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2018年6月8日 手塚 さや香

「センター街」を遠野に。家富万里さんが地域と取り組む新たな「居場所」づくり。

「民話のふるさと」「日本の原風景」とも呼ばれ、郷愁を誘う風景が広がる岩手県遠野市。広々としていてのどかな半面、他の地方都市と同じように過疎化が進み、中心部は日中でもシャッターを下ろした店舗も少なくありません。そんな遠野の中心部に「誰もが自分らしくいられる新しい居場所をつくりたい」と場づくりに取り組み始めた女性がいます。東京都出身の家冨万里さん。生きづらさを抱え学校や家に居場所を見つけられなかった高校時代の自身にとっての渋谷センター街のような自由な空間を遠野につくりたい――そんな思いでリノベーションの作業を進めています。

元食堂をリノベーションし新たな「居場所」に

ほかの参加者と一緒に断熱塗料を塗る家冨さん

「そこ、下地見えてない?」「塗料乾いていないから触らないようにね」 2018年のゴールデンウィーク、遠野駅から歩いて5分ほどの商店街の中の空き物件にたくさんの人が集いリノベーションは佳境を迎えていました。みな、壁に塗料を塗るローラーを片手に慣れない作業に真剣な表情。昼食の時間には家冨さんを中心にアットホームな空間が出来上がっていました。

参加者みんなで昼食

この物件がある通りは「一日市(ひといち)通り」と呼ばれ、かつては月に6回、市が立ち、「馬三千、人三千」と言われるほどにぎわっていたと言われています。江戸時代、南部藩のお城があった遠野には古い蔵などが残り趣きのある町並みです。

 しかし、人口減少や少子高齢化の影響で1970年には4万人を超えていた人口も2万8000人ほどになり、商店街のシャッター通り化も進んでいます。一方で、一日市通りには2017年、食を通じたコミュニティづくりをめざす「Commons Cafe」がスタート、翌年5月からは週4日のランチ提供・スペースレンタル・コワーキングスペース「commons space」としてリニューアルオープンするなど新しい動きも出てきています。家冨さんはこのスペースの隣にある食堂だった物件を自分たちでリノベーションし、新しい空間をつくろうとしています。

鮮やかなグリーンに塗装された「Commons space」の左隣が家冨さんたちがリノベーションを進めている物件

震災を機に東北へ 「生きる力を身につけたい」と自分の道を模索

地域の郷土芸能にも参加

家冨さんが遠野に移り住んだのは2012年。きっかけは東日本大震災でした。東北から遠く離れた東京でも街には帰宅難民であふれ、コンビニの棚からは食品が消え、福島第一原発の事故の影響による計画停電などで混乱が続きました。「何でもあると思っていた東京はこんなにももろいのか」と愕然とした家冨さんは「何があっても生きられる力をつけたい」と都市部の人々の生活を支えている地方への移住を決意しました。都市の若者と農山漁村をつなぐ「緑のふるさと協力隊」の制度を利用し遠野に派遣されることになりました。

 1年間の任期後は地域で仕事を得て遠野での暮らしを続けました。「自分の人生は主体的に自分で決めて生きていきたい」。地域に根ざし地に足のついた暮らしをする地域の人たちと交流しながら、自身の生き方を考える時間でした。

 そんな時、のちに家冨さん自身も所属することになる「Next Commons Lab」(以下NCL)を立ち上げるために遠野に赴いた林篤志さんと知り合いました。NCLは起業家と地域資源を掛け合わせることで、地域に新しいコミュニティと事業を創り出すプロジェクトです。

Next Commons Labメンバー

多数の応募の中から選ばれたデザイナー、エンジニア、広告プロデューサー、料理人などさまざまな経験と知見を持った14名が遠野で活動することが決まり、家冨さんは彼らのプロジェクトに伴走しながら事務局としてサポートすることになりました。

