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第3回「ここで育ったというアイデンティティを育んで欲しい」 広告業界から一転、魚屋さんへ 大阪から宮崎へ移住した福田さんが語る故郷への想い

80年続く鮮魚店の4代目として店を営みつつ、イタリアン食堂クッチーナを家族で経営する福田俊幸さん。小林市へ移住するまでの経緯や移住後の地域の人との繋がり方、これからの時代を担う子どもたちへの想い、など様々なお話をうかがいました。

宮崎へ来なければ、お店を出すこともなかった

絵美:福田さんのご出身はどちらですか?

福田さん:出身は奄美大島です。

絵美:奄美大島ですか!小林へはどのような経緯で来ることになったのですか?

福田さん:高校生まで奄美大島で暮らし、大学進学のため大阪に出てそのまま就職。就職後に妻と知り合いました。妻の実家がここ(川崎鮮魚店)だったので、いつか実家の魚屋を継ぐのもいいよね、と言ったことがきっかけで小林市に移住し、6年目に入りました。

慎太:奥様の旧姓が川崎さん?

福田さん:そうです。

絵美:大阪でお2人ともシェフだったんですか?

福田さん:いえ全然。僕は広告や出版の世界で全く違う仕事をしていて、妻はずっとシェフをしていました。

DSC_1615▲広告や出版の世界から魚屋さんになった福田さん

絵美:もともと奥様が料理の世界にいたんですね。出会った頃からいつかはお店を開こうと思っていたのですか?

福田さん:そうではなく、小林に戻ってきてからですね。これまで魚屋一本でしたが、家族みんなで話し合い、お店を出すことになりました。

絵美:福田さんは全く違う業界から魚屋さんになったんですね!小林に移住することに対して抵抗はありましたか?

福田さん:なかったですね、もともと幼い頃から引っ越しや転校が多くて。奄美大島から大阪にも行きましたしね。移住に全く抵抗はなく、むしろ楽しみのほうが大きいですね。

絵美・慎太:いいですねー。移動するのが軽やかな感じで。

福田さん:でも2人もそうでしょ?(笑)

絵美:そうですね、北から南までいきました(笑)いろいろなところに住めるのは楽しいですよね。

絵美:小林に来て6年経つ中で、福田さんが感じる小林市の魅力や好きな部分はどんなところですか?

福田さん:やっぱり米と野菜、水も美味しい。なかなか他にはないと思います。すぐそこにお金を出さなくてもある。美味しい食材や水が揃っていることが1番の魅力ですよね。

 

魚屋4代目として修行の日々

絵美:小林市は海がないですが、魚屋さんの魚はどこから仕入れているのですか?

福田さん:小林には魚市場があるんですよ。宮崎や鹿児島、福岡などから魚が入ってきます。例えば、宮崎市の方であれば、どうしても宮崎のお魚に偏るんですが、小林にはいろいろな土地のお魚が集まるので、実は魚の種類が豊富なんです。

絵美:小林市は宮崎のへその位置にありアクセスもいいですし、海がないからこそ魚の種類が豊富なんですね。

DSC_1615▲移住した直後は包丁を持ってひたすら魚を捌く修行の日々を過ごしたという

絵美:広告や出版の世界から魚屋さんになり、特にご苦労されたことはありますか?

福田さん:やっぱり魚のことを覚えるのが1番大変で、最初はずっとそれだけでした。

絵美:種類や捌き方などは教わりながら覚えていく感じですか?

福田さん:そうですね、お母さんに教わりました。

(店の奥から)お母さん:お母さんに苦労したって言った?

福田さん:いえいえ、お母さんには苦労してないです(笑)

絵美:どうやって勉強したんですか?

お母さん:言っていいよスパルタって(笑)

福田さん:です(笑)でも、見て覚えるのが大きいですよね。とにかく忙しかったので、ゆっくりこうするんだよと教えてもらえるわけでもないですし。とりあえず包丁を持って、どれだけ数をこなすか。

 

福田さん流、地域の人との繋がり方

絵美:小林市に移住した福田さん流の地域の人とのつながり方や、意識している点はありますか?

福田さん:飛び込む。ちょっとずつですが、もともと人と接するのは好きなので。最初は魚のことで精一杯で余裕がありませんでしたが、「クッチーナ」を始めてからは、ある程度余裕を持って接客ができるようになりました。お客様に「また今度一緒に遊びに連れて行ってくださいよ」と、声をかけてみるところからですね。

絵美:地域の行事や集まりにも積極的に参加されていますか?

