の一人だ。

ポータルサイトを通して目指しているのは、山陰エリアで頑張る人々が「つながる」ということ。情報を対外的に発信するだけではなく、お互いが切磋琢磨できる環境を、ネットを通じて創り出そうと模索している。

そんな鎌田さんにご自身の人生、Uターン生活を振り返り、これから米子へUターン、Iターンしたいという人に向けてメッセージを頂いた。

大阪にいるときも、ずっと米子が気になっていた

鎌田秀一さんは米子市に生まれ、琴浦町で育ち、中学卒業後は米子高専に進んで建築を学んだ。最初の就職先は、サイン・ディスプレイを手掛ける大阪のデザイン会社。そこで数年働いたのち、Uターンして「REALZ」を立ち上げた。

現在は多くの地元の人々との連携で、米子の情報を全国に届けている「REALZ」のサイト。実は、このサイトを作ったきっかけは、大阪で働いていた当時の「もどかしさ」にあるのだという。

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「就職で大阪には出たんですが、その間も、すごく米子が気になっていたんですね。何か面白い取り組みをやっていないかとか、米子の街はどうなっていくんだろうかとか。でも当時は、米子の情報を発信しているようなサイトが全然無かったんです。もっと知りたいのに!と思っていましたね。」

情報が無ければ自分の足で探すべしと、大阪で働いていた時代も頻繁に米子に帰っていたという鎌田さん。実際に米子に戻るきっかけとなったのは何だったのだろうか。

「実は僕、けっこう何でもしたい性格なんです。ディスプレイをやるために(大阪に)出たんですけれど、一方では家具を作りたいという思いもあって。大阪で人気の家具屋さんに、何回も履歴書を送っていたんですよ。実は学生時代からずっと送り続けていたんですが、ずっと断られ続けていて。ある時、ラストチャンスだって思って手作りの履歴書を作ったんです。そこはレザーの家具が人気だったので、その人達が好きそうな感じにして。」

これには送られた側も驚いたようで、この時にはすぐに反応があったという。

「これでダメだったら諦めようと思って送ったんですけれど、面接したいと言ってくださって。でも、面接の場でなぜか、『いずれ鳥取県に帰って、あなたたちみたいなことをやりたいんです』みたいなことを言っちゃったんですよ。家に帰って姉貴に話したら『何言っとるだー』って怒られましたね(笑)。」

「どうしても気になっちゃったので、次の日の朝、面接をしてくださった方を“待ち伏せ”して、声をかけたんです。でも手遅れでした。『君は鳥取県に帰ってやらないと』って言われて終わりました。で、それをきっかけに、米子に帰ることを決めたんです。」

 

運命を変えた、“師匠”との出会い

米子に帰ってきた直接のきっかけは、知り合いがアパレルの会社を立ち上げ、その手伝いに誘われたことだった。しかし、ほどなくその会社は倒産。鎌田さんも職を失った。その後はコンビニでアルバイトをしながら、悶々とした日々を送っていたそうだ。

そんな日々に転機をもたらしたのは、ある社長さんとの出会い。米子市内でコンサルティング会社を立ち上げていた社長のもとに、鎌田さんは面接を受けに行った。コンビニで働きながらの就職活動だったが、2回面接を受けて、2回落ちたという。

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「2回目に落ちた後のある日、日帰り温泉でお風呂に入っていたら、その社長が入ってきたんです。さすがに裸同士だからお風呂では声をかけなかったんですけれど、お風呂上がりに、また“待ち伏せ”をしたんですよ(笑)。」

鎌田さんの必殺技“待ち伏せ”。1回目は玉砕だったが、今度はどうだろうか。

「実は2回目の面接の時に、その方から本を借りていたんですよ、『お前は何も分かってないけん、本を読め』ということで。でも、それをまだ返せていなかったので、是非お返ししたいということで、それを口実にして3回目の面接をしてもらえることになりました。で、『3回来た奴は初めてだ』という感じになって、無理やり入れてもらったんです。」

その社長のもとで、鎌田さんは1年半ほど、コンサルティングの仕事を学びながら濃密な時間を過ごした。その期間に培った経験が自信につながり、「REALZ」立ち上げに向けての力となった。現在、その社長は東京に事務所を移したそうだが、今でも鎌田さんは「師匠」と仰ぎ、時折、連絡を取り合っているという。

 

「REALZ」の船出は予想以上に厳しいものだった

「山陰のリアルを追求するブログポータルサイト」を謳う「REALZ」。その創設は2009年のことだった。

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「山陰で活躍する“人”を紹介するサイトを作りたかったんですよ。田舎にも頑張っている方って、実はすごく多いんです。でも情報は発信されていない。だから、県外で頑張っている(山陰出身の)人に、『地元にもこんなに頑張っている人がいるよ』というのを見てもらって、こっちに目を向けてもらう。そういうきっかけになるようなサイトができれば、と思って始めました。」

