東京から新卒で和歌山へ、日本酒がつないだ縁
中高時代はバスケットボールに打ち込んだ高木加奈子さんは、東京で生まれ育ち、そのまま東京農工大へ進みました。当時の夢は「大学の先生」だったそうです。
「研究室にこもって論文を書くのが大学の先生のイメージだったのに、いざ入学すると、先生はトラクターで自ら畑を耕したり、味噌をつくるのに味噌樽からつくったりしていたんですね。私の入った農学部は『現場から研究対象を拾う』のがモットー。そのうち『自分の手でなにかをゼロからつくる技術を総合して身につけられたら、すごく楽しそうだ』と思うようになりました。」
夕方まで畑仕事した後、ときには研究室でお酒を研究(飲み比べ)するのが楽しかったそう。このときに日本酒の良さを実感します。
「食中酒なので食べ物がより美味しくなるし、コミュニケーションを促す役割もします。一升瓶が1本あるだけで、60代の教授と30代の先生、私たち学生が世代を越えてみんな違和感なく話し合えますから。」
就職活動の時期になると「お酒の造り手になりたい」という夢に向かって進み始めます。しかし、当時4年生大学を卒業する女性に対しては、大手メーカーの研究開発職や営業職の募集が多かったそうです。
そんな折、なじみの酒屋さんから「『紀土』というお酒をつくっている和歌山の酒造が募集をしているよ」と教えてもらったそう。これが平和酒造との出会いとなりました。
辛かった1年目。2年目には自信と友人を得た
東京から和歌山へ、新卒で入社することになった高木さん。それまで縁のなかった場所へ移り住むことに戸惑いはなかったのでしょうか?
「実は、海外で就職したいという希望もありました。大学時代にエコロジー先進国のドイツへ何度か短期留学をしたことがあって。循環型農業やリサイクルシステムを学ぶためにファームステイもしました。思い出すのはビールの美味しさ(笑)。卒業後は『いいお酒をつくれるのなら、働く場所はどこでも構わない』と考えていました。」
平和酒造は会社から徒歩30秒の場所に社員寮があるので、住まいの心配はなかったそうです。これほど近い場所に寮があるのは、酒蔵の朝が早いからという理由もあります。
日本酒づくりは、毎年10月頃から5月の連休前までが仕込みのシーズン。冬場は日が昇らないうちから仕事が始まります。入社3年目からは製麹(せいぎく・麹を作ること)を任されましたが、それまでは雑用をこなしながら酒づくりを学びました。
「入社1年目は『追い回し』という片付けや洗いものをする係でした。自分のことに必死で、お酒を見る余裕がなかったですね。酒づくりのリズムが全然わからなかった。そのうち体が辛くなってしまい、半年後には『大学院に進学したいから辞めさせてほしい』と専務(平和酒造4代目の山本典正代表取締役専務)に相談しました。」
山本専務は、高木さんより10歳ほど歳上のいわば先輩。そのときに「0から1に進むのは誰でも大変。とりあえず2年はやってごらんよ」という言葉をかけられました。そしてその通り、2年目からは自分の仕事を一歩引いて見ることができ、次第に楽しめるようになったそうです。
朝早くから働くので、夕方には仕事は終わります。次の日が休みなら、評判の居酒屋を巡ろうと車ですぐの大阪へ出かけ、マンガ喫茶などに1泊して帰ってくる余裕も生まれました。この頃から、だんだん友人が増えていきました。
地域に根ざした実感を持った3年目
地元に根ざした企業であるというのも、平和酒造の特徴です。
「工場の裏の田んぼで『山田錦』という酒米をつくっています。地元の人たちとは農作業を通じて交流が生まれますね。3年目になると、野菜をいただいたりする関係になりました。台風などの天候に左右される部分もありますが、農作物は『人がつくっている』という実感を持てるのがうれしいです。」
決して大きくはない酒蔵のため、普段は工場見学を受けつけないものの、毎年の田植え体験と稲刈り体験のときには見学することができます。「そのうち『大収穫祭』などができたらいいね、と社員同士で話しているんです」と高木さん。
「職人の世界はワンマンな仕事を想像しがちですが、私たちの会社はチームで酒づくりをしているという実感があります。先輩も後輩も尊敬できる人が多いですね。新卒の採用もあるし、新しいことにチャレンジする姿勢がこの会社の特徴だと思います。」
「移住」の言葉を意識しないほど、軽やかに働くことができれば
ここ数年、高木さんが製造責任者となって新たに取り組んだのが、クラフトビールの新ブランド立ち上げです。発酵に1週間、熟成に2週間、最短3週間ほどで瓶詰めして出荷できるクラフトビールは、会社にとって新しい力。2016年6月に「平和クラフト」の名前で販売が始まりました。
「私たちの日本酒もそうですが、王道なお酒で勝負したいので基本のビールのスタイルに忠実につくっています。いまは小瓶だけで展開していますね。日本酒や焼酎を飲む前、食事が始まる際の乾杯の時に飲んでほしいので、アルコール度数を少し軽めにしているのが特徴です。」
クラフトビールのイベントへの出展をはじめ、東京にも営業担当として出張する日々。酒づくりを通じてどんどん人とつながるその姿からは、辛かった1年目では考えられないほど充実している様子が伺えます。最近は新たな趣味のクライミングにも熱中しているのだとか。
移住者の代表としてイベントで話をすることも多い高木さんから、最後にこんな言葉をいただきました。
「今年も県外から2人の女性が入社しましたが、彼女たちに『移住』という意識はないでしょうし、私自身もやりたい仕事がここにあり、縁をいただいて住んでいると思っています。知り合いが増えてわかったのは、和歌山にはすごい事業をしている会社がたくさんあるということ。その魅力が全国へ発信され、自然な形で人が増えていくといいですね。」
自分たちがいいというものをつくり、和歌山から軽やかに発信していく。高木さんたちのつくるお酒が、これから日本中へ、さらに世界へと羽ばたく様子が見えるようです。
※この記事は2017年9月時点の取材に基づいた内容です。