福田さん:できる限り参加しています。地域の方と知り合う機会も少なくなってしまうので。

 

小林に移住してよかったことは、子どもたちとの時間が増えたこと

絵美:小林に来てからいろいろなことがあったと思いますが、小林に移住してよかったなーと感じることは何ですか?

福田さん:子どもが3人いるのですが、長男は大阪で生まれ、2歳になる前に小林に移住しました。たぶん大阪にいたら、こんなに楽しく余裕を持って子育てできていなかっただろうなと強く思います。

DSC_1615▲移住したことで「子どもとの時間が増えた」と語る福田さんご夫妻

絵美:大阪のときは出版広告関係のお仕事で夜も遅く、なかなか家での時間を作ることは難しいですよね。今、家はお店の隣ですか?

福田さん:そうです。

絵美:お仕事をしながらお子さんを見ていられますね。

福田さん:そうですね。その違いは一番大きいですね。あぁうるさい!と思うこともありますけども(笑)、その声があるから張り合い、やる気が出ます。

絵美:奥様と2人で働きながらお子さんを3人も育てられて。こういう環境だから無理なく子育てができるんですね。

福田さん:そうですね、父と母も一緒にみんなで動くので、協力し合えます。やっぱり田舎じゃないとできないのかなと思いますよね。

絵美:ずっと大阪にいたとしたら、お店をすることは?

福田さん:ないです、絶対ないですね。僕はずっとその会社で働いていただろうし、彼女はお店に勤めていただろうし。一緒にやるということはまずないですよね。小林に来て随分変わりました。

 

家族でお店をすることの醍醐味

絵美:このお店の内装は皆さんでされたんですか?

福田さん:デザインはデザイナーの方にお願いしましたが、壁塗りなど自分達で作れるものは、できるだけ自分達でやりましたね。

絵美:本当に素敵な空間で、愛情をもって作られた感じが出ていますよね。どういうお店にしようかというのも奥様と2人で考えて、コンセプトや内装を決められたんですよね。

福田さん:そうですね、いろいろ考えましたね。

慎太:「クッチーナ」は奥様と福田さんが中心ですか?それともお父様、お母様含め4人で家族会議をしながら?

福田さん:会議をしながら4人で決めています。「クッチーナ」を魚屋の隣に併設するというのも、4人での会議中に決まったことですね。

絵美:私たちも夫婦で移住してきて、これからゲストハウスを立ち上げたいという構想があります。今ブログも2人で運営しているのですが、その中で結構ぶつかることもありまして(笑)日々のすり合わせが大切だと思っているのですが、家族やご夫婦で同じ仕事をする際に、福田さんが特に気をつけていることはありますか?

福田さん:やはり4人で話し合うようにすることですかね。たぶん僕と妻だけだったら、きっとぶつかることが多いと思うんですよ。でも4人だと誰かが誰かをうまくフォローしたりして、バランスがとれていますね。

絵美:確かに2人よりも4人のほうがバランスが取れますよね。夫婦で同じ仕事をする良さや醍醐味も教えていただけますか?

福田さん:夫婦だと同じことを考えていることが多く、目標や向かう方向も同じなのがいいですね。そこが別々だと、家庭に仕事を持ち込むのは嫌だなと思うんですが、同じなのでやりやすい。

絵美:意思疎通がしやすいですよね。

慎太:一緒に商売をしている以上、目標が同じ。仕事を頑張った分、家庭が潤う。一蓮托生ですね。

 

80年続く専門店の良さを次の世代に繋いでいきたい

絵美:こういう素敵なお店を開いていること自体が地域のためになっていて、住んでいる者としてはすごく嬉しいなと。

福田さん:そう言って頂けると、1番嬉しいです。

絵美:今後のお店の展望や、子育てもしていくなかで街がこうなっていったらいいな、こういう風に街に関わりたいなという、今後に向けてのお話をうかがいたいです。お仕事面や暮らし面、個人面、いろいろな視点からお願いします

福田さん:まず仕事面ですが、クッチーナはまだ3年しか経っていないので、もっとこうしたいという点はたくさんあります。ただ、美味しいものを食べてもらいたいというのが1番で、そこは今後も変わらないですね。

DSC_1615▲取材前に頂いたランチパスタは絶品でした!