壮絶ないじめも体験、「居場所」は渋谷センター街

遠野で充実した日々を送る家冨さんですが、東京で過ごした10代前半のころは学校では壮絶ないじめに遭い、家庭の中にも自分の居場所を見つけられずに過ごしました。当時の「Common Cafe」がオープンしてから、カフェには遠野での暮らしに息苦しさを感じる若者や学校生活に違和感を抱える10代などが集まってくるようになり、家冨さんは自身の10代のころを重ねていました。同時期に、自身でも遠野駅のすぐ近くにスナック「トマトとぶ」を開店させた家冨さん。昼間の肩書きをはずしてフラットにつきあえる空間に多様な人々が集う様子を目の当たりにし、あらためて「居場所」の大切さを実感する経験になりました。

地方にありがちな狭いコミュニティ、人口の多い都市部と比べて多様性が受け容れられにくい環境……、周囲の環境との葛藤を抱える若者たちをNCLのメンバーなど多様な大人と引き合わせていくうち、彼らが変化していくのを感じました。その一人、市内の高校生『ただの山の子』さん(H.N)はひきこもりがちだった時期もありましたが、2017年から家冨さんらと交流するうちに「自分は自分。自分らしくありのままでいいんだ」と肯定できるようになった、と話します。最近は詩をつくったり写真を撮ったりという表現活動も始めました。「この場所が完成したら自分の写真を展示してみたい」と目を輝かせます。

新たな可能性。帰ってきた人の居場所にも

リノベーションには遠野在住の人たちはもちろん、故郷の遠野を離れて暮らしている人たちも参加していました。

東北地方の他県で会社員をしている松田侑也さん、佐々木弘介さんです。自身の地元での新しい動きを知り、帰省に合わせてリノベーションの手伝いに加わりました。「生まれ育った土地でも10年も離れていると今さらどこにも属せない。この場所が僕らが遠野にかかわっていくきっかけになるかもしれない」とこの場所に期待を寄せています。

2018年2月にスタートしたリノベーションは順調に進み、クラウドファンディングにも成功、6月にはオープン予定です。1階は3Dプリンターやパソコン、本などが並ぶ学びと憩いの場となり、2階は遠野内外の人を呼び込み・交流をうむハブとしての宿泊施設と複合的な機能を持ち合わせた拠点になる計画です。まちの人や外から訪れた人たち誰もが受け入れられ、出会い、学び合い、個々が持つ特技を生かしあうことで、人間の可能性をのばせていけるような場所でありたいと考えています。「この場所があることで、多様な人が集まってそれぞれが新しい役割を見出せたら……。誰もがかかわりたい時にかかわることができる、そんな余白のある場所にしたいと思っています」。「Common space」とこの場所を起点に空き物件を活用した多様な人の流れをつくりたい。家冨さんの挑戦はまだ始まったばかりです。

取材先

家富万里

東京都出身。岩手県遠野市在住。スナック経営、起業家支援、中高生の居場所づくりに邁進する。いじめや家庭に問題を抱え家出を繰り返す中学時代を送る。高校以降はセンター街のガングロサークルや新宿のキャバクラなどに居場所を見出し、ストリートで生きることを決める。美大卒業後、2012年から生きる強さを身につけるため遠野へ移住。農家のボランティアや伝統芸能をしながら地域に溶け込み、今に至る。Next Commons Lab遠野ディレクター。17歳の弟子を持つ。

手塚 さや香
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私が紹介しました

手塚さや香

手塚 さや香2014年10月より釜石リージョナルコーディネーター(通称「釜援隊」)。釜石地方森林組合に派遣され、人材育成事業「釜石大槌バークレイズ林業スクール」の事務局業務や、全国からの視察・研修の受け入れを担当。任意団体「岩手移住計画」を立ち上げ、UIターン者や地域おこし協力隊・復興支援員のネットワークづくりにも取り組む。新聞記者の経験を活かし、雑誌等への記事執筆のほか、森林組合のプレスリリース作成や取材対応、県内の事業所、NPOのメディア戦略のサポートも行う。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

人と風土の物語を編む