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2019年10月4日 工藤健

まちづくりの次世代交代づくりに奮闘。若手の受け入れや新規事業に取り組む青森県平内町藤沢地区

本州最北にある青森県のほぼ中心に位置し、陸奥湾に頭を突き出した夏泊半島を有する平内町。ホタテの養殖が盛んでツバキの自生北限地帯や特別天然記念物に指定されている「小湊のハクチョウおよびその渡来地」など、豊かな自然に囲まれた地域です。

夏泊半島の根元にあって町の中心市街に近い藤沢地区は、「町を元気にしたい」と活動する住民が多く、地域活動をしながらも楽しく暮らす人たちの姿がありました。今回はそんな藤沢地区で活動する人たちをご紹介します。

地域活動を30年前から始めていた

平内町に地域活動を目的とした「未来創造ひらない塾」が創設されたのは1994年のこと。現在のように「人口減少」「人手不足」が社会問題となっていない頃から、住民らが集まり、地域の将来を考える活動をしていました。その発起人の一人で、藤沢活性化協議会の森田泰男さんは平内町出身のUターン者。全国を転勤し続け、自然と共存する海外の事例を目の当たりにし、「平内町でも始めなければ」と感じました。

藤沢活性化協議会の森田泰男さん

藤沢活性化協議会の森田泰男さん

「未来創造ひらない塾」では森田さんを中心に約50人の町民が集まり、PTAの枠を越えて参加する父兄や中には学校の教職員もあり、住民総出で立場の隔たりなく活動していたと言います。「町の取り組みには積極的に協力し、新成人向けにホタテを使ったポストカードをデザインしたり、ダジャレから生まれたモニュメントを作ったりした」と森田さん。

平内町オリジナルホタテカード

ホタテの稚貝が使われている

そんな地域の活動がもととなり、2014年には青森県が進める「集落経営再生・活性化事業」のモデル地区に藤沢地区が指定されました。平内町役場、弘前大学とともに藤沢地区で抱えている課題や現状をヒヤリング調査し、将来のイメージについても話し合いを行いました。そこで再確認された地域問題には、農業の後継者不足や空き家、異世代の交流の少なさがありました。

森田さんたちは話し合っただけでなく、課題に取り組むため、自分たちでやりたいこと、実現可能な取り組みを精査。2015 年に地区の住民たちで無人販売所「直売所ふんちゃ」を開設したり、空き家を活用し「ハタケシメジ」という希少なキノコの栽培に挑戦したりするなど、次々とアイデアを形にしていきました。

平内町の100均ストアは無人販売所「直売所ふんちゃ」

藤沢地区は青森県を東西に結ぶ国道4号が横断して交通量が多く、この立地の良さを活用したまちづくりは以前から課題になっていました。「直売所を作ろう」というアイデアをもとに国道に面した車庫を活用しようと、すぐに持ち主と交渉を始めました。無人販売所「直売所ふんちゃ」はオープンに長い時間は要しなかったといいます(「ふんちゃ」は津軽弁で藤沢の意味)。

国道に面した直売所。使われていなかった駐車場を利用した

国道に面した直売所。使われていなかった車庫を利用した

もともと農業が盛んだった藤沢地区。自家用の野菜がメインで、消費しきれない農作物はすそ分けが中心。販売までは考えていませんでした。「直売所ふんちゃ」は100円という価格設定が唯一の条件で、自身が売りたい作物をなんでも出品できるという店となりました。

開店は6時30分。早朝にもかかわらず購入客は訪れる

開店は6時30分。早朝にもかかわらず購入客は訪れる

現在は22人の住民が参加。平均年齢は約70歳以上。最高年齢は84歳というパワフルな「お母さん」もいます。開業前の朝6時となれば、早朝にもかかわらず多くの住民が集まり、情報交換や野菜作りについて熱い話し合いが行われます。「住民たちの元気な顔や活力にもなっている」と森田さんは笑顔を見せます。

この日集まった元気な生産者のみなさん

この日集まった元気な生産者のみなさん

空き家を使った全国でも珍しいキノコ栽培

ハタケシメジの栽培に力を入れたきっかけは、ホタテに合う山の幸を作ろうという発想が発端だったと言います。「ハタケシメジは歯ごたえが良く、香りもよい。何より日持ちするということから商品化に適していた」と森田さん。しかし、県内にある菌の苗業者も育て方が詳しくわからないような、手探りでのスタートとなりました。

希少なハタケシメジ。県外へ研修に行った際に見つけたという

ハタケシメジの栽培には徹底した温度と湿度が必要となります。藤沢活性協議会が目を付けた場所は空き家でした。県外に住む家の持ち主と連絡を取り、二つ返事で利活用の了解を得ることができます。このようにすぐに場を見つけることができるのは、地域の信頼があったからこその実現ではないでしょうか。

ハタケシメジの栽培をしている空き家

ハタケシメジの栽培をしている空き家

居間を暗室にし、冷房をつけて栽培環境を作りました。外観の雰囲気に反し、屋内はまるでどこかの専門機関のようです。栽培のコツを聞くと「作業をする日は納豆を食べないことくらいかな」と笑顔を見せる森田さんですが、失敗も多く収穫できなかった時もあったと振り返ります。「ホタテに合う山の幸」となるにはまだこれから。夢は続きます。

「ふんちゃ」では収穫したハタケシメジを出品しているという

「ふんちゃ」では収穫したハタケシメジを出品しているという

若い人も少しずつ戻ってきた

藤沢地区ではかつて約180軒もの葉たばこの生産者がいました。しかし、現在ではわずか4軒が残る程度。いずれも後継者不足が最大の原因でした。約5反(5千平方メートル)の畑を持つ山谷金望さんもその一人でしたが、今年4月に長男の金逸さんが跡を継ぐためにUターンしました。

たばこ農園に立つ山谷金逸さん

たばこ農園に立つ山谷金逸さん

金逸さんは青森市で美容師として働いていましたが、地元で子育てをしたいという思いからUターンを決意。「仕事柄どうしても休みが安定せず、奥さんに家事の負担をかけてしまうこともあった」と金逸さん。今では自分のペースで時間を作れるようになっただけでなく、「職場は自宅隣の畑なので、子どもたちの面倒も見やすくなった」とメリットを語ります。

農園のビニルハウスでたばこを乾燥させる

農園のビニルハウスでたばこを乾燥させる

通年で作業が必要となる葉たばこ。金逸さんは「まだ一年目。学ぶことばかり」と話す一方で、金望さんは息子のUターンに言葉少なげにはにかむような笑顔を見せます。担い手が戻ってきたことは、平内町の産業を支えるうえで喜ばしいことには間違いありません。

山谷金望さん

山谷金望さん

若い人たちと一緒に、新しい意見が欲しい

藤沢地区では2017年から弘前大学の学生らを受け入れ、インターンシップ生として地域住民たちと交流を始めました。受け入れの背景には、「60代以上が中心にがんばっているため、思い込みや固まった意見に陥りやすくなってしまう」という危機感があったと森田さんは言います。もちろん「集落経営再生・活性化事業」で明らかになった異世代間交流の少なさといった課題もありました。

インターンシップの様子

住民らに活動を周知させるため、回覧板を使い学生らが作った自己紹介のチラシを全戸配布しました。そのため交流がスムーズとなり、住民たちとの関わりが増えたと言います。そして昨年取り組んだのは、「ふんちゃ」の集客向上。学生ならではのアイデアを取り入れ、商品に「顔写真入りのポップ」やハンコ、シール、入荷カレンダーの作成など、新たな取り組みに売り上げ増という効果がありました。

また、藤沢地区内には廃棄するホタテの貝殻を選別し、貝皿として全国に販売している住民がいます。森田さんは「発想ひとつで新しいことができる。すでにあるものも生かすような若い人の発想や新しいアイデアを取り込んでいきたい」と話します。

ホタテ貝の加工を手掛けている小形まり江さん

ホタテ貝の加工を手掛けている小形まり江さん

地域に根付き、住民らの連携が強い藤沢地区。次世代へつなげていくには新しいまちづくりの発想や仕組みづくりが必要となっています。町外からの新しい活力を柔軟に受け入れ、住民たちにつなげていきたい。森田さんは「藤沢地区には青森市へ通う会社員が多く、平日はいない若い人も多い。そんな人たちも巻き込めるようなまちづくりを目指していきたい」と意欲を見せていました。

左から森田さん、藤沢活性化協議会会長・伊瀬谷登さん、藤沢活性化協議会副会長・須藤桂允さん

左から森田さん、藤沢活性化協議会会長・伊瀬谷登さん、同会の副会長・須藤桂允さん

工藤健
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工藤健

工藤健青森在住のライター。埼玉出身。2012年まで都内でウェブディレクターやウェブライターを生業にしていたが、地域新聞発行の手伝いをするために青森へ移住。田舎暮らしを楽しみながら、ライターを続けている。自称りんごジャーナリスト。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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