日本の和装文化を支えた「丹後ちりめん」
与謝野町は2006年3月1日に3つの町が合併して誕生した比較的新しい町で、面積約108平方キロメートルの範囲に約2万1千人が暮らしています。この土地では山々から流れる豊富で良質な水に恵まれ、古くから農業や織物業が盛んに行われてきました。中でも「丹後ちりめん」は、地域住民の暮らしを支える基盤産業として発展してきました。
江戸から昭和初期にかけて隆盛を誇り、日本の和装文化を支えてきた丹後ちりめん。当時の繫栄の様子は重要伝統的建造物群保存地区「ちりめん街道」にその名残をとどめています。2017年4月には与謝野町を含む、丹後地方2市2町の『300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊』が文化庁より「日本遺産」の認定を受けました。生産量が減っているとはいえ、今もなお、機織りの音は途絶えることがなく、鳴り続けているのです。
産地の強みを生かし、与謝野町から世界へ
「丹後ちりめん」文化を継承する新たな存在として、国内外から注目されているのが伝統・ファッション・芸術の3つを融合させたブランドを展開する「KUSKA」です。手がけるのは与謝野町出身で、1936年創業の「楠嘉(くすか)織物」の3代目にあたる楠泰彦(くすのき やすひこ) さん。家業を継ぐまでは東京で建設関係のモノづくりに従事する傍ら、サーフィンで日本全国を飛び回っていたという経歴の持ち主です。地元に戻ってきたのも世界的に有名なサーフィンのメッカが与謝野町の近くにあることを知ったことがきっかけでした。現在、昔ながらの手織り技法を生かし、今のライフスタイルに合わせた服飾製品を提案しています。
「与謝野町に帰省したときに職人さんが丁寧に手織りしている姿を見て、他の地域にはない大きな可能性を感じました。「選定」「撚り」「織り」「精練」「染色」「加工」といった織物にまつわるさまざまな分業技術が地域に集約される「産地内一貫生産」が今でも続いていることに大きな強みを感じたのです。」
楠さんはすぐさま東京から与謝野町に住まいを移し、2年間の織物の修行を経たのち、「丹後ちりめん」の可能性を模索し、オリジナルブランド「KUSKA」を立ち上げました。
試行錯誤の末、主力商品としたのは「丹後ちりめん」を使用したネクタイやストールでした。色柄や形といった表面的なデザインではなく、素材の選定から吟味し、そのテキスタイルをイメージして形にする手法で、オリジナルの手織り機を一から手作りするなど、伝統的な手織技法を駆使したオールハンドメイドにこだわりました。
まさに産地としての最大の強みを活かすことで、他社にはない独自性が生まれたのです。そして、販路として、かつて楠さんが住んでいた東京を選びました。
「東京自体がグローバルマーケットで、東京で評価されるものは世界でも評価されるという思いでターゲットエリアを東京に置きました。東京に住んでいたからこそ、「こういうのを作ったら勝負できる」というイメージを持てたことも大きかったと思います。今はまさにネット社会なので、都会と地方のボーダーラインはなくなってきていると感じます。」
楠さんの思いはブランドを立ち上げるだけでは終わりません。自社製品だけでなく丹後の織物業者の新たな取り組みを発信する「THE TANGO」というWEBメディアを立ち上げました。そして、それぞれの織物業者の特色を活かしたメイドイン丹後を紹介することで丹後自体をブランディングし、国内外に発信したのです。
「これからさらに市場が成熟して、若い世代の方々がマーケットを引っ張っていくようになると、産地のものや工芸品など「継承されてきた技術」に、より価値を見出してくれると思います。そうなるように我々としても尽力していきます。」
“モノづくり”に関われることが、与謝野町で働く最大の魅力
「丹後ちりめん」を利用した新ブランドに心を惹かれ、「KUSKA」の門を叩いた若者がいます。和歌山県出身の川端さんです。
大阪の服飾専門学校を卒業後、与謝野町内にある紳士服の縫製会社を経て、「KUSKA」に入社を決めました。最初は与謝野町にいながらも、織物産地とは知らなかったそうです。しかし、SNSを通じて「KUSKA」の存在を知り、工場見学を願い出て、今に至ります。
「手織りに特化した織物工場が、ブランドをやっていることにとても魅力を感じました。今は主に、工房で機織り作業と手織り機のメンテナンスを行なっています。一般的に見れば工芸的なものを作っている工場という括りになるかもしれませんが、私たちとしてはブランドをやっているという意識です。」
