廃校を舞台に10年続く、真夏の文化祭「GOOD NEIGHBORS JAMBOREE」
校庭に葉を広げる巨大なクスノキが印象的な現在の「リバーバンク森の学校」ですが、その歴史は135年前に遡ります。明治18年に創立し、平成2年に廃校になった長谷(ながたに)小学校。
廃校後は、川辺という地域の名前をとって「かわなべ森の学校」として、長年に渡り地域の方々によって大切に維持保存されてきました。
そんな「かわなべ森の学校」を会場に、10年前から始まったのが「GOOD NEIGHBORS JAMBOREE(グッドネイバーズ・ジャンボリー)」という野外フェスです。
ミュージシャンとしての顔を持つ坂口さんが、出身地である鹿児島に音楽を楽しめる場をつくろうとスタートさせました。「みんなでつくる真夏の文化祭」をコンセプトにした、地域内外の2000人を巻き込むビッグイベント。普段は静かなこの場所に、音楽、クラフト、アート、食、文学、映像からスポーツまで、幅広いコンテンツが集まり賑わいます。
プロもアマチュアも、大人も子どもも、障害のある人もない人も、ジェンダーや年齢、国籍なども問わず、あらゆる人々がフラットに、それぞれが「できること」を持ち寄って楽しむフェスティバルです。
日本教育の原風景を残したい。一般社団法人リバーバンク設立の背景
こうして継続的に開催することで、年々賑わいを見せていたGOOD NEIGHBORS JAMBOREE。ところが、あるとき地域の人たちから「森の学校をつぶす」という話が出てきます。廃校を活用していた「かわなべ森の学校」ですが、当時はフェスや村の収穫祭等、年に数えるほどのイベント以外に用途がなく、建物の傷みも激しい状態で維持が大変だったようです。
「何とかできないか」。坂口さんがそう思って始めたのがこの廃校を保存する活動でした。坂口さんは、地元の人たちと協力して一般社団法人リバーバンクを設立します。
「実は同じような状況にある学校は日本中にたくさんあるんです。廃校をつぶすのにもお金がかかるので、放ったらかしになって廃墟のようになってしまうものもあります。
戦前は莫大な軍事費のために教育に回すお金が少なく、地域の大工さんが子どもたちのために建てたという学校がほとんどでした。『俺のじいちゃんがこの梁を寄贈したんだ』といった話はここだけでなく日本の各地で山ほど出てきます。そんな日本の教育の原風景が失われていくのは、もったいないなと思いましたね」と坂口さん。
一般社団法人リバーバンクでは、かわなべ森の学校あらため「リバーバンク森の学校」の管理運営や、周辺地域の空き古民家の再生事業、地域資源を活用したイベントの企画運営などを行っています。
活動を続けたことによって生まれた変化
10年間、継続的に開催してきた野外フェスやリバーバンクの活動を通して、坂口さんは地域の変化を実感したといいます。たとえば、地域への移住者が現れたこと。
「妻が鹿児島出身で、ずっと『帰りたい』と言っていたので、きっかけを探していたんです」。
そう話すのは、埼玉県出身の永山貴博さん。移住前はアウトドアブランドに勤め、イベント等でプロモーション活動を担当していました。
「やっぱり東京近郊は目まぐるしいというか、年齢も30代半ばに差し掛かり、このままの生活を続けるのは少し違うんじゃないかという思いを抱くようになりました。前職の活動の一環で『GOOD NEIGHBORS JAMBOREE』というイベントを知って、何ていいイベントなんだ!と思ったんですよね。
それから企業協賛という形で3年ほど関わらせてもらうなかで、かわなべ森の学校がなくなるかもしれないという話が出てきました。坂口さんがリバーバンクを設立するというので、僕も子どもが生まれたタイミングで埼玉から鹿児島に移住して、リバーバンクに勤めることになりました。」
鹿児島への移住を決めた当初は、友人などから「大丈夫?やっていけるの?」と言われたそう。けれど結果的には「こっちに来てから生活が豊かになったというか、今までにない生活をやれてる感じがありますね」と永山さんは言います。
また、坂口さんによると永山さんの移住のほかにも、地元の人からの反応といった面で変化が出てきたそうです。
「最初は3年、4年やっても、なかなか地元の人にわかってもらえませんでした。かわなべ森の学校がなくなるって話になったときも、ここ残しましょうよって自治会とかに顔出してまわったんですけど、反対する人も何人かはいたんですよね。『交付金もらって残そうと言っているけど、そんなお金があるなら残す代わりにつぶしてほしい』とか『あんたここの出身じゃないのに何でそこまでやるの』とか。
でも、実際に移住検討者が出てきたこともあり、そういう地元の人たちもだんだんと活動に参加してくれるようになりました。」
子どもたちが今の遊びと昔の遊びを行き来できる場所
リバーバンクでは、これからどのように活動を展開していくのでしょうか。坂口さんにお聞きしました。
「空き古民家の再生事業もやってるんですけど、空き家の改修をしていると昔使ってた懐かしい民具がいっぱい出てくるんです。今でも薪窯、薪風呂を使って生活してるじいちゃんばあちゃんもたくさんいるし。でもそういう暮らしってあと10年くらいでなくなっちゃうと思うんですよね。」
「オール電化じゃない暮らしが実はすぐそばにあるんだけど、なかなか体験する機会がない。だから、子どもたちにそういう生活を体験してもらいたいですね。森の学校でアスレチックしたり、今の遊びと昔の遊びを行ったり来たりするような場所になればいいなと思っています。」
「静かで、人がいない」の良さをキープしていくというチャレンジ
永山さんが移住してきた当初は、たくさんの人が流入することでリバーバンク森の学校を継続的に運営するというイメージをしていたそうです。けれど、活動を進めるにつれて地元の人からは「静かなこの学校が好きだ」という声も出てきました。
「もちろん運営していく上で必要最低限のお金は必要なんだけど、そんなにガヤガヤした場所にする必要はなくて、最低限の資金で回っていけばいいのかなと思うようになりました。今でも校庭でお弁当食べて帰る地元の人も結構いて、そういう人たちの居場所も残してあげたいと思います」と永山さん。
また、いわゆる「ハレ」の日としてのGOOD NEIGHBORS JAMBOREEと、静かな「ケ」の日とを上手く両立させたいという坂口さん。
「ジャンボリーのときは2000人ぐらい来るけど、毎日それじゃダメで。ハレとケっていうのがないとね。東京は毎日ハレなわけじゃないですか。同じようになってしまうとここの良さがなくなってしまう。僕らはここでジャンボリーとか別の事業もしながら、『静かで、人がいない』っていう方の良さをどうやってキープするか考えていく。今はそこのチャレンジをしてる最中という感じですね。」
「量より質を高めたい。じゃあ質って何なのかというと、ここにしかないもの。人があまりいなくて、ケータイの電波も入らない環境って今は少なくなってしまいました。そんな環境を大事にして、都会にない選択肢をここで提示したいなと思っています。」
地域に根差した活動を続けてきたからこそ見えてきた、まちの変化や、地元の人たちに求められているこの地域らしい廃校の活用方法。
坂口さんと永山さんのお話からは、お二人がこの場所を本当に好きなのだということが伝わってきました。興味を持たれた方は、森の中に佇むこの学校を訪れてみてはいかがでしょうか。賑やかなGOOD NEIGHBORS JAMBOREEの時間と、普段の穏やかな時間の両方を知ってしまったら、移住したくなる気持ちがわかるかもしれませんよ。