水野さんのスタイル-仕事を通じて親しくなる-
水野さんは、2011年に和歌山県みなべ町に住みはじめ、田辺市、白浜町へと生活拠点を移し、紀南地域らしい暮らしを創り上げている。200本を越える映像制作と10冊以上の移住・観光パンフレット制作など地域プロモーションに携わっており、和歌山での暮らしがまだ6年しか経っていないとは思えないほど、数多くのプロジェクトを形にしている。
はじめに、水野さんの仕事観をうかがってみた。
「人には人それぞれの役割があります。仕事という切り口から見ても、農業を営む人、山の手入れをする人、木から木工品をつくる人、自分でカフェをはじめる人……。いろいろな人がいます。そうした中で、農家でも、職人でもない私のようなタイプが移住したときに、どう仕事を生んでいくのか。まずはコミュニティに入って、地域課題の解決を一緒に考えていく。そうして関係が生まれていく中で、自治体や地域からもお声かけいただき、お金につながっていく。という感じでしょうか。」
白浜と横浜オフィス「通勤できるじゃない!」-デュアルワークのはじまり-
では、水野さんのデュアルワークはどのようにはじまったのだろう?みなべ町で生活をはじめるにあたり、“生活の実践”というキーワードがあった。
「株式会社TREEでは、『GreenTV Japan』という環境メディアを自主運営しています。持続可能性をテーマに、世界を映像で紹介してきたんです。そんな中、自分が子どもを授かったタイミングも重なり、家族自らで、自由かつスローなライフスタイルを“実践”しようと思いました。」
2011年に本社を代官山から神奈川県・横浜市へ移転。通勤圏内であらたな生活の場所を探した。小田原、大磯、伊豆……同年、より深い自然のある土地を探していたところ、たまたま妻の知人が住む和歌山へ。二人ともはじめて訪れた土地だった。白浜町にある南紀白浜空港を活用することで、羽田空港から1時間ちょっとで和歌山に到着。「通勤できるじゃない!」と気づいたという。以来、生活の拠点を白浜町にし、鎌倉では企業のコンサルティングを営むデュアルワークがはじまった。
現在も、週に1度は鎌倉に飛行機で向かう。南紀白浜空港は、自宅からもオフィスからも車で10分ほどだ。
20代から「働きかた」「オフィス環境」をテーマに、仕事に取り組んできた水野さん。SOHOオフィス、テレワークなど場所にとらわれない働きかたを取り入れた労働環境を設計し、国や企業に提案していく中で、「自分がどこでも働けることを“実践”しようという思いもありましたね」と話す。
とはいえ、移動交通費がとても高くつくのでは? 「たしかに、一定の移動交通費はかかります。ですが、鎌倉や代官山に不動産を持つことと比べたときに、トータルでどれだけコストが変わるか。白浜町に家を構えたことで、圧倒的に住居費が抑えられたんですね。一般論ですが、東京や神奈川で5,000万円程度の広さや設備の家が、和歌山では1,000万円台で見つかることも。10年の間、毎週飛行機で東京と和歌山を行き来したとしても、それほどはかかりません。」
水野さんは、貨幣だけでなく、時間も資本だと捉えている。 「通勤時間という“ロス”を考えたんです。鎌倉に住んでいたときは通勤時間が往復3時間かかっていました。今は往復20分です。1年で考えると、どれだけの時間が手に入るか。同じことは、週末の過ごしかたにもいえます。鎌倉から箱根へ行こうとすると、渋滞がつきもの。今は30分でキャンプに行けます。豊かさ、時間配分のありかたが変わります。」
200本の映像制作を通して、子どもが変わる、大人が変わる、やがて地域が変わる?-ICT×教育で誇りの種を蒔く-
2012年には、「一般社団法人グリーンエデュケーション」を立上げた。AR(拡張現実/Augmented Reality)といった最先端のICT技術を取り入れつつ、子どもたちのふるさと教育、ICT教育に取り組んでいる。
「和歌山に住みはじめて、熊野の文化を伴うグリーンな自然環境は非常に価値が高いと思ったんです。かつて東京にいたとき、環境メディアを運営している私でも、その情報に触れることはほとんどなかった。これは世界に発信していきたいと思いましたね。」
「田辺市立田辺第三小学校からはじまったんです。次に、田辺市の教育委員会から声がかかりましたが、予算はありませんでした。そこで、パナソニック教育財団に申請をしてみましょうと。予算どりから取り組んでいきました。」
その後、那智勝浦町の「市野々小学校」や「勝浦小学校」でも、基金を使ってESD授業を行った。ESD(Education for Sustainable Development)とは日本語にすると、持続可能な開発のための教育。
「生徒たちがふるさとを調べ、生徒自身が語る地域物語をプロのクリエイターが撮影し、映像編集を行いました。この授業が、文部科学省が主催する国連ESDの10年間記念シンポジウム発表校に選ばれたんですね。表彰式に参列するため、東京・渋谷の国連大学へも行きました。この出来事は子どもたちが喜んだだけではありません。その様子が、朝日新聞で全国に紹介されると、親の意識ががらっと変わりました。」
実績を積み重ねていく中で、地域の信頼が生まれていった。やがて、自治体や、県からの仕事も受注するように。現在は、「株式会社TREE」立上げメンバーである長谷川さん、そして現地採用の小山さんを含める4人が白浜の本社に席を構える。
熊野に拠点を-星の時間、熊野×マインドフルネスなゲストハウス-
2017年9月には、熊野でゲストハウス「熊野マインドフルハウス 星の時間」をはじめた。
「鎌倉にも海・山・里はあります。では『熊野にしかない何か』とは。それは、熊野へ移住した人たちの深い思いです。『熊野はこういう場所だから、自分もやってきたい』と、熊野が中心にあって、惹かれる人が多いと思います。」
歴史をたどると、この土地は、熊野詣が行われてきた土地だ。
「今は熊野の旅の主流は、1泊2日で本宮、那智、高野山をまわるというもの。本来、長期滞在をすることで、魅力が感じられる場所だと思うんです。そこで、長期滞在のための拠点を一つ置こうと考えました。アクティビティとして、マインドフルネスを取り入れたんです。」
しなやかに、次々とあらたなプロジェクトを立ち上げていく水野さん。最後に、「仕事ってなんですか」と尋ねてみる。
「白浜町で家を買ったとしても、住みはじめたばかりの私は“よそもの”。はじめは、知り合いもいませんでした。外から移り住んだ人間にとって、仕事は地域の人と親しくなる手段ともいえます。相手との距離がだんだん縮まり、信頼と関係が生まれる。ですから私も、『仕事をとる・とらない』という表現より、『ご縁ある仕事をする』といったほうがしっくりくるんです。」