“人”として生きることのつながりを感じられる場をもう一度
「自然塾寺子屋」代表の矢島亮一さんは群馬県出身。青年海外協力隊の隊員としてパナマの山奥で村落開発に従事した経験をもつ。隊員時代に、パナマの山村で目にしたのは、人と人とのつながりのなかで仲良く助け合いながら生活をする“人”としてのあり方だった。
「“途上国のために何か役立つことをしたい!”と学生時代に一度は諦めかけた夢を32歳で叶えて現地に向かったのですが、トンカチで頭を殴られたような衝撃とともに“何もできない”自分がいることに気がつかされました」と矢島さん。
▲「自然塾寺子屋」代表・矢島亮一さん
あるとき、お金を落としてしまってご飯もまったく食べられない日々が続いていた時、「ちょっと待っててね」と、現地では最高級のご馳走とも言える鶏の唐揚げと山盛りのご飯を持って来てくれた子どもと出会い、“人”としてのやさしさにふれ、涙があふれたという実体験を話してくれた。
▲赴任先のパナマでの様子
途上国と呼ばれる国にはお金や物質的な豊かさこそ無いものの、“人”として生きることのつながりを感じられる瞬間があり、矢島さんご自身も幼い頃に親戚や近所の人たちと過ごした日々を思い起こすなかで、「もう一度、人と人とのつながりを感じられる場が必要なのでは?」と「自然塾寺子屋」の発足の原点とも言える気づきを得たという。
パナマの農村と群馬の農村をつなげ、おたがいの知恵・経験・アイデアを生かす活動をしたい
2年間の任期を経て帰国した後、村落開発普及員として活動した経験を糧に、地元・群馬での矢島さんの活動がはじまった。
「今でこそ“地域おこし協力隊”という素晴らしい制度ができて羨ましい限りですが、当時は企画書持参で役所や担当窓口に出向いても、門前払いを受ける日々が続きました…」と矢島さん。
そうしたある日、帰国のあいさつを兼ねて青年海外協力隊の窓口としてお世話になった方を訪ねると、「応援するよ!」のひと言をもらい、歯車がゆっくりと動き出す。
はじめは、小学校・中学校の「国際理解講座」の講師としてパナマの現状を紹介したり、群馬県の事業の一環として伊勢崎や太田など県南部にある外国人学校の授業を受け持ったりするなど、“青少年育成”を目的とした取り組みが主なものだったよう。
その後、海外のリアルな状況を知らない日本の子どもたちと、十分な教育機会に恵まれない外国人の子どもたちの交流を促すキャンプ形式の自然体験イベント「国際寺子屋」を企画したり、JICAを介して青年海外協力隊の派遣前研修を受け入れたりと、古き良き農村の暮らしが今なお残る甘楽町の魅力を生かした取り組みが本格化していった。
15年目を迎え多彩な取り組みを推し進める「自然塾寺子屋」
2001年より任意団体として活動を開始し、2003年にNPO法人化、そして現在15年目を迎えた「自然塾寺子屋」では、新規就農者・Iターン移住者のコーディネートや、創業支援塾の開設、2016年4月からは古民家かふぇ「信州屋」の運営を担い、“まちコンシェルジュ”として地域を活性化するためのあらたな事業にも取り組んでいる。
2014年よりスタッフのひとりとして活躍する森栄梨子さんは、矢島さんと同じく青年海外協力隊の村落開発普及員としてホンジュラスに赴任した経験をもつ。
もともと矢島さんとは面識は無かったものの、あるきっかけから甘楽町を知ることになり、今では2人3脚で多彩な活動を推し進めている右腕だ。
▲「自然塾寺子屋」事務局長・森栄梨子さん
「京都出身なので、北関東のことはよくわからなくて…」と群馬出身の矢島さんを前に申し訳なさそうに話しはじめる森さん。
そんな森さんが甘楽町を知ることになる「あるきっかけ」とは、赴任先のホンジュランスでの出会いだった。ホンジュラス人から「なんで君は日本人なのに『KANRA』のことを知らないんだ!?」とたいそう驚かれたそうで、聞けばそのホンジュラス人は「自然塾寺子屋」が主催する農業研修に参加したことがあるとのこと。「甘楽にはきっと助けになってくれる人たちがいるから、日本に帰ったらかならず行くんだよ!」と教えてもらい、訪れたのがはじまりだった。
