まち歩きと工房ツアーへ
長野県松本市に隣接する塩尻市に、古くから漆器で栄えた町があります。中山道筋に店舗や工房が軒を連ねた「木曽平沢」です。車で10分ほどの距離にある奈良井宿と並んで、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている、美しい街並みが特徴です。
この漆工町には、約50軒の漆器店があり、約3万人が訪れる「木曽漆器祭・奈良井宿場祭」の期間中だけでなく、年間を通してお買い物を楽しんだり、場合によっては工房を見学することもできます。
とは言え、これだけ多くのお店があるとそれぞれのお店の特徴もよく分からないし、何も知らない状態で工房に見学に行くのは勇気がいります。そこで、今回はより多くの方に「木曽漆器」や「木曽平沢」の魅力・見どころを伝えるべく、工房にお邪魔して漆器の作られる様子を見学したり、美しい木曽平沢の街並みを散策しながら、様々な角度から漆器を楽しく学ぶことができるツアーに参加した様子をお届けします。
漆器作りの背景
ところで、漆ってどうやって作られるか知っていますか?漆の木から液体を取り出す、というのは聞いたことがある方も多いかもしれません。メープルシロップのようにポタポタと樹液がたくさん集まるのかと思いきや、傷をつけた箇所を耳かきのようなものでかき集めるのだそう。1本から採取できる漆の量、なんと200ml!採取された漆は、水分を飛ばす工程を経て、ようやく塗りの作業に使われるので、ますます少量に。しかも、漆が取れるようなサイズの木に育つのに12年以上かかります。また、漆を掻くことができる専門の職人は、現在、長野県ではお一人だけとのことです。
現在、漆器で使われる漆の90~95%は中国や東南アジア方面からの外国産となっており、国産漆の品質は高いですが、希少なため驚くほど高価です。木曽漆器工業協同組合では、漆の採取技術を守るため、平成24年頃から松本市中山地区等にて、漆の木を植え始める取組みも始めています。漆器が高価になる理由も分かります。
そんな勉強をしつつ、工房探訪スタートです。
伝統的技術と現代技術の融合
まず最初に伺った山加荻村漆器店さんで見せていただいたのは、このミニマムで凛とした雰囲気の漆器です。モダンなデザインで、一見するとシンプルな漆器ですが、実はとっても現代的な技術を使った漆器なんだそう。それは、なんと、3Dプリンター!
3Dプリンターを使うことで、木材では再現できなかったデザインが再現できること、そして、機能性も向上させることができるのだそう。その後、研ぎ、下塗り、上塗りとそれぞれの熟練した、職人さんを経て完成されているそうです。まさかこの街並み、そして漆器という伝統的な工芸品を見に来て、3Dプリンターの話が出るとは思わなかったのでびっくりです。
蔵には美術品とも呼べるような漆器がずらりと並んでいました。この漆器は、茶道具を入れるための茶箱なのですが、一見して分からないような技術が使われています。
それは、彫漆(ちょうしつ)と呼ばれる技術。漆を何十回と塗り重ね、次にまた色を変えた漆を何十回と塗り重ねて厚い漆の層を作り、その表面を根気強く水研ぎしていくことで、模様を浮かび上がらせていくのです。触ってみると確かに立体的に模様が刻まれていて、あたかも、つゆ草が茶箱の上を漂っているかのよう。その作業を想像すると、膨大な作業時間と、あらかじめ計算し、模様を浮かび上がらせることのできる技術力の高さ、そして単純にその絵画的な美しさに感動をしてしまいました。これほどの素晴らしい技術がこの日本にあることは、日本人として誇りに感じる瞬間でした。
風合いの良い「古代あかね漆器」
次に伺ったのは、伊藤寛司商店さん。ここでは、伊藤寛司商店オリジナルの「古代あかね塗」と名付けられた漆で制作された漆器をみることができます。この漆器は、仕上げに日本産の漆が使われています。国産の漆は、全国的に見ても、生産量の約10%程度と、とっても貴重な存在です。
また、この漆器は暗い朱色から明るい朱色へと色が変化するとともに、艶を増していく塗りなのだそう。漆を塗ったばかりと5年間使い続けたお椀の艶の違いは、一目瞭然!お店に並ぶ艶消しのような穏やかな質感の漆器も素敵ですが、実際に使い続けて、自分の漆器を育てるような感覚を味わったらどんなに楽しいだろう、そんなことを想像させてくれました。
また、このお店では、築100年以上の土蔵の中で漆器を製作する様子を見せていただきました。土蔵は2階建になっており、埃が漆器に付着するのを防ぐため、2階で最終工程に近い作業は行われるとのこと。2階には、土蔵にしてはかなり大きな窓があるのですが、それは以前大きな家具の受注が盛んだった頃に、塗りを終えた家具を窓から運び出せるように設計されたものなのだそう。歴史を感じさせる建物の作りも興味深いものでした。
