やりたいことを求めて上京した学生時代
星野さんが生まれ育った桐生市は大型の販売店があって賑やかで気に入っていたのですが、高校生の頃に地元桐生への思いが変わったそうです。
「桐生には私のやりたいもの、働きたい場所がないと思うようになってしまって…、正直地元が好きではなかったですね。」
海外で働きたいという思いが強かった星野さんは、桐生を離れ東京の大学に進学。大学では社会学部の国際系で猛勉強をし、勉強以外では部活動、アルバイトの掛け持ちをしていました。
「朝5時に起きて部活に行き、その後夜の8時までゼミで勉強、夜中の12時までアルバイトという生活をしていました。今自分にできることは何でもやろう!と思って。」
大学卒業後は、都内の不動産会社に就職した星野さん。この業種に決めた理由は「大学時代は毎日充実した生活をしていたので、同じようにとにかく頑張れる仕事、やりがいのある仕事がしたかった」からだそう。しかし社会人生活にも慣れてきた2年目にリーマンショックの波が襲いかかります。
「当時、会社が早期希望退職者を募っていました。私ももちろん不安でしたが、まだ2年目でしたので残っても退職でもどちらでもいいかなあって。」星野さんが考えた末に下した決断は退職でした。
「とてもやりがいのある仕事でしたが、この先出世を目指すよりも、自分のやりたいことに時間を使おうと考えるようになりました。」そんな時、友達や両親の「いいじゃない!桐生に帰ってくれば?」という声が決断を後押ししてくれ「私には帰る場所があるんだ」と思え、桐生へ戻ることにしました。
「キャリア教育コーディネーター」の仕事で再び東京へ
桐生市に戻った星野さんは、約3ヶ月間「自分には何ができるのか?何がしたいのか?」を考える日々を送っていたそうです。
その中で「頑張っている人を応援したい。子どもや学校の先生の日々のサポートをしたい」という自身の思いに気が付きました。
「それが自分にとって大事なことで、最も近いのが教育だってことがわかったんです。」
▲農業体験も星野さんが目指す教育の一つ
そして同時に「キャリア教育コーディネーター」の資格があることを知った星野さん。
「キャリア教育コーディネーター」とは、地域社会が持つ教育資源と学校を結びつけ、児童・生徒等の多様な能力を活用する「場」を提供することを通じ、キャリア教育の支援を行うプロフェッショナルのことです。
「私がしたいことはこれだ!と思いましたが、当時はまだこの資格ができたばかりでして。仕事にするにはどうしたら良いか、色々な人に聞いてみたのですが、相談した人には自分で場所を見つけて開拓していくしかないと言われました。」
そしてキャリア教育コーディネーターの仕事を探し始めた時、桐生ではなく東京都内でキャリア教育コーディネーターの会社があることを知人から聞いたそうです。
星野さんはすぐに行動に移し、再び上京を決意。知人の助けもありキャリア教育コーディネーターの資格を取得し、希望の会社でインターンとして働き始め、その後正社員として就職しました。
「不動産会社の時は600人くらいいる会社で仕事が当たり前にある生活でしたが、私が勤めたのは社長を含めて5人の小さな会社でした。自分のできることが会社のできることになる、という感じでしたね。」
教育の仕事で桐生を活性化させたい
自身にできることを増やしていくことが会社にとって最良だと考えた星野さんは日々の業務で多忙な毎日でしたが、社会起業家や政治家を養成する社会人対象の塾に通い自分自身の考えのブラッシュアップに励みました。「自分にできることは何でもやろう!」という学生時代から通じる思いがそこにはあったのかもしれません。
星野さんは塾に通う中で自分のフィールドとは何かを考えた時、一度帰った桐生が疲弊してしまっている様子を思い出しました。
「桐生に自分のフィールドを持って、教育の仕事を通して人と人との繋がりで新たな価値を生み出したい、地元を盛り上げて行きたいと強く思いました。」
地域とのつながりがNPO法人の立ち上げの後押しに。
▲防災について考えるワークショップで、子どもと一緒にお母さんたちも勉強
星野さんは地元桐生で活動するため、地元のキーマンと言われる人たちに「自分が何をしたいのか?何ができるのか?街をどうしたいのか」を徹底的に話したそうです。
その時、子育て世代で地域を盛り上げるためNPO法人を立ち上げようとしている仲間と出会い、意気投合。2013年11月に「NPO法人キッズバレイ」を桐生市に設立。当時都内に住んでいた星野さんは、事務局長として、東京と桐生を行き来するダブルワークをし始めます。