最初は農業体験イベントの参加者として関わり始め、その後イベントのお手伝い、語学や経験を生かした青年海外協力隊の派遣前研修の指導など、「自然塾寺子屋」の活動にたずさわるなかで、「ここで仕事をしたい」と思うようになったとのこと。
▲農業体験イベントの様子
「田舎にいるともったいない」という価値観を変えたい
しかし、森さんの想いとは裏腹に、最初は戸惑ったと語る矢島さん。英語もスペイン語も堪能で、都内のコンサルや外交官のような立場で活躍できる森さんを「何で甘楽なの? 何で田舎なの? もったいない…」と疑問に感じてしまう地域のほかの大人たちと同じように、採用するときは、矢島さんご自身も相当悩んだそうだ。
「本音を言ってしまうと、人を雇うっていうのは大変だし、責任も感じてしまうし、そもそも過疎化の進む農村で働きたいって思う若い人は居ないと思ってた」と当時を振り返る矢島さん。
しかし、森さんの時でこそ若い人が田舎にくることに戸惑いを覚えたが、現在は若い人のチャンスは田舎にもある、と語る。ネット環境があれば都内にいる必要も無く、“地方創生”がひろく謳われ“地域おこし協力隊”が制度化されるなど、「田舎にいるともったいない」という価値観を変えたいと現在の率直な想いも語ってくれた。とりわけ群馬県は、日帰りで都内までアクセスできる距離感であることも魅力のひとつだと語る。
「朝から晩まで仕事をして、休む間もなく移動の車のなかでご飯を食べたりするような非人間的な生活ではなく、地のものを食べて、まわりの人と関わり合いながら、なおかつ稼げるのが理想的ではないかと思います」と矢島さん。
『やってみたい、挑戦してみたい』があれば叶えられる環境
「日本ミツバチを飼っている養蜂家の方がいて、そこのはちみつが本当に美味しい。たとえば、そのはちみつのパッケージやデザインを提案して販促に貢献したりできるんじゃないかな。他にも、ここの豊かな自然を活かした遊びを提案するとか。アウトドアに詳しい人なんかいいかもしれない。まずは『やってみたい、挑戦してみたい』があればそれを叶えられる環境だと思います」と矢島さんは語る。
現在活動中の地域おこし協力隊員の活動もまた、それぞれの興味・関心、得意分野を活かした活動内容となっているようだ。取材中、ふらりと顔を見せた地域おこし協力隊の浅井さんは、養蚕の郷として栄えた甘楽町の歴史を踏まえて、養蚕に取り組んでいて「明日おかいこさんが来るんです」と教えてくれた。ほかにも、IT業界出身の地域おこし協力隊の方は、ITと地域の福祉をつなぐ方法を考案中とのこと。
甘楽町としてもユニークな活動を始めている。町内に400軒ある空き家を利用して町全体がホテルになる「The Hotel 甘楽」構想を掲げた取り組みを推進中。「信州屋」が甘楽町のフロント・ロビーの機能を持ち、観光案内所や休憩所としての利用はもちろん、インバウンドへの対応や仕事、サービス、商品の流通など多様な機能を担う予定だ。
「自然塾寺子屋」でも、様々な事業に挑戦中。2015年8月には“日本の昔の暮らしを感じよう”をテーマに、「ていねいなくらし~五感で感じる甘楽の旅~」と題した1泊2日のツアーを主催。続く第2弾として、2016年9月には「ガールズ・リーダーズ・キャンプ」を開催した。
「バーベキューインストラクターにお越しいただいて、鶏の丸焼きに挑戦したり、星空のもとガールズトークをしてみたり、雄川堰にちなんでデザートの“水ゼリー”を考案したり。『やってみたい、挑戦してみたい』と思うことを提案して実現させられるのは、「自然塾寺子屋」の魅力であり、それをサポートしてくれる地域の方の支えがあってこそだと思います」と森さんは笑顔で語る。
▲「ガールズ・リーダーズ・キャンプ」の様子
地域には約60名の農家の方々によって組織化された「甘楽富岡農村大学校」や、「甘楽町おたっしゃ会」と名付けられた町内26ヵ所に分かれた地域活動の場がある。人生の先輩方や農村の暮らしに精通したスペシャリストたちの意見・助言をいただきながら、人と人とのつながりのなかで生活ができる理想的な暮らしがあるようだ。
思いついたことを気兼ねなく話せる、受け止めてもらえる、そして実現させられる。寛容な町の雰囲気と、しっかりと受け止めてくれる人のあたたかさ。人と人とのつながりを感じられる甘楽の町にぜひ訪れてみては。