国内有数のりんご生産地
青森県の西部に広がる津軽平野の中央に位置する板柳町(いたやなぎまち)。人口1,4000人ほどのこの町の主産業は「りんご」栽培だ。明治初期から始まったとされる板柳町でのりんご栽培は、現在町域の3割ほどに広まり、国内有数のりんご生産地となった。また、日本初のりんご専門市場である「津軽りんご市場」があるのも同町だ。2002年には、「まるかじりできる安全なりんごを届ける」ため「りんごまるかじり条例」が制定された。
ただ、板柳町でも少子化や高齢化などから、りんご農家の減少や後継ぎ問題は深刻だ。協力隊を募集する背景について、板柳町産業振興課の白戸茉衣さんに伺った。
「農林水産省の公表による2015年の「農林業センサス」によると、町の農家約1,350戸のうち、46.4%が後継者がいないことが分かっています。町としても、農家の担い手不足が大きな課題の一つです。協力隊員には、りんご農家として、板柳町のりんご産業を支えて欲しいと思っています。そのためにも、地域やりんご農家の手伝いなどで経験を積み、りんご農家の暮らしを肌で感じてほしいですね。町には30代~40代の若手農家から、ベテラン農家まで幅広いですし、それぞれの農家を回ることで、りんご作りだけでない、いろんなことを吸収できると思います。」
りんごに寄り添い、りんごを学ぶ。地域おこし協力隊の原子将太さん
2016年4月から板柳町で地域おこし協力隊員として活動している原子将太さんは、お隣弘前市の出身。主にりんご農家の作業の手伝いやイベントでのりんごや特産品販売などを行っている。
休みの日でも朝早くからりんご農家へ手伝いに行くこともあるというほど、農作業が楽しいと語る原子さん。
▲地域おこし協力隊員として活動している原子将太さん
「農作業の手伝いに行って、以前聞いた『りんごは一生勉強だ』って言葉の意味がわかったような気がします。毎日同じ作業の繰り返しで、先が見えないこともあります。樹がたくさんある農家さんの摘果は大変でした。作業の合間には、りんごや市場の話をして、おしゃべりするのが楽しいですね。任期終了後はりんご農家になりたいと思っています。」
細かく地道な作業も多いりんご農家。だが、原子さんの知る農家さんたちは、いつでも前向きだった。
「農家さんって団結力が強くて、技術を隠しあうことなんて聞いたことがないんですよ。他の人のいい技術を継承しようっていう思いがすごい。皆さん勉強熱心で、りんご産業を盛り上げていこうっていう気持ちを持っているんだなって。そういうところが、人としても素晴らしいなって思います。」
”りんごで生活する”ってどんな感じ?
りんごに携わり、町に新たな風を起こすヒントを探るべく、実際にりんご栽培を行う農家がどんな作業をし、どんな生活を送っているのか、りんご農家の会津宏樹さんにお話を伺った。
「祖父がりんご農家だったんですが、父はサラリーマンでした。父も農家をやっていなかったので、自分もりんご農家をやるつもりはありませんでした。以前は神奈川県横浜市で働いていたんですけど、22歳の時に祖父が病気になって、りんごの出荷ができないというので帰ってきました。その時に母から『おじいちゃんがあなたにりんごを継いでほしいって。それがおじいちゃんの夢なんだって』と言われて、心に響いて(農家になることを)決意しました。」
そうして継いだりんご農家の一年は、まだ雪が残る2月から始まる。不要とされるりんごの木の枝を切り落とす剪定の作業を4月頃まで行うが、ここで行う剪定がなにより大事。この作業によって「その年に収穫するりんごの質が決まってしまう」と言われるほど。
会津さんも「りんごの良し悪しを決めるのが樹の状態。その調整が難しい」と話す。
▲りんご農家の会津宏樹さん
5月に花が咲くと受粉を行い、ここから7月まで不要な実を取り除く”摘果(みすぐり)”という作業が続く。”摘果”と同じ時期に薬剤散布や草刈を行い、害虫から樹を守る。8月からは、”着色管理”という、りんごをの色付きを良くするための作業。品種によってはりんごに一つ一つ袋をかけていく。そうして、9月からは時期の早い品種の収穫が始まり、この後11月まで着色管理と収穫を同時並行で行いながら、収穫したりんごの出荷が順次行われていく。さらに冬場は収益性を上げるため、りんごを自ら催事などで売り歩く。
この一年の過程の中で、失敗と成功を繰り返す。短期間で結果が出ない地道な作業だが、それを積み重ねて、ようやくいいりんごができるのだという。
