25歳までを神奈川県・横浜市で過ごし、美大で油絵を専攻していた橋本さん。卒業後、盛岡で空き家になっていた母方の実家をアトリエとして創作活動を行っていました。
「盛岡にいた頃は、制作活動のことしか考えていませんでしたね。岩手に住んでみて、経済格差や仕事の少なさなど、横浜との違いを知りました。そんな中で街を歩いているときに、街のいいところ、伝統的な部分が失われていっているように感じました。」
と語る橋本さん。
「そこで岩手の芸術や文化、歴史にも着目してみようと調べてみると、横浜、関東にはない伝統文化がありました。食に関しても、見たこともないものがたくさんありました。でもそれが表に出る事なく、ひっそりと消えていくような気がしたんです。例えば、関東では食材を見る機会がスーパーしかなかったけれど、岩手ではそれを育てている畑から見ることができる。こんな魅力的なものがあるのに、もったいないなと。それをアピールすることで、岩手が関東とは違った意味で活性化できるのではないかと思いました。」
岩手の文化や歴史に興味を持ち始めた橋本さんは、当時、南部鉄器の新ブランド「k.i.w.a」をニューヨークで発表したOIGENの記事を目にしました。
「何かに縛られることなく岩手の伝統工芸を世界に広めようとしているOIGENなら、その魅力を外部からのプロデュースではなく、内からの表現で発信できるのではと思いました。」
OIGENへの就職を機に、それまでは「通りすぎる場所」だった奥州市への移住を迷うことなく決めた橋本さん。実際に住んでみて、奥州市の魅力は「何もないこと」だと話します。
「何もないと新しく作りやすい。日本の原風景というか、自然環境や文化的なところで、まだ壊されていない日本が残っていると思いました。もともと蝦夷地、蝦夷とかの歴史を辿ると、都がある場所とは異質な地域だった。その感じがまだ残っているのが大きな魅力ですね。」
その後、OIGENのショールーム兼店舗スペースである「FACTORY SHOP」をアートディレクションされた橋本さん。
店舗を作る際には、空間デザイナーや店舗設計業者に依頼するのが一般的ですが、橋本さんはショップのすべてをディレクションし、自社で作り上げました。
「日本中探しても他にない、ここにしか出来ない表現が一番大切だと思いました。それがどのくらいのクオリティになるかわからないけど、うちでやりましょうと。」
と、自らのショップディレクションを振り返ります。
「店舗内で使用している什器(商品を陳列する器材)は、工場をイメージしていて、極力、現場の職人さんに制作をお願いしました。あとは昔の工場で使っていて、蔵の奥に眠っていたものを引っ張り出したり。什器のエピソードをきっかけに、お客さんとのコミュニケーションが生まれることもありますね。」
また、仕事以外のコミュニティーとして、食に関するイベント「風土・food・風人」の事務局も担当されている橋本さん。
このイベントは、風土…ここにいる地元の人、food…食にたずさわる人、風人…外部にいる人が、食文化を通じてそれぞれの良さを再確認しようというコンセプトで行われています。
「イベントの反響としては、回を重ねるごとに若い方の参加が増えてきて嬉しいです。良い所を引き継いで、新しい風を取り入れていくにも、若い人たちが交流することで、魅力・良さに気付いてもらいたい。」
と語る橋本さん。「風土・food・風人」をきっかけに、生産者に会いに行く人が出てきたりもしています。
「(前回イベントの会場になった)胆沢のほうは、実は民泊があったりと外部の受け入れにも積極的なんですが、それを発信する場がないので、イベントを通じて発信できたらなと。」
という課題意識も持たれています。
これからUIターンする若者に対しては、ご自身の経験から、「奥州市は若者が活躍できる街」と話します。
「これから地方の重要性が理解されて、大切な場所になっていくはず。つぶすも活かすも若者次第だと思うので、それを少しでも感じてもらえばと。良さに気付かずに、“古いから捨てる”ではもったいない。外から見れる人が、これは魅力になるんじゃないかと気付いてあげることが必要だと思います。」
奥州市という土地で、世の中とコミットすることを楽しんでいる橋本さん。 編集部も「外の目線を持ち続けながら、内側から発信していくことの大切さ」について再確認することができました。