水源地「川上」から流域にわたる恵みを、ぐるりとたぐり寄せるやまいき市
川上村は奈良県から和歌山県に流れる吉野川紀の川の源流の村。紀の川水系とも呼ばれる吉野川紀の川の流れは大台ケ原から紀伊水道へ。水系が豊かであることも関係して、川上村では「森と水の源流館」を中心にエコツーリズムが発達しており、人のネットワークが流域に渡っています。
そのネットワークを活かして活動の輪を広げているのが、かわかもん3年目の村上航さんが取り組む「村内での流域の産品の物販」です。村上さんは千葉県出身で大学では法学を専攻。旅行が好きだったこと、社会的企業に関心を向けていたこと、海外インターンに行ったこと。これらが村上さんが国内の地域課題に関心をもつようになったきっかけで、大学4年生に在学時から、川上村地域おこし協力隊となりました。吉野川紀の川流域の産品を販売する舞台は、「山を活かす」「山と生きる」をコンセプトにおいた「やまいき市」です。
朝市の仕入れ先のひとつ、和歌山県和歌山市雑賀崎にある「さんまや」。さんまやの店主の中井さんが扱っているのは「灰干さんま」で、先代はなんとあの明石家さんまさんのお父さんから手法を学んだとのことなのです。中井さんの商品が注文でよく出る季節は、お中元とお歳暮のシーズンであり、他にデパートなどにも卸しています。「かわかもん」と関わりを持つことに対し、中井さんは商品とお客さんの最初の接点を増やすことへの期待を寄せています。
先を見据えてはりめぐらす、流域の網、人の網
朝市の前日に仕入れに向かった村上さん。和歌山県和歌山市加太は「鯛」がメインの漁港の町です。村上さんの仕入れ先の「和歌山加太丸」の加美さん親子は、4年前から鯛の干物を作り始めました。
「鯛の干物を作り始めたのは、規格外のサイズは値段の低下ばかりが目立っていたもので、捨てるような魚ならいっそ干物を作るか、ということからなんです。」
加太で干物を扱っているのはここ1件だけ。そんな加美さんは川上村の朝市に商品を出すことをどう捉えているのでしょうか。
「この町では、加工して売るということはまずないんですよ。水槽で泳いでいてこその魚であり、それらを主に大阪、京都、奈良、神戸、東京、名古屋へ出荷しています。ただ、結局のところ加太から外へ出てしまえば、鯛は鯛なんですよね。紀の川の河口にある加太、それをどうブランド化していくかという時に「流域」に着目すると、加太の立地の特徴である『潮の流れが激しく、真水との合致点でプランクトンが湧くためエサが豊富だ』ということをPRできます。」
仕入れる魚の脂ののり具合などの状況次第で、味のこしらえ方が常に変わる相手を前に、干物づくりに完成はない、とおっしゃる加味さん。
息子の椋也さんが魚屋の道へ進みたいと決めた年が、加美さん親子が干物づくりの開始した年と重なること。保存料を使わず、父の安司さんが漁で釣る以外には、信頼できる漁師さんから、扱い方をきめ細やか依頼しながら仕入れていること。そこには物事を始める際の、先を思いやった決断があり、いずれも、村上さんが大切にしている「流域に関係づくりを渡らせる」上で欠かせない、相手を見やったビジネスが成立していました。
村上さんは「やまいき市」に関わる流域のネットワークを築きながら、「やまいき便り」という月刊の情報誌にて、構成とデザインを担当しています。また、吉野川紀の川の流域をめぐる環境学習の事業が行われている際に、「森と水の源流館」の局長の手となり、学校の先生向けの環境学習をテーマにおいたワークショップで、学校の先生向けの環境学習をテーマにおいたワークショップの企画・運営にも携わりました。
何回も関係者のもとへ足を運び、取材情報や魅せる写真を得ながら、次のタームへつなげていく。そんな丁寧で着実な仕事運びをする村上さんが川上村で過ごした3年間の時間に、そしてこれから「かわかもん」に引き継がれていく流域にわたる関係に、十二分に信頼を乗せるものになったに違いありません。
やまいき市、今昔、そしてこれから・・・
流域の産品が加わるよりも前。やまいき市が始まったのは、2014年にさかのぼります。村上さんと一緒にやまいき市に取り組んでいたのが、かわかもん2年目の神保大樹さん。村のおかあさん方が育てた野菜を集荷し、販売する朝市を開始したのが夏。秋には大阪へマルシェの出店や、実際に野菜を味わっていただく機会「やまいき食堂」としてカフェでのランチ出店を行いました。
この経験を通し、神保さんは川上村の野菜としての付加価値をどこにつけるのかを考えるようになり、試行錯誤は木桶・木樽を用いた発酵、加工食品にいきつきます。神保さんはウスターソースや白菜の漬け物を、木桶・木樽で仕込むことを考案し、ワークショップを実施。
木樽×発酵をテーマにした、今後の展開に期待が高まります。
やまいき市の野菜の作り手、村のおかあさん方はかわかもんのファン?!
