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2018年2月16日 ココロココ編集部

ふるさとのない僕が郷土芸能を学ぶ旅~春を呼ぶ「えんぶり」編~

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全世界の各地域にはいろんなお祭りや芸能・文化が存在します。
きっと何千何万という数の郷土芸能が日本にも存在するのでしょうが、
東京生まれ東京育ちの僕には、あまり馴染みのある芸能ってないんですよね。

これまで「ちゃんと見た」と言えるのは岩手県遠野市小友町の小さな集落、鷹鳥屋の「しし踊り」(過去にこちらでも紹介してます)くらいでしょうか。

この「しし踊り」を見た時の鳥肌が立つ感覚は忘れられません。
その時踊っていたのは中学生の男の子でしたが、とにかくパワフルで神懸った踊りに圧倒されたことを覚えています。
・・そんな、あらゆる郷土芸能に(恐らく)共通する課題の一つが後継者不足です。

この辺りの話に関してはずぶの素人なのですが、地域をテーマに働いていると切っても切れない関係にあることを考えさせられます。

今回は、先日の青森県滞在の際に見てきた八戸市周辺に伝わる郷土芸能「えんぶり」のことを少し紹介したいと思います。

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えんぶり(朳)とは

提供:八戸市

「えんぶりは八戸市を中心とした青森県三八上北地方と岩手県北地方に伝わる豊作を祈願する祭りです。」(デーリー東北:2018えんぶり特設サイトより抜粋:http://feature.daily-tohoku.co.jp/web2/matsuri/enburi/enburi2018.htm)

新年のお祝いごとや豊作祈願の郷土芸能で、名前は農機具の「えぶり」に由来し、踊りは稲作の一連の作業を表し、えんぶりを踊ることを「摺る(する)」といいます。
約800年前からある言われており、1979(昭和54)年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。

地域ごとに「組」が存在し、それぞれ踊りやルールが少しずつ異なっていますが、テンポの速い「どうさいえんぶり」と古くからの型と言われゆったりとした「ながえんぶり」の2系統に分かれています。

現在は圏域内には、町内会や消防団単位で組織された34組が残っているとのこと。今回はそのうちの2つのえんぶり組にお話を伺うことができました。

E(えんぶり)ターンした石橋祐さん

1組目は八戸市の「十一日町えんぶり組」。現在は大人と子ども合わせて40名ほどが所属しています。

石橋祐さん(右)と組の親方である石橋晃寛さん(左)

お話を聞いたのは石橋祐(たすく)さん。
祐さんは大学進学と同時に上京し青森を離れながらも、えんぶりへの想いを捨てきれず、社会人3年目の年に帰郷してきました。UターンならぬEターンというわけです。

「4歳の時から初めて、もう20年以上になります。親がやっていたので練習についていって見よう見まねで覚えました。」

「東京にずっといるつもりはなくて、戻るつもりではいたんです。大学生の時はこの時期には帰省して練習や祭りにも参加していましたが、社会人になるとそうもいかない。えんぶりをやりたくなって帰ってきた形ですね。」

えんぶり摺りには、大きくわけて4つの演目があり、その合間に子どもによる祝福芸が披露されます。また、農耕馬の頭を象徴する半円形の烏帽子(えぼし)をつけた踊り手「太夫(たゆう)」は主に若い男性が担当します。

つまり、子どもの数、若者の数が減れば、当然組の存続にかかわってくるのです。

えんぶり摺りの練習をする祐さん

今も町内会や消防団単位で続いてはいますが、現在は町内の住民だけではなく、他の地区や会社の知り合いなどからの参加も認めているといいます。

さらに、変わったのは担い手の数だけではありません。
昔はえんぶりのために仕事や学校を休むこともあったそうですが、現在はそうもいきません。

小さいころから当たり前だった光景を守るために、祐さんも危機感を感じていました。

「ほかの子たちは、中学生ごろで部活に打ち込んだり、恥ずかしいという感覚が芽生えてえんぶりから離れる人もいますが、自分はえんぶりを辞めたいという時期は全くありませんでしたが、そういう話を聞いていると少しずつ使命感も出てきました。伝統を守っていきたいし、少しでも多くの人に知ってほしい。この地域やお祭りを盛り上げたい想いもあります。」

