子どもを何より大事に想う。受け継がれる、村のあり方
岡山さんは、もともと長崎出身。企業の広報活動を支援する、東京の企業を経て、2017年に同じく東京で70seedsを創業。ウェブメディアを運営するほか、企業のPRやブランディングの支援をする仕事を行っています。
「大学入学を機に、出身地の長崎から関東に引っ越して10年以上。東京で働くことを当たり前のように感じていました。でも、仕事で地方の企業や自治体のPRやブランディングの仕事をしていくうちに、多くの魅力的な地方の人やモノに出会って。自分のなかで、地方移住という選択肢も出てくるようになりました」
舟橋村との出会いは、編集長を務めるウェブメディア『70seeds』の取材で訪れたときのこと。
「日本一小さい村なんだけど、人口がどんどん増えてて、面白いんだよね」そんな噂を耳にし向かった先、それが舟橋村でした。
「最初は、“日本一小さな村”と聞いて、山奥でこじんまりした風景を連想したんですよ。本当に、面白いものがあるのかな?って。正直、半信半疑でした」
ところが足を運ぶと、富山市まで電車で15分・車で20分というアクセスの良さに、富山市の一部では?と思うほどの印象を受けたといいます。実際、富山市と合併した方が財政や税金も優遇されるはず。なぜ、村として独立をし続けているのか。村長に話を聞くと、そこには住民の揺るぎない信念がありました。
「村の子どもたちの教育環境を守りたい。それが独立の道を選んできた理由でした。合併してしまうと舟橋村に小中学校がなくなってしまいます。そうすると、舟橋村で育つ子どもたちのアイデンティティも失われてしまう。子どもたちの未来をなくすようなことはしたくない。そんな住民の想いが、日本一小さな村になった由縁でした」
子どもを一番に考える──。そんな村の方針に惹かれた子育て世代が、今ではこぞって移住をしてくるように。約50年前まで1,000人弱だった村の人口も現在は3,000人を超え、幼少年人口割合は全国上位(2000年~2005年は全国1位)となりました。
また村として大事にしているポリシーは、それだけではないといいます。
「住民をお客さま扱いしない。村づくりに参加できる喜びを感じられる仕組みづくりを意識しているという村長の強い思いを伺って。面白いな、と思いましたね」
象徴的な政策が、「みんなの場所をみんなで育てる」をコンセプトに、子どもが中心となって公園をつくりあげたプロジェクトです。なんと、子どもたちのちからでクラウドファンディングを立ち上げ、資金集めや遊具の企画を手がけたそう。この取り組みは国からも評価され、国土交通大臣賞を受賞しました。
取材で訪れたのをきっかけに、瞬く間に舟橋村の“面白さ”に惹かれたという岡山さん。
当時お子さんは2歳。東京で暮らしていたものの、「このままずっと東京で子育てをしていくべきなのか?」と考えていた時期でした。
「東京の満員電車で通学する子どもたちを見て、息子も同じ生活を送るのが想像できなかったんですよね」
子育てのしやすい環境を求めていくつかの地域を比較していたなか、家族で何度か舟橋村へ訪問し移住を決めました。村の子どもを大切にするスタンスに惚れ込んで移住を考え出した岡山さんですが、立山連峰からくる水の良さ、米や魚の品質の高さなど、生活環境のよさに、いつしか家族全員が惹かれていました。
決め手は、それでいて東京まで3時間かからず行き来できるアクセスの良さ。東京の会社と舟橋村を行き来する「二拠点生活」を考えていた岡山さんにとって、仕事のしやすい環境でした。
暮らしの中で実感する、子育てのしやすさについて、岡山さんはこう語ります。
「子育てを目的に移住してくる人が多いこともあり、『移住してきた岡山さん』ではなく『息子のパパ』として人間関係の入り口を築きやすいと感じています。また転入してきた新しめの住民と舟橋村で生まれ育った住民が、適度な距離感でつながっていてコミュニティにも馴染みやすいですね」
また、こんなエピソードも。
「待機児童がでる、とわかったらすぐに子ども園を増設する村のスピード感には驚きました。道路を補正する資金があったら子どものためにお金を使う、と言われるくらい。税金の使われ方にも、人を育てることを大事にする舟橋村の想いが溢れています」
農業と村づくりを紐付ける、ブランディングのちから
移住当初は、東京の会社と舟橋村の自宅を往復する日々でした。火曜日に新幹線で東京に出社し、金曜日に舟橋村に帰る日々。「子どもと向き合う時間を重視したい」という目的で移住したのに、移動時間と仕事で疲れ果てて子どもと触れ合う時間も取れない…。そんな時期が続きました。