今回、見学できたのは1階の作業場。水分と化学反応を起こすことで漆は固まるため、70%以上の湿度が必要ということです。乾燥する冬場には、作業場は常にストーブにやかんが置かれていたり、漆器を乾かすための室には朝から霧吹きをするなどして高湿を保つ努力がされているのだそう。漆が水分と反応して固まるなんて、不思議です。
漆器のブランド化と技術革新
3軒目に向かったのは、丸嘉小坂漆器店さん。ここの漆器の特徴は、何と言ってもガラスです!漆器は、これほど美しく日本的であり、海外人気がありそうなものに思えますが、欧米の気候が合わずに割れてしまったり、金属製のカトラリーの利用が難しい商品が多いこともあったりと、輸出に向かなかったのだそう。
先代が長野県工業技術試験場とともに研究を進めた漆を塗ったガラス製品を、2014年に新しいブランドとして発表したのが「百色-hyakushiki-」です。器の外側に漆が塗られているため、料理が盛られる内側はガラス面となっていて、金属製のカトラリーを使用したり、油ものも気軽に盛りつけることができ、漆器の利用シーンを大きく広げる自由なテーブルウェアに。漆の技術をガラスに転用したことにより、新たな漆の見え方が広がった上に、洋食での利用や海外への展開も可能となりました。
中でも一際目を引いたのが、こちらのグラス。チェコのワイングラスに、金色の粉をまぜた漆を塗ったもの。漆というと和食のイメージが強い食器ですが、これなら普段使っている器とも合わせやすい上に、食卓を品良く格上げしてくれそうです。飲み物を飲むだけでなく、デザートを入れたりと、どんな風に使おうか想像しただけでわくわく楽しい気持ちにしてくれます。実際、東京都内のホテルなどで、パフェを提供する際の器としても使われているのだそう。素敵!
さて、ツアーもあっという間に後半です。
途中、この街並みの中で、美しく異彩を放つ和洋折衷の建物「日々別荘」で、美味しいコーヒーをいただきました。コーヒーを淹れてくださっている間、目が止まったのはこのコーヒードリッパー&スタンド。端正で、今の暮らしにすっと馴染むような佇まいにうっとりしてしまったのですが、なんとこれも、木曽平沢で作られた漆器なのだそう。最後に向かったのは、このコーヒードリッパー&スタンドを作っている大河内家具工房さんです。
木工技術と近代化
ここで見せていただいた技術は、漆を塗る前の木の加工の工程。美しい六角形や五角形のわっぱがどうやってできているか想像つくでしょうか?
曲げたい箇所にこんな風に均等に切り込みを入れることで、スムースな曲げを実現しているんです!しっかり曲げてしまうと、切り込みがあることに気付かないほど、滑らかな表面になります。漆の塗りの技術に感嘆しきりの1日でしたが、木工の技術のすごさったら!またまた感動してしまいました。
古くから漆器で栄えた木曽平沢ですが、生活の洋風化や生活用品の大量生産化により、漆器産業は厳しい時代へと入ったのだと、漆器店の皆さんは口を揃えます。「作り手の意識、売り手の意識を変えていく必要があるだろう」と。
作り手や売り手の意識だけでなく、大量消費をよしとしてきた、買い手の意識もまた、少しずつ変わってきているように感じています。エシカル、スモールビジネス、ローカル…以前は少数派の小さな動きでしかなかったそんなキーワードが、市民権を得てきているのではないでしょうか。もっと足元の暮らしを見つめ直し、各地域が持つ個性を楽しむような時代へと。
世界に誇ることのできる漆器の数々には、感嘆せずにはいられないほどの素晴らしい技術が使われており、その美しさは私たちの目を喜ばせてくれます。実際に脚を運んで、職人さんのお話を聞き、文化の奥深さに触れることで、日常で使う漆器にもより愛着が湧くのではないでしょうか。
ツアーは今回限りのものですが、今回ご紹介した所を含む多くの工房やお店への見学は可能です(お休みの時もあるので事前の連絡をおすすめします)。直接、疑問点を質問できるので、ひとつひとつの漆器がどのような塗り方がされているのか、木の種類はなにかなど、教えていただくことができます。また、手入れの仕方などについても聞いてから購入することができるので安心です。私も欠けてしまったわっぱを修復していただくことになり、ますます大切に使い続けたいなという気持ちが強くなりました!ぜひ皆さんも実際に訪れて、木曽漆器の魅力に触れてみてはいかがでしょうか。