「名久井岳トレイルフェスティバル」
「名久井岳(なくいだけ)トレイルフェスティバル」は、南部町のシンボル、地域の宝である名久井岳を舞台に、トレイルランニングを通してより山や自然を身近に感じるというイベントとして2014年にスタートしました。
トレイルランニングとは、舗装路以外の山野を走る中距離のランニング競技で、全国的に、近年急速に愛好家が増え続けているスポーツ。南部町では、回を重ねるにつれて、特産のフルーツを食べて楽しむ工夫や、DJブースやドッグランを整備することで、走る人以外も楽しめるイベントに進化してきました。「楽しそう」と思ったものを取り入れた結果、年々参加者も増え、2017年の第4回は約800名のランナーが全国から参加する人気イベントに成長しました。
その企画・運営の中心人物となっているのが今回の主人公、後藤欣司さんです。
剣道一筋で地元を離れた学生生活
地元・南部町で生まれ育った後藤さんは、青森市の高校へ進学するため中学卒業と同時に、地元を離れ、さらに大学進学で上京したUターン組。
「剣道をやってたんです。青森市の高校へ行ったのも、東京の大学へ行ったのもそれが理由です。高校では結果が出ていたので、日本一になれるかもと思って本気で続けていました。大学はそんなに甘くはなかったですけど(笑)」
まさに剣道一筋の人生を歩んでいた後藤さんですが、もともとは”一筋”という性格ではありませんでした。
後藤さん「小さい頃から好奇心が旺盛で、何でも手を出して続かないことが多かったんです。なので、親父に『何か一つのことをやり続けろ』と言われたことは覚えてますね。」
大学卒業後は、剣道で知り合った先輩がいたことや、剣道を続けられる環境があることから警視庁を志望、努力の甲斐あり、入庁することとなりました。
当初は望んでいなかったUターン
警視庁に務めてからも仕事に剣道にと、多忙な生活を送っていたある日、実家のお母様が体調を崩してしまいます。後藤さんは当時をこう振り返ります。
後藤さん「当時仕事や私生活でさまざまな不運が続いて、ストレスも重なっていたこともあったのですが、母のことも家業の新聞販売店の仕事のことも心配でしたので、父親に相談して一旦南部町に戻ることに決めました。」
南部町に戻り、実家の新聞販売店を手伝いながらも、後藤さんはすぐにまた地元を離れるつもりでした。大学時代にスポーツマネジメントを学んだ経験から、いつか「オリンピック」に関わりたいという夢を持っていた後藤さんは、アフリカなど外国で子どもたちにスポーツを教えたいと考えていたそうです。
後藤さん「アフリカに行くつもりだったので、地元に戻っても語学の勉強もしていましたし、親にもその話をしていました。Uターンしたいわけではないし、一時的に戻っただけだと。でも、その頃海外の治安情勢が急激に悪化したこともあり、親にも止められまして。結局今もその夢は休止中です。」
地元に戻り、夢も中断する形となった後藤さん。中学卒業と同時に地元を離れていたため、「昔の友人ももはや別の人」。なかなか地元に馴染めなくて鬱々としていた時期が続きましたが、そんな後藤さんを見かねた父親の言葉が転機となります。
後藤さん「父親から、今の時代は新聞屋だけでは食べていけない。地域のためになることを探してこいというようなことを言われまして、そこからいろんな動きをするようになっていきましたね。」
地域の役に立つことを探すことにした後藤さんが始めたのは、人間関係や関わるコミュニティを増やすことでした。
仲間と「地元をどう楽しむか?」を模索
後藤さん「地元には友達も少なく、これから家業を手伝っていくにあたって知り合いが少なく心細いな…と。そう思って間を見つけては、地元の祭りに顔を出したり、何か楽しそうなところに積極的に出向いたりと、何か面白いことができるヒントを探してました。気づくと、そうして知り合った仲間や同級生同士が集まって、楽しむためにどうしたら良いか?何も無い所でどう楽しむか?を話し合うようになっていました。」
波長が合う人同士が集まって楽しいことを始めれば、その楽しさは、自分や周りの人にとって街の住みやすさにつながる。「自分が住むと決めた町が、地域が、つまらないなんて許せない」。南部町でクリスマスイベントやキャンプの開催、子どもたち向けのゲームづくりなど、小規模なイベントづくりを行っていきます。
次第に、地域のキーマンとつながったことでイベントに必要なお金の動かし方や運営方法を学んだり、役場の担当者に相談したりと、様々な経験を積み生まれたのがトレイルランのイベントでした。
後藤さん「きっかけは、町にあるスポーツクラブ「ななっち」さんからスポーツイベント開催の相談を受けていたことと、ちょうど友人からトレイルランの話を聞いていたこと。それに私も山が好きでしたし、お金もそこまで必要ないということもあり、何となくできそう!と思ったんですよね。」