「NPOを設立して翌年の4月くらいまで東京に住んでいましたね。東京と桐生の二拠点生活でした。東京には週4日、主に週末にキッズバレイで桐生が週3日。そんな生活が1年くらい続きました。途中から桐生の仕事が増えたので、東京の仕事を調整して桐生が週5日。今は東京の仕事はゼロにし、桐生に移住してキッズバレイの仕事に専念しています。」
「NPO法人キッズバレイの目的は地域の経済活性化、経済活動の中心的な担い手である若者・子育て世代の暮らしと仕事を改善していくことです。」そう熱く話す星野さん。子ども達にこの地域をどう残していくか、子ども達が地域と関わることによって社会とどうやってコミュニティをつくっていくのかを、考え実行していくことが今重要なんだと言います。
街のどこでも教室に、街の誰もが先生になるスクール
▲桐生市内にあるうどん屋のご主人が先生に
団体の活動は、「きりゅうアフタースクール」「ビジネス支援」「ままのWAきりゅう」「コワーキング&コミュニティスペース“cocotomo”運営」など多岐に渡ります。その中でも「きりゅうアフタースクール」は、NPO法人設立当初から続いている、地域のおとなを“市民先生”として子どもたちの「生きる力」を育む人気のスクール。さまざまな体験プログラムが毎週開催されています。
「桐生のような地方都市でも、子どもたちの暮らし自体は実は都会とあまり変わりません。学校、習い事、ゲーム…。学校の授業だけではできない体験を通じて判断力や思いやる力などを身につけ、子ども達が好きや面白いを見つけるきっかけになればいいなと思います。」
▲プロの先生からコツを教わる「かけっこ特訓教室」
「きりゅうアフタースクール」には「科学実験教室」「かけっこ特訓教室」「kidsプログラミング教室」「農業体験教室」など誰もが自由に参加でき、気軽に楽しめるものばかり。不登校だった子が「きりゅうアフタースクール」に通って元気になったり、普段は大人しい子がリーダーシップを発揮したりと、子どもたちが成長する姿を見ることができるのが嬉しいと星野さんは話します。
「このスクールが、子ども達の暮らしの中に普通にあるものにしたいですね。社会の多様性に対応できるように、市民と学校が協力して子ども達に必要な力を養っていきたいです。今後は中高校生、大学生対象の教室も企画して、直接社会を変える取り組みをここから発信していきたいですね。」星野さんは今後について笑顔でこう話しました。
使い方は自由。様々な可能性が広がる「cocotomo」
「NPO法人キッズバレイ」の事業の一つであり、拠点にもなっているのが桐生市の中心地にある「cocotomo」(ココトモ)です。「cocotomo」は、「ここからともに未来をつくる」をコンセプトに共に学び、共に働き、共に未来をつくるコワーキング&コミュニティスペース。天然木を基調にした温かく居心地の良いスペースが広がります。
▲リラックスできる空間がひろがる「cocotomo」
「2015年3月にオープンしました。地域にいると狭い世界になってしまうことがあり、解決策が見出せないこともよくあります。そんな時、隣の人と話をするなどちょっとしたコミュニケーションでアイデアが生まれる。街中にそんな出会いの場所があったら地域が変わっていくのではないかと思ってつくりました。」
「cocotomo」の使い方は自由。ショッピングの合間の休憩場所として、学びの場として、ビジネスの拠点として利用されています。「学生さんから社会人、商店街の人まで多くの人に利用してほしいですね。」
積極的に自分を外に発信することが移住の秘訣
群馬県に移住を希望している人にアドバイスをいただきました。
「これから移住する人は『あれがしたい、ここに行きたい』と自分を積極的にアピールしてほしいですね。私は桐生に戻ってきた時に、自分が活動できる場所がなかったので、とにかく人に会いに行ったりイベントに参加したり、外に向けて自分を積極的に出して、いろんな方の話をたくさん聞いたと思います。そうすることによって人脈がどんどん広がりましたし、情報もたくさん入ってきました。桐生は自分が何かやろう!と思ったら実現できる場所だと思います。あっという間に仲良くなれる優しい人が多いですし。きっと地域の人も、あの人頑張っているから!って応援してくれると思います。」
▲キッズバレイは大勢の人を支え、そして支えられている(前列中央が星野さん)
一度は地元桐生を離れたことによって、今をしっかり見つめ、未来を見据える星野さん。熱い思いが町を大きく変えていくかもしれません。
「ここはとても綺麗に星が見えるんですよ。私は綺麗な星空をみると、スッと力が抜ける感じがしてとても好きですね。群馬県は山や川、自然に囲まれている街で、季節の移り変わりを肌で感じることができる住みやすい場所です。何か情報がほしい、地域の人に会いたい時は『cocotomo』にも来てくださいね。お待ちしています。」