収入の得られない過酷な農業の現実
標高400~900mの準高原地域に位置し、榛名山を背景に浅間連山を遠景に臨む倉渕地域。戦後の食糧難の時代に開拓された土地で、山の斜面を利用した棚田のような畑が点在している。
「手塩にかけて育てた野菜が、市場へ出荷されると、不当な価格で取引される時代だった」と語るのは、「くらぶち草の会」代表の佐藤茂さん。
▲「くらぶち草の会」代表・佐藤茂さん
開拓した土地で希望をもって農業に勤しむ日々だったが、1985年に父親が他界。農業の知識も技術もままならないなかで農家を継ぐことになったが、家族3人で働いて、一般的なサラリーマンが1人働く賃金と同程度だったそうだ。
「農業を続けていても夢が持てない…」
家族3人で暮らすのがやっとという状況で、農業を続けていくことの過酷な現実と向き合い、サラリーマンとして働くほうが良いのではないかと考えることもあったそうだ。
しかし、離農の選択肢もあった茂さんがとった行動は、無謀かつ大胆な挑戦だった。
10,000枚のチラシをみずから配って契約栽培に挑戦
「父親が開拓した土地を手放すわけにはいかない!」
離農のほうが、今より楽になると思いつつも、農業を続けようと決意した理由は、父親が苦労して開墾した土地があったからだ、と茂さんは語る。
しかし、それまでと同じように市場へと出荷するだけでは十分な収入は見込めなかったため、茂さんが選択したのはみずから価格を設定できる“契約栽培”という新たなスタイルだった。
あるときは、10,000枚のチラシを刷って、首都圏の戸建てやマンションにみずからポスティングをしたという。しかし、日の出とともに野菜を収穫し、みずから車を運転して配送するには体力的にも無理があり断念せざるを得なかった。
無我夢中で野菜づくりに励んでいたある日、新聞の広告欄で“生産者募集”の記事に目が止まる。1988年に発足した有機野菜の宅配を行う「らでぃっしゅぼーや株式会社」が、農薬に頼らない野菜づくりの大切さを訴える内容だった。茂さんはすぐに電話で問い合わせたという。
倉渕地域ではもともとほうれん草や山うど、みょうがなど、除草剤も農薬もほとんど使わずに栽培をしていたため、有機農業に理解を示してくれる仲間もあらわれた。同じ地域の2軒の農家と協力し農薬に頼らないあたらしい野菜づくりへの挑戦がはじまった。
周囲からの批判を乗り越え、「くらぶち草の会」を発足
最初は周囲の批判もあったが、茂さんを支えたのは「可能性があるなら、やらないよりやった方が良い」「家族を養う」という強い信念があったからだそうだ。
周囲の批判を覚悟しての無謀とも思える挑戦は、食の安心・安全を求める風潮と相まって、わずか一年間で作付けが2倍になるほどの急速な発展を遂げた。
「有機野菜は味が濃くて、素材そのものの味がする」
茂さんが取り組む野菜づくりに共感する農家も徐々に増えはじめ、1996年には10軒を超え「くらぶち草の会」と命名し協同の出荷グループを発足させることになる。
新規就農者の研修や移住後のサポートにも積極的に取り組んできた「くらぶち草の会」は、2016年9月現在、37軒の農家が会員となり「らでぃっしゅぼーや株式会社」や「株式会社大地を守る会」をはじめ、地元スーパーマーケットの「フレッセイ」などにも販路を拡大し、収入の得られる農業の仕組みを確立させている。
10年先、20年先を見越した新規就農者の受け入れ
しかし、新規就農者が増える一方で、中心となって会を発展させてきた既存の農家のリタイアが加速しているのも「くらぶち草の会」が直面する現状だ。
ほうれん草や小松菜、きゅうりをはじめ、インゲンやトマト、ズッキーニなど、取り扱う野菜は30品目50種を超えるバラエティに富んだ内容だが、出荷コストを考慮するとまとまった量が必要となる。新規就農者にとっては1ha未満、1〜2haへと規模を増やすのには最低10年の経験と技術が必要なようで、生産力の低下を茂さんは危惧する。
「新規就農者の受け入れをしていなければ、倉渕の農業はあと10年で終わっていた」と茂さん。
無農薬による野菜づくりに適した小規模の畑が点在する倉渕の農業を守るためには、今後、30人、40人…それ以上の人手を確保する必要があるそうだ。『農業が好き、農業をして生活していきたい』人にとっては、販路がすでにあること、新規就農者を受け入れていることは恵まれた環境といえるだろう。
倉渕地域に移住して13年目を迎える「くらぶち草の会」会員の柴田さんも、1年間の研修を経て未経験からスタートした新規就農者で、代表の茂さんをはじめ、地域の先輩方に支えられながら大好きな農業を続けている。
▲「くらぶち草の会」会員・柴田さん
「うまくいかないことは日々いっぱいあるけど、出荷所で人と会うと『うまくいかなかったのは自分だけじゃなかったんだ』とか、『こうやったらうまくいったよ』とか、何気ない会話のなかで共感し合えたり、励まされたりすることも多くて、楽しくやってます」と柴田さん。
北海道や青森で競走馬の育成に携わっていた経験もあるとのことで、「馬を飼って自宅の周りを走りまわってみたい」と、将来へと向かう夢を語ってくれた。
新規就農者に寄り添う倉渕地域の人のあたたかさ
「新規就農者の方にまず取り組んでもらうのは、確実に収穫ができて収入を得られるインゲンと小松菜。それと『作ってみたい』と思う好きな野菜も選んでもらっています」と笑顔で語る茂さん。
「野菜をただ作るだけではなく、きちんと収入として悦びを感じられることが大切」と茂さんが語ることができるのは、みずからも十分な知識と技術のないまま農家を継ぐことになった経験があるからだろう。
また、新規就農者として倉渕地域に移住・定住した先輩農家が多い地域だけに、古き良き時代の“おせっかい”があり、あらたに移住・定住してきた人への面倒見も良いとのこと。
▲出荷所。ここでの交流も欠かせない
新規就農を検討している人に求めることとしては、まずは『農業が好き、農業に興味がある』ことと、それまでの生活スタイルを持ち込むのではなく、山の中での暮らしを楽しめるセンスのようで、柴田さんのように農業未経験からでも十分にスタートできるそうだ。
倉渕の人だけが知る、その魅力と豊かさ
高崎の市街地から車でおよそ1時間。「くらぶち草の会」の畑が集まる急坂な山道を登っていくと、想像を超える雄大な自然と出会った。
▲一面に広がる蕎麦畑。遠くには浅間山が見える
観光で訪れる機会の少ない倉渕地域は、群馬県民さえも知らない倉渕の人だけが知る絶景の宝庫で、倉渕の農業はもちろん、地域の暮らしを守るために奔走してきた佐藤さんの想いも伝わって来るようだ。
「くらぶち草の会」では今後も、新規就農者の研修や受け入れを引き続き行っていくうえ、共同農場への取り組みや加工品の開発、販売にも積極的に取り組んでいきたいとのこと。未来へと向かって歩み続ける会の今後に引き続き注目したい。