2014年の第1回大会はまさに手作り。まだ世間的にはトレイルランが市民権を得始めたころ。後藤さん自ら、地権者の理解を得るためにあちこちを駆けずり回り、役場の職員や地域の友人たちにボランティアでのコース整備を頼み、参加者のエントリーを受けつつ、安全管理や関係の役所との調整等々…目まぐるしい準備に追われました。その結果、第1回は100人の参加で成功裏に終了します。
「第1回は準備に当日の対応にと、忙しすぎて何が何だかわからないままに終わってしまって…(笑) それでも、楽しかったよと言ってくれた参加者の声が嬉しくて、2回、3回と続ける原動力になりました。」
原点の「みんなで楽しむ」を忘れない
回を追うごとに、協力者も参加者も増加し、ランナーだけではなく、ランナーと一緒に南部町に来る家族も楽しめるように、とトレイルランの大会から、お祭りのような「フェスティバル」に進化していきました。
数年後には、さらなる大規模イベントとしての発展も容易に想像できますが、後藤さんは真逆の考え。イベントの大きさは現状維持を続けると話します。
後藤さん「参加者が増えていくにつれて、当日の対応がいっぱいいっぱいになってしまいまして…。イベントでは、毎回来てくれている参加者の方が声をかけてくれるんです。それがとても嬉しく、モチベーションになっているんですが、昨年の第4回は、イベントの運営が忙しすぎて、そういう方々にも十分な対応ができなかったし、何より自分たちが楽しんでいないな…、と気づきました。トレイルランでは、一人一人と対面で話すことができる規模感や、たまたま見に来た人も気軽に輪に入ることができる空間を作ることができればと考えています。そうすることで自分たちも楽しいし、皆さんからおのずと継続が望まれるものになっていくのでは、と考えています。」
規模をやみくもに大きくするのではなく、自分たちが楽しいもの、参加者全員が楽しむことができるイベントを続けていきたい。それは、地域を楽しむに当たって、後藤さんの行動の軸となる考えでした。
想いが想いを呼ぶ、広がる協力の輪
現在、イベントの運営を行っている実行委員会のメンバーやスタッフの多くは、後藤さんの想いに共感した仲間たち。小・中学校の同級生である山田龍三郎さんもその一人です。
高校卒業後、大阪の大学に進学し外国語を学んだという山田さんは、そのまま大阪にある食品メーカーに就職しますが、家業の建設会社を継ぐために1年で退社。専門学校を経て、ゼネコンで経験を積み、2017年に南部町に戻ってきました。
山田さん「当初はこっちに戻ってくる予定はなかったのですが、このまま会社員でいるより、家業を継いだ方が自分でいろいろとできるし面白いのでは?と思い始めてUターンしました。戻ってみると昔あった建物がなかったり商店街の店が減っていたりと寂しい気持ちにはなりましたね。トレイルランの大会のことを聞いて、私も山が好きだったので、見に行こうかな…、と思っていたらいつの間にかスタッフになっていました(笑)」
後藤さん「父親には、地域のためになるようなことをやれと言われて、それがきっかけにはなりましたけど、別に地域や町全体を盛り上げようというつもりはなかったんです。自分たちの輪が広がっていくことで、結果的に盛り上がっていることもあるかもしれませんが、結局、誰と乾杯したいか。好きな人と面白いことをやれればいいんですよね。」
中学卒業後ほとんど連絡すらとっていなかったというお二人ですが、現在は、休日に八戸市内でボルダリングに行くほどに。後藤さんには、人と「楽しいこと」を共有し、巻き込む人柄や魅力を感じます。
楽しさを追求して街の魅力につなげたい
最後にお二人に、県外に出てみて気づいた地元の良さや今後について伺いました。
山田さん「一旦外に出てみて、南部町にあって都会にはないもの、都会にあって南部町にないものがあることに気づき視野が広がった気がします。これからもイベントは応援していきたいですし、イベントのパートナー企業になれるように仕事も頑張っていきたいですね。」
後藤さん「剣道に打ち込みはしましたが、それ以外の部分では、人生の選択肢を狭めたくないという思いで、高校も普通科を選び、大学も東京を選び、という選択をしてきました。でも選択肢を広めることにはならなくて、逆に何も選んでいなかったことに気づいたんです。そういう意味では、都会の生活を経験したのは良かったと思います。都会に楽しいことは沢山ありましたが、人間関係の失敗や挫折も経験しました。それらを経験したことで、南部町の人たちの優しさや街の住みやすさを再認識するようになったと思います。地元と都会と、両方を知って得た選択肢の中で、自分の生き方を選ぶことがとても大事だと思います。最初は自分で選んだUターンではなかったですが、今は南部町に住むことを選んだと胸を張って言えます。」
「自分が住んでいる地域がつまらないなんて許せない」という思いから始まった後藤さんの活動。南部町に着実に広がり、新しい仲間を巻き込み始めている楽しさの輪に、これからも注目です。