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2015年6月12日 大川富美

山に魅せられて木の駅プロジェクトをスタートさせた小林健吾さん

島根県南西部に位置する山あいの町、吉賀町。
町の総面積のうち、92.2%が森林、約6,500人の町人口のうち42.5%が65歳以上という町には、自然の中で共生する暮らしを求めて移り住んだ若者たちも少なくありません。
どんなきっかけで町を訪れ、そして何に魅了されて住み続けているのでしょうか。 3人の移住者にお話しを聞きました。

「地方で生きたい」と名前も知らぬ町へ

そもそもの始まりは、「都会でパソコンに向かい、仕事をしていた頃、ふと、『このパソコンがなくなったら、自分はどうして生きていくのだろう』と考えてしまったことでした。」と小林さんは振り返ります。

会社を辞め、「自分のできる事を増やす」生き方を探して、8ヵ月ほど、関東や関西を中心に旅をして、小笠原諸島にも足を伸ばしました。「軸足を地方に移してみよう」と漠然と思うようになった頃、「吉賀町で地域おこし協力隊員を募集している」と聞きました。

「正直に言うと、島根県の中で吉賀町がどこに位置するのかもはっきりと知りませんでしたね。」

それでも地方暮らしのチャンスだと感じた小林さんは協力隊に応募。東京での面接を経て、生まれて初めて吉賀町を訪れたのは秋の気配が漂い始めた2009年11月初旬でした。

電車の駅もない町で魅せられたのは、山が見せるさまざまな表情

「まず驚いたのが、広島から長距離バスしか通っていなかったこと。電車の駅もないなんて。」

少しの不安を胸に、山に囲まれた小さな町に降り立った小林さん。しかし故郷から遠く離れた町で最初に目に飛び込んできたのは、紅葉し始めた木々が織りなす鮮やかな山の色。初めて見る景色に胸を打たれたことを今でも覚えていると言います。

棚田

協力隊第一期生となった小林さんは、まず、町を知ろうと、町をあげての「きん祭みん祭農業祭」や「カタクリまつり」など様々なイベントにスタッフとして参加しました。

「それでも山に入るときが一番楽しかった。山菜採りに誘ってもらったり、ワサビ田の見学もさせてもらったり。木を伐採するところも見せてもらいました。寂しくなるだろうと思っていた冬でさえ、山は見たこともない美しい深いピンクがかった色に染まり、驚かされました。知れば知るほど、山に興味が湧いてきたんです。」

移住して約1年後、小林さんは「山の仕事を習得したい」という想いと共に、まずは自分の出来る事を増やそうと思い切ってチェーンソーを購入。しかし、山に入りたくても、自由に出入りできる山はありません。一方で、手入れする人がおらず、間伐されない木々が残る山並みが目の前に広がっています。

森林

「こんなに広い面積の森林があるのに、林業の担い手は減り、山の手入れができなくなっている。山を守ることは、治山のため、地域の風景を守るためにも大切なのに」。 ここで自分にできることは何か――。

みんなで山を守る。「木の駅プロジェクト」始動。

そんな時に出会ったのが、林業をしたい人と人手不足に悩む山の所有者を結ぶ「木の駅プロジェクト」。全国で展開され始めた頃でした。自分たちで所有する山はもちろん、知人からの頼みや所有者からの依頼を受け、間伐などを行い、町の4か所に設けられた木材置き場(木の駅)まで丸太を出荷します。丸太の量に応じて、作業代として、地域通貨券が受けとれる仕組みです。

協力隊の任期3年の修了を前に、小林さんは、エコビレッジかきのきむらや町民、町の担当者と相談し、吉賀町でこの「木の駅プロジェクト」に取り組むことを提案。2012年3月からエコビレッジかきのきむらの職員として働くことになったのです。

エコビレッジ

現在は、40名が「木の駅プロジェクト」に丸太を出荷しており、協力商店なども含めると町内の100名以上がプロジェクトに携わっています。そのうち10名以上がIターン者だといいます。

町の中学生も環境教育の一環で参加。チェーンソーを持って伐採を体験しました。
「中学生が働いて得た地域通貨券で、みんなでアイスを買って食べました。中学生におごってもらったアイスはおいしかったなあ。」

町の農林業について学ぶ授業は楽しいひと時となりました。

「子どもたちにも、実際に山を一緒に歩かないと伝えられないこともありますしね。」

山の中で見つけた自分の生き方

小林さん

旧中学校の建物を利用したエコビレッジの裏庭も木の駅の一つです。積まれた丸太の山をならす小林さんの手つきはすっかり堂に入っています。木の駅に運びこまれた木材は、規格外の木材も温泉の燃料となったり、たきぎやチップにされたりと無駄がありません。

「まき風呂やまきストーブなどに使う人もいますし、できるだけ多くの人に山を活用してほしいです。まだまだ吉賀の木の駅プロジェクトは始まったばかりですからね。」

ここ、吉賀町で自分の取り組みたいことを見つけた小林さん。

地方で暮らす、ということについて、
「会社で仕事をしていた時と比べると、多くの人と関わりながら暮らしていると思います。いいご縁を頂けて、地域の人から自分の知らないことをたくさん教えてもらっています。自分が成長できているのを感じます。」
と話す口調には、地に足をしっかりつけて生きる充実感があふれていました。

小林さん

最後に、小林さんはこれまでのことをこのように振り返ります。

「ここまで来るのに、僕は要望も不満もかなり行政職員の方々にぶつけました。それにみなさん、真摯に向き合ってくれました。だからここまでやってくることができたんです。そしてそんな僕のやりたいことに付き合ってくださって、町のみなさんには本当に感謝の気持ちしかありません」

 

小林さんからのメッセージ
初めての地域で暮らすということは、どうしても思っているのと違うことが出てきます。そこにどう折り合いをつけていくか、が大事です。自分の理想を性急に追求しようとしないで、ゆっくり自分の生き方を探したらいいと思います。過程を楽しめばいいんです。一段ずつ階段を上る感じで。

取材先

エコビレッジかきのきむら 小林健吾さん

埼玉県さいたま市出身。37歳。
東京で機械設計の仕事をしていたが、地方での暮らしを求めて、2009年に地域おこし協力隊に応募し、町に移住。
山に魅せられ、2012年から、町の自然を生かした環境教育やライフスタイルの提言などを行うNPO法人「エコビレッジかきのきむら」で、山の手入れを行う「木の駅プロジェクト」に取り組んでいる。

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私が紹介しました

大川富美

大川富美東京都出身。大学卒業後、広島市の新聞社で記者として働く。 呉市、竹原市、山口県岩国市などで暮らし、現在は、広島市在住。 市内の小学校で英語を教えている。もちろんカープ&サンフレッチェのファン。趣味はほかに犬の散歩と道の駅めぐり。

人と風土の
物語を編む

 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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