家族の不満も募る中、なんとかしようともがく状況に大きな変化が起きたのは、新型コロナウイルスの影響で世の中全体が揺れた2020年2月のこと。もともと東京オリンピックの時期に向けて段階的に導入していたリモートワークを一気に進め、全社完全リモート制に。東京への出社を取りやめ、ウェブ会議とチャットでほぼ進められるように仕組み化。
「幸い、東京での仕事の取引先はITツールに慣れた企業が多いので、ウェブ会議とチャットへの移行もスムーズでした。メンバーの協力もあり、じぶんが東京にいなくても仕事ができるようになってきました。時代が少しずつ変わってきていると実感しています」
東京だけではなく、富山での仕事も増えてきているといいます。その一つが、岡山さんが舟橋村の一員として取り組む、農産物のPR・ブランディング活動。若手農家や移住者らによるチーム『舟橋農業ブランディング機構(略称FABO(ファーボ))』を立ち上げ、村地域再生マネジャーを務めています。
2019年には、半分に切るとハートの形をしている九重栗(くじゅうくり)カボチャを『舟橋ハートかぼちゃ』と名付けて発信するプロジェクトを始動。メディアにも取り上げられ、多くの反響があったといいます。
「村の子どもたちから『かぼちゃおじさんだ!』と覚えられている農家さんの姿を見たり、商品価値が上がってスーパーで高値で売られていたりするのを見ると、嬉しいですね」
とはいえ、農家さんの中には「ブランディング」という聞きなれない言葉に、首をかしげる方も少なくなかったはず。どのように住民の理解と協力を得て、プロジェクト成功まで結びつけたのでしょうか。
「村を豊かにするために野菜をつくってください!と言われても、なかなかピンときませんよね。でも普段つくっているかぼちゃを『ハートかぼちゃ』とブランド化することで、問い合わせが増えたり、子どもの笑顔が見られたりする。それって、つくり手としてすごく嬉しいことだと思うんです。
じぶんたちは単に野菜をつくっているんじゃない。巡り巡って、村の未来を“つくっている”んだ。そんなふうに、農業と村づくりを紐付けることができれば、毎日の農作業がさらに楽しくなっていくと思うんです」
じぶんたちの手で、じぶんたちが暮らす村を豊かに──。その想いはしっかり、若い世代にも伝わっているようです。
「子どもたちから『村の野菜を食べられてうれしい』『農家さんのお話はおもしろい』そんな“つながり”を感じる言葉をもらえることが、何より嬉しいですね」
村の一員として。父親として。暮らす場所を、じぶんの手で変えていく
農業を元気にしたい。子育て世帯を応援したい。そんな想いを形にした新商品が、またひとつ世に送り出されました。2020年7月に発表された、子育てを応援する食と農のブランド『MUSUBU(むすぶ)』です。
子育てと農業に力を入れる村の魅力を広く発信する商品として、塩こうじ入りのおにぎり『したごしらえ』が開発されました。村産コシヒカリを塩こうじで炊き上げ、具材には、滑川市産ホタルイカや立山町産牛肉のしぐれ煮を使用。冷凍おむすびの発案者でもある、舟橋村生まれの店主が運営する飲食店「お※(こめ)食堂」で提供しているほか、公式サイトでも販売を開始。全国の店舗での販売も検討しているといいます。
“日本一ちっちゃな村から食卓へ。富山をおいしく、むすびます。”
そんな温かみあるコンセプトに、どんな想いが込められているのでしょうか。
「ばんどり騒動(米騒動)発祥の地としても知られる舟橋村にとって、お米は村を支えてきたとても大切なもの。村のアイデンティティとも言えるお米が、食の宝庫である富山の水産物やお肉とコラボをすることで、土地と土地をむすび、そして家庭の中もむすぶ。そんな存在になれたらいいなと思っています。安心安全な食材にこだわった、子育て世帯を応援する、舟橋村ならではの“おむすび”ですね」
県内の特産品をふんだんに使うことで、舟橋村だけで完結させずに隣町とのつながりも生んでいきたいと言う岡山さん。最後に、地域で活動をする上で大事にしていることを、伺いました。
「正直、東京にいたころ外の場所から地域を応援するだけでは限界があると感じていました。何かを変えていきたいという意思があるのなら、“村づくりをじぶんごと化”し、住民のみなさんと信頼関係を築きながら、実感を持って活動を進めていくことが大事です。
暮らす場所はじぶんの手でつくっていける。じぶん次第で、変えていける。そんな働く父の背中を、子どもにも見せられたら嬉しいですね」