毎年2月17日~4日間行われる「八戸えんぶり」のお祭りのため、1月末から3週間は毎日、消防団の詰め所で練習が行われます。

練習には保育園から小学生ほどの子どもが10人ほど、笛や太鼓、歌を唄う大人や保護者が10人ほど集まっていました。

えびす舞

子どもたちが踊る「エンコエンコ」と呼ばれる舞、恵比寿様が鯛を釣り上げる「えびす舞」、そして烏帽子を地面にこすりつけるように大きく首を振り踊る「摺り(すり)」の練習が続いていました。

時には厳しく指導する親方の晃寛さんが修復した昭和初期の烏帽子を見せてくれました。
「それぞれの烏帽子は神様を表している。恵比寿様や狐様など、いろんな願いが込められているとても大事なもの。これからも受け継いでいくことが重要だと思います。」

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途絶えた地域のえんぶりを復活させた「鳥屋部えんぶり組」

続いて話を聞いたのは、八戸市と南東に接する階上町(はしかみちょう)の「鳥屋部(とやべ)えんぶり組」。

このえんぶり組は、大正13年頃に流行したスペイン風邪で踊り手が相次いで倒れたことなどが影響し、昭和50年頃まで「えんぶり」を休んで(途絶えて)いたといいます。

昭和50年頃、地域の青年団に所属していた久保沢喜一さんらは三戸郡の大会(行事)に出るため、何の出し物をするかを考えていたそう。そんな時に地元にもえんぶりがあるらしいと聞き、仲間を集めて復活させたそうです。

復活時の一人で現在は組の親方を務める久保沢喜一さん(右)と松川純悦さん(左)

「八戸にえんぶりがあることは知ってたけど、ここにあるとは全く知らなかった。唯一休む(途絶える)前に踊りをやっていた爺さんが生きていて、そこに教えてくれって頼みに行ったんだ。復活した舞を見て、涙流して喜んでくれたよ。」

それから復活した鳥屋部えんぶり組も現在は学区の子どもたちだけでなく、他学区の子どもたちも受け入れている。
「この間は学校に来ていた外国の人も踊りに通っていた。お祭りのほかに結婚式とかお祝ごとにも呼ばれて踊ったりするけど、みんながみんな来れるわけじゃないからね。」

この日は「階上早生(わせ)えんぶり祭り」。
一足早い春の象徴を見ようと会場には多くの人が詰め掛けていました。

今日がデビューという太夫役の男性や小さな女の子。それぞれ踊りがやりたいと入ってきたといいます。

烏帽子製作者でもある栁澤義美さんは、えんぶりの伝え方についても話をしてくれました。 「今日は30分でお願いしますって言われてるけど、本来は最低でも1時間はかかる。全部が物語になってるから、それで意味が分かるようになってるから。」

烏帽子製作者の栁澤さん(右)

苗を植え、育て、稲を刈って倉に納めるまでがえんぶり。
踊りや仕草、口上の一つ一つに意味があることを教えてもらいました。

数年前に流行った1分ネタのお笑い番組で芸人さんも同じようなこと言っていたな、なんて思い出したりしましたが、
昔から続くものの意味や意図を理解することは簡単ではなく、逆に伝えることにも労力が必要であることも改めて感じます。

ただ、地域に根付いているものを残していくことは、崇高で特別で敷居の高いものと思っていたけれど、そうではないのかもしれません。

今回えんぶりに打ち込む皆さんに出会って、こんなにも地域に根付いているものがあること、えんぶりによる人の繋がりやコミュニティがあることを素直にうらやましいと感じました。

逆に、祭りの時期に沢山の人が帰ってくるという、こんなにも人を惹きつけているえんぶりの魅力と引力の強さも感じます。

子どもも、大人も、笛も太鼓もあってのえんぶり。大人のものでも、子どものものでもなく、女性でも参加できる芸能である「えんぶり」は、人と人、世代と世代をつなぐものであると言えるのではないでしょうか。

春の訪れを知らせる「八戸えんぶり」は今週末2月17日から21日まで。
市内各所で見ることができます。

https://hachinohe-kanko.com/10stories/hachinohe-enburi

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