東北から東京へ。地方暮らしへの思いが募る
宮城県生まれの佐藤さんは、岩手大学を卒業し、千葉県の広告会社に就職。数字のノルマに追われながら、日々飛び込み営業を精力的に続けていたそうです。その後、東京のアート関連会社に転職してからは、千葉県から銀座の一等地にあるオフィスまで毎日通勤し、企画・運営を担当しながら充実した日々を送っていました。しかし、働くオフィスは大都会のビル街の一角で、自然光のない無機質な環境でした。
「5年経っても都会の暮らしには慣れませんでした。田舎で生まれ育ったためか、自然に囲まれた場所を求めるようになっていたのです」と当時を思い返します。
気がつけば佐藤さんは、インターネットで地域おこし協力隊など移住の情報を集めるように。そんなある日、出張で訪れた京都でゲストハウスに宿泊した時に出会った関東から香川県に移住した旅人から聞いたのが、「香川は美術館などのアート施設が充実していて、いろいろな島にも行ける」という話。アート好きな佐藤さんはそれまで縁もゆかりもなかった香川県に興味を持つようになりました。香川県には一度旅行で訪れたことはあるものの、住むということを意識したことはありませんでした。まずは、高松市を数日訪れてみることにしました。
▲アートが身近にある街、高松
「高松に降り立った瞬間、感動しました。空が広くて海が近くて、まちにもすぐに行けます。求めていた環境はこれだと感じ、素直にここで暮らしたいと思いました。」
この時が2014年の秋。翌年の春には、会社を辞めて高松市に移住し、海辺のアパートで暮らしはじめました。
自然と街が近く、人とつながりやすいコンパクトな地域
高松は山と海がすぐそばにあり、美術館や商店街にも自転車や電車などを使って気軽に行けるコンパクトで便利なところ。佐藤さんは移住にあたり、離島にもすぐに行けるように高松港に近い海辺のアパートを選びました。
「東京の会社を退職してすぐに引っ越すことになっていたので、仕事については高松での暮らしが落ち着いてから探すつもりでした。知り合いがまったくいない場所なので、最初はきっと寂しいだろうなという不安は少しだけありました。」
そこで、引っ越し前に「高松での楽しみを見つけておこう」と、高松で開催されるアート系のイベントをチェックしました。その一つが、写真家のトークイベント。東京では100人規模の集客が当たり前の有名写真家のイベントにもかかわらず、高松での定員は10人。少人数で写真家を囲み、写真について語り合うという企画だったのです。それを知った佐藤さんは「こんな贅沢な機会があるなんて、高松ってすごいんだ!」と感動したそうです。
そのイベントに参加したことがきっかけで、移住者仲間をはじめ、高松での知り合いが増えていきました。
「一人知り合いができると、そこから交友関係が広がっていきました。また、高松はコンパクトなまちなので、知り合い同士がつながっていることが多いんです。」
移住後にできた友人や知人の協力で建物をリノベーション
ちょうど生活が落ち着いたころ、周囲で、10年ほど使われていない元遍路宿の建物をリノベーションしてゲストハウスをつくろうという動きがあることを知った佐藤さん。
「最初は面白そうだなぁと思って軽い気持ちで話を聞いていたのですが、そのゲストハウスを誰が運営するかという問題が出てきました。実はゲストハウスを運営する人が決まっていなかったのです。そこで私にやってみないかという話がきました。意外な展開に悩みましたが、長い人生の中でめったにないチャンスだと思い、引き受けることにしたんです。」
▲生まれ変わったゲストハウス「まどか」
とはいえ古い建物の改修工事には莫大な費用がかかります。佐藤さんは、知人からの情報で香川県移住者起業支援補助金があることを知り、企画書を書いて応募。みごと企画が選ばれ、ようやくゲストハウスづくりがスタートしました。
10年も放置されていた建物は建具や床などがひどく傷んでいたそうです。
「一番大変だったのは掃除とゴミ捨てでした。思い出の詰まった元旅館からは片付けても片付けても、どんどん物が出てきました。」と佐藤さん。
そこで大きな助けになったのが、高松での友人や知人たちでした。
「作業を手伝ってくれた人には、ゲストハウスがオープンした際の無料宿泊券をあげることにして、いろいろな人に協力をお願いしました。午前中に来てくれる人や、仕事を終えた夜だけ手伝いに来てくれる人もいて。なかでも、頻繁に作業をしに来てくださったのは、この物件の大家さんです。」
中心メンバー10人ほどの協力でようやくゲストハウスがオープンしたのは2016年3月20日。3年に一度開催されるアートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」春会期の初日でした。宿の名前は、遍路宿の名前「まどか旅館」を受け継いで「ゲストハウスまどか」と名付けました。
適度な距離で見守ってくれる、高松の人は温かい
こうして、移住から1年も経たないうちにさまざまな人たちの協力を得てゲストハウスをオープンすることができました。
「高松は、港町だから風通しがいいのかなと思います。お遍路文化もあいまって、私のように外から訪れた人をすんなりと受け入れてくれる包容力があるんです。適度な距離で、やさしい目で見てくれているのが分かりますし、ときには自分に関係ない人のこともお世話してくれるおせっかいな面もあります。それが、私にとってはとても心地いいです。」
また、高松市内のゲストハウスの方にもよくしていただき、オープンしたてでまだ宿泊客が少なかったころは、他のゲストハウスから宿泊客を紹介してもらうこともしばしばありました。
休日を利用して高松港からフェリーで20分の女木島や認知度の高い小豆島、豊島に遊びに行くことも多いという佐藤さん。
「近い島なら午前中に島に行き、午後には帰ってこられるので、気軽にリフレッシュできるんです。また、港のそばで暮らすことのよさを実感するのは、やっぱり夕暮れ時。瀬戸内海に夕日が沈む景色を眺めるのは、最高に幸せな時間です。お昼ごはんは、よくうどんを食べに行きますね。おいしいうどんが一杯190円くらいで食べられるなんて本当に贅沢だと思います。」
最近、ゲストハウスには佐藤さんと同じように四国や瀬戸内、香川県での移住を考えている宿泊客も増えています。
「過去に宿泊された方のなかには、その後高松に移住された人もいて、今も交流があります。移住前はなにかと不安が多いので、相談できる人がいると、とても心強いんですよね。私も、高松への移住を考えている人のよき相談相手になれたらと思っています。だから、高松への移住を考えている人にはまず「まどか」に来てくださいと言いたいです。私だけではなく、他にも移住してきた方を紹介できると思いますよ。まずはさまざまな移住経験者の話を聞いて、その中で不安に思っていたことが払拭されたり、思わぬところでご縁がつながったりするのではないでしょうか。」
「ゲストハウスまどか」は、旅人はもちろん移住希望者にもやさしい場所になりつつあります。