薩摩焼の産地、職人工房の集まる美山
鹿児島県日置市の美山は、県内最大の薩摩焼の産地として400年以上の歴史があるまち。歩いてまわれる範囲に11の窯元が集まっており、陶工に教えてもらいながら、ろくろを使った陶芸体験などをすることができます。
そんな小さな陶芸のまちに、最近では焼物以外のお店も増えてきました。今では窯元だけでなくカフェ、パン屋、ガラス工房、木やギターの工房、雑貨屋などのおしゃれなお店が、歩いて回れるほどの距離に集まっています。
今回取材にお邪魔したのは、まちの中央に位置する白・黒・緑の暖簾が印象的な「美山笑点」。30年ほど前まで豆腐屋だった建物を地域住民で改修し、現在は吉村さんが観光案内や活動の拠点として使用しています。吉村さんは協力隊の任期中に合同会社美山商店を創業し、退任後にはその隣に地域や県内の生産者を紹介するお土産物店「moë store(もえすとあ)」をオープン。さらに「地域おこし協力隊サポートデスク」の専門相談員、「地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島」の代表として地域内外で幅広く活動しています。
鹿児島で在宅医療がしたい。あるおばあちゃんの一言から芽生えた目標
もともと鹿児島県で生まれ育った吉村さん。ご両親からは公務員になるよう勧められていたと言います。転機が訪れたのは高校生のころ。とある老人ホームで目にした、七夕の短冊に書かれていた一言でした。
「あるおばあちゃんが『畳で死にたい』と書いていたんです。どうしてか尋ねると、家族と一緒に過ごして看取られるのが幸せだと仰っていて。それに衝撃を受けて、どうしたらその願いを叶えられるだろうかと考えました」。
現在ほどインターネットが普及している時代ではありませんでしたが、「遠隔・在宅医療ができるようになれば」と医療とITが学べる専門学校へ。卒業後は県内に希望する仕事がなく、東京の会社に就職しました。地域おこし協力隊の制度を知ったのは、東京で11年ほど働き鹿児島に戻ろうと考えていたときのこと。吉村さんは「協力隊で自分のやりたいことに近づけるかもしれない」と思ったといいます。
遠隔・在宅医療をしようにも、鹿児島で新しく医療関係の仕事を立ち上げるほどの土台はありませんでした。「まずは地域の人の信頼を得て、任せてもらえるようになろう。そして技術を持った人が地域に入り込める仕組みをつくろう」。そんなことを考えていた折、2016年の1月に開催されたJOIN移住交流・地域おこしフェアに参加した吉村さんは、そこで出会った鹿児島県日置市の担当者の熱量から、「きっと全力で伴走してくれるんだろうな」と感じて、2016年7月、日置市で初となる地域おこし協力隊に着任することになりました。
参加者100人から2000人のイベントへ!成長した美山の朝マルシェ
「よく周りから地域おこし協力隊の3年間の成果と言われるのは『美山の朝マルシェ』ですね。以前は毎月一回やっていて、10店舗で来場者が100人くらいでした。それが、僕が退任する3年目にはエリアを拡大して二か月に一回、平均で2000人くらい来るイベントに成長して、店舗も40くらいになりました。今は次の協力隊に引き継ぎをして開催しています」と吉村さん。
「出店者は外から呼んで、地元の店舗には普段通りに営業してもらう。当時の美山は飲食店が少なかったこともあり、お客さんにはマルシェでご飯を食べてもらって、そのあとに喫茶店や窯元をまわってもらったり、美山の日常を見てもらえるようにしようと。告知の仕方も、外向きにはSNSを使いつつ、地元向けには自治会放送や回覧板を使うなど工夫してきました。そして途中からはマルシェのコンセプトも実行委員のみんなと相談しながら再定義しました。美山にだんだんと飲食店が増えてきたこともあり、今度は『朝という時間』にフォーカスするコンセプトに変えました」。
だらだらと過ごしがちな日曜日。少し早起きをしてマルシェへ出かける。朝からリズムを整えて、家族との時間を楽しみ、翌日に備えよう。そんなふうに新しいコンセプトを定義したところ、参加者はもちろんのこと、外から来た出展者やスタッフの方々も喜んだそうです。
「『仕事をしに来たのに、観光ができて翌日も元気な状態で迎えられる』。マルシェは14時に終わるので、そのあとに美山を楽しんでもらえるんです。出店者の方の暮らしにも良い循環が生まれて、このコンセプトに決めて良かったと思いました」。
空き家から観光案内拠点へと育っていった「美山笑点」