朝市に出す野菜の集荷は、当日の朝に実行。朝8:00に集合し、村のおかあさん方からの野菜集荷のための巡回が始まります。集荷に行く時間はあらかじめ決めてあり、受け渡しポイントを1つずつ回っていきます。
指定の時間に受け渡しポイントで待ち、直接受け渡しされることが多く、場合によっては車の中のトランクなど決まった場所を決めて、そこから持っていくというかたちもあります。「神保君が値段をつけて!」という、つつしみ深さと信頼によって、価格を決定する場面もありました。
顔を合わせて会話をし、販売したものが余ったら生産者のおかあさん方にお返しする。そんな人が手をかける循環が、そこにありました。循環への細やかな配慮として、野菜の種類ごとに売上が良かった、あるいは余りが多かったなどの情報を週ごとにまとめ、需要と供給のバランスを図ろうという取り組みもされています。
「やまいき市に野菜を出荷し始めてどのくらいになりますか?」
おかあさん方にお聞きすると、みなさんに共通して、実際の年数よりもずっと長くやっている感覚があるということがわかりました。地域に溶け込みつつある中で、やまいき市のメンバーのファンも増えてきているとのこと。つまり、それだけ体感時間が長く、顔を合わせる機会が多さや付き合いの深さが生まれていることがうかがえます。
村民の視点を変えるは若者の視点、それを支えるのは協力隊の協力隊
新しい活動を3年間という限られた期間で実行すること。その時間は長いか、短いか。川上村には現在、1年目から3年目までが2~4人ずつ揃っていて、入ったタイミングごとに状況は変わってきています。入ってからなにをやったらいいか、と探し、色々な人に会ってからものごとを進めてきている協力隊もいれば、先輩協力隊のプロジェクトに入り、人を紹介してもらいながら進めている協力隊もいます。
「協力隊だけでは何もできなかったと思います。村民に秀でている人がいるから頼っていて、村民に協力隊の協力隊が沢山いるんです。普段から、仕事など目的があっての付き合いではなくて、個人的に親しいという付き合いがあると、お願いできる関係にあります。そういうことをしながら、いろいろなことに挑戦できて、自分の事業を作れて来たのかな、と思っています。」
こう振り返る神保さんが大学生の時に通っていた先が、元々林業を営んでいる大辻さんでした。
「人間はいろんな経験をつけて大きな木になればいいと思っておって、枝も細ければいい木になれない。1つの目標に向かってまっすぐ進むこと。物事知らなかったとしても、人間色々、人に聞くことで、10人もいればお互いに補い合える。」
こう語る大辻さんも「地域おこし協力隊の協力隊」
川上村で地域おこし協力隊の制度の導入がはじまった当初から、協力隊自身にとって、「村でしたこと」や「川上村にいた時間」自体が価値になり、若者の成長のために非常に良い制度だと注目してきました。
「村民の目先を変える若者の感覚や。我々川上の人間だけでは、『また話しようか』、『もう時間遅いからまた今度話しよか』、といって終わるんや。村と村民とが一緒になって村づくりしようや、というときに村民だけではあかんねん。色々なことが得意な人がいるのだから、川上村にはこういう人間がおります、ということを洗い出して、協力隊が村民へ積極的に自分を売り込んでいくこと。人財が大事なんや。」
協力隊が生み出すもの、それは殻を破り合う関係
大学在学中から「共存の森ネットワーク」の取り組みで川上村に足を運んでいた神保さん。当時は「林業をしたい」と思い、森林組合に応募もしたそうです。ただ、通う中で生活の拠点がないと浅い関わりしかできなかったこと、実際に村民の利益や自分の将来につながることまで行動することができなかったということにもどかしさを抱え、以後も関わることの先を見出せず、「川上村にはもう来ないかもしれない」という思いまで抱えていました。そんな神保さんに地域おこし協力隊を勧めたのが大辻さん。
「一番先を歩いていて、共存の森ネットワークのリーダーだった神保は、取り組み方がきちんとしているとわかっている。こういう子が入ってきてくれたら、と思ったんや。」