しかし立ち上げ前、サイトのアイディアを“師匠”に打ち明けたところ、厳しい意見をもらったそうだ。

「最初は『やりたい』と思いだけが先走って、収益のことを全く考えていなかったんですね。社長に『実は僕これをやりたくなって、だから(会社を)辞めたいです』って言ったんですけれど、『お前どうやってこれで儲けるの?』って言われて、『いやわかんないんですけれど、やりたいんです』って感じで。でも、優しい社長さんだったので、『俺が納得するビジネスモデルができるまで、おっていいけん、じっくり考えろ』って言ってくれたんです。」

考えを深め、経営計画を練り直すこと約3カ月。「とりあえずやってみよう」ということで、鎌田さんは会社を辞め、「REALZ」を立ち上げた。

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「でも最初は全然仕事が無くて、危なかったですね。あと2、3か月仕事が無かったら、またコンビニでアルバイト生活に戻るところでした。」 立ち上げ早々、背水の陣だったという「REALZ」。しかしコツコツと確実に仕事をしているうちに、口コミで仕事が舞い込むようになり、数年かけて、ようやく軌道に乗せることができた。鎌田さんが目指した「人を紹介する」ポータルサイト「REALZ」にも沢山の人を紹介できるようになり、今では山陰で活躍する起業家、クリエイター、アーティストらが多く利用している。

「地元でも、それぞれの方が、それぞれに夢を持ちながら、一生懸命に仕事に取り組んでいます。そんな様子をブログを通じて発信しながら、『みんなで見て、自分のモチベーションを上げようぜ』っていうことを、山陰だけではなくて、全国の人にも伝えたいですね。」

 

外へ出て自分を磨き、米子に戻って仲間と“つながる”

米子に帰ってきて、自分らしい仕事ができることに満足しているという鎌田さん。しかし一方で、「外に出てみる」ことの重要性も感じているという。

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「これはクリエイター寄りの意見かもしれないですけれど、やっぱり、一回は外に出てみるべきだと思うんですよ。都会だと、時間軸も違うし、取り巻く人達のレベルも違うし、その道の一線でやっている方々と一緒に仕事をする機会もあり、レベルアップできると思います。ただ、都会にはライバルも多いですから、一定の期間やったら地方に戻って、やりたいことを始めればいいんですよ。都会だと難しくても地方だったら“意外にいけるぞ”って感じなんです。」 地方でのやりやすさについて、こうも付け加えた。

「都会って人が多いから仲間も作りやすいと思われがちですけれど、人が多すぎて、逆にコミュニティを作るのが難しいんです。でも地方だと、例えばフェイスブックで友達になったら、共通の友達が30人いたりとか、当たり前ですよね。だからすぐに“つながる”ことができるんです。そういった意味では、地方のほうがコミュニティは作りやすいし、何かアクションを起こすにしても、やりやすいと思います。」

都会で過ごす期間はインプット、地方で過ごす期間はアウトプットに充てるべきというのが、鎌田さんの持論だ。

「都会でいろんな仕事をして、揉まれる時期は当然重要なんですけれども、それをアウトプットする先は、地方でも良いんじゃないかと。地方だと『こういうことをできないか』って声を挙げれば、すぐに目立てるんですね。県外に出ている若い方には、そういう地方ならではのメリットも伝えていきたいですね。」

 

「梨男」との出会いは突然に

鎌田さんが「アウトプット」として始めたものと言えば、鳥取県内で話題沸騰中の「二十世紀☆梨男」(なしお)のプロデュースだ。

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「琴浦の後輩から、面白いクリエイターがいると紹介してもらったんです。そこで見せてもらった梨男のLINEスタンプに一目惚れし、活動を広げていこう!と決心しました。当初は自分達で勝手に面白ろ動画を撮ってみたりしてたんですけど、3月にあった『アニメジャパン』っていうイベントに出られることになって、初めて東京のビッグサイトに連れていきました。」

シュールに見えて、実はとても腰が低いというキャラ設定の「梨男」。そのギャップが、小さな子どもから大人まで受けているという。

「ビッグサイトには行ったものの、認知度は無いですから、ひたすら名刺を配っていました。そうしたら、最初はみんな気持ち悪がるんですけれど、だんだん近寄ってきて、『何、何?名刺?名刺くれるの?』って感じで、好評でしたね。」

