野菜を愛する原点は、大好きな祖父母との農作業の時間
絵美:フリーランスで野菜ソムリエの仕事、Webメディア「インシーズン」のライターや、商品開発や物販など様々な活動をされていますが、Uターンしてからどのようにナリワイを創ってきたのですか?
恭代さん:宮崎県の人や土地のことを何も知らなかったので知りたいと思って、帰ってきて一年目は宮崎市内の印刷会社に就職しました。食品メーカーの顧客も多い会社で、一年働いて、だいぶ宮崎の人や土地のことを学べて、やっぱり野菜を直接仕事にしたいと思って会社を辞めました。農家さんをまわって栽培の勉強をしたい、美味しい野菜は何だろう、とか、とにかく野菜のことだけを考えていました。
野菜の勉強をする中で知り合った人に紹介してもらった、自然のバイオリズムを活かして農薬を使わないお茶の栽培をしている農家さんが開いていた勉強会に私も通い始めました。植物の生態といった基本的なことから、養分が植物の体内を循環するためには葉っぱの周りの空気の動きも影響することなど、(ハウス締め切ってばかりじゃなくて、空気が動くのも大事)植物本来の姿を教わりました。又、肥料屋さんからは月と農業の話を教えてもらいキュウリやトマトは満月前後に収穫するとみずみずしいとか、いろんなところでそういう話を聞いて、ほー!と思って。
慎太:ほー!ですよ!
恭代さん:そういう話を聞いて、実際にその勉強会に来ている農家さんの野菜や果物を食べて、こんなに栽培方法で味が変わるんだと感動しました。実際に食べるから説得力があって。そこから、バイオダイナミックス農法や自然栽培など、いろんな栽培方法を調べたり、農家さんを訪ね歩きました。
絵美:一か所に学びにいくとどんどん情報が入って来て繋がっていくのですね。そのときは野菜ソムリエの資格を取っていたのですか?
恭代さん:ジュニア野菜ソムリエは東京にいたときに取っていて、帰ってきてからもっと野菜のことを勉強したいと思い、中級を受けました。同じ時期にフードビジネスコーディネーターの資格もとったので、その時期はとても勉強しました。あんなに勉強したのは大学受験以来…もう必死でした。一緒に勉強する仲間は、興味の方向が同じだから繋がりができたことも良かったですね。
▲野菜や栽培方法に関する本の一部を見せてもらいました
絵美:本当に野菜が大好きなんだなぁって、すごく伝わってきます!恭代さんが、野菜を好きになった原体験にすごく興味があります。
恭代さん:農家を営む祖父母と一緒に暮らしていたので遊びの延長線で出荷作業を手伝っていました。家に大きな作業小屋があって、そこでピーマンの選別や里芋の根っこ取りなどをしていました。祖父母がコツコツと朝から晩まで働く姿を見ていて、尊敬していましたね。祖父が私を背負ってトラクターに乗ったり、本当にかわいがってくれたので、一緒にいることが楽しくてお手伝いをしているという感覚がなくやっていました。一生懸命に働く祖父母の姿をずっと見ていたので、大人になって農業が3K(きつい、汚い、かっこ悪い)だと聞き、何それ?という感じでした(笑)。
「野菜が好き、何かしたい」熱い想いに共感が集まりWEBメディアが立ち上がる
絵美:「インシーズン」のお仕事はどのように始まったのですか?
恭代さん:印刷会社を辞めるときに「私これだけ野菜が好きで、宮崎の野菜で何かできると思うので頑張ります!」と野菜への熱い思いを携えて引き継ぎ周りをしていて、その中の一人が「インシーズン」を運営する会社の社長さんだったです。辞めるときに「一年で辞めてすみません、でも野菜が好きでこれから何かやろうと思っています!」と言ったことが印象に残ったみたいで…
慎太:うちで新しいメディアを立ち上げたいと思っているから、とお声がかかった?
恭代さん:そうそう!元々社長さんの中で、農家さんを紹介するメディアの構想もあった中で、私もそのとき、農家さんをまわって聞いたことや、栽培方法の話などをブログとかで発信していて、それを読んでくれていたみたいで、インシーズン立ち上げの話をいただきました。
慎太:大角さんと出会ったことで、最後のスイッチが入って始まったんですね!
