小さな集落に2組の移住者
その小さな集落に、最初に移住をしたのは私の父(69歳、移住時は61歳)でした。
「田舎暮らしをしたい」と言い出し、最初や長野や山梨など、首都圏近郊エリアを探していたのですが、決めてきた場所はなぜか「岩手県遠野市」。
しかも、遠野の中でもかなり山あいに位置する「小友町鷹鳥屋」。
「何もこんな遠くに住まなくても…」というのが、私を含めた家族の正直な感想でしたが、父は、「ここしかない!」と思ったようです。父の移住後、何度も通って、今では私もその気持ちがなんとなく分かるようになりました。
その後、鷹鳥屋には、川崎市から、若いご夫婦と小学生の男の子ファミリーが移住し、今では小さな集落に、2つの移住世帯が暮らしています。
1つの移住から、つながり、ひろがる交流
移住した父は、田んぼと畑を始めました。
その田んぼには、毎年、私を含め東京から多くの人が訪れ、田植えや稲刈りを手伝うようになりました。(※実際には、手伝いというよりは、体験させてもらっているという感じですが…)
都心から来た若者やおじさんが、慣れない手つきで作業をしていると、地元の方が、放っておけずに声をかけてくれます。稲の束ね方を教えてくれたり、お茶とこびるを持ってきてくれたり。
※「こびる(小昼)」とは、農作業中の休憩時間に食べる「おやつ」のこと。
夜は地元の方も交えた飲み会!
労働のあとの一杯は格別です。
遠野名物ジンギスカンを食べたり、近所の人が仕留めた鹿肉をごちそうになったり。
ここでは、「物々交換」も普通に行われています。
「煮しめ」を持ってきてもらった器に、トマトを入れて返したり、
母が焼いたケーキを持っていき、手作りの「どぶろく」に交換してもらったり。
ただ単に、田植えや稲刈りを体験したいだけであれば、わざわざ新幹線で岩手までいかなくても、もっと気軽にできる場所がいくらでもあります。
観光という観点でいえば、毎年、違う場所で体験した方が、新しいもの、初めての景色に触れられて、より充実した旅になるかもしれません。
それでも、「ここがいい。また来たい!」と思わせるもの。
それはこの、地元の人と移住者、移住者の友達、そのまた友達…とつながり、ひろがっていく温かさ、懐の深さなのだろうと感じます。
受け継がれる伝統芸能と、ローカルなまつり
鷹鳥屋集落には、鷹鳥屋しし踊り保存会があります。
そもそも、岩手県は全国の中でも郷土芸能が多く、「しし踊り」といっても、「獅子踊り」もあれば「鹿踊り」もあり、全体で、150以上の保存会があるといわれています。
鷹鳥屋のしし踊りは「獅子踊り」。
鶴のマークが紋章となっています。
父は、移住をして以来、この鷹鳥屋しし踊り保存会で、「旗持ち」という大事な役割を担わせてもらっています。
実家(横浜)に居た頃は、地域のお祭りがあっても面倒がって出掛けなかったり、ご近所さんとも軽く挨拶する程度の付き合いしかなかったのに、ここでは、しっかりと地元コミュニティに属していて、おばちゃん顔負けの、長~い立ち話をしたりもするのだから驚きです。
お祭りの日は、この「しし踊り」が、集落のあちこちをまわります。
家を新築した家や子供が生まれた家など、おめでたいことがあった家々をまわり、お祝いの踊りを奉納します。
一番の見せ場は、山を登った上にある小さな祠「天満宮」での踊り。
木々に囲まれた小さなスペースで、神様に踊りを捧げる様子は、踊りや祭りの原点を感じさせます。
しし踊りが終わると、場所をコミュニティセンターに移して、「鷹鳥屋まつり」。
鷹鳥屋では、ほぼすべてのイベントがここ「コミセン」で行われます。
会場いっぱいにブルーシートをひいて机を出し、全員が座れるスペースを用意。
みんなで食べ物、飲み物を用意し、ステージの上では出し物が催されます。
司会をしているのは、こないだ一緒に飲んだ地元のおじさん。
このローカル感、都会ではなかなか味わえません。
「ふるさと」を持つよろこび
両親とも東京出身の私にとっては、これまで「ふるさと」と呼べる場所がなく、子供の頃から、夏休みになると「田舎に帰る」という友達を羨ましく思っていました。
父が移住をしたことがきかっけで、何度も繰り返し帰る「ふるさと」ができたことは、価値観やライフスタイルに、少なからず影響を与えました。
私の場合は、身近な人が移住をしたわけですが、それがなかったとしても、何かきっかけさえあれば、同じように、繰り返し訪れたくなる「ふるさと」を見つけることはできる気がします。
「ここがいい。また来たい!」「この人に会いたい!」「これが食べたい!」
そんな気持ちで何度も通い、交流をしているうちに、そこが「ふるさと」になっていくのではないでしょうか。