会社を辞めて奥様の故郷である呉市にIターン
カフェの入口を入り、狭く急な階段を登って2階の窓側に座ると、眼下いっぱいに瀬戸内海の穏やかな海が広がります。目の前には、橋でつながる愛媛県の岡村島、そしてその向こうには今治市につながるしまなみ海道の島々の姿も見渡せます。
「いいでしょう、この景色。最初に訪れた時、なんて美しい風景なんだ、って感動したんです」。まるで宝物を自慢する少年のように声を弾ませる井上さんですが、呉市に移住するまで、御手洗を訪れたこともなく、自分がカフェを開くなど思いもしなかったそうです。
出身は広島市安佐北区。大学を卒業後、名古屋本社の建材メーカーで「将来、事業を起こそうと思っていたので」と営業職を希望し、宮崎県配属で7年間働きました。その仕事を辞めて、奥様の出身地である呉市に移住したのは29歳の時。当時、子どもが1歳になるタイミングということもあり、子育て環境を考えての決断でした。
会社をやめた後、ファイナンシャルプランナーになろうと思い資格も取得したものの、働く段階になって「なんか違うなあ」と感じて断念。需要や将来性を感じて、シニア向けのパソコン教室を、呉市内で奥様と始めたそうです。当時は「それだけでは食べていけない」ということで、ホテルで弁当の営業もしていました。
江戸から昭和初期の建物が混在する町並みに魅せられて
呉市で暮らすうちに、もっと呉市について知りたいと思うようになり、呉市の観光ボランティア養成講座に参加した井上さん。そこで初めて大崎下島を訪れました。呉市中心部から、島まで車で約1時間。途中、安芸灘 (あきなだ)とびしま海道と呼ばれる島々とは橋でつながっており、下蒲刈島(しもかまがりじま)、上蒲刈島(かみかまがりじま)、豊島(とよしま)を経て大崎下島に辿りつきます。どの島も美しい景色を誇りますが、中でも井上さんが心をつかまれたのは、大崎下島の御手洗地区でした。
「江戸時代の建物の中に、大正や昭和初期の淡いパステルカラーの洋館が違和感なく混在している。こんなところは他にない!と思いましたね。」
約2000人が住むこの小さな島は、車で1周約30分、自転車でも1時間余り。裏の細い路地に入れば、時間がゆっくりと流れる別世界にいざなわれます。また、島は新鮮な瀬戸内海の幸に恵まれているほか、甘味の強い大長みかんや国産レモン発祥の地としても知られており、みかんを積んだトラックや漁船が繋がれた港には、農業や漁業に携わる人々の確かな営みを感じます。
「道にはごみ一つない清潔さがあって、民家の軒先に飾られた季節の花には『おもてなしの心』が表れていますよね。コンパクトな町の中に、懐かしい景観と暮らしも残っている。そこに魅かれました。」
「この島に必要だから」とカフェのオープンを決意
井上さんが観光ボランティアとして働き始めたころ、島を訪れるのはお年寄りの団体客が多く、島内を1時間か1時間半で巡るコースが主でした。眺めのよい高台へ案内しようとしたら、「疲れたから、もうええわ」と断られてしまうこともあったそうです。
「こんな短時間の滞在では島の良さは分かってもらえない」と思った井上さん。観光客からの「休憩出来る場所が少ない」「カフェがない」という声を受けて、「もっとゆっくり島の良さを感じてほしい。ニーズがあるならやってみよう」とカフェを開くことを決断します。
「カフェを開きたいなんて、今まで思ったこともなかった」という井上さんでしたが、「美しい風景に、おいしい柑橘類という素晴らしい素材があるのだから、人が来ないわけがない」という強い思いがありました。そしてこのチャレンジを後押ししてくれたのは、ボランティアをしていた半年の間に知り合った地域の人々でした。
「観光ボランティアの方からの紹介もあって、町並み保存地区内の海岸通りにあるこの船宿を借りることができました。新しく入れたのは厨房くらいで、あとは知り合いに手伝ってもらいながら、あまり手を入れない程度に改装したんです。店内にあるアンティークの箪笥やレトロな冷蔵庫なども地域の方から頂いたものなんですよ。おかげで改修コストをかけないで準備ができました。」
カフェは約4か月でオープンへと漕ぎつけました。
2011年4月末、みかんジュースやレモンスカッシュなど4、5品のみのメニューでスタート。ゴールデンウィークには島には多くの人が訪れ、カフェにもたくさんのお客が押し寄せました。その間も、次のメニューを考えるために、あちこちから情報を集めメニュー化しましたが、「試作や、消えていったメニューは数えきれないほど」とのこと。試行錯誤を重ね、柑橘を使ったドリンクやスイーツのメニューを増やしていきました。
島のニーズに応えて4つの事業を展開。島外からの協力者、移住者も
カフェオープンの翌年に島を舞台にしたアニメ映画がヒットしたことに加え、安芸灘とびしま海道のサイクリングロードも整備され、豊町には若い観光客やサイクリストの姿も目立つようになりました。県外からのリピーターも増え、毎年、北海道から通ってくる8人連れもいるとか。
「自分が試行錯誤を重ねて考えたメニューを『美味しかった』といってもらえると、やった!と声を上げたくなりますね。窓からの風景や町並みなど、自分が素晴らしいと思っているものに訪れた人が感動してくれるのが本当に嬉しいです。それはまた、手伝ってくれる若いスタッフの励みにもなりますし、彼らも成長してくれています。ここに来て良かった、と思う瞬間ですね。」
▲島の柑橘を使った檸檬ぜんざい
現在は合同会社を設立し、カフェに加えて、雑貨屋兼ギャラリー、鍋焼きうどん屋、新しく観光拠点「潮待ち館」を手掛けている井上さん。スタッフ8人の中には、島に移住した若者もいます。「将来地域に関わる仕事がしたいからここで働きたい」と自ら門戸を叩いた地元の女子高生アルバイトもいます。カフェの改装の頃も含めると、島内・島外あわせて数えきれないほどの人たちが、井上さんが始めた活動に関わってきたということになります。
地域への敬意を忘れずに、柔軟性を持って新たなアイディアの実現へ
しかし、まだまだ島の魅力を発信しきれていないと感じているという井上さんは、すでに新しいアイディアの実現にも取り組んでいます。
「ぜひ一晩ここで過ごしてほしいんです。美しい多島美(たとうび)の海面に揺らぐ満月。それから鳥の声、さざ波、遠くに聞こえる漁船のエンジン音を聞きながら見る、瀬戸内海から昇る朝日も格別です。これを体験するためには島内に泊まってもらわないと。そのために、空き家を改装して若者やサイクリストが気軽に泊まれるようなゲストハウスを作りたいと考えているんですよ。」
▲若長の前から昇る朝日
取材中も入れ替わり地域の人がカフェに立ち寄って井上さんに声をかけていき、中には夕飯のおかずを差し入れてくれる方も。7月に行われる夏の大祭では、夫婦で雅楽の演奏にも参加するなどすっかり地域に溶け込んでいます。今は、11歳の長女の学校のこともあり、自宅のある呉市中心部と御手洗の2拠点で生活をしている井上さん。
「最近週5~6日は御手洗にいますね。自宅は呉市中心部ですが、週末には妻や娘もここにやってきます。将来的には、夫婦で御手洗に引っ越してきたいですね。」
最後に、移住を考えている方へのアドバイスを伺いました。
「最初から自分がやりたいことに固執するのではなく、その土地で必要とされていることに応じて、柔軟に取り組むのが大切ではないかと思います。地域の伝統と人々への敬意を忘れずに、筋を通すところはきちんと通すなど、地域の習慣に沿って進めていくことも必要ですね。私たちも、必要なことは衣食住など全力で支援しますよ。経営については私もまだまだですが、ここなら生活はなんとかなりますから(笑)。」
島に魅せられ、島の素晴らしさを伝えたいと真摯に活動してきたからこそ、地域の人からも信頼を得ている井上さん。井上さんのような存在は、地域の人にとっても、次に続く移住者にとっても心強いものだと感じました。