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2016年7月4日 岩手移住計画

新たなにぎわい創出へ、まち家を活用した住民交流拠点で活動する先輩コーディネーター

渓流釣りで知られる清流や目にまぶしい新緑など美しい自然が印象的な住田町ですが、じつは歴史ある建物など文化資源もたくさんあります。今年春には住田町の新しいスポットとして、築100年以上の町家をリノベーションした住民交流拠点施設「まち家世田米(せたまい)駅」がオープンしました。

ここを拠点に活動しているのが、ローカルコーディネーター(地域おこし協力隊)の佐々木 敦代さん。住田町に惚れ込み地域に根ざして活動する佐々木さんに、新スポットの魅力、そして住田町の魅力を語ってもらいました。

蔵が残る歴史ある街・世田米に新スポット

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住田町は古くから沿岸と内陸を結ぶ交通の要所で、宿場町として栄えてきました。町の中心地域である世田米には、海産物や米を集めた市が開かれ、にぎわっていたと言います。今も銀行や飲食店が並ぶ世田米の商店街の中心部に再びにぎわいを生み出すための新しい空間が誕生しました。それが「住民交流拠点施設 まち家世田米駅」です。

「まち家世田米駅」は菅野家という実業家の住居兼店舗として使われていた町家で、大正時代には養蚕繭の仲買商や住田で産出されていた砂金を扱う金銀治金商などいくつもの看板が上がっていたそうです。

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住田町が「菅野家住宅を活用して地域の人たちに愛される施設にしたい」と、住民との意見交換を重ねて活用策を探ってきました。2015年には町内の有志でつくる一般社団法人SUMICAが町から指定管理を受けることが決まり、運営を担っています。

「まち家世田米駅」は、「うなぎの寝床」とも言われる町家建築の当時の姿を忠実に残しながら現代的によみがえらせたもの。そのため正面から裏までが長く、そのつくりを生かしてコミュニティカフェ「SUMI café」、食材にこだわったレストラン「kerasse」、そして蔵を生かしたギャラリーや町家を体験できる和室が並んでいます。

 

「まち家世田米駅」を盛り上げる2人の協力隊

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世田米地区の公民館機能を備えた「まち家世田米駅」を切り盛りするのが協力隊の佐々木さん。そして、ここはもう一人の協力隊員・菅野 悠太さんの仕事場でもあります。菅野さんは住田町出身で、盛岡のレストランの厨房で働いていました。仕事にやりがいを感じながらも「住田で働きたい。でも住田で料理の仕事をするのは難しい……」と悩んでいたところ、「まち家世田米駅」に入るレストランに協力隊員として関わることになりました。

住田の養鶏を使った「清流鶏砂肝の低温バター煮」や「三陸魚介と江刺純朴たまごのオーブンオムレツ」など、住田の食材はもちろん、隣接する大船渡市や陸前高田市の海の幸をふんだんに使ったメニュー開発と提供を担当しています。

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菅野さんは「住田にいると生産者との距離が近いので、採れたてで新鮮なことをリアルに感じられます。季節感を取り入れた料理を提供しながら、地域のお母さんたちに住田の食材の新しい食べ方を提案していく活動もしていきたいですね」とUターンした住田で充実した生活を送っています。

佐々木さんも「地域の年配の人たちも見慣れた食材が自分の家とはまったく違う料理になって出てくるのでとても喜んでくれます」とその料理に太鼓判。2人とも「新しいローカルコーディネーターが来たらここで歓迎会をやりたい」と口を揃えます。

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「岩手復興のために何かしたい!」現役協力隊・佐々木さんの思い

佐々木さんは岩手県内の盛岡市出身で花巻市で育ちました。高校卒業後と同時に都内の大学に進学し、そのままリクルートエージェント(現・リクルートキャリア)で法人営業の仕事をしていました。岩手に戻ることは考えずに東京での暮らしを楽しんでいた2011年、岩手県沿岸部を東日本大震災の津波が襲いました。「岩手のために何かしたい」という思いを持ち続けながら1年余りたった時、岩手県が復興を後押しするため「いわて復興応援隊」の第1期を募集することを知り応募、住田町に着任しました。町観光協会に所属し2年間、着地型観光のコーディネートや物産の販売を通じた復興支援などに関わりました。

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観光の仕事とはいえ地元の人たちと接する機会も多く、住田の人たちの魅力を実感するようになったと言います。「住田の人たちはヨソモノであっても自分から入っていけば応援団になって支えてくれる。住田の一番の魅力は人だ」という思いを強くしていきました。

しかし、活動するうち「観光以外にも住田でできること、やるべきことがあるのではないか」という新たな迷いも生まれ、2014年からは集落支援員として町内で活動することに。「集落支援員になったことで、幅広く町の活性化に関われるようになりました」と振り返ります。「住田での活動は都会の仕事と使う筋肉は少し違いますが、自分の感性やネットワークをフルに生かして動くことができるし、何かをやろうと決めた時に実現させるまでのスピード感も違います。東京にいた時よりも自分の存在意義を感じながら活動しています」と言葉に迷いはありません。

 

地域の声を聞き、地域に必要とされる存在に

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集落支援員として活動しながら、2014年には県内各地で活動する同年代のUターン者とともに、岩手を若手の力で盛り上げるためにNPO法人wizを結成。翌2015年には住田の活性化に取り組むために地域の企業の後継者やUターン者らと一般社団法人SUMICAを立ち上げるなど、支援員の枠にとらわれずに活動してきました。

SUMICAの目標は住田のにぎわいづくり。おりしも町が住民の交流の場となる町家の指定管理者を公募したため、SUMICAが名乗りを上げ、受託することになりました。佐々木さんはここで、さまざまな世代が参加できるイベントの企画運営などを担っています。SUMICAも「まち家世田米駅」もまだスタートしたばかりにもかかわらず、佐々木さんが「SUMI café」にいると、次から次へと顔見知りが「オープンおめでとう」「今度はゆっくり来るから」と声をかけていく様子が印象的です。

住田の人たちから信頼されている様子が伝わるエピソードを教えてもらいました。入籍を控えた佐々木さんと旦那さんとの結婚式が町を挙げて開かれたのです。町内の地名・有住(ありす)にちなんだ「アリスの不思議な文化祭」として、昔ながらの結婚式のやり方に乗っ取って、佐々木さん夫婦の結婚式が行われることに。着物は住民のたんすから出したもの、着付けも町内の美容師さんが手がけてくれました。町内各地から200人近くが集まり、古式ゆかしく執り行われました。

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応援隊でも集落支援員になっても変わらず持ち続けてきた「地域の人たちの声を聞ける存在になろう」という心構え。そんな佐々木さんだからこそ、住民から愛され必要とされているのでしょう。

佐々木さんも「最初の1年は地域の声を聞かせてもらえるように頑張れば、その次の2年間は信頼してやりたいことをやらせてくれる。住田町はそういうところだと思います」とローカルコーディネーターにエールを送ります。

取材先

佐々木 敦代/住田町世田米地区・地域おこし協力隊

1985年生まれ。岩手県盛岡市出身、花巻市育ち。
中央大学法学部卒業後、株式会社リクルートエージェント(現・リクルートキャリア)で
法人営業として働く。東日本大震災をきっかけに岩手にUターンすることを考え、
2012年10月から住田町に移住。地域づくりに関わる仕事を中心に、2014年にNPO法人wizを、
2015年に一般社団法人SUMICAを設立。

NPO法人wiz

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岩手移住計画岩手移住計画は、岩手にUターン・Iターンした人たちの暮らしをもっと楽しくするお手伝いをし、定住につなげていくために活動している任意団体です。県内各地で、「岩手移住(IJU)者交流会」と題したイベントを開催しているほか、岩手県などが主催するUIターンイベントにメンバーが参加し、移住希望者の相談にも対応しています。首都圏と岩手をつなぐ活動にも力を入れています。

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 「風土」という言葉には、地形などの自然環境と、 文化・風習などの社会環境の両方が含まれます。 人々はその風土に根ざした生活を営み、 それぞれの地域に独自の文化や歴史を刻んでいます。

 過疎が進む中で、すべての風土を守り、 残していくことは不可能であり 時とともに消えていく風土もあるでしょう。 その一方で、外から移住してその土地に根付き、 風土を受け継ぎ、新しくつくっていく動きもあります。

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