「与謝野町は、丹後ちりめんを300年織り続け、培われてきた技術が産地としての強みであり、その強みをベースにしながら展開できるブランドは世界的に見てもないと思います。さらに作り手でありながらも、私たちはダイレクトな流通を実践しているので直接エンドユーザーに届け、声を聞くことができます。それがやりがいにつながっていますね。」
川端さんに「与謝野町の魅力は?」と投げかけると満面の笑顔で「モノづくりができる環境がそろっていることですね」と返ってきました。地方にいながらも世界と戦うことができるものづくりに関われる。まさにそれこそが、「丹後ちりめん」に関わる職人たちのやりがいを支えているのでしょう。
民間と行政が手を組み、与謝野町の魅力を発信
川端さんのような与謝野町への移住者を増やす試みは行政と民間が手を取りあって行なっています。その一つが「織物ファクトリーツアー」です。実際に活躍されている職人とモノづくりに興味がある人たちとをつなぐ、交流人口の増加を目的にしたプログラムです。3回目となる2020年度はオンラインで行われ、「KUSKA」も事業者のひとつとして参加しました。今回、与謝野町商工振興課の高橋さんにお話を伺いました。
「『織物ファクトリーツアー』は機屋(はたや)さんの訪問をメインとしながらも、与謝野町の美味しい食べ物や暮らし方の雰囲気を感じていただくプログラムです。2020年度はオンラインで開催し、求人を募集している、もしくは募集する予定のある事業所を対象に、産業を伝えるだけでなく移住定住や就職につなげる取り組みとなっています。伝統工芸や伝統産業に興味のある国内外のたくさんの方に参加いただきました。」
「実際に参加された方の声としては、『ちりめんの美しい光沢が画面からも伝わります』『かなりの時間を要した貴重な織物ですね』といった好感の声をたくさんいただきました。今後は、実際に与謝野町にご訪問いただき、リアルな工房見学を通して、丹後ちりめんに関わる職の魅力を感じていただきたいと思います。」
与謝野町では、「ひらく織」というプロジェクトを展開し、与謝野町の次世代を担う若手織物業者が全国の産地を訪問し、織物事業者と交流する取り組みをしています。その様子をウェブサイトでも発信しており、交流を通して得た知識や技術を活かし新商品の開発を行うなど、織物の可能性をひらいています。まさに「KUSKA」のように世界に展開する事業者をさらに生み出していこうとする試みです。
「与謝野町においては行政と事業者が一緒になって地場産業を盛り上げ、維持していくという取り組みを盛んに行なっています。KUSKAさんのような企業が街にたくさん生まれてくると、町自体がさらに魅力を増すと思います。」
市町村を越え、ちりめん文化継承に向けて注力
2020年に創業300年を迎えた丹後ちりめん。それを丹後地域のものづくり産業文化と地域の魅力を広く発信する機会ととらえ「丹後ちりめん創業300年事業実行委員会」が設立されました。
与謝野町も、この実行委員会に、丹後2市2町(宮津市・京丹後市・伊根町・与謝野町)の行政・商工・観光等関係機関と一緒に参画しています。
「丹後ちりめん創業300年事業実行委員会」では「TANGO OPEN」といった新たなブランドを立ち上げ、日本のみならず、世界に展開しています。今後、与謝野町と事業者との更なる連携により、新たな町の魅力が生み出され、発信されることでしょう。
さて、最後に「KUSKA」で働く一人の女性の言葉をご紹介します。
「ここに来て初めて機織りを経験しました。糸が立体的に織り合い、布として仕上がっていく過程を幸せに感じます。見る角度によって色が違って、本当に美しいんです。
ある時、自分の子どもに『おかあちゃんが織ったネクタイをつけてみない?』と言ったら、『別にいらん』って断られました。しかし、成人式の日、織ったネクタイをつけてくれて、それから『またつけてもいいで』と言ってくれるようになりました。
やはり良いものは年代を問わず伝わるのだとうれしく思いました。丹後ちりめんは決して安いものじゃないけど、その価値をわかってくれる人が必ずいます。そういう人たちに届くように心込めてこれからも織り続けたいと思います。」
この言葉にこそ、与謝野町でモノづくりにかかわる喜びが込められているのではないでしょうか。今こそ、生き方を見直すとき。ぜひ与謝野町で新たなストーリーを刻んでみてはいかがですか?
KUSKAでは、ただいま求人募集も行っています。また、工房見学やオープンファクトリーも随時受け付けているそうなので、興味がある方はぜひ問い合わせをしてみてください。