会津さんも、農家を継いでからというもの、農家をしている親せきに教わったり、研修にも参加して、いろんな人の話を聞きながら試行錯誤を繰り返した。こうしてりんご栽培の技術を身につけて、農家となって7年目頃から、納得のできるりんごが作れるようになっていった。
▲蜜がたっぷり詰まったりんご
「全国農業青年クラブ連絡協議会」の第63代目の会長も務めている会津さん。そのため、全国の若手農家だけではなく、大学の農学部や農業系サークルとも繋がりがあり、会津さんの元には全国から農作業体験などに訪れる人が後を絶たない。Uターンしてりんご農家を継ぎ、一つ一つ乗り越えてきた会津さんは、「もっと外から来る人が増えてほしい。」と話す。
「外から来る人が増えなければ、農地も守れないし、規模拡大したいといっても簡単ではない。今あるような小さな農家を増やして、生産の規模を拡大していくというステップを踏まないと、強い農家はできないと思うんです。一人で稼げる量ってだいたい決まっていて、稼ごうと思うと、人を雇わないといけないんです。その分雇用も生まれます。意欲があれば業績も伸ばせるだろうし、稼ぐということは人のためになることなので、そういうやる気のある人に来てほしいです。りんごには未来があります。ですがそれは自分でつくっていかないといけません。」
りんごをおしゃれに!「monoHAUS」の取り組み
りんごの最大の魅力が「おいしい」だとすれば、それに続くのは「おしゃれ」かもしれない。
2013年8月、JR五能線板柳駅前に「北欧のライフスタイルの提案」をコンセプトにしたセレクトショップ「monoHAUS(モノハウス)」がオープンした。家具や雑貨を展示販売しているが、特に目を引くのはりんご箱。青森県などりんごの生産地では身近な、りんごの出荷に使われる木箱が、まさかのおしゃれなインテリアアイテムに大変身。その発想に板柳町のみならず、青森県中が衝撃を受けた。
運営するのは「キープレイス株式会社」の姥澤(うばさわ)大さん。もともとインテリアに関心があったという姥澤さんは、りんごの出荷用の梱包資材などの販売を行う「有限会社青森資材うばさわ」の専務取締役でもあるため、りんご箱の扱いはお手の物だ。
現在は実店舗のほかに、「木のはこ屋」というサイトなどでネット販売も行っている。
明るい雰囲気の「monoHAUS」は、家業で使っていた倉庫を改修したものだという。販売するりんご箱に使用する木材は、杉、松、青森ヒバの3種類で、それぞれ大きさが7種類、計21種類の木箱を展開。また、ユーズド(中古)のりんご箱を再加工したテーブルなど、アレンジしたオリジナル商品も開発中だ。
▲「キープレイス株式会社」の姥澤大さん
「木箱を何げなく活用している農家の人たちを見て、『これはインテリアにできそうだ』と思い付きました。おかげさまで評判もよく、新聞などで取り上げられたのをきっかけに、青森市や弘前市、大館市など遠くからもお客様がいらっしゃいます。」
木材独特の暖かみと使い勝手の良さからも、インテリアとして話題となったりんご箱。現在は箱のみの販売に限らず、小さな箱にりんごを入れたギフト用商品の展開や、箱作りのワークショップを行うなど幅を広げている。青森では当たり前にそこにあったりんご箱の意外な人気に、りんご産業の将来にも可能性を感じた瞬間だった。
りんごには未来がある!
板柳町には姥澤さんのように、既存の物をこれまでにはない発想で商品化している人や、会津さんのようなやる気に溢れる若いりんご農家も多い。ネット販売している農家さんが、新たに都会のデパートでりんごを売り出すために、通常の段ボール箱でなく、農園のロゴを入れた木箱を姥澤さんと開発するなど、両者のコラボレーションも広がっている。
姥澤さんは世界のプラスチック製の箱を、りんご箱をはじめとした木の箱に変えていきたいという目標を持っている。
「木は昔から使われているものだし、りんごとの相性の良さもいい。洗練された素材なので身近で使ってもらいたいです。青森県には製材所やそこに関連する人たちもいっぱいいますので、身近なものを使うことが、産業に活力を与え、町や県の発展へとつながると思います。協力隊の方には、前向きにチャレンジされる方に来てほしいです。」
全国各地で農産物の6次産業化が叫ばれる中、りんご生産が豊かな板柳町では様々な展開が期待できる。「日本一のりんごの里」、そして「世界一のりんごの里」へ発展させるため、新たな視点とアイディアが求められている。