恭代さん:…だと有難いですね。元々は、会社に入ってと言われていたんだけど、「社員になっちゃうと畑まわれなくなっちゃうからごめんなさい」「じゃあ委託でいいよ」と言ってくれて、それでお仕事が始まりました。毎月安定収入があるからこうやって自由にやれているっていうのは大きいです。その社長さんには足向けて寝れない…。もう3年かぁ、ずっと支援してくれている恩人です。
絵美:ライティングだけでなく企画からもやるのですね。
恭代さん:どういうコンセプトにするとか、名前も決まっていないところからの始まりで、企画会議をしながら決めていきました。最初の立ち上げから一緒にさせてもらって、インシーズンという名前も私の案を採用してもらったんです。 そして、インシーズンが始まった一年後に、仲間と数名で「ハチドリ」という会社を立ち上げました。
▲恭代さんが育てた自然農(風)で育てたにんじん。甘みと香りが濃厚でした
自分の本心を大切に、地元へ帰る決意をした
絵美:就職して、そこを辞めて戻ってこようと思ったきっかけはどんなことだったのですか?
恭代さん:大学卒業後の進路として宮崎での就職も検討したけど、働きたい会社が見つからなくて。そのときユニクロのキャッチフレーズが「20代で一流になれ」だったんです。あ、じゃあ20代頑張ればいいのか、商売できればどこでも生きていけるかなって思って、あとユニクロはみんな20代で店長になって、どんどん自立してください、退職したあともこうやって活躍していますっていう話だったので、良いなと魅かれて決めました。20代は修行だと思って入社したら、本当に仕事漬けになりました(笑)。朝から晩まで24時間365日売り上げのこと、お店のことばかり考えていました。でも、楽しかったかな。
2006年に入社して、途中で関連会社に出向して店長として働いて、2011年1月にその会社が吸収合併でなくなることになったんです。辞めるなら今がチャンスだ、完全閉店だからこのタイミングだったら迷惑かからないなと、じゃあ良いよねって、退職を決めました。
慎太:流れがきてましたね。タイミングばっちりですね。
▲家にあるありあわせだけど…と言って出してくれた手作りご飯!野菜たっぷり、本当に美味しかったです
家が好き。料理も畑仕事もやりたい。ひきこもりの時間も大切にしていきたい
絵美:フリーランスとして活動される上で、地域との繋がりはどのようにつくられていますか?私達は最初きたときに、地域との繋がりは積極的にしないといけない、けど自分たちがやりたいことと求められることとのバランスが難しいなと感じていました。
恭代さん:そうだよね。私は、むしろ絶っているかも…。いろいろ誘われるけど必要なときしか最近はいかないかな。特に宮崎市に行っていたときは、異業種交流会とか、ものすごく多くて。最初は誘われて何回か行ったけど、自分がやりたいものとか売りたいものとか明確になってからでないと意味がないかなと思っていて。ただ何かやりたい人たちが集まるだけだと、あんまりピンとこなくて…。
慎太:確かに、やりたいよね、ねえ!で終わっちゃうと意味ないですもんね。
恭代さん:飲み会でワイワイするのもいいけれど、実際に動いている時間が好き。あと単純に私、家が好きだから。料理するのも好きだし、畑もやりたいし、結構ひきこもり。
慎太:僕も引きこもりってある程度自分の世界観を追求するのに必要だと思っているので、共感できます。
絵美:どんな人との繋がりが多いですか?
恭代さん:うんーーーん、ハチドリやフード系の資格を取る中で食を大事にする人のネットワークはできたから、そこで知り合った人たちの繋がりで、勉強会を開催したときに来てくれたり、ドライフルーツ作ったときもお手伝いしてくれたり。フードビジネスコーディネーターの資格を取ったときも、ハチドリをやっているときも、インシーズンで取材してまわったときもそうだし、ずっと同じコンセプトでやっているから、それぞれのシュチエーションでどんどん人が繋がっていってくれてって、特定の団体とかじゃなく、私のコンセプトや想いで繋がれる人がいろんな場面でどんどん増えていっている感じかな。
絵美:すごく良い繋がり方ですよね!
