「農山村再生ゼミナール」での学び。そして、グリーンツーリズム施設での研修。
和歌山県有田郡湯浅町は和歌山県西部にある町です。古くから熊野古道の宿場町としても栄え、江戸時代には金山寺味噌や醤油などの醸造業で有名となりました。また温暖な気候や山と海を併せ持つ地形などが柑橘類の生産に適しているとされ、湯浅町でそだった温州みかんをはじめとする柑橘類は全国に知られるようになりました。
そんな湯浅町田村地区で生まれ育った井上信太郎さんは、200年以上の歴史を誇る紀州柑橘農園 善兵衛の7代目です。高校卒業後は、和歌山大学観光学部に進学。実家が農家だったこともありゼミでは興味のあった農山村再生について学びました。
「学祭の時には、みかんを配って喜んでもらったりしました。田村みかんってこの地区のみかんのブランドを知ってる学生もいて、とても面白いなと感じたんです。ただ、卒業後はすぐに就農するのではなく、一度違う仕事をしたいなと思っていました。それで、湯浅町が好きということもあり、湯浅町の職員になって何か町をおもしろくするような仕事がしたいと考えていました。」
しかし、井上さんの卒業する年には湯浅町役場の職員募集はありませんでした。
そこで井上さんが進路として選んだのは和歌山県中南部に位置する田辺市にある「秋津野ガルテン」。小学校の跡地につくられた、都市と農村の交流を目指した体験型グリーンツーリズム施設で、和歌山の名産であるみかんを学ぶにはもってこいの環境です。
地域の野菜を使ったスローフードレストランがあったり、宿泊、農作業の体験などができるこの「秋津野ガルテン」で、井上さんは2年間の農業研修に取り組みました。研修生として滞在しながら、主に農家さんのみかん畑で農作業をしたり、グリーンツーリズム事業のコーディネーター役などを務めました。そのほかにも、農作業を手伝う代わりに農家さんに寝食を提供してもらう「農村ワーキングホリデー」や、和歌山大学の講義にも関わるなど経験の幅を広げていきました。また、研修期間中でもプライベートで、農家民泊の仕組みをつくった大分県の安心院(あじむ)町で、初めて民泊の受け入れをしたというおばあちゃんの家に泊まりにいったり、農村ワーキングホリデーのメッカである長野県飯田市を訪れたりと、興味の赴くまま精力的に学んでいきました。
農業。地域交流。学んできた様々な点が線になっていく。
井上さんは「秋津野ガルテン」での研修中、「東大みかん愛好会」の存在を知りました。「東大みかん愛好会」は、「みかんの消費量を増やす」を理念に掲げて活動してる日本初のみかんに特化した大学生のサークルです。ピンときた井上さんは連絡を取り、みかんを贈りました。その後、井上さんが東京出張する際に東大へ出向き、「東大みかん愛好会」の当時の代表だった小池直人さんと食事を共にとったりと、井上さんと「東大みかん愛好会」は交流を深めていきました。
県内だけでなく県外ともみかんを通じて交流を広げていった井上さん。2016年6月に湯浅町に帰り、実家である農園で就農しました。同時に農園の名前を「紀州柑橘農園 善兵衛」と改名します。
「この地域ではそれぞれの家に屋号が付いていて、僕が市場に行った時は「信太郎」ではなく、初代の「善兵衛」の名前で呼ばれるんです。だから「善兵衛」としてしまった方が分かりやすいし、その名前でやったらいいんちゃうかなって思ってそう決めました。それに、何もないところからみかん農家を始めた初代は凄いと感じていて、初代の名前をつけたかったという思いもありました。」
みかん農家になった井上さんは、みかんや農法についても学びを深めています。
「品種はもちろん、作り人によってもみかんの味って違うんです。なんでこの味になるんやろって知りたくて、いっぱい買って食べました。そこはお金払おうと思って。両親に教わることもありますけど、ひとりでいろんな農家さんのところに教わりに行ったりすることも多いです。この地域には、篤農家(とくのうか)って言われるすごい技術を持った農家さんが多いんで、そういう人に教えてもらってます。僕はまだまだ程遠いですけど、技術を学ぶのは面白いですよね。」
みかんづくりに励んでいた2016年8月。交流を続けていた「東大みかん愛好会」のメンバーが、翌月に湯浅町田村地区を訪れることが決まりました。
「受け入れたいと思ってたのですが、そのための場所がなくて。自宅には家族が暮らしているので自宅に来てもらうのは家族の負担になる。そんな時、空き家になっていた親戚の持ち家を自由に使っていいと言ってもらったので、お借りすることにしたんです。」
タイミングよく、空き家を利用できることがきまった井上さんは、一軒家の掃除や整備をするため、地元の同級生に声をかけました。集まったメンバーは看護師、メーカー勤務、町役場職員など、職業もさまざまです。今回の受け入れだけではなく、今後のことも見据えながら、どんな場所にしたらいいだろうと、みんなで意見を出し合いました。
「自分たちが来たくなるようなところがいいな。そうじゃないと外の人は来ないんじゃないかなと思って、それで『わくわくするところがいいよね。』って話していました。それで、大人の秘密基地みたいにしたいという思いから、紀州の家で”紀家(きち)わくわく”という名前にしました。最近はみんなここのことを「わくわく」って呼んでますね。徐々に浸透してきた感じです。」
都市と地域の交流拠点「紀家(きち)わくわく」スタート!