協力隊の事務所は役場のすぐそこにあり、定期的にミーティングを行っています。
協力隊の仲間がいるから、自分一人ではできなかっただろうこともできる。協力隊を支え、認めてくれる村民の方が多く、目の前の協力隊の取り組みへ「うれしい、ありがとう」という感謝の声が寄せられるも、それに満足せず仕事として成立するところまで活動を発展していきたい。そのためにはただ漫然と取り組むのではなく、自らがやりたいこと、関わりたいことの軸を定めて努力し、この先どのような位置で関わりたいのか、関われるのかということを見出していく…。
村民はそんな風に思っている協力隊に対し、自分のところへ来ることが当たり前のように感じるようになり、彼らのファンになり。
日々の中への協力隊の溶け込みが、すっと先を見せてくれるような心持ちになりました。
ふと寄りたくなる、ふと行きたくなる憩いの場所の存在
村で企画したイベントの関係で、村上さんが最初に関わりを持ったのが渓流の音が届くしずかな宿、朝日館。
「何かしようと言うことでは、みんなだんだん手を引いていってしまうんです。漠然とした目標があって何かを村でしましょう、と言われても難しくてねえ。ある目標があってそれに向かってということだとお手伝いできるこ
こう思いながらも、イベントに関わりを持ち続けるおかみさんのいる朝日館は、周辺の村民にとっても協力隊にとっても、ほっとしたい時にふと寄る場になっています。協力隊のみなさんとおかみさんの関係は「若い力でお手伝いすることがあったら」ということから始まり、畑仕事、タケノコ掘り、お茶摘み、空き家の解体など含め、朝日館をめぐる暮らしの中で育まれました。そして、お手伝いをする代わりに、しばしば一緒にごはんを食べ、おかみさんが大切にしている「地産地消」の観点から協力隊が企画するイベントにアドバイスをしたり、お弁当を提供したり、とお互いにエネルギーを補給し合う間柄になっています。
「地のものを使って、お客さんに喜んでほしいと思っているんです。彼らと話していると、田舎らしさとかをよろこんでくれたり、『ああ、そうかあ』と思うような視点をくれたりして、自分の思いと通じるところがあってね。こういう風にしてみようかな、ああいう風にしてみようかなと思う、励みになるんです。いろんなアイデアを呼び起こしてくれるというか、呼び覚ましてくれるというか。」
あたたかく、協力隊を迎え入れてくれるおかみさんの存在感。かわかもん2年目の竹中雅幸さんは、前職で登山ツアーを提供する会社に所属していた経験を生かして、昨年おかみさんにとっておきのプレゼントをしました。それは・・・
おかみさんが一生に一度は行ってみたかったという「富士山登山」の実現!
おかみさんの状況を見ながら、こまめに連絡して状況を整え、いざ足を向けた先、心が折れそうになるおかみさんを鼓舞しながらの道中。お互いを思う信頼の結晶が、頂上まで導き、無事の登頂。2人で最高の景色を眺めることができました。
「だんだん、おかみさんと協力隊の関係が変わっていっていると思うんですよ。最初に(村上)航くんがおかみさんと知り合っていたから、ぼくが入りやすかったと思いますし。これはおかみさんに限ることではなくて、他の村民との間でもそんなかたちで関係を結べているんだと思います。」
おかみさんと思いを通わす暮らしの中に、「かわかもん」が今まで築いてきたことがうつります。
チャレンジを支える屋台骨の太さは、吉野林業の大木級?!
かわかもんの活動報告会を昨年末に実施すると、300人収容のホールに満杯。その数は全村民の1/5にあたります。それだけ関心や思いを寄せられる存在にまでなったかわかもんと村民の関係は、これからのチャレンジを支える大きな支えであるに違いありません。
「なんでもできるようになりたい」と言って入ってきた協力隊に対し、「俺はなんでもできるようにはなりたくない」と語る川上村役場定住促進課の松本さん。その言葉の裏には、やってくれる人が大勢いてくれた方がいい、みんなでできるようになりたい、という思いがあります。