恭代さん:そう、すごく有難いよね。
▲恭代さんの実家の畑。野菜への愛情がひしひしと伝わってくる
一貫した想いや行動が、町や県の枠を超えた繋がりを生む
絵美:小林とか宮崎とか関係なしに大事にしているものを基準に市外、県外と幅広く、でも深くつながっている感じなのですね。
慎太:それが本質的な繋がりですよね。個人と個人の。同じ土地だからといった基準だけでなく。
恭代さん:よく「宮崎の野菜の美味しさを広めたいの?」と言われるんだけどそういうわけではなくて、野菜の美味しさや楽しさを伝えて、美味しい野菜をその人が選んで、買って、いずれは量より質を追求する生産の現場が増えていったらいいな、という気持ちです。野菜の美味しさや楽しさをみんなに知ってもらって、一人でも多くの人に笑顔になってほしいと思っていると、それだけでいろんな人と繋がれる。そういう想いで繋がれる人は宮崎だけでなく、鹿児島、熊本とどんどん繋がっていけるのがいいなって思う。
慎太:いいですね。宮崎が、と打ち出しているわけではないんですね。
恭代さん:全然、全然。宮崎がとか書かれたこともあるけど、別にこだわっていなくて、たまたま宮崎に美味しい野菜があったからってだけなの。でもこの辺は何でもできるから、ね。たまたまこういうところが実家で。ネットワークも発達しているし、ネットも車もあるから、困らない。
絵美:恭代さんの働き方とか暮らし方って、田舎に来るとその土地に根付いて土地の人と繋がって、基盤を築いてからでないとできないっていう考え方を覆してくれますね。この町のことが大好きっていうのも伝わるし、でも自分の中で芯を持って行動していれば、場所にとらわれずに、町とか県を越えてどんどん人と繋がっていけるというのを体現してくれているように感じました。
慎太:これからそういう繋がり方が主流というか、そっちのほうが可能性とか広がりが生まれる感じがしますよね。
恭代さん:確かに!
慎太:移住、定住も一つの地域おこしの形ですがそれだけでもないと思いますし、一つの拠点だけでなく多拠点に広がっていく感じだし、話を聞いていてそういうのが増えていく感じがしました。
恭代さん:東京にいながら応援してくれる同級生もいて、お手伝いできることがあればと言ってくれたり。繋がり方はいろいろだなと思いますね。
▲発売中のドライフルーツ。恭代さんがこだわって選んだ果物の美味しさがつまっている
商品を通して、昔から土地に根付く文化や暮らしの知恵を伝えていきたい
絵美:商品開発をしたドライフルーツのことや、これからの展開など、今後へ向けてのお考えを教えてください!
恭代さん:コンセプトを伝えるためのモノづくりに集中しすぎて、お客さんのコスパを考えられていなかったから、もっと満足度をあげていかないと、と思っています。 元々、旬の商品を作りたかったのも、どんなに美味しい野菜があってもそれを届けられる人って少しで、だったら加工品にするとすぐ食べてもらえるし、美味しい野菜を使ったから美味しい加工品ができたんだよ、だからみんな美味しい野菜を普段から買おうっていうのを伝えたくて。
だから今、ドライフルーツを無加糖でやっていたの。果物も旬のものを使えば美味しいし、乾燥野菜って素直で、臭い野菜を使うと臭くなるし、味も香りも濃縮されちゃうから。そこをコンセプトにしているけど、まだ上手くいってないかな・・・。 それで今、蜜漬けを試作しているの。元の美味しさ、そのままを濃縮するだけでなくて、元の美味しさをイメージできるものにしないといけないなと思って、触感を残しつつ、お砂糖を加えたのを研究中。 あとこれから野菜せんべいとか、ポン菓子とか、昔からある米粉のせんべいに野菜を練り込んでお湯でといたらスープになる、っていうのをできないかなって考えていて。そのまま食べてもいいし、お湯でといて飲んでもいいし。とかね、野菜を使った商品を作りたい。それで家の向かいの倉庫を改装して乾燥できる機械を入れようと思っているの。
絵美:すごい!加工場があそこにできるのですね!
恭代さん:まずは試作からだけどね。試作して上手くいったら量産して。ドライフルーツに限らず、乾燥は独立したときからずっと企画だけはあって。 乾燥ってこの辺には昔から当たり前に文化としてあって、丸干し大根ができるのは宮崎と鹿児島だけ。千切り大根は、国富とか田野とか。霧島山に近いところだと丸干し大根ができるけど、そこから少し離れると千切り大根になる。風の強さが違うから。
風を活かした天日干しは昔からされていて、九州は結構多くて、山の方にいくと干し柿や干し餅とか。穀類を乾燥して保管していたり。乾燥っていう技術は天然のもので、保管にもエネルギーはいらないし、そのまま食べることもできる。エコでいいなって。昔からの伝統で、みんなその辺に白菜を天日干しにして漬物にしたりしているでしょ?この文化をもっと知ってもらって、今の食文化に取り入れていけば、野菜が日持ちしないときは干せばもつ、乾燥すると旨みが凝縮してより美味しくなる、そういうことを商品を通して伝えていきたいですね。