手応えを感じた鎌田さんは、梨男を鳥取活性化のための救世主とすべく、本腰を入れて取り組み始めた。事務所には「人類梨男計画」という壮大な言葉も掲げられている。

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「梨男が誕生した経緯とは、鳥取県の梨農家のおじいさんが愛情を注いで(梨を)育てたら、生まれてしまった、人の心をもつ梨です。愛情を注いだから美味しいはずなんですけれど、おじいさんが出荷したら、返品されてきちゃって、で、すねちゃって、引きこもっていたんです。でも、ちやほやされたいという気持ちもあって(笑)。だから友達を増やそうということで、県内外のイベントにも行って、友達を増やしているところです。」

まったく予想もしていなかった、キャラクタービジネスの展開。今も手探りの日々だというが、都会に出ている同年代の仲間から見れば、鎌田さんもまた、「面白いことをやっている」という地元の若手の一人に見えることだろう。 梨男を通して、米子の魅力、鳥取の魅力、そして地元で頑張っている若い世代の人々を知ってほしいと願う鎌田さん。

 

“つながり”の原点は高専時代にあり

米子に帰ってきてから、さまざまな人とつながり、新しいモーションを起こしている鎌田さん。「一緒に何かをするには同士が必要だ」と、今も積極的に町に繰り出し、時には酒の席を囲むなどして、コミュニティ作りに尽力しているが、その積極性は学生時代に、米子の大人達から学んだものだという。

「僕の場合は、学生時代から服屋さんとか、洒落た飲食店とかに行っていたんですね。15年くらい前なので、まだ商店街にもあまりそういう店は無かったわけですけれど、“攻めてる人”は何人かいて、僕はそういう人をかっこいいな、って思っていたので、お金もないのに遊びに行ってたんです。そしたらなぜか可愛がってもらって。次はこういう店をやろうと思うんだ、みたいな話もしてもらえました。それがすごく刺激になりましたね。」

当時建築を学んでいた鎌田さんにとって、店舗の図面を見ながら「スケルトンの状態からこうしていじって、こういう店にするんだ」と話をする大人はとても格好良く映り、実際にその通りに店ができるさまは、「街は自分たちの手で変えられるんだ」という原体験になった。それが今の彼の、「恐れずに自分から仕掛ける」という積極性にもつながっている。

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「無いものから作り上げていく、というのは刺激的でしたね。かっこいい大人たちを見て、『こういう働き方もあるんだな』ということも感じました。そういった方々とは今も付き合いをさせてもらっていて、良い刺激をもらっています。」

学生時代に触れた、街を盛り上げようとする大人との出会い。それが鎌田さんのUターンを後押しする力にもなったのだろう。そして30代も半ばを迎えた今、「自分が今度はその立場にならないと」と考え始めているという。

「今は40~45歳ぐらいの世代が作ってきたこの街のスタイルに、30代の人たちがぽつぽつと出てきて、一緒にやっているというところ。でも、僕が知らないだけかもしれないですけれど、僕らよりも下の世代がやっているという情報はあまり入ってこないんですね。これからはそういう人がもっと出てくればいいな、と思っています。上の世代の方はもう経営者になったりして、現場にいない人も多いですから、今度は僕たちの世代が頑張らなきゃいけない、次の世代とつながって、育てていかなきゃいけないな、ということは常々思っています。」

 

アクションを起こしたい人には小さな地方都市がおすすめ

最後に、米子へのIターン、Uターンを考えている人へのアドバイスを伺った。

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「何かやりたい、アクションを起こしたいと思っている人は多いと思うんですが、それを実際の行動にする人って、やっぱりまだ少ないと思うんですね。確かに、『やらないと分からない』っていう部分は大きなリスクですけれど、都会でやるよりも、こっち(米子)でやるほうがリスクは小さくて済むし、その人ならではのスタイルも発信しやすいと思います。だから今、県外にいて、少しでも米子が気になっているような方、何かをやってみたいという野望がある人は、ぜひ、移住をしてチャレンジしてみる価値はあると思います。」

取材先

REALZ ディレクター 鎌田秀一さん

REALZ URL:http://realz.jp

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ココロココ編集部

ココロココ編集部ココロココでは、「地方と都市をつなぐ・つたえる」をコンセプトに、移住や交流のきっかけとなるコミュニティや体験、実際に移住して活躍されている方などをご紹介しています! 移住・交流を考える「ローカルシフト」イベントも定期的に開催。 目指すのは、「モノとおカネの交換」ではなく、「ココロとココロの交換」により、豊かな関係性を増やしていくこと。 東京の編集部ではありますが、常に「ローカル」を考えています。

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