魚屋の方は、お父さんが3代目、僕が4代目で80年という歴史があり、本当に地域の人から必要とされているのを日々の接客から感じます。ですから、この歴史は守っていきたい。そして新しく住み始めた人にも必要とされ、次の世代にも繋げられるように残していかねばとも思っています。

その中で僕は、例えば店がすごく良くなっても場所は移動したくないんです。ずっとこの場所で魚屋をしていたい。だんだん専門店が少なくなってきているので、そういう意味でも残したいなと思いますね。スーパーとは違う魚屋の良さを市民のみなさんに知っていただきたいなと思っています。

DSC_1615▲「専門店の良さを残したい」と笑顔で語る福田さん

絵美:やっぱり専門店っていいですよね、お魚屋さんがあって、お肉屋さんがあって、八百屋さんがあって。ここはずっと80年間同じ場所でされてるんですか?

福田さん:そうです。場所はずっと一緒です。昔は、この周辺が一番のメインストリートだったようです。お祭りがあるときはそこの神社に集まって。

絵美:当時と比べると、周りのお店は減っているんですか?

福田さん:そうですね、僕が移住してから近所にあった小さなお店がなくなりました。お年寄りの方がちょこっと何かを買いに行くには便利な場所でしたから、店がなくなったとき、皆さん遠くのスーパーまで行かないといけなくなって困ったと話していて。やっぱり買い物に困っているんですよね、お年寄りの方とか。そういう意味でも魚屋としての役割を残していければと思っています。

絵美:地域におけるお店の役割って大きいんですね。

 

子どもたちに故郷で育ったというアイデンティティを育んで欲しい

絵美:小林の街に対して、課題と感じるポイントやもっとこうしていきたいなという想いがあれば教えて下さい。

福田さん:今、消滅可能性都市と言われているなかで、まちづくりや地域おこしを行政や市民の方がされていたりするのはものすごく魅力的だし大切なことだと思うんです。ただ個人として自分には何ができるのか?と僕が考えるように、僕の子どもたちも小林という街に対しての想いを持つためには、小林で育った、ここで育ったという感覚が必要だと思います。自分の家や自分のことに対しての想いはあると思いますが、小林への想いがないと、小林を出て行くと思うんですよね。例え住み続けても、小林という街に対して興味がないと思います。

だから、まずはふるさとの歴史や文化に触れてほしい。僕は奄美大島の歴史や文化を小さい頃から周りに教えられ、触れる機会を作ってもらっていたんですよね。今、僕のふるさとで頑張っている、同じ世代や町おこしをしている人たちも、やっぱり小さいときにそういう教育を受けて育ってきた人たちが多いので、僕も教えていきたいなと思っています。

ただ僕自身が小林の人間ではないので、僕も勉強しないと。小林の歴史や文化、伝統など知らないことが多いですし、聞いて初めてあっそうなんだ!と思うことが圧倒的に多いので、子どもたちとあちこち出て行って、聞いたり参加したりしています。

DSC_1615▲小林の歴史や文化を子どもたちにも触れてほしい

他に、身近でやっていることはゴミ拾いです。月に2,3回子どもたちと一緒に歩いています。歩いていると史跡があったりして、これ知ってる?こうなんだよ、と言いながら。意味は全くわかってないと思うんですけど、僕が連れて行かないと接する機会がないと思うので。こうやって小林という街ができたという歴史を少しずつ伝えることで、彼らが小林で育ったという感覚を持ってくれると、きっと2,30年後に小林を出たとしても「小林のために何かしたい」と思ってもらえるんじゃないかと思ってやっています。小林という街にアイデンティティを持って欲しいなと思いますね。それだけです。

慎太:それだけって…

絵美:凄くいいです!

福田さん:だから僕が勉強しないといけないんですけど。

絵美:だからこそ、次の世代に伝えるためにもご自身が深く関わっていこうというところに繋がっているんですね。

福田さん:昔はこの時期がきたらこんなことをしていたよね、という話は聞きますが、今はしていないことがたくさんあるのでもったいないと思っているんです。いつか子どもたちと復活させることができたらなと思いますね。伝統文化があると、きっと子どもたちの中で何かが変わってくるんじゃないかなと思っているので。

絵美:ただ住んでいるから「ふるさと」というわけじゃなく、住んでいる実感や体感が必要なんだなと思いました。そうした故郷へのアイデンティティがあれば、例え離れていても関われることがありますよね。

繋ぎ屋(細川慎太・絵美)
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繋ぎ屋(細川慎太・絵美)

繋ぎ屋(細川慎太・絵美)行き当たりばったり宮崎県小林市に移住した、岩手県出身の夫・慎太と北海道出身の妻・絵美の夫婦ユニット。 夫婦で小林市の地域おこし協力隊として活動しながら、 自給/半農半X/田舎暮らし/多拠点移住/古くて新しいライフスタイルを発信するWEBメディア「繋ぎ屋」を運営しています。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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