吉村さんが、協力隊の現役時代に着手したことがもう一つ。合同会社美山商店の創業と、地域のコミュニティ拠点「美山笑点」の管理運営です。
いまでこそ美山の観光案内拠点として訪問者の絶えない「美山笑点」ですが、もともと豆腐屋だった建物は長らく空き家だったため老朽化し、幽霊屋敷とまで言われてしまうほどボロボロの状態になっていたそうです。それを2015年に、地元の住民や関係者の方々がきれいに改修し、地域のコミュニティ拠点「美山笑点」として復活させていました。この拠点を管理し、より積極的に活用していくことは、2016年に地域おこし協力隊に着任した吉村さんの重要なミッションでした。
そこで吉村さんはこの「美山笑点」を、地域おこし協力隊のオフィスとして活用しながら、美山の観光案内拠点として地域に開いていきます。さらにイベントやマルシェをしたり、地域外の人がチャレンジショップとして間借り出店ができたりといった、多機能なスペースとして運営していきました。
2018年4月に合同会社美山商店を創業し、協力隊の任期終了後も拠点の管理運営を継続。2019年冬には、隣にお土産物店「moë store(もえすとあ)」をオープンするなど、いまも成長を続けています。
3年間の活動を通して見えてきた美山の変化
美山には、吉村さんも所属している「美山未来つなぎ隊」という団体があります。荒れた竹林を整備する彼らの地道な活動によって、この3年間で東京ドームのグラウンドほどの広さの敷地がきれいになったといいます。
こうしてまちの景観も美しく生まれ変わっていく美山には、観光客だけでなく移住者や新規でお店を始める若い人たちも増えているのだそうです。なんと移住者が人口の6割以上を占めているとのこと。
吉村さんや周りの人たちの活動により、美山を訪れる人が増え、地域の人々からは「歩ける範囲で珍しいものが買えた」「捨てるはずの野菜が収入になった」「野菜を育てるのが生きがいになった」という声もきかれるようになりました。
吉村さんが美山で果たす役割と、活動で大切にしていること
これまでの実績を聞くと、バイタリティに溢れ何でもこなせるオールマイティな人といった印象を受ける吉村さん。けれど、大切にしているのは周りの人たちとの連携でした。
「自分ができることは限られていると思っているし、作り手が多いまちだからその道のプロが周りにたくさんいます。地域の相談事が僕に集まってくるので、それをプロにお願いする。僕はそういう立場だなと思っています」。
また、活動をする上で気をつけていることは独りよがりにならないことだと言います。
「ゆくゆくは医療もとは思いつつ、地域の問題は医療だけじゃないというのをひしひしと感じます。いろんなことを周りの人と一緒にしながら、たとえば次世代の教育っていうところもチャレンジしなきゃなと考えがシフトしていきました。
誰かに引き継いでいく、育てていくということをしないと自己満足で終わってしまう気がします。引き継ぎをゴールに事業を完遂させるというマインドでやって、引き継いだ方のやりたいことにちゃんと変化させていくというところを大切にしています」。
協力隊の活動を通じて感じたやりがい
協力隊として3年間を美山で過ごした吉村さんに、東京にいたころとの暮らしの違いについて聞いてみました。
「毎年、記録を更新していくくらい濃い一年を送っています。楽しいのと苦しいのとが交互に来るような生活ですが、それがたぶん生きてるという感覚なのかなと思います。東京にいたころは、楽しいんですけど虚無感もあって、こんな仕事をするために人生動いてたんだっけなとふと振り返るときがありました。けれど今は常に人と対話をし、頭を使い、地域の人と一緒に動いている。やりがいを感じています。
不安じゃないことをやるって、一方で冒険じゃないというか……ちょっとした崖の上を歩きながら、その崖をどうクリアしていくかというところに魂が震えますね。その方が感動的だなというふうに感じて今の仕事をやっています」。
2020年の春には、新しくコーヒーとドーナツのお店をオープンする予定という吉村さん。ほかにゲストハウスもやりたいのだとか。
焼物と職人のまち、美山。広々とした自然のなか、朝マルシェや陶芸体験、おしゃれな飲食店での食事など、各々の過ごし方でまちを楽しんでみてください。営業日は土日のみというお店もあるので、ご訪問の際は事前に「美山笑点」や「craftman village miyama」のHPをご確認ください。歩くのに疲れたら、コーヒーとドーナツでひと休みするのも良いですね。