記事検索
HOME > ライフスタイル > コミュニティ >
2013年11月30日 奈良織恵

遠野市小友町鷹鳥屋

老いも若きも、地元人も移住者も 移住者も友達やその友達まで…つながり、ひろがり、包み込む、懐の深い集落

「鷹鳥屋」は「タカトリヤ」と読みます。
最初に聞いたときは、イタリア語みたいなお洒落な地名だなと思いました。
岩手県内陸南部に位置する遠野市は、柳田國男の「遠野物語」の舞台となった地であり、 今でも河童伝説や座敷わらしなどの「民話のふるさと」として知られています。
また、最近は、「で・くらす遠野」などの移住支援制度、市民制度など、 移住・交流を促進する制度の充実により、 移住・交流の先進的な自治体としても認知されてきています。
一言に「遠野」といっても、その面積は825.62km2 と、 東京23 区よりも大きく、昭和・平成の大合併の前には、複数の村で構成されるエリアでした。

今回ご紹介する「鷹鳥屋」は、そんな遠野市の中でも、 山あいに位置する小友町(合併前の小友村)の小さな集落です。

 

小さな集落に2組の移住者

奈良さん父

その小さな集落に、最初に移住をしたのは私の父(69歳、移住時は61歳)でした。
「田舎暮らしをしたい」と言い出し、最初や長野や山梨など、首都圏近郊エリアを探していたのですが、決めてきた場所はなぜか「岩手県遠野市」。
しかも、遠野の中でもかなり山あいに位置する「小友町鷹鳥屋」。
「何もこんな遠くに住まなくても…」というのが、私を含めた家族の正直な感想でしたが、父は、「ここしかない!」と思ったようです。父の移住後、何度も通って、今では私もその気持ちがなんとなく分かるようになりました。

その後、鷹鳥屋には、川崎市から、若いご夫婦と小学生の男の子ファミリーが移住し、今では小さな集落に、2つの移住世帯が暮らしています。

1つの移住から、つながり、ひろがる交流

稲刈り

移住した父は、田んぼと畑を始めました。
その田んぼには、毎年、私を含め東京から多くの人が訪れ、田植えや稲刈りを手伝うようになりました。(※実際には、手伝いというよりは、体験させてもらっているという感じですが…)

都心から来た若者やおじさんが、慣れない手つきで作業をしていると、地元の方が、放っておけずに声をかけてくれます。稲の束ね方を教えてくれたり、お茶とこびるを持ってきてくれたり。
※「こびる(小昼)」とは、農作業中の休憩時間に食べる「おやつ」のこと。

夜は地元の方も交えた飲み会!
労働のあとの一杯は格別です。
遠野名物ジンギスカンを食べたり、近所の人が仕留めた鹿肉をごちそうになったり。

ここでは、「物々交換」も普通に行われています。
「煮しめ」を持ってきてもらった器に、トマトを入れて返したり、
母が焼いたケーキを持っていき、手作りの「どぶろく」に交換してもらったり。

ただ単に、田植えや稲刈りを体験したいだけであれば、わざわざ新幹線で岩手までいかなくても、もっと気軽にできる場所がいくらでもあります。
観光という観点でいえば、毎年、違う場所で体験した方が、新しいもの、初めての景色に触れられて、より充実した旅になるかもしれません。

それでも、「ここがいい。また来たい!」と思わせるもの。
それはこの、地元の人と移住者、移住者の友達、そのまた友達…とつながり、ひろがっていく温かさ、懐の深さなのだろうと感じます。

受け継がれる伝統芸能と、ローカルなまつり

獅子踊り

鷹鳥屋集落には、鷹鳥屋しし踊り保存会があります。
そもそも、岩手県は全国の中でも郷土芸能が多く、「しし踊り」といっても、「獅子踊り」もあれば「鹿踊り」もあり、全体で、150以上の保存会があるといわれています。

鷹鳥屋のしし踊りは「獅子踊り」。
鶴のマークが紋章となっています。
父は、移住をして以来、この鷹鳥屋しし踊り保存会で、「旗持ち」という大事な役割を担わせてもらっています。
実家(横浜)に居た頃は、地域のお祭りがあっても面倒がって出掛けなかったり、ご近所さんとも軽く挨拶する程度の付き合いしかなかったのに、ここでは、しっかりと地元コミュニティに属していて、おばちゃん顔負けの、長~い立ち話をしたりもするのだから驚きです。

お祭りの日は、この「しし踊り」が、集落のあちこちをまわります。
家を新築した家や子供が生まれた家など、おめでたいことがあった家々をまわり、お祝いの踊りを奉納します。
一番の見せ場は、山を登った上にある小さな祠「天満宮」での踊り。
木々に囲まれた小さなスペースで、神様に踊りを捧げる様子は、踊りや祭りの原点を感じさせます。

しし踊りが終わると、場所をコミュニティセンターに移して、「鷹鳥屋まつり」。
鷹鳥屋では、ほぼすべてのイベントがここ「コミセン」で行われます。

会場いっぱいにブルーシートをひいて机を出し、全員が座れるスペースを用意。
みんなで食べ物、飲み物を用意し、ステージの上では出し物が催されます。
司会をしているのは、こないだ一緒に飲んだ地元のおじさん。

このローカル感、都会ではなかなか味わえません。

「ふるさと」を持つよろこび

集合写真

両親とも東京出身の私にとっては、これまで「ふるさと」と呼べる場所がなく、子供の頃から、夏休みになると「田舎に帰る」という友達を羨ましく思っていました。
父が移住をしたことがきかっけで、何度も繰り返し帰る「ふるさと」ができたことは、価値観やライフスタイルに、少なからず影響を与えました。

私の場合は、身近な人が移住をしたわけですが、それがなかったとしても、何かきっかけさえあれば、同じように、繰り返し訪れたくなる「ふるさと」を見つけることはできる気がします。
「ここがいい。また来たい!」「この人に会いたい!」「これが食べたい!」
そんな気持ちで何度も通い、交流をしているうちに、そこが「ふるさと」になっていくのではないでしょうか。

取材先

岩手県遠野市小友町鷹鳥屋

奈良織恵
記事一覧へ
私が紹介しました

奈良織恵

奈良織恵横浜市出身、東京都港区と千葉県南房総市の2拠点生活。 両親とも東京生まれ東京育ちで、全く田舎のない状態で育ったが、父の岩手移住をきっかけに地方に通う楽しさ・豊かさに目覚める。2013年に「ココロココ」をスタートし、編集長に。 地方で面白い活動をする人を取材しつつ、自分自身も2拠点生活の中で新しいライフスタイルを模索中。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む