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2020年3月13日 西村祐子

長崎県雲仙市ゲストハウスTSUDOI・市来勇人さんが描く雲仙温泉の「伝統回帰で新しい」未来図とは?

九州のほぼ真ん中、熊本から有明海を挟み長崎県の南東部に位置する島原半島は、長崎県最高峰の雲仙岳を中心に周囲三方を海に囲まれた風光明媚な土地です。なかでも雲仙岳の中腹にある雲仙温泉は、古くから国際リゾートとして栄えた歴史と伝統が息づく温泉街として知られています。名だたるホテルや温泉旅館が立ち並ぶ中、2016年にゲストハウスTSUDOI(ツドイ)を立ち上げた市来勇人さんと彼が地域で取り組んできた活動をご紹介します。

長崎・島原半島にある雲仙温泉は伝統と歴史ある温泉街

雲仙温泉の歴史は古く、開湯はなんと701年(大宝元年)に、行基によって温泉山満明寺が建立されたことにはじまります。江戸時代、シーボルトの著書『日本』にも雲仙の名前があり、明治・大正時代から外国人の避暑地として国際的な地位を高めました。また、昭和の初め1934年には、日本初の国立公園に指定されました。今もクラシックな佇まいを残す外国人向け洋式ホテル雲仙観光ホテルが建設されたのもこの頃のこと。

雲仙温泉は、8つの山々から構成される雲仙岳のうち、雲仙妙見岳の南西標高700メートルに位置しています。山裾からはかなりのワインディングロードをドライブし、ようやく視界が開けた先に、突然現れる旅館やホテルの建物群。その脇には雲仙地獄と呼ばれる噴気孔から真っ白い水蒸気がもくもくと噴き上がっているのがとても印象的です。

雲仙というと、1990年に噴火した雲仙普賢岳の名前が知られていますが、こちらは妙見岳を挟んで反対側に位置するため、温泉街からは直接見ることはできません。

雲仙温泉「地獄」と呼ばれる蒸気の噴出孔

 

雲仙温泉の中心に、カフェ・バー併設のゲストハウスをオープン

「ゲストハウスTSUDOI(ツドイ)」は、島原半島初のゲストハウスとして2016年に開業しました。場所は温泉神社のロータリー・バス停もすぐ隣と抜群の立地。元喫茶店と住居だった建ビルを引き継ぎ、一階部分はカフェ&バーとして、2.3階をドミトリータイプの宿として運営しています。朝は朝食も提供、昼はカフェ、夜は軽食も出るバーとなり、いつも賑わうコミュニティースペースとして地元の人にも親しまれています。

宿泊者には、近くの共同温泉を使用できる割引券もあり、地元の方の生活を垣間見ながら温泉時間を楽しむことができます。近隣には名物「湯せんぺい」を売っているお土産屋さんや、山肌から硫黄の噴煙が上がる「雲仙地獄」もあり、ここをベースに登山をする欧米人や韓国などアジアからのゲストやリーズナブルな値段で滞在を楽しみたい日本人旅行者に好まれています。

TSUDOI客室からの景色 地獄の蒸気が見える

レトロモダンな窓枠が可愛らしい女性ドミトリー

 

「小さい頃から宿がつくりたかった」と雲仙温泉の老舗旅館に就職

TSUDOIオーナーの市来勇人さんは、福岡生まれ、就職で雲仙温泉に来て10年、老舗温泉旅館で働きながら「雲仙愛」を育み、ゲストハウスをオープンさせました。市来さんは小さい頃から宿を作りたいという夢を持っていたそうです。

「子どもの頃から来客が多い家で、家がたまり場みたいになってたんです。だから宿をつくりたいと高校生くらいの頃から思ってました。」

「みんなと遊ぶ家のような場所=旅館」のイメージで、旅館といえば料理人、と当初調理師になることを考えたそうですが、結局は福岡の大学に進学し経営学を学びます。大学ではオーケストラ活動に熱中していて、トロンボーンを吹いたり、ステージマネージャーとしても活躍。アルバイトで接客や厨房の仕事もするようになり、宿というのは特殊な場所だとより感じるようになったそう。

「宿に泊まると、みんなお風呂に入って同じ場所で寝る。すごく無防備になれる場所ですよね。(自分が宿に関わることで)その人の人生に関われるんじゃないかと漠然と思うようになりました。」

カフェ・バーの調理も担当する市来さん

大学を卒業後、就職したのが長崎県雲仙温泉の老舗旅館。自分の旅の原点を振り返ったときに、小学校の修学旅行で訪れた雲仙温泉が思い浮かんだから、という理由でした。「正直、すぐに別の場所に行こうと思ってたんですよね。」と市来さんは笑いながら話します。

雲仙温泉で働きながら、あまり派手な動きがない古典的な温泉街の雰囲気に飽きてきて、他地域にできた話題の旅館やリゾートホテルに憧れた時もあったそうです。ですがふとしたきっかけで考えが一変します。

「他の地方や企業でできることが、どうしてこの地域でできないのか?ここでできないのなら、自分が違う場所に行っても何もできないかもしれない。ここ雲仙温泉で挑戦できることがあるんじゃないか?」

市来さんは、他の地域に憧れるのではなく、まずは自分たちのいる場所でなにかやってみよう、と行動をスタートすることを決意します。

温泉の営業マンを集めた若手会からはじまったまちづくりへの参画

雲仙温泉には、地元の人は1回100円で使える共同浴場があります。毎日行っても月に3,000円。市来さんは毎日温泉に通うようになり、近隣で働く人たちと仲良くなっていきます。「最初からハダカのつきあいで、飲みにいくようになって、あれこれ夢を語るようになった」と当時を振り返ります。

共同温泉のひとつ「だんきゅう風呂」

その後、島原半島内のホテル等で働く営業マン同士で集まる若手中心の会が生まれ、「自分も雲仙のためにおもしろいことをやろう」と決意します。数年後、環境省100周年記念事業である「雲仙プラン100プロジェクト」のプロジェクトメンバーに抜擢、さらに雲仙市などが立ち上げた「雲仙市観光戦略策定委員会」のメンバーにも選ばれました。これからの雲仙温泉をどのように盛り上げていくのか?歴史の古い伝統ある温泉街だからこそできること、まだないものはないか?考えはじめたのです。

 

人が集うコンシェルジュ機能があるゲストハウスに

市来さんが考えたのは、雲仙温泉にまだなかった宿泊施設「ゲストハウス」をつくることでした。標高700メートル、温泉だけでなく風光明媚な自然や登山のために来るバックパッカーが惹かれて訪れても、現状アウトドア好きの外国人や日本人が気軽に宿泊できる施設がない。彼らを取り込めば新たな魅力発見につながり、バーやカフェをつくれば地元の若者も集う場所にもなるのではないか?と考えました。そして勤めていた旅館を退職し、2年ほどかけてゲストハウスTSUDOIを開業させたのです。

ゲストハウスという業態にしたのは、もうひとつ、ゲストハウスのオーナーは、ゲストとの距離が近く、まちのコンシェルジュサービスのような対話ができると考えたから。

TSUDOIで温泉街を歩くノルディック・ウォークや夜の星空散歩なども行っている

「退職した旅館の近くで新しい宿をつくるなんて、社長に嫌がられませんでしたか?」という筆者のちょっぴり意地悪な質問にも、「報告したときはびっくりしてましたけど、みなさんにすごく応援してもらいました」との答えが返ってきました。金融機関にお金を借りる相談に行った際も、いつの間にかその話が先方に伝わっていてすんなり話が決まったそう。市来さんのこれまでの人望の厚さと信頼の強さが垣間見えるエピソードです。

チェックインカウンター兼コンシェルジュデスク

 

今、雲仙温泉が抱えている課題

山の中腹にある雲仙温泉。大自然の中にある温泉郷ですが、長崎市内や空港、島原市から訪れるにもカーブの続く道を上ってくる必要があります。団体客が多い時代は大勢が観光バスでやってきて宴会・宿泊する観光スタイルが大多数でしたが、現在はその潮流も変化し、流れについていけない大型ホテルが廃業・売却されリニューアルされるなど、雲仙温泉全体としても今、大きな岐路を迎えています。

従業員も、以前は併設の寮に住み込む人が多かったそうですが、現在は麓から通う人がほとんどだそう。雲仙温泉内にあった雲仙小学校も廃校になり、今後は路線バスで山を下りて通学することになるなど生活面での変化も生まれています。娘がこれから小学生になるという市来さんは、子ども世代に何を残していけるか?という視点を持って常に考え続けています。

手焼きにこだわる湯煎餅のお店。せんべいではなく「ぺ」い

 

国際リゾートだった原点を見直し、世界に誇る雲仙温泉に!

「雲仙温泉は一度成熟しているまち。ドイツ人医師シーボルトが上海航路を使ってやってきて雲仙に滞在する日本初のインバウンド国際リゾートだったのに、昭和時代の成功体験を持ち続け、今はまた未熟に戻ってしまっているんじゃないか?」 市来さんは危機感を隠さず話します。

昭和の初めに発展した外国人避暑地としては軽井沢や上高地が有名ですが、それらは在住外国人が訪れていたリゾート。「雲仙温泉こそが外国人旅行客(インバウンド)発祥地」なのだそう。

「長崎・出島を通じてやってきたヨーロッパの人にとって、雲仙温泉がある山の中腹は、彼らの故郷の気候に似ているんです。当時の雲仙の人たちは建物を赤い屋根と白い壁の洋風に統一して、山小屋ロッジ風に建築するなど彼らへおもてなしするの気持ちがとても強かったんです。」

赤屋根が多い温泉街の建築

「こんなイメージを持っている温泉地は全国でも珍しいはず。雲仙岳の自然、今も沸き上がるダイナミックな地熱と温泉という大地のエネルギーに、外国人の避暑地だった歴史を加えれば、もっと世界に発信できる。国際リゾートだったという古きよき歴史ではなく、伝統を更新して、新しい価値として後世に伝えられる場所になれるはずだと考えています」 と、市来さんは雲仙温泉の未来を語ります。

そのために、ゲストハウス事業の他にも「まず自分たちが楽しめるものがなくては」と、夏のアウトドアフェス・サンカクフェスを企画したり、雲仙温泉だけでなく島原市でもカフェmarche&cafeカタコトを運営するなど、島原半島全体を盛り上げる動きにも数多く関わっています。

2019年8月UNZENサンカクフェスのビジュアル

市来さんの「雲仙温泉愛」が多くの人の情熱を呼び覚まし、半島全体が少しずつ熱を帯びていっている…!そんな印象を持ちました。最初はたった1人でも、自分が何かをはじめようと決意することで、そこからひとつの地域に根付き、活動を続けていくことの凄さと偉大さを感じます。この先5年、10年後の長崎・雲仙温泉、島原半島の動きには目が離せません。

取材先

市来勇人/ゲストハウスTSUDOI(ツドイ)

西村祐子
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西村祐子

西村祐子人とまちとの関係性を強めるあたらしい旅のかたちを紹介するメディア「Guesthouse Press」編集長。地域やコミュニティで活躍する人にインタビューする記事を多数執筆。著書『ゲストハウスプレスー日本の旅のあたらしいかたちをつくる人たち』共著『まちのゲストハウス考』。最近神奈川県大磯町に移住しほどよい里山暮らしを満喫中。

人と風土の
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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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