井上さんは、これまでの経験と知識を活かして、”紀家(きち)わくわく”を拠点とした農村ワーキングホリデーを受け入れるようになりました。農作業を手伝ってもらう代わりに、宿泊と食事は用意する。お金のやり取りが発生しない形での受け入れです。学生の滞在期間は、最短2日・最長で1ヶ月にも及ぶと言います。地域のみかん農家の人手が増え、みかんのことを都会の若者に知ってもらえる。そのための拠点を完成させました。また、「紀家わくわく」は、利用する学生と地域との交流にも一役買っています。
「大学生を中心に受け入れしてて、みかん愛好会のメンバーがほとんどですね。みかんが当たり前にある環境で育った地元の人たちにとっては、みかん好きの大学生というのは珍しく、どんな人が来ているのか興味があって会いに来ています。愛好会のメンバーも、地元の若者に会えるのを楽しみにしてくれていますね。」
地元との交流が生まれ、井上さんの友人を中心に、「わくわく」の運営に協力してくれる人も少しずつ増えてきています。
「電気代とかガス代がかかってくるので、運営費を捻出するために月に1回「ごろり会」という食事会をして、会費を集めて、浮いたお金を貯金して運営に回しています。目処が立ったのでwifiも入れたんですよ。」
わずか1年とは思えないスピード感で、”紀家(きち)わくわく”は成長しているようです。既に井上さんはその先を見据えています。 「ここでの交流に関しては、一軒ではもうキャパを超えてきているなって思っているんです。学生たちもこの一年で延べ100人くらい来てくれていますし、地域の人含めて出入りする人は300人を超えてるんです。ハード面を充実させたり、もう1軒つくるとか。ちょっとでもお金が発生するような事業にしていけたらいいですね。」
みかんを通じた自身の活動を、地元である田村地区を巻き込んだ形に発展させた井上さん。その活動の幅をどんどんと広げ、みかんの魅力だけでなく、生まれ育った田村地区の魅力を伝える毎日を送っています。SNS発信を始めとして、和歌山県のPRイベントに登壇したりと、様々な媒体でみかんと田村地区の魅力を発信しています。
また、今年9月には「日本みかんサミット」の運営にも携わりました。このイベントは「東大みかん愛好会」の元代表の清原優太さんを中心とした「日本みかんサミット実行委員」が企画したもので、全国から生産者や加工・販売業者、研究者など約200名が参加し、産地、業種の垣根を越えて交流する場です。昨年鹿児島県で初めて開催され、2回目となる今年の開催地は和歌山県湯浅町でした。井上さんは実行委員のメンバーとして奔走しつつ、自身も登壇し、他のみかん関係者との交流を深めました。
「ここの地域で生きて行く」ブレない姿勢で進むべき道を見つめる
井上さんの今後の取り組みについて聞いてみました。
「ここの地域で生きていこうかなと思ってるんです。田村っていう地域のアイデンティティはみかんなんですよ。だからみかんが廃れたら嫌なんです。全国の産地と手を取り合えるところは取り合って、一緒に何かできないかって思うんです。そうしたら他の産業にもこういうことしてるよってこと見せられるかなって。『みかんってちょっと元気やな』って、みかんにちょっとでも興味を持ってくれる人が増えたらいいなって思ってやってます。」
みかんのことを想う気持ちは地元のことを考えることと同じ。みかん農家であり、みかんの一大産地である田村地区で生まれだった井上さんだからこそ、想いの詰まった一言でした。すでに進むべき道をしっかり見据えた意志を感じます。
みかん農家に生まれ、農業を通じた町づくりや他地域との交流に興味を持つ。きっと地域にとったら井上さんの存在は光なのではないでしょうか。
「いやあ、好きなことやってるだけですよ。僕の知り合い同士が、僕のいないことろで繋がってくのも面白いし。こうやって集まってるのも楽しいからやってるんですよ。」
パワフルな行動力とは裏腹に、こんなことをさらっと言ってのける井上さん。「好き」の原動力の力強さを示しながら、全方位にさらなる余波を広げていきそうです。