仕事やプライベートでの心境の変化が移住を後押し
Chocoさんのウェディングドレスブランドである「PEACOCK BRIDE」は、丁寧なカウンセリングを重ねた上でデザインを提案し、花嫁の感性と本来の魅力を十二分に引き出すドレスを製作している。シルクや質の良いインポートレースなどを使用し、肌や髪の色などから個性に一番あった白色を選んでいくという。
「友人から2次会のドレスを頼まれたことが始まりでした。それが好評で他の友人に頼まれて、という形で広がっていったんです。」
▲Chocoさんのブランド「PEACOCK BRIDE」のウェディングドレス
以前は、全国に数店舗展開するアパレルショップのデザイナーを務めていたChocoさん。今の一点物の製作とは対極の大量生産のビジネスの中にいたという。
「大量生産も売れる楽しさやおもしろさはあったんですが、売れるデザインの法則のようなものが自分の中に出来上がってしまっていた部分がありました。それに店舗がどんどん増えるに従って、お客さんの顔が見えなくなっていってしまったんです。そんな中で前職をやりきった思いと、新しいことにチャレンジしたい気持ちが芽生えていきました。」
そんな気持ちの変化が生まれたとき、Chocoさんの心の中で愛媛県西予市への移住が現実的なものになった。家業を継ぐためすでに西予市へ移っていた旦那さまとの5年間の遠距離恋愛を終わらせ、西予市へ行くことを決めたという。
「移住して何をするかははっきり決めてなかったんです。まず住んでみてから、何が求められるかを知ろうと思っていました。こういうことをしよう、という風に決めてきても、それがフィットしないと意味がないと思ったので、まず住んでみようという漠然とした考えできました。」
そして始めたのが、ウェディングドレスのオーダーメイドだったのだ。
「結婚式というハレの日には、誰かの真似ではなく、自分に似合うもの好きなものを着て欲しいと思っています。ドレスを作ることを通して花嫁さんの本気の思いに私も本気で向き合い、受け止めるということにとてもやりがいを感じます。『作ってください』『作ります』というシンプルな関係がいいなあと思ったんです。」
▲花嫁一人ひとりの個性を引き出す「白」を選んでいく
オーダーは日本全国から入るため、打ち合わせや採寸・フィッティングに合わせて全国を駆け回る。
「色々な地方の結婚式の文化を知ることができてとても面白いです。ただ、西予での生活をもっと大切にしたいという気持ちも強くて。今は愛媛県内からのオーダーは全体の2割くらいなんですけど、これを今後増やしていきたいと思っています。愛媛の方に知ってもらうため、今年は松山で展示会もしました。」
震災で気づかされた移住の理由
現在は仕事も暮らしも充実しているChocoさんだが、最初からうまくいったわけではないという。
「来たばかりの頃はショックを受けました。のんびり暮らしたいとは思っていたんですけど、田舎暮らしのイメージのベースにあったのは出身地である福井県の暮らしだったんです。想像していたものと文化がかなり違っていてびっくりしました。それに同世代の友人がいなかったんです。3年目にしてようやく同じ境遇の夫婦に出会えて、そこから一気に楽しくなりましたね。」
今ではカフェでのイベントを企画したり、友人のアーティストが愛媛に来た際にはライブ開催をアレンジしたり。移住者仲間と集まって遊んだり、東京から友人が愛媛を訪れることも多い。仕事もドレスの製作から広がりを見せ、結婚式の会場装飾なども手掛けている。
▲chocoさんがアレンジした、ギャラリー&喫茶の池田屋でのアコースティックのライブ。地元の食材を使った、コースディナーを提供した
▲新郎新婦が通った廃校になった学校での結婚式でデコレーションのお手伝いも
西予での生活や仕事の基盤ができて楽しいと感じるようになってきた頃、東日本大震災が起きた。
「東京でずっと生活するイメージがつかなかった理由が、確信的になりました。働き方のことに目を向けてみても、当時は日々の雑務に追われていたので、なかなか軌道修正をできずにいましたが、デザインの本質とはなにか、何のために作っているかということに対してやっぱり違和感を感じていたんだと思います。」
最近は好きな場所に赴き、デザインの仕事をすることが多いという。
「今日はこのカフェにしよう、という感じで行っています。東京にいた頃は、毎日同じ事務所に集まって仕事をしていましたが、時代も変わってきているので、一箇所にこだわらず、自由に動きながら仕事をしても楽しいなと思います。」
▲ギャラリー&喫茶の池田屋には、Chocoさんの製作した洋服やアクセサリーなどが並ぶ
「衣」の分野を掘り下げ、作られる背景にこだわった「メイドイン四国」を
Chocoさんは、衣食住の中で「衣」の業界だけがこれまでの慣習を引きずったまま動いているのではないかと話してくれた。
「アパレルでは春夏秋冬と年に4回展示会が開催されます。さらにロット数という工場に発注するための最低枚数が決まっているので、デザイナーは確実に売れる洋服のデザインを一定数デザインする必要があります。もし売れなかったらどうにか整理して、というサイクルに追われていて、どんどんクリエイティブから離れていってしまう気がします。個人的には、そんなにたくさんの種類や枚数の服を世に送り出す必要があるのかなと疑問に思うことがあります。」
西予市の含まれる南予地域では、かつて縫製工場が地域を支えていたという。
「お母さんやおばあちゃんの世代は、工業用のとてもいいミシンを家に持っているんです。たまにミシンを借してくれるおばちゃんの話では、あるブランドに30枚の縫製を頼まれたりして、家事や子育てと両立しながら在宅で月に15日働くことで20万円くらいもらえたそうなんです。その生活のバランスがいいなと感じました。そして、その女性たちの手仕事こそが地域を支えていたんです。でも今は工場もなくなって、いいミシンは埃をかぶっていて。それが切なくて…。昔みたいな小回りのきくものづくりができれば、例えば30~50枚だけを作っても、価値観の合う人に買ってもらうことができると思うんです。」
▲かつて縫製工場が地域を支えていた南予地域。いいミシンが各家庭で眠っているという
海外で安くつくるために、大量のロット数を必要とする。そのために大量の商品展開をし疲弊していく。デザイナーの存在が重要視されないため、オリジナリティを生み出せず、似たようなデザインの洋服が巷にあふれる。そんな悪循環から抜け出した仕事をしたいとChocoさんは言う。
「衣の分野に関してもっと掘り下げて、一過性の流行にとらわれず、良い循環に乗ったアパレルが1ブランドあってもいいなって思うんです。なにも原宿のメインストリート歩くだけがファッションじゃない。メイドイン四国にこだわった、それこそ四国コレクションなんてあってもいいんじゃないですかね。」
そんなChocoさんにとって、四国には魅力的な素材がたくさんあるようだ。近隣にはオーガニックコットンの綿花を育てている農家さんや、藍染め職人さんもいるし、隣町は上質なシルク糸の生産地だ。
「お隣の野村町のシルクは、エリザベス女王が、世界一のシルクでドレスを創りたいと言って選んだというくらい、品質の高いものなんです。京都の呉服店、伊勢神宮での神事で使う分など限られた量しか作っていないそうですが、手間暇がかかり、お蚕さんを育てる後継者がいないのが課題だそうです。貴重な地域資源が、後継者不足で衰退してしまうのは残念なので、一緒にものづくりをすることで、少しでも力になれることはないかなと考えています。」
四国の素材を使って、自分が着たいと思うような洗練されたデザインの服を生み出す。これが今、Chocoさんが心に秘めている想いだ。そして、その素材が生み出される過程で地球環境や働く人に無理が生まれていないか、何かを傷つけていないかといった背景にも気を配りたいという。その活動の中から女性の仕事が生み出され、埃をかぶっているミシンが陽の目をみる日が来たとしたら、なんて素敵なことだろう。
当然だと思っている慣習を見直し、独自の感性をプラスすることで新しい物事を生み出すChocoさん。そのベースには、「つまらないことはしたくない」「自分の気持ちに正直に生きたい」という想いがあるように感じる。地方にいても自分らしい仕事や暮らしを送ることができる、そんなヒントがChocoさんの